031 人類の砦
大空洞の入口に設置されたヘリポートに飛空船ゾンネンブルーメは着陸し、ローターを停止させた。
保守点検要員を除いた全員がタラップから船を降りる。今回はジナイーダも一緒だ。
と、背後でウィンチが巻き上げられる音が聞こえた。とんでもなく大きな物が動く気配がして、振り返ると大空洞の入り口がシャッターで閉じられようとしていた。
すごい光景だ。魔法の力でここまで大掛かりな装置を動かせるのか。
あの陸上船テイク・ザットが余裕で入ってこれるような入り口が完全に閉じられると、空洞内の各所にマギライトが灯った。
無数のマギライトで照らされて、ようやく空洞の全体像がわかった。大空洞はほぼ球体をしていて、地表の岩山に開いている入り口はほんの端っこにすぎない。その巨大な球状の空間には無数の柱と橋とが縦横無尽に架けられ、それを縫うように浮遊する足場やトンボのような羽の生えた少人数乗りの飛行機械、明らかに人間より大きな鳥が行き来している。
「おうっほ、アレ見てみなよハル」
妙な声を上げてスローネが天井を指差した。見上げると、そこには様々な大きさの飛空船が浮かんでいた。よく見れば、浮いているのではなく空中に架けられた浮き艀に係留されているようだった。空中港、とでもいうのだろうか。
中でも目を引くのは、空中港の中央に陣取る、遠目にも他の飛空船とは一線を画す大きさのいかつい形状の船だ。
「アンブレラ、だ」グレナズムが眼帯をしていない目を細めながら言った。「空中戦艦アンブレラ。我々アイレム機関の切り札となる……はずの一隻だ」
「はずの?」
「あの大きさを十全に機能させるだけの魔導機械、エンジンコアがない。空を飛べない空中戦艦などタヌキの置物に等しい。上層部はまだ運用を諦めていないらしいが……」
グレナズムは何やら思うところがあるような態度だったがそれ以上は語らず、俺に着いてくるよう言った。
「勇者どのには総帥に会っていただく。他の者は12時間の自由時間を与える」
どうもそういうことになっているらしい。
ここまできてその”総帥”とやらに会わないわけにはいかないだろう。
グレナズムの後に続いて、俺は浮遊する足場に乗った。
*
手すりこそついているものの、何の支えもなく空中に浮かぶ板で移動していると、さすがに下腹が縮こまる思いがした。下を見ればかなりの高さ、しかも結構スピードが出ている。
「これ、どうやって浮いてるの……?」
「浮遊気嚢で浮かべて魔導推進機で動いているようですね」
とジナイーダが答えた。アイレム機関にとって監視対象になっている彼女は、本来しかるべき場所に軟禁されていなければならないが、グレナズムの判断で魔法封じの手枷の着用を条件に俺たちに同行している。護衛兼監視役のスローネも一緒だ。
「それはいいけど、なんでおチビちゃんまでついてきてるの?」とスローネ。
「私は武装陸上商船団評議員グランド・ジョーの名代なのです。アイレム機関の総帥にお渡しする書類もあるのです」
リトル・ジョーは得意げに胸を張った。
「総帥……ってどんな人? ジナイーダは会ったことある?」
なんの気なしに尋ねると、ジナイーダは珍しく困ったような顔をして口ごもった。
「……すごい方、だと思います。怖い方といったほうがいいかもしれませんけど」
浮遊する足場はやがて大きな浮島に接続され、そこを中継ポイントにして別の足場に移った。形は違うが電車の乗り換えと仕組みは同じだ。2回の乗り換えを経て、今度は大きな浮島がいくつもくっついてできた大きな島に着いた。
そこは多くの人が行き来する大型複合駅のような役割の場所らしく、食べ物や雑貨を売る商業施設とそこを行き交う人の姿が見えた。
はぐれたら一発で迷いそうだ。
あちこちに案内表示板が掲げられているが初見ではなにがなんだかわからない。俺は迷子にならないようグレナズムの背を追って足早に進んだ。
それにしても、見たことのない文字で書かれているのになぜか苦もなく読めるのは不思議なものだ。そもそも話す言葉が通じていること自体、よくわからないことではあるのだが。誰もつっこまないので流しているが、俺は自分の意識の上では地球の言語、日本語を喋っているつもりなのである。
「”魔法の塔”の効果ですね」ジナイーダが隣で言った。「神話の時代、人類が建てた天に届くほど大きな塔を神は祝福しました。人々がお互いの意思疎通を言葉の壁で遮られることがないように”共通語”を与えたのです。以来、この世界ではどのような言葉を使ってももれなく読み取り、聞き分けることができるようになったと言われています」
違和感を覚えた。地球のバベルの塔の逸話くらい俺も知っている。神が天に届く塔を立てた人々に怒って、言葉を通じなくさせたという、例の話だ。
だがこの世界ではまったく逆ということになる。塔を建てたご褒美に、どんな言葉でも通じるようになった──もし本当なら、太っ腹な神様もいたものだ。
「中央連結島から乗り換えて、あとは一直線に最奥部に向かう」
グレナズムが振り返らずに言った。視線の先には、斜めにした銀色のバスのようなゴンドラがワイヤーに吊り下げられていた。
乗り込むと、ほどなく動き出した。かなりスピードが出る。他の浮く足場と違ってワイヤーと滑車プラス浮遊気嚢で動いているらしい。
窓の外には大空洞の様子が流れていく。
多くの飛空船が空中で建造されているのが目についた。理由は想像できる。〈方舟〉を人類の手に取り戻すには、空を飛んでそこまで戦力を送り込む手段が何より必要だからだろう。
他にも塔型の居住スペースらしき窓のたくさんついた建物や、空中に架けられた線路を走るトロッコ、何をどういう経緯をたどってその形になったのか想像できないダルマ型の浮遊島などなど、大空洞の暗闇にマギライトの光で浮かび上がっている。戯画化された星空のようでもある。『星の王子さま』とか、ああいう感じ。
「ハルさんは大空洞に来るのは初めてなのですか?」
俺の左隣のぴとっとくっついて座るリトル・ジョーが聞いてきた。
「うーん、たぶん初めてじゃない……よね?」
俺は答える代わりに右隣に楚々として座るジナイーダに尋ねた。俺自身の頭の中で連続している記憶では何もかも初めてだが、3年前の俺は”勇者”だったらしい。とすれば、アイレム機関の総本部にまったく足を踏み入れていないとは考えられない。
「はい、ハル様。ハイテレス=ヴェター総帥とお会いするのも初めてではありません。3年前を計算に入れれば、ですけれど」とジナイーダ。
ハイテレス=ヴェター。
それがアイレム機関の総帥の名前か。
響きからは、男か女かすらわからない。
「何か思い出すことがありますか?」
「……いや、うん……ごめん」
相変わらず、だめだった。3年前の記憶はいつ思い出そうとしてもまっさらで、断片が浮かぶことさえない。
「どうか謝らないでください、ハル様。誰よりももどかしい思いをなさっているのはハル様ですもの」
ジナイーダがそっと俺の手の甲に手を重ね、申し訳無さそうに俺を見つめた。魔法封じの手枷がカチャリと音を立てる。
しばし無言の時間が続いた。
高速ゴンドラは大空洞にかかる様々な縦糸横糸を通過して、最奥部のひときわ大きな浮遊島にある降車場についた。
「行こう。失礼のないようにな」
グレナズムの声に一同は椅子から立ち上がり、ゴンドラから降りた。
*
義人アイレムが〈方舟〉をつくるための材料を切り出した跡地、大空洞。
その空洞を利用して人類最後の砦たるアイレム機関総本部は築かれた。
空洞の最奥地に質実剛健を絵に書いたような建物、大本営ビルがあり、分厚い塀と鉄格子とに囲まれている。
機関の舵取りをしている首脳陣が日夜そこにこもり、人類の存続を確かなものとするための選択を下しているのだという。
そしてその首脳の中でも最大の指揮権限をもつのが総帥のハイテレス=ヴェターという人物だ。
「こちらへ」
魔法と武技の両方を使いこなせる近衛兵の案内で、俺たちは総帥の部屋へと通された。
ほぼ自然光の色彩と明度に調整されたマギライトの明かりが照らす部屋は見るからに清潔で、華美すぎず、上品なたたずまいだった。
部屋の中央で両手を広げ、満面の笑顔で歓迎の態度を示していたのは、この世界での正式なスーツ姿の、やや小太りでメガネを掛けた、こう言っては何だがふつうのおじさんだった。そのおじさんから少し離れたところに、目つきの鋭い、線の細い美青年が立っている。
このふたりのどちらかが総帥──ということになるが、雰囲気と位置関係からスーツのおじさんがたぶんそうなのだろう。
「いやぁ、お待ちしていましたよ、勇者ハル。3年ぶりですか」
おじさんはにこやかにそう言って、俺に握手を求めてきた。力強いが、手のひらは柔らかい。
「あの……すみません。俺、勇者といっても記憶を失っていて……」
「記憶を?」
「はい。だからその……なんというか、期待に添えられるかどうか……」
「ふぅむ、なるほど。わかりました、お話をゆっくり聞かせてもらいましょう」
そのおじさん──アイレム機関総帥・ハイテレス=ヴェターは深くうなずくと、みなまで言うなとばかりに部屋の中に設えられた応接スペースへと俺たちを招いた。




