013 生存可能領域
3年前に大ケガを負って魔法的コールドスリープ処置を施され、再び目覚めた”勇者”である──ただし3年前の記憶はすっぽり失われている──俺は、かつての行いを知る人から何かと優遇されるらしい。たとえば〈業魔〉撲滅を目標に掲げているアイレム機関などからは。
飛空船ゾンネンブルーメの補給が終わるまでの間、サンダーヘッド聖域での自由行動が許可されたのも、俺がかつての勇者サマだったからだろう。そうでなければ、補給物資積み込みに駆り出されていたはずだ。
飛空船の発着場から伸びる大通りを歩いていると、不意に粉雪が鼻先に触れて溶けた。気温は低い。推定北極並みの北端ほどではないが、このサンダーヘッド聖域も寒い。地球で言うところの高緯度に位置しているに違いない。
そうだ、世界地図。
ふと思い立った。自分のいる場所が、この世界のどのあたりになるのかさっぱりわからないのは精神安定上よろしくないのではないか。
北端からサンダーヘッドまでどのくらい移動したのか、この世を蝕む〈業魔〉の本拠地〈方舟〉がどこにあって、人間が生きていける場所がどれだけあり、逆に敵の支配下に堕ちた土地がどれだけ広いのか。俺が本当に世界を救う勇者と呼ばれるような存在ならば、そういうことを知っておくべきだという気がした。
もちろんゾンネンブルーメには地図のひとつやふたつ積んであるだろう。散策をやめて戻ってもいい。
でもこの街で見つけてみるというのはどうだろう。
大通りの両脇は露天商でごちゃついている。そのどこかには売り物として置いてあってもおかしくない。
面白いかもしれない。
俺は気楽に考えて、目についたジャンク品の店に近づいていった。
*
ずらりとならぶ魔導機械のジャンク品の数々。
なんだかよくわからない機械という意味では、地球にいたころ初めてパソコンのパーツショップに入った時の得体の知れなさと同じだ。
ただ、物珍しさに惹かれたものの魔導機械の場合は本当に何の用途に必要とされるものなのか想像するのも難しい。次第に興味が失せてきて、俺は別の露天商のところへ移ろうとした。地図を置いていそうな店とはどんな店だろうか? 地図屋? そんな店があるのか?
と、そこに脂の焦げるうまそうな匂いが漂ってきた。誘われるまま行ってみると、串焼き肉の屋台があった。やきとりのように見えるが、何の肉かは判別できない。そもそもこの世界にウシやブタやニワトリがいるのだろうか。いたとしてまともに流通しているのだろうか。
興味と空腹を満たすため、俺はジェム貨幣を支払って串焼き肉を買ってみた。
香辛料と塩をきかせすぎているきらいはあるが不味くはない。食感はブタバラ肉に似ていた。
「気をつけなよ……」
「え?」
急に声をかけてきたのは屋台のおやじだった。驚いて串を落としそうになった俺は身体を変なふうにひねってしまい、ちょうど運悪く背後にいた誰かとぶつかってしまった。
「あ、すみませ……」
反射的に謝りかけた俺の後ろにいたのはみすぼらしい格好をした子供で──その手には俺の財布が握られていた。
「あッ」
一瞬驚いた顔をしたあとに、その子供は猛然とダッシュして人混みに紛れた。
「ま……」状況を認識するまでの数秒、俺はバカみたいに何度か口をパクパクさせて、「待てッ!」
自分の金ではないが、財布をスられて追いかけない訳にはいかない。
すでに人の波に消えかけている背中を見失わないよう、俺は慌てて飛び出した。
*
露店の並ぶ大通りから少し離れると、すぐに周囲の空気が変わった。
道の舗装は傷みが目立ち、長年修繕されず放置されているらしいことが見て取れる。立ち並ぶ建物はところどころ焼け焦げたあとや崩れがある様子で、災害か戦禍に巻き込まれた場所のようだ。よどんだ暗がりからは饐えた生活臭が漂ってきて、くぼんだところに溜まった水が寒さで凍っている。
俺は氷に足を取られて滑りそうになりながら、必死でスリの子供を追った。
勇者などと持ち上げられても生身ではただの人間に過ぎない。流体腱筋のサポートさえあれば追いかけるのは簡単だろうが、あいにくOMSが見つからない。
と、子供の姿がいきなり消えた。
困惑しながら消えた場所まで駆け寄ると、壁にかがまないと通れない程度の大きさの穴が空いていた。子供の体格なら簡単にくぐり抜けられるだろう。
一瞬ためらいが生じる。行くのか、ここを?
だがこの穴以外に子供が行く道があるとは思えない。
俺は財布自体をあきらめて泣き寝入りするという選択を退け、身をかがめて穴をくぐり抜けた。
*
が、結局それは軽率な行いだった。
俺は子供を追いかけているつもりだったが実際には罠の仕掛けられた相手のテリトリーに誘い込まれていたのだ。
穴をくぐり抜けた途端、首筋にヒヤリとした硬い感触が押し当てられた。刃物。ナイフだ。
「あ……ッ」
思わず声が出るが、あとに言葉は続かなかった。
そこにはスリの子供と、もう少し体格の大きい数人の少年少女が立ち、俺を取り囲んでいた。
「手を頭の後ろで組めよ、兄ちゃん」
薄汚れた子供たちの中でひときわ鋭い目つきの少年──12、3歳くらいだろうか──がくちゃくちゃの紙巻たばこをくわえながら言った。静かな迫力がある。この少年が命令すれば、俺の首にナイフを押し付けている子供はあっさりと刃を滑らせて喉を切り裂いてくるのではないか。
これはまずい。
俺は素直に従った。
「この辺のモンじゃねーな。武装陸上商船員って感じでもないし。何モンだ……」
鋭い目つきのボス格が、別のやせっぽちの子供に目配せして俺のボディチェックをやらせた。すぐに懐の拳銃に気づかれる。
「あ、すごい」少年少女たちの目がいっせいに拳銃に集まった。「念動加速式じゃん。それにこの刻印……あッ!」
「おいおい、アイレム機関かよ……」
ボス格の少年はたばこをひと吸いしてから、皮肉っぽく唇を歪めた。
拳銃のグリップにアイレム機関の刻印が入っていたなんて、俺はこのとき初めて知った。
「盗品か? そうじゃなきゃ本物……ってことになるけどよォ」
値踏みするような目があちこちから突き刺さる。いやな汗がじわりと背中を濡らした。
「他になァんにも持ってないよコイツ」ボディチェックが終わり、まだ子供なのに情婦然とした女の子が言いながらボスの子にしなだれかかった。「IDもなし、魔法使いでもないみたい」
「……何なんだ兄ちゃん? マジでアイレム機関の所属なんか?」
「い、一応は、ね」
声が裏返らないよう受け答えするのが精一杯だった。子供に囲まれて完全に腰が引けているのは情けないが、突っぱねるには丸腰すぎる。ただの子供じゃなくおそらく少年ギャング団か何かなのだろうし、こんなところで死にたいとは思わない。
「けさ発着場の方に飛空船が降りてきたからサ、それに乗ってたんじゃないの」とイガグリ頭の少年。
「そうなのか?」
俺はまあねと答えた。首筋に当てられたナイフが冷たい。
「へぇ……」
子供たちは互いに目配せし、何かを小声で相談し始め、そして……。
「ついてきなよ、話がある」
*
サンダーヘッド聖域に限らず、この世界の聖域と呼ばれる場所は対〈業魔〉結界を全周囲に張り巡らせ、それを恒常的に維持することで成立している。
聖域の外では農業を行うことが難しいので、食料供給の上限は結界の広さで決まる。持続可能な食料生産量が人口上限を定め、人口が過剰なら食料の奪い合いや餓死者が出る。それを回避する手段として武装陸上商船団による流通があり、ときにはそれに飛空船による輸送が加わる。
すべてはあやうい均衡の中にある。結界にほころびが生じればそこから〈業魔〉の波動が侵入し、中にいる人間に取り憑いて心身を狂わせていく。弱くなった結界は張り替えて、十分な出力を保たなければならない。メンテナンスできるかどうかは超重要だ。
だが人間の努力には限界がある。結界発生装置を創る錬金術師の数にも、メンテ要員になりうる魔法使いの数にも限りがある。そして〈業魔〉はつねに人間の弱み、陰の側面を狙っている。
何かアクシデントで結界が弱まれば〈業魔〉の波動は静かに浸透する。気づかれぬ間に悪意は忍び寄る。
隣人はもしかしたらずっと以前から波動に精神を汚染され、〈業魔〉の手足として暗躍しているかもしれない。
親兄弟がネクロボーン化の因子を抱えながら、発現の日を待っているかもしれない。
そしてそれは自分自身にも起こりうることかもしれない。
人類は聖域の中でしか生きていけない。
にもかかわらず、その聖域ですら絶対の安全ではないのだ……。
「……じゃあいったいどこなら安全にくらせるっていうんだ?」
よじれた紙巻たばこをふかし、少年少女たちのボスは言った。
この少年の名はジャルスというらしい。自分で名乗ったわけではなく、まわりの仲間たちがそう呼ぶのを聞いた。
「ある日、母親が化物になった。じゃあその子供は人間なのか?」
数秒たってからそれが俺に対する質問だと気づき、「ええと、ネクロボーン化する前に産んだ子なら、子供は関係ないんじゃないかな……」
「母親はずっと前から……実は子供をこさえる前からネクロボーンだったかもしれねえぜ。ネクロボーンが産んだ子供は人間なのか?」
「う……」
「子供はまだ人間かもしれないけど、ある日突然ネクロボーンになるかも。だったらそうなる前に殺したほうが安心じゃねえか?」
俺はリアクションに詰まった。ジャルスは紫煙の向こうでひどくうつろな、濁った目をしている。もしかしたら、これはこの子の身の上話なのか?
「そんな子供のうちいくらかはマジで殺されて、たまたま生きて逃げたヤツがこの吹き溜まりに集まった。そういう場所だよ、この見捨てられた第3通りは」
浮浪児の集団というわけか。
「で、アンタは本当にアイレム機関の人間なのか? 飛空船に乗っていたのか?」
「そうだと言ったら……どうなる?」
「……頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
「どんな」
「オレらのことを目の敵にしてる自警団のリーダーがいるんだけどさ」
そいつを殺してほしいんだ──そう言って、ジャルスは手にしたたばこをもみ消した。




