030 勇者の帰還
歪雨前線から抜けると、次元の歪みによって引き起こされた混乱もおさまり、ゾンネンブルーメ船内は落ち着きを取り戻した。
ネクロボーンの襲撃がなかったのは不幸中の幸いというべきだろうか。
このまま進めば目的地のアイレム機関総本部まであと数時間というところ。
俺もすっかり船酔いから回復し、格納庫のOMSの整備に立ち会っていた。
「いやあ、こうなったスーツに関してはもう使えませんねえ」
整備員はそう言って、俺が幽霊船団のときに使ってオーバーヒートさせてしまったOMSの胸甲を小突いた。一見ほかのOMSと変わらないが、本来卵の白身のような流体腱筋部分がゆで卵状態になって可塑性を失い、役に立たなくなっている。
「いくら軍用といっても、勇者どのの全力に耐えるようにはできておらんのですわ」
「一回着たら使い潰しちゃうのはもったいないね……残りは3着か」
「いやあ、面目ない。ですがもうじき総本部です、何ごともないことを祈りますよ」
「そうだね……ん?」
いつの間にか格納庫にやってきたリトル・ジョーが、自前の大きな旅行かばんを開けてなにやら機械いじりを始めていたことに気づいた。
「ドローンの調整なのです」とリトル・ジョーは小型の魔導機械のねじを緩め、「私はジナイーダさんみたいな魔法も使えないし、スローネみたいな馬鹿力もないですが、代わりにいろんな機械の操縦ができるのです。陸上船や飛空艇、このドローンたちも」
「すごいな」
「えへへ、もっとほめてもいいのです」
照れくさそうにくにゃっとなって笑うリトル・ジョーを見て、俺は思わずその頭をなでくり回した。そうしたくなるかわいらしさがあった。
「ぶぅ」
「あれ、嫌がってる」
「子供扱いはいやんなのです。いまの私は花嫁修業中の身なのですから」
これには俺はあいまいな笑いしか返せなかった。うーん、どうも俺を婿にしたいという発言はまだ本気のようだ。
「OMSの整備も手伝うのです、もっといっぱいハルさんのお役に立ちたいのです」
「おー、そんならこっちも見てもらえるかい、嬢ちゃん」整備員はそう言って、ハンガーに架けられた軍用OMSの前で手招きした。「若いのにいい腕だな、部下にほしいくらいだ」
「わかるのですか?」
「おー、ドローンをいじる手つきはもうプロの動きだ」
「うれしいのです、じゃあちょっと手伝わせてほしいのです」
「おう、頼むよ」
リトル・ジョーはさっそくOMSの整備に参加しだした。本当に器用なものだ。
整備に取り掛かるふたりに置いてけぼり状態になった俺は格納庫からブリッジに上がった。
*
「見えてきたぞ、大空洞」
グレナズムが言った。いまは霊学迷彩は解除され、ブリッジの前面窓から広大な景色が一望できる。
そこに見えてきたのは、灰白色の巨大な岩山と、その麓から中腹にかけて穿たれた大穴だった。
クラクラとめまいを感じたのは歪みの雨の後遺症ではない。岩山と大穴のスケールがあまりに大きかったからだ。火山の噴火口のようにも見えるが、穴の奥が覗けないほど深い。
「内部はもっと広いぞ。義人アイレムが〈方舟〉の材料を掘り出すのに選んだだけあって、土地自体が聖別されているような場所だ。巨大な岩盤そのものが結界となり、〈業魔〉の侵入を許さない。この世で最も安全な聖域のひとつでもある」
飛空船ゾンネンブルーメは少しずつ高度を下げ、大穴に向かって降りてゆく。
「勇者どのには馴染みの場所のはずなのだが……なにか思い出したことはないかね」
「俺が? 馴染みの場所って……」
3年前の記憶。いままで何度となく掘り起こそうとしてきたが、いつも空振りに終わっている。具体的な出来事は何も出てこないし、親しいはずのジナイーダのことも思い出せない。失敗に終わったという〈方舟〉奪還作戦のことも、そのとき受けた大ケガのこともだ。
俺の記憶は生まれ育った地球の暮らしから始まり、ある日突然こっちの世界に招かれて、その時点でぷっつり途絶えている。次の記憶はあの極寒の北端聖域の暗い部屋から始まる。
記憶はなくても生きてはいけるし、戦うことも、勇者として求められる人間になろうとすることもできるが、自分が勇者と呼ばれるだけの活躍をどういう風に行っていたのか、肝心な部分がまったく残っていないのだ。
俺のことを勇者と呼ぶアイレム機関の連中が求めているのは今の俺じゃなく3年前の俺だということは理解している。
ジナイーダは優しく記憶が蘇るのを待っていてくれるが、それでもやはり今の俺を通して3年前の俺を見ている。
3年前の自分と記憶の統合ができない限り、この齟齬は埋められないだろう。そんな気がする。
気はするが、思い出せないものは何をどうひっくり返しても思い出せない。
だからせいぜい、周囲の期待を裏切らないように振る舞うしかないのだ。
ひねくれてるな、と自分でも思う。
でも、3年前のことなんか知らねえよと悪ぶったところで誰も喜ばないし、この世界の現状を知ればわがままを言っていられる余裕はない。
記憶のないポンコツのままでも、勇者として振る舞える誰かが必要なのだとしたら──やっぱり俺がやるしかないじゃないか。
「おー、これが大空洞! すっげー」重結界室から、ジナイーダを伴ったスローネがブリッジに顔を出した。「あたし初めて見るよ。ここがアイレム機関のアジトってわけね」
「人類存続の要ですね。私も来るのは3年ぶりです」とジナイーダ。「ハル様……ハル様? どうかなさいました?」
「え?」
「なんだか怖い顔をなさって。気になることでもありましたか?」
俺は頭の後ろをかいて苦笑いした。ジナイーダにはどうもお見通しのようだ。
「なぁんだよー、ようやく目的地についたんなら景気よくいこ、ハル!」
スローネが気安く肩を組んできた。豊かな胸が押し付けられて、物理的に悪い気はしない。ちくしょう、天然か? わざとやってるのか?
「でっけ……あ、えーっと、それでグレナズム、総本部に着いたら何がどうなるんだっけ?」
「まずは勇者どのをアイレム機関のトップに引き合わせる。その上で機関の今後の方針が定められる」
「今後の方針?」とスローネ。
「勇者どのが果たして3年前と同じ能力を発揮できるのか……そうであれば状況は大きく動き出すだろう。第二次〈方舟〉奪還計画の草案が無駄にならずに済むかどうかがそこで決まる」
「〈方舟〉か……」
遠くの空に霞む〈方舟〉。〈業魔〉の巣。諸悪の根源。空に浮かぶ巨大構造物。
「そんなの、俺がOMS動かしたくらいじゃどうにもならないんじゃない?」
「……普通のOMSならな」
グレナズムは含みをもたせた。
「普通じゃないOMSがあるの? 軍用よりもすごいやつが?」
「まあそれは着いてからのお楽しみだ」
と、そこでオペレーターが着陸準備に入ったことを告げた。
ゾンネンブルーメはぐっと高度を下げ、大空洞にやや入ったところにあるヘリポートに滑るように降りていく。
入口の大きさからある程度想像していたよりもなお、内部の空洞は広大だった。あちこちにマギライトが点灯しているが、端がどこにあるのかわからない。距離感が狂う。
この空洞が、〈方舟〉を建造するための材料を掘るためにできたものだという。
義人アイレムが成した偉業がどれほどのものか、その一端がようやくリアリティをもって感じられてきた。とんでもないことだ。地球で例えるなら、エジプトのピラミッドを全部一人で組んだようなもの……いや、サイズから考えると間違いなくその何倍もの岩石が掘り取られている。
真の魔法使いといったか。本物の魔法使いの力というのは、国を挙げての公共事業に匹敵するほど強大だということだろう。
そのトゥルー・メイジが生きていて、〈業魔〉に立ち向かってくれていたらもっと話は楽だったかもしれないが、義人アイレムはすでに死んでいるという話だし、そこを考えても仕方がない。
するうちにゾンネンブルーメはヘリポートに着いた。ずしん、と船体が揺れる。
そうだ。考えてもしょうがない。
俺がどうするか。
いまからそれが問われることになるのだろう。
俺にこの世界で勇者として戦っていく覚悟があるかどうか。
それは俺が本当に勇者であるかどうかよりも大切なことだと、俺は思った。
ここで3章終わり。
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