017 これでもくらえ
ヒトとしてのデナンがいつ終わったのか。
〈業魔〉の波動に汚染され、人間のフリをしながらどの程度の期間、サンダーヘッド聖域の自警団として活動していたのか。いまとなっては知る由もないが、スローネの放ったショットガンは最後のけじめとしてデナンから人間としての姿を剥奪した。
肥満体を内側から突き破るようにしてとがった脚が突き出し、脚が突き出し、脚が突き出し脚が突き出し脚が突き出した。何本も何本も、赤と黄色と黒のグラデーション模様の硬質な皮膚に覆われた脚がぞろりと生え揃い、ふっ飛ばされた頭のあたりからは手こぎボートのオールほどもある大アゴが伸び、質量保存則をあっさり無視した長さに膨れ上がったその体はオオムカデの様相を呈していた。
「デカいな!」
スローネがバックステップですばやく遠のいて、一言漏らした。
同意見だった。北端聖域やその外で遭遇したどのネクロボーンよりも巨大だった。全長はたぶん7、8メートルはある。大アゴに噛まれれば胴体くらい切断されてしまうだろう。おまけに全身が頑丈そうな殻に覆われている。
「シャギャアアアアアアッ!」
デナンだった何かはいまや完全に化物になりはて、大アゴの真ん中に浮かび上がった髑髏面からとんでもない色の毒液を吐き出した。毒液はホテルの毛足の長い絨毯を激しく腐食させ、白煙を立ち上らせる。後に残ったのは茶色く縮み上がったボロボロのクズきれだけだ。生物が浴びればあっというまに骨だけにされるに違いない。
「だからってビビると思わないでよ!」傭兵のスローネは、再び小型のショットガンを構えて髑髏面に狙いを定めた。「姿を見せたなら殺せるってね!」
バウ、と銃声が響いた。しかしオオムカデはすばやく長い身体を翻し、背中の分厚い殻で散弾を受け止めてしまう。表面にブツブツと食い込むものの、ダメージは徹っていないようだった。
「ギィィィ……」
カチ、カチとアゴを打ち鳴らしさっきとは異なる周波数の鳴き声を上げると、俺たちの背後でざわめきが起こった。いやな予感、というより予想が簡単に浮かんで、それは正解だった。
デナンが率い、このホテルの会場に同席していた自警団メンバーのうち何人かが、鳴き声を合図にネクロボーン化したのだ。
アイレム機関からは随伴員とグレナズムが合わせて4人。武器は持参していたかも知れないが、会合にそれを持ち込んではいないだろう。それ以前に、十分な結界が展開されていなければ現れたネクロボーンからの波動でグレナズムたちまでもがネクロボーン化する可能性がある。この先々のことを考えれば、最低でもグレナズムの身柄だけは絶対に守らなければいけない。
「スローネ、向こうを……」
「ハル、あっちを……」
俺とスローネは同時に叫んで、一瞬顔を見合わせた。
「ええぃ、こっちの心配はいい! 私たちはアイレム機関だぞ!」グレナズムが怒鳴った。「勇者どの、一刻も早くそのオオムカデを潰せ! 力を見せろ!」
随伴員とグレナズムは懐から揃いのクリスタルプレートを取り出した。携帯用結界発生装置だ。
「そういうことなら!」
俺は腰だめに重心を落とし、絨毯がこすれてきな臭い煙を上げるほどの勢いで床を蹴った。全身を包む流体腱筋とシンクロして生み出される驚異的な跳躍力で俺は猛然と飛び出し、足刀をムカデの胴の中ほどに叩き込んだ。俺の体重とOMSの重量が加わって、瞬間的な衝撃力は相当なものだろう。
オオムカデはくの字に曲がり、そのまますっ飛んでホールの壁に打ち付けられた。
「そっこだらぁあッ!」
スローネが動いた。背に負った金属棒を展開させると幅広の直刃がついたナギナタになり、それを一直線に突き出した。狙いはネクロボーン共通の弱点、髑髏面だ。
「ギイイシィィィ……!」
刃先が突き立てられる寸前、オオムカデはその野太い大アゴでナギナタを白刃取りにした。もう少しのところで届かない。
「ン舐めるなあ!」
満身に力を込め、スローネはナギナタを押し込んだ。鍵のかかった扉を片手で蝶番から引き剥がしたあの腕力が再現される。ミシミシと家鳴りのような音がきしんで、刃先がじわりと髑髏面へと迫る。すごい力だ。OMSのサポート無しで人間が出せるものとは思えないほどだが……。
「ダメだスローネ、離れて!」
危ういところだった。
オオムカデは口から毒液を噴射しようとしていた。
俺はムカデの薄気味悪い脚を一本掴んで思い切り引っ張り、それと同時にスローネが後ろに飛び去って、結果として毒液の飛沫はあらぬところに吐き出されて絨毯を灼いた。
「フン!」
スローネほどの怪力は俺にはないが、OMSを身に着けている時は特別だ。脚をひねり上げて根元から引きちぎってみせた。
が、数多くあるうちの一本だけへし折ったところで大したダメージにはならない。
逆に一瞬注意がそれたところを狙われて、俺の身体にムカデが巻き付いてきた。無数の脚がざわついて、生身の肌で感じていたら頭がおかしくなるくらい不快だっただろう。絞め殺すと同時に頭を噛み砕くつもりか、ついさっきまで人間のフリをしていた化物は大アゴをくわっと開いて噛み付いてきた。
「ハル!」
スローネの叫びが、ややくぐもって聞こえた。締め付けによって頭に血が上ったせいだろうか。
このままでは殺られる。
噛みつきを防いだとしても、毒液を浴びせられれば皮膚から肉を灼かれてしまう。いま装着しているOMSは頭部までをガードしていないのだ。
このままでは──殺られる?
こんなところで?
こんなところで殺られてたまるか。
そうだ。殺られる前に。
「これでも……くらえ!!」
バチン、とものすごい音がしてムカデの頭部が弾き飛ばされ、ホールの壁まですっ飛んで大アゴが刺さった。俺のアッパーカットを食らったせいだ。
ムカデに巻き付かれ、身体を拘束された状態でどうやって威力のあるアッパーを打てたのか?
全身の流体腱筋を操作し、波打たせて、引き潮からの大波を起こすようにして右腕一本にパワーを集中させたからだ。そうすることで拘束された状態でもいわゆるワン・インチ・パンチを放てるというわけだ。俺に格闘技経験はないはずだが、どういうわけかそうすべきだということがわかった。3年前の記憶の断片なのだろうか?
「ナイス!」
ふっ飛ばされたオオムカデの隙をスローネは見逃さなかった。ナギナタを突き出し、斜めにひっくり返ってむき出しになった腹側を容赦なく刺し貫いた。全身を装甲されているようでいて、背中側に比べれば殻の硬度は弱い。オオムカデは聞くに堪えない悲鳴とともに毒のあぶくを吹きこぼした。どうやら毒液のストックがなくなっているらしい。
ここでとどめを刺す。
俺はまだ未練がましく俺に巻き付いているムカデの胴に力を込めて引きちぎった。流体腱筋が焼き切れないようセーブしながら最適な出力を行うことは難しい。が、どんどん慣れていくのがわかった。あるいはかつて覚えたやり方を思い出しつつあるのかもしれない。
締め付けから脱出した俺は一発思い切り蹴りを入れてから、体液をこぼしながらのたうつネクロボーンに対し、手近にあった4人がけテーブルを持ち上げて思い切り叩きつけた。強化合板でできたテーブルが一撃でばらばらになったが、それだけでは許さず、ムカデの顔面を踏みつけながら大アゴの片方を両手のグローブでがっちりと掴み、全力でへし折った。
「ハル! 使って!」
スローネが、手持ちのナギナタを投げてよこした。
空中でひっつかんで、俺は切っ先を髑髏面へ突き立てた。深々と、眉間を貫いて刃が沈む。
決着は着いた──少なくとも、いまこのときだけは。
「ふぅー……っ」
動かなくなったオオムカデの身体を見て、俺は長くため息を吐き出した。毒液が灼いた絨毯から放たれる焦げ臭い匂いに気分が悪くなるが、とにかくデナンは仕留めた。
あとはグレナズムたちと協力して残りを掃討するだけだ。
銃弾飛び交うホールの真ん中に躍り出て、俺はOMSのポテンシャルを存分に解放させた。
久々にOMS大暴れ。
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