012 サンダーヘッド聖域
聖域はこの世界の各地に残された人類の生存可能領域だという。
俺が3年前から眠っていた北端聖域もそのひとつだった。すでに完全に壊滅してしまったが。
アイレム機関に所属する飛空船ゾンネンブルーメに助けられた俺とジナイーダは、そのまま機関の本拠地まで運ばれる予定で、その前に補給のため立ち寄ることになったのがサンダーヘッド聖域だ。
『間もなく着陸体勢に入ります、乗員は所定の位置で待機』
ジナイーダとはいまだに面会すら許されないまま自室にこもっていた俺は船内放送を聞いて窓の外を眺めようとした。
〈業魔〉の目を欺くため霊学迷彩をまとっている船体からは、灰色の砂嵐が見えるだけだ。空を飛んでいるのか地面の下を潜っているのか肉眼では区別がつかない。
ふて寝するのも飽きてきた。
*
北端聖域についての俺の印象といえば、寒いのと暗いのと悲惨な現場だらけだったことくらいしかない。
まともに結界が張られていて、暖房も動いてさえいれば別の見方ができたはずだ。その機会は永遠に失われてしまったが。
だから俺はなるべくサンダーヘッド聖域で行われているこの世界の人の営みっていうやつを目に焼き付けようと密かに決めた。この世界で、一般人が一般的にどういう暮らしをしているのかを見ておきたい。それはあっさりと失われてしまいかねないものだからだ。北端聖域から脱出したのに結局死んでしまった4人の生存者のように。
それはそれとして。
「なんでジナイーダは降りられないんですか!」
俺は補給物資の検分に向かおうとするグレナズムを捕まえ、声を張り上げた。乗組員の視線が集まるが、知ったことではない。
着陸しても外に出る許可が出たのは俺だけで、ジナイーダは船室から出ることすら許されなかった。
「理由は話したはずだが、勇者どの?」
「だって、俺を助けてくれたんですよ!? ジナイーダが来てくれなかったら、俺はとっくに凍死してました」
「わかっている。だがアイレム機関は彼女を解放することに肯定的ではない。理解してくれないか」
「だからって……これじゃまるで犯人扱いじゃないですか」
ジナイーダは魔法を使って逃亡する──最悪の場合反逆する恐れがあると考えられ、いまも魔法の発動を妨害する手錠をかけられ、監視拘束されていた。
俺は彼女がそんなことをするはずがないと確信している。
とはいえ、グレナズムの危惧もまったく理解できないわけではない。
〈業魔〉に人質として囚えられたという過去は、”もしかするとすでに中身はネクロボーンなのではないか”という疑いを持たれるには十分なイベントだ。〈業魔〉の悪意はいつどこから侵入するかわからない。
「強大な能力を持つ魔法使いがネクロボーン化し……人類の敵に回ることのリスクについては?」
「覚えてませんって」
「魔法を使うネクロボーンになる」
このグレナズムの言葉には、さすがに反論できなかった。
ジナイーダの魔法はすごい。ネクロボーンをあっという間に倒してしまう。それだけでなく結界を展開したりテレパシーを使ったり傷を癒やしたりその使いみちは多彩だ。そんな能力を使うネクロボーンが誕生したら? 手に負えなくなること必至だ。
「ハル様」
急に声がして、俺は伏せつつあった顔を上げた。
ジナイーダがいた。
船室から出てきた彼女は防寒服を脱ぎ、動きやすい部屋着姿になっていた。腰まである金髪をふわっと広げ、慈しむような眼差しをしている。視線を向けている相手は俺だ。俺は一気に浮ついた気分になった。
その手には複雑な幾何学立体を組み合わせた手錠をかけられていた。魔法を妨害する特別性らしいが、そんないましめなどまるで気にしていないと言った風にたたずまいは穏やかだった。
しかし左右には完全武装の兵士が控えている。ジナイーダの身辺警護であり、逆に最悪の事態のときにはジナイーダを討つための。
なんだか全部煩わしくなった。
兵士も、グレナズムも、余計なものは無視して俺は一直線にジナイーダに駆け寄った。
「なんか、ずいぶん会ってなかったみたいな気がする」
「わたしもです、ハル様」
実際には丸二日とちょっとくらいだが、失われた3年前の記憶について聞かされたこともあって、ジナイーダと言葉をかわすのがとても貴重な行為に思える。それになんだか気恥ずかしい。
「ま、待て! 私はまだ面会許可を出してはいないぞ……何をやっている、お前たちもなぜ止めない!」
グレナズムが青くなって割って入り、兵士たちを叱咤した。
その声に、護衛兼監視役のふたりははっと我に返った。どうやら兵士ふたりはジナイーダの魔法で意識を飛ばされていたらしい。
「バカな、魔法封じの手錠をかけられているのに……」「一体どうやって!?」「相手はあの魔女だぞ……」
他の乗組員たちもざわつき始めた。
「グレナズム船長」
「……何かね」
「わたしを恐れるあなたがたの気持ちは理解しているつもりです。できればこういう真似もしたくはなかった。ですが、その結果ハル様を悩ませるのであれば、わたしの力は手錠では抑えられません」
「……我々にどうしろと?」
「わたしに関しては何も。しいて言えば、監視の方は女性にしてほしいということくらいです」
「それは……」グレナズムは眼帯をしていない側の目をしばたかせてから、真面目な表情でうなずいて、「そうだな、考慮しよう」
「ありがとうございます。それと、ハル様」
「うん」
「船長始めアイレム機関の方々にも立場があるのだと思います。いましばらくは……自由にお会いできなくても仕方がないかと」
「……ジナイーダがそう言うなら、まあ、うん」
「はい、ハル様。サンダーヘッド聖域は大きな街です。ご一緒できなくて残念ですが、ハル様ならば見るべきものを見、聞くべきものを聞けるはずです。では」
そう言って、ジナイーダはくるりと振り返り元いた船室に戻っていった。
すごいな。清々しい気分だ。彼女は思っていたよりずっとすごい魔法使いだし、思っていたよりずっと強くて自由だ。
なんだかうれしくなって、俺は下船の準備を整えた。
ジナイーダがそう言うのなら、俺はやるべきことをやれるはずだ。
*
150年ほど前にゴルルゴスという格闘家がいて、彼は魔法使いでもあったのだが、頭突きのインパクトの瞬間に電撃を発生させて敵を倒すその業前から稲妻頭という二つ名がつけられた。
のちに政治家に転身し市の執政官まで上り詰め、数々の偉業を成し遂げたことから、彼の死後、都市の名前がサンダーヘッドと改められた。
サンダーヘッド聖域は、その都市をほぼ丸ごと対〈業魔〉結界で包み込んだものだ。
俺の頭の中にある地球にいたころの記憶には、海外旅行の思い出はない。だから、このサンダーヘッド聖域に降り立ったのがいわゆる異国情緒を感じる生まれて初めての機会ということになる。
異国どころか異世界なのだが、この際細かいことはいい。
最初に感じたのは街のあちこちで燃やされている何かの煙の匂いだ。
古びて傷んで崩れかけた建物にむりやり建材を継いで姿を保たせている紛争地帯かスラムのような下町の風景に混じって、火鉢やドラム缶で火が燃えている。
焚き火のまわりには、お世辞にも清潔とは言えない風体の男女が車座になって紙タバコやパイプをふかしているのがパターン化している。彼らはみな気だるげで、精彩を欠き、立ち上がる気力もないといった様子だった。
焚き火以外の場所にいる住民は、いくらかマシな格好をしているが、目つきがギラついて、いわゆる”海外旅行に行っても近づいてはいけないスポット”の雰囲気を漂わせていた。
俺は懐に入れている拳銃と、わずかばかりのジェム貨幣の入った財布の位置を数歩すすむたびに意識した。ジェム貨幣とはこの世界で使われているお金で、シャードと呼ばれる魔力のこもった鉱物を加工して作られている。話に聞いても半分も理解できないが、シャードはこの世界の錬金術の基礎を支えていて、魔導機械における蓄電池のような働きをしたり、魔法を使う時の精神力の消耗を肩代わりすることができるという。そういう実用性があるから、〈業魔〉によってずたずたに引き裂かれた世界でもいまだに流通しているし、価値も落ちていないらしい。
俺はなんとなく、誰も引き連れずひとりでサンダーヘッド聖域を歩いている。
グレナズムらアイレム機関の人間からは喜ばれなかった。せっかく眠りから覚めた勇者が、何かの間違いでチンピラに殺されてもおかしくない状況ではあるからだ。安全を考えれば護衛をつれていくのがベストだろう。勇者といっても別にフィジカルがすごいわけでも不死身でもなく、OMSを使うのが普通より長けている程度なのだから。
でも、治安が多少悪くても聖域の中をひとりで出歩けない勇者というのも格好がつかない。
結局、自衛のための拳銃を渡されて、くれぐれも軽率な行動は慎むよう念を押された。
ろくに訓練も受けていないのに拳銃一丁で何ができるとも思えないが、懐に武器が収まっている状態というのも記憶を失っている俺にとってははじめての体験で、刺激的だった。
ちなみにこの拳銃、地球のものとは作動原理が異なる。念動加速式拳銃は銃弾を火薬の爆圧で飛ばすのではなく、念動力で瞬間的に弾を加速して飛ばす一種のパチンコで、反動は小さく扱いやすいが威力もそれなり、というものだ。
それにしても。
人類が安全に生きていける場所であるはずの聖域内で自衛のために銃を持ち歩かなければいけない、という事実に、俺はむず痒いものを感じずにはいられなかった。
世界が〈業魔〉に食い散らかされて、残された人間のあいだでも諍いは消えないのか──と。
当面は隔日更新になります。
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