021 うごめくものども
ジナイーダから聞いた話では、この世界はかつて地獄の脅威を避けるために〈方舟〉に地獄を封印しようとしたが、それに失敗した。結果生まれたのが〈業魔〉で、〈方舟〉はその棲家に変わった。それ以降、〈業魔〉の波動は常に世界中を飛び交っている。結界で守られた聖域だけが人類の生存可能領域として各地に点々と残され、それ以外の土地に暮らしていた人間は汚染され、死ぬか人間をやめさせられた。
いまは廃墟と原野ばかりとなったこの世界のほとんどの場所が〈業魔〉の領域であり、ネクロボーンが闊歩する魔の世界だという。
そんな中、比較的安全な空中を移動できる飛空船はこの世界の人類に残された貴重な財産ということになる。
実際、世界中にあるほとんどの大型飛空船を所持しているとされているアイレム機関でさえ、ゾンネンブルーメクラスの船はほんの数隻しか存在しないらしい。
航行中は霊学迷彩を展開し、視聴覚および魔法的に隠蔽されている状態になっているというゾンネンブルーメは、空のネクロボーンからも見つけられることなく安全に飛ぶことができるというのが何よりも優れたところだという。
せっかくの空の旅なのに、霊学迷彩に包まれた船体からは外が見えない。内側からの視線も遮ってしまうせいでこの世界の空や雲、見下ろした自然の風景なんかを見ることができないのだ。
船窓を覗いても代わり映えのしない灰色のノイズばかりなので、航空機というよりは潜水艦に乗っているような気分だ。潜水艦に乗った記憶なんてないけれど。
そんなこんなでゾンネンブルーメは丸二日飛び続けている。燃費効率がどんなものか想像するのも難しいが、サンダーヘッド聖域を発ってからは一回も着陸も補給もしていない。
いちおう”勇者”扱いの俺はクルーのひとりではあるもののこれといった役割を与えられることもない。これまたやはり”魔女”扱いのジナイーダには頻繁に会いに行くわけにもいかず、移動中はやることもなければやらなければいけないこともない。
そういうわけで、俺はひどく退屈していた。
仕方がないので、船室のベッドに寝転がりながら備品の世界地図を何度も読み返す。
北端聖域から南下してサンダーヘッド聖域へ、そこからさらにずーっと南に位置するアイレム機関総本部への航路を指でなぞる。直線距離でもあと3日はかかる距離だ。
まだしばらくはこの状態が続くのか──とあくびをした、そのとき。
船内にブザーが鳴った。
『緊急事態発生、緊急事態発生。クルーは中央ブリッジに集合せよ。繰り返す、クルーは中央ブリッジに集合せよ』
*
「4分前、救難念波を受信した」
中央ブリッジの大きな丸テーブルを囲んで、ゾンネンブルーメ乗員のうちジナイーダを除く全員が集まる中、船長のグレナズムが後ろ手に組んだまま切り出した。
テーブルの上にセットされている幻光投射球が映像を浮かび上がらせる。映っているのはリアルタイムのゾンネンブルーメ周辺の立体地図だ。
「識別パターンから、武装陸上商船団に所属する小型偵察艇のようだ。飛行型ネクロボーンの群れに襲われているらしい」
「飛行型?」
何の気なしにつぶやくと、中央ブリッジの視線が一斉に俺に集中した。
「ネクロボーンも飛ぶぞ、勇者どの。嫌というほどな」とグレナズム。「ともかく救助に向かう」
「罠では?」と戦闘要員のひとりが手を挙げる。
「当然その可能性はある。だが武装陸上商船団とは互助協定を結んでいる間柄だ、無視はできん」そういうわけで、とグレナズムはニヤリと片目で俺を見た。「やってみるかね、勇者どの」
*
ゾンネンブルーメは臨戦態勢に移行した。
各所の武器が船体から顔を出し、それぞれを操作する席に戦闘要員がつく。
俺はグレナズムに、中央ブリッジで戦闘状況を確認しつつ待機するよう言われた。幻光投射球が映し出す立体映像を見守ることくらいしかできないが、”勇者”の俺が見えるところにいる方が士気が高まるというグレナズムの判断らしい。
と、映像に変化が生じた。
ゾンネンブルーメ前方に黒雲のようなものが浮かび上がり、そのさらに先に青く輪郭線を強調された点が光った。
「霊学カメラでネクロボーンおよび救難目標を確認しました」女性オペレータのよく通る声。「霊学迷彩を解除します。1番および2番機銃、攻撃どうぞ」
船体を包み込んでいた隠れ蓑が解け、ただちに機銃が撃ち込まれた。映像のなかでオレンジ色の火線が次々と雲に命中する。黒い雲の一部が剥がれ落ち、落下していく様子が見える。どうやら小さい飛行型ネクロボーンが無数に集まって雲を形成し、その塊が救難信号を出してきた小型艇に群がっているという状況のようだ。
「よし、いいぞ」グレナズムが小さくうなった。「攻撃を続けろ。間違っても小型艇に当てるなよ」
機銃が火を吹き、黒い雲の体積はどんどん減っていく。
やがて最初の半分ほどまで雲が減ると、ぱっと弾けるように分散し、どこかに消えてしまった。
片付いたのか──と思った矢先。
突然足元がぐらついた。ゾンネンブルーメの船体自体が揺らいだのだ。
「何事だ!」
グレナズムが叫び、船内のクルー全員に緊張が走る。
「せ……船尾方向にネクロボーンが出現! 大きい!!」
オペレータの声には恐怖が混じっていた。立体映像には、先ほどの黒い雲同様のネクロボーンが、ゾンネンブルーメの後部に覆いかぶさるように出現していた。ただし大きさは先程の3倍以上はある。
「後部の機銃で応戦しろ」
「了解、5番6番攻撃どうぞ!」
「船長! 前方小型艇から白煙が! 小型ネクロボーンが貼り付いています!」
「念波通信で脱出するよう呼びかけろ、現状ではこちらから近づくわけにいかん」
「り、了解!」
「だっ、第4ローターに異常発生、ネクロボーンの攻撃を受けています!」
「落ち着け、4基うちひとつが停止してもこの船は沈まん。動力をカットして船内への侵入を防げ。それと」
「は、はい!」
「侵入時に備えて戦闘要員にはOMSを着用するように伝えろ」
「了解!」
船内の空気がキリキリと引き締まる。手のひらにじわりと汗がにじんできた。このままでは黒い雲に覆われて船ごと飲み込まれるかもしれない。
「船長!」俺も椅子から立ち上がり、「OMS、予備が余ってるよね? 俺も出ます」
「許可する。ただし勇者どのは最後の切り札だ、率先して動かず隊長の指示に従ってくれ」
「わかった!」
とんだ退屈しのぎになりそうだ。
*
ネクロボーンとの戦いなんて避けられるなら避けたいと思っている。気持ち悪いし、恐ろしいし、死ぬかもしれないんだから当然だ。
ただ、OMSを自分の意志で自由自在に操れるようになるのは最高だ。OMSとシンクロしている瞬間は、記憶喪失のことさえ忘れて自分自身の本質と語り合っている気分になる。
中央ブリッジから階下に降りるとハンガーに軍用OMSが直立姿勢で固定されていた。
いかついデザイン。全身をつつむ流体腱筋の肉襦袢の上から外部補助フレームが取り付けてあるだけの作業用OMSとの一番の違いは、フレーム部分に装甲が施されていること。西洋の甲冑とブルドーザーのハイブリッドといった感じだ。悪くない。
「勇者どの、こちらを」
俺は戦闘要員のひとりに誘導されるまま、予備機として置かれている一体に手を触れた。
まず触れることで、自分でも説明できないがスーツと同調し、手足として操れるようになるのだ。
さっそく袖を通し、グラブをはめ、ボトムをはきこむ。頭をすっぽり覆うヘルメットまである。作業用と異なり全身くまなく包み込まれる形になる。
どうしても視界は狭くなるがその分ゴーグル部に補助表示が浮かび上がるようになっていて、目標との距離なんかが自動的に計測されて教えてくれる。
手足を軽く動かし、調子を確かめる。装甲されているのでどうしてもにぶい感じはあるが、流体腱筋からそれを上回るパワーを引き出せば問題はない。ただし常時適切な制御を意識しないといけないので、作業用よりも難物のようだ。
「どうですか?」
「大丈夫、いける。どうすればいい?」
「右後ろにある第4ティルトローターの吸気口に貼りつかれています、そこから侵入してくるかも」
「外に出て引き剥がしてこようか」
「そ」戦闘要員のひとりは頬を引きつらせた。「それは……勇者どのでも難しいことかと」
「だよね、わかった。ええと、メンテハッチから出てこないように待ち伏せすればいいのかな?」
「お願いします!」
俺は親指を立てて了解を伝えると、ティルトローターのメンテハッチへと跳んだ。




