032 ハイテレス=ヴェタ―という男
「……ふむ、そういうことでしたか」
北端聖域で目を覚ますと3年前の記憶が失われていた──そのあらましを説明すると、一見普通のおじさんに見えるアイレム機関総帥・ハイテレス=ヴェターは大仰に何度もうなずき、同情の念を示した。
「残念なことではありますが、今はまず無事に総本部まで戻ってきてくださったことを喜びましょう。グレナズム船長にも感謝します、ありがとう」
「もったいないお言葉」グレナズムは短く頭を下げ、「勇者どのは記憶こそ喪失したままですが、OMSを使う能力は健在。そしてなにより勇者としての高潔な人格はそこなわれてはおりませぬ」
「こ、高潔!?」
「そうでしたか。それは本当によかった」
ハイテレスはにこやかにうなずいてから、俺のことをじっと見つめた。瞳のふちがかすかに光っているように見えたのは、真剣な眼差しゆえか。それとも魔法を使ったのか。
「……我々アイレム機関の本懐である〈方舟〉奪還にはあなたの協力が不可欠です、勇者ハル。3年前のあなたがそうしてくれたように、いま一度アイレム機関と私たちの世界のために手を貸していただければうれしいのですが」
静かだが熱のこもった物言いだった。
こういう切り出し方を無碍にできる人っているのだろうか?
少なくとも俺には無理だし、ジナイーダたちこの世界で生きる人たちのことを考えると、斜に構えた答えを口にするのも子供っぽくて恥ずかしい。
ハイテレス総帥の言葉に俺はうなずき、「そのかわり、と言ったらなんですけど……」
「ふむ?」
「ジナイーダの協力も不可欠だと思うんです。俺ひとりじゃどうにもならないことばっかりで……彼女は俺の命の恩人だし、3年前に何があったとしても、これ以上魔女扱いするのはやめてほしいんです」
「ハル様……」
ジナイーダが目を丸くした。俺がこんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。
「しかしネクロボーンに囚われたという事実は消せない」口を開いたのは、ハイテレス総帥の後ろに姿勢正しく立っている美青年だった。「3年間の幽閉を経てもなお、総帥は魔女の解放を決定されなかった。その意味を考えてほしい」
「つまり、ネクロボーン化しているかどうか判断がつかなかったってことでしょ? 3年間も監視しておいて」
「……」
線の細い美青年の、整った顔がかすかにこわばった。
「だったら、”勇者”としての俺が保証します。ジナイーダはネクロボーンなんかじゃない。俺の……俺たちの大切な仲間なんだ」
「だが……」
「アイレム機関の代わりに俺が見守る。それならいいでしょ?」
美青年はまだ何か言いたげだったが、ハイテレス総帥が遮った。
「イサクラくん。勇者ハルがこうまでおっしゃっている以上、我々は軽んずるべきではないと思いますよ」
イサクラと呼ばれた男はすっと姿勢良く頭を下げ、口をつぐんだ。いかにも切れ者風の容姿から見て、ハイテレスの片腕といった立場なのだろう。
「では、魔導師ジナイーダの処遇については現時点をもって勇者ハル、あなたに委ねることにしましょう。いいですか?」
「ありがとうございます……だってさ、ジナイーダ」
「はい、ハル様。これでまたおそばにいることができます」
ジナイーダは顔をほころばせた。胸がきゅんとなった。そんな表情を見ることができるなら、俺は何だってできそうな気がした。
「さて……」ハイテレスは居住まいを正し、テーブルの上で指を組んだ。「もうひとつ重大な案件があります。われわれ人類が直面している危機的状況を打破するために必要な、ある条件──〈業魔〉への対抗策についてです」
人の良さそうなおじさんといった総帥の表情が引き締まっている。そこには親しみやすさと同時に峻険な岩山のような、確固たる意志が宿っていた。
「それは勇者ハル、あなたの身に備わっている能力に関わってくる」
「俺の?」
「はい。端的に言えば、あなたがOMSを使いこなせるかどうか、ということです」
「できる……といえばもうできている気はしますけど。そりゃあ、3年前の俺に比べたらまだまだなのかもしれないけど」
「そう、そこです」ハイテレス総帥はぐっと身を乗り出した。「3年前と比べてどこまでのレベルで力を引き出しているか、それが問題だ。グレナズム船長」
「はっ」
「そしてジナイーダさん」
「はい?」
「あなた方ふたりの意見を聞きたいのですが、おふたりから見て勇者ハルの能力は、全盛期の何割出せていると感じますか──いや、こういう聞き方は回りくどいな。言い換えましょう」
ハイテレス総帥はグレナズムとジナイーダを交互に見て、メガネをきらりと光らせた。
「現在の勇者ハルに使いこなせると思いますか? ”ネイキッド”を」
*
俺は今いるこの世界にとっての異物だ。
地球の、日本で生きていた俺はこの世界に召喚され、世界の壁を超えてやってきた。
この世界は比喩でなく地獄に侵食されていて、それをなんとかしようと〈方舟〉を造ったけどその計画が失敗して〈業魔〉が生まれた。
そのせいで世界中が邪悪な波動で汚染されて、人間は結界の張られた聖域以外では人間であり続けることさえ難しくなった。
異物である俺は例外で、その波動の影響を受けない。これが勇者としての能力のひとつ。
もうひとつが、装着型重機OMSに使われている流体腱筋という人工筋肉に、リミッターを超えたパワーを出させることができる能力。
これについては、前々から疑問ではあった。
〈業魔〉の波動の影響を無視できる霊学異性体であることは、たしかにこの世界においては大きなアドバンテージだ。なにせ化物にならないですむんだから。
でもOMSで仕様上のスペックをぶっちぎったパワーを出したからといってたかが知れている。もちろん強力であることは間違いないけれど、強い身体能力が発揮できるというだけなら、何の道具も使わなくていいスローネの金剛身の方が小回りがきいて便利だと言える。
「だが注目すべきはそこではない、ということです」
ハイテレス総帥はそう言って、俺を屋敷の地下──といっても浮遊島の内部という意味だが──にあるただっぴろい体育館のような場所に自ら案内した。
「あれを見てください」
指差す先には、不格好な末端肥大気味の白いきぐるみがうずくまっていた。
なにやらのっぺりとした造形で、抱きついたらふかふかとしていそうだ。
「OMSです」
「……これが? でもOMSってもっとこう、ガッチリしててシャフトとかシリンダーとかが組み合わさってるイメージが」
「そうですね。流体腱筋の服に外部フレームを組み込んだものがいわゆる装着型重機と呼ばれる一般的な作業用OMSです。それに装甲を施したものが軍用OMS。それらの原型となったのがこの……フレームのない、流体腱筋のみで造られた強化倍力服。”ネイキッドOMS”です」
「ネイキッドOMS……」
「着てみますか?」
「……そりゃあ、まあ」
興味を惹かれた。流体腱筋を過剰に活性化させられるのが俺の能力だとして、全体が流体腱筋のみで造られたスーツが果たしてどういう挙動を示すのか。
俺はうずくまった白いきぐるみに近づき、一度こくんと息を呑んでから手のひらで触れた。
ゲルを封入した水風船のような感触。
ぶよぶよして、これをそのまま着込むだけでは到底パワーを倍増する服だとは思えない。
だが、その認識を飛び越えて、俺はネイキッドOMSの”本質”にふれた。
普通のOMSとの最大の違いは質量だ。
流体腱筋の量が多い。一般的な作業用OMSの軽く数倍はある。
これほど分厚い流体腱筋を過剰活性させれば──当然、引き出されるパワーは桁違いになる。
「どうやら、何かを掴んだようですね」ハイテレス総帥は朗らかに笑い、「どうです勇者ハル、あなたが本当に勇者としてわれわれの目的を叶えうる存在なのか、ひとつテストをしてみるというのは」
「面白いっすね、それ」
俺は指先がチリチリとするような興奮を覚えていた。
テストが始まった。




