025 発動篇
武装陸上商船団を構成する陸上船は〈方舟〉の破片から作られたらしい。
この世界の神様が、封印した地獄ごと〈方舟〉を異世界に流して捨てるために起こした〈次元洪水〉の余波を受けて、その破片は地面に対して浮かぶ特性を持っている。それを利用して船に仕立てたのが陸上船団の始まりだという。
この世界は〈業魔〉の波動が飛び交っていて、聖域以外で人間が生きていくのは難しい。だから陸路も海路もそのほとんどが使えなくなった。遠距離を安定した結界で結ぶことは、現代の技術では不可能なのだそうだ。
その点、船団は元〈方舟〉だけあって〈業魔〉の汚染を防ぎやすく、動く聖域とも呼ばれている。安全に荷物を聖域から聖域へ運ぶためには、武装陸上商船団を利用するのが一番信頼が置けるので、船団はこの世界において大きな発言権を持っていることでも知られている。
と、いうのが手短にジナイーダに教わった知識だ。
船団の意思決定に関わる船団評議員のひとりがグランド・ジョーであり、その孫娘リトル・ジョーが空中偵察中にネクロボーンに襲われていたところを助けたのがアイレム機関の飛空船ゾンネンブルーメ、特に俺、”勇者”ハルだ。
俺は自分自身が勇者かどうか、いまだに確信が持てない。3年前の記憶がちっとも戻らないので、確かめようがないのだ。
でもOMSを操る能力は勇者以外は持ち得ないものだし、3年前の俺のことをよく知っているジナイーダは俺が勇者だと言ってくれている。グレナズムや他のクルーは俺が勇者であることを期待している。
そして俺自身、真相がどうあれ、勇者と呼ばれる存在でありたいという願いがあるようだ。
勇者かどうかはわからなくても、勇者のように行動することはできる。誇り高い気分でいられるし、そうすることで喜んでくれる人がいるのなら、そうしたい。どうもそういう風にできているのだ、俺の性格は。
その結果、まだ幼さの残るリトル・ジョーを墜落死から救うこともできたわけだから、俺の行動指針はきっと間違ってはいないはずだ。
*
「ハルさんはビューンと飛んで私のことを助けに来てくれたのです!」
リトル・ジョーが行儀悪く椅子に片足をついて立ち上がり、こぶしを振り上げて熱弁した。俺とジナイーダ、スローネ、そしてグレナズムは彼女の祖父が船長を務める大型陸上船”テイク・ザット”の一室に通され、食事を振る舞われていたのだが、その宴席の最中に自分の話にヒートアップし始めたのだ。
「ジナイーダさんの魔法でこう、翼が生えたように! 空を飛び! バババババーッなのです!」
「そのあいだ気を失ってたから見てないんじゃないの、おチビちゃん」とスローネがからかう。
「だーっ! 怪力おっぱいは黙っているのです! 私は心の目の話をしているのです!」
「ふぉふぉふぉ、そんなことがあったとはなぁ」孫の話を楽しげに聞くグランド・ジョーは酒をあおると、好々爺然とした笑顔のまま、「まさかかの勇者と魔女が我が孫に手を貸してくださるとはのう、こんなよい風の巡りはそうそうあるまいて」
俺は顔をこわばらせた。仕方のないことだが、偽名も使わず話をすれば勇者ハルとジナイーダの名に反応があって当然だ。
怖いのは、グランド・ジョーがシワだらけの笑顔の中で細める目に鋭い光が見え隠れするところだ。武装陸上商船団の船長という立場の人間が、眠りについて3年間行方不明だった勇者が目覚めていたことを知ってどういう反応を示すのか読めない。
「……あえて、と考えていただきたい」グレナズムが深く響く声で切り出した。「我々アイレム機関は、ご覧の通り3年前に世から姿を消した勇者どのと、そのパートナーであった魔女を運んでいる最中にあります」
「むっふぉっふぉ、なるほどのう」
「いまはいち早く二人を機関の総本部に移動することが最重要任務なのです。あえてそのことをお伝えする。その意味、貴殿ならばおわかりいただけるはず」
「……見なかったことにせよ、と?」
グレナズムは無言でグランド・ジョーを見た。皆まで言わすな、ということか。
「よいよい、グレナズムどの、安心めされよ。これは商機ではあるがそれ以上に大きな意味があると思うておりますでの。何しろ命より大切な孫を無事に連れ帰ってくれたのですから。そのことを仇で返すようなことはせぬと、我が一族の名にかけて誓いましょう」
「そうなのです!」リトル・ジョーがさらに興奮し、両手をがばっと天井に向けた。「これは運命なのです! 私は決めました! ハルさん!」
「え、な、何……?」
「あのあのあの、わ……私の……」
「うん?」
「わたしのお婿さんになってほしいのです!」
俺は思わずむせた。
何がどうなってそんな話が出てくる。
「ピンチを救ってもらった恩があるのです、これはモノやお金では返せないのです」
「そっ、そりゃー殊勝な心がけだけど……」同じようにむせたスローネが、若干引き気味に言った。「結婚ってそんな簡単ものでは……」
「簡単だなんて思っていないのです! 私はジョーの名を継ぐ一族のひとりなのです、一族の血統を絶やさないために優れた殿方をとっ捕まえ……じゃなくて、見つける必要があるのです。その私の感覚が言うのです、”ハルさんを逃してはいけない”と!」
だん、とテーブルに両手を叩きつけるリトル・ジョー。その表情は、耳まで赤くなっているが真剣そのものだ。
「ふぉーっふぉっふぉっふぉっ、これはとんだことになったなぁ」グランド・ジョーは目を細め、今度は本当に心の底から楽しそうに笑った。「孫には常日頃から”直観にまさる思案なし”と教えてはいるが、この歳でもう婿選びとはのう。しかし相手がかの勇者ハルどのであれば、ワシからは何の文句もないぞ、リトル・ジョーよ」
「ちょ、待ってください!」
「んむ?」
「話が急すぎますって! いくらなんでも結婚だなんて、物事にはアレが、こう……順序ってものが……」
「ではあと何年待てばよいのだ? 5年か? 3年か?」
「え、えっと……」
「そうすれば孫もふさわしいおなごになっているだろうのう、楽しみじゃわい」
まずい。
世の中には自分の都合でしか物事を見ないタイプの人間がいて、それはおそらく日本だろうがこの世界だろうが関係なくて、そういうタイプのジジイだ、このグランド・ジョーは。
このままではなし崩しに婚約が決まってしまう。
俺はぐっと息を呑み、この状況を打開する方法を考えた。今はとにかくこの場を去って、ゾンネンブルーメに乗ってしまえば……。
「ではおじいさま、私は船団を離れてアイレム機関に所属することに決めました」
「え!?」
「おうおう、よいぞ。勇者どのの身の回りの世話などするがよかろう。花嫁修業というやつだのう。というわけでグレナズムどの、我が孫を機関の一員として加えてくださるようこのじじいからお願いしよう。武装陸上商船団としてアイレム機関にはこれまで以上の便宜を図ること、お約束する」
話が。話が勝手に進んでいく。
「……勇者どの、アイレム機関としてはかなりよい提案だと判断するが……」とグレナズム。
「ま、待ってって!」
マズい。乗り気になりかけている。グレナズムまでがこの祖父と孫になびかれたら、もはや後ろ盾がなくなってしまう……。
「ハルさん!」リトル・ジョーがぐいっと身を乗り出してきた。「あのあのあの、私と結婚するの、そんなにおいやですか……?」
「え」
うるんだ目で見つめられると、弱い。リトル・ジョーのことは別に嫌いなわけではないし、いまはまだ若すぎるけどもう何年かすれば結婚相手として特に問題があるわけではない。
では何が問題かというと。
俺はおそるおそる、いままで何も発言していないジナイーダの方に目をやった。
「あれ?」
いない。
同席していたはずのジナイーダの姿が見えない。
「え? ジナイーダ?」
スローネもそれに気づき、客室の中をキョロキョロと見渡すが、やはりどこにも見つからない。テーブルの下にも……当然いない。
「……ゾンネンブルーメに戻ったのかな」
「何も言わずに? そんな……」
「いかんな、問題を起こさないだろうと自由行動を許したのが仇になったか」とグレナズムが苦い顔になった。「彼女は依然、我々にとっては”魔女”なのだ」
魔女。
ジナイーダが、本当はすでに〈業魔〉に乗っ取られているかもしれないという可能性。
そんなことあるもんか。
「すみません、ちょっと俺探してきます!」
「あっ、待ってハルさん……」
リトル・ジョーが俺を止めようとするが、無視した。
申し訳ない気持ちが起こる。
でも、もし本当にジナイーダがどこかに行ってしまったらと思うと……。
やっぱり俺は、居ても立っても居られない。




