ヘイ、ラッシャイ!
by.秋の桜子様!
今日はボーナス日。
会社の後輩(経理部女性)に「30代半ばになっても独身って寂しくないですか?」と言われたが、独り者だからこそビッグなお小遣いが入った事になるのだよ。
ふふっ、今日の晩飯は豪華に行くとしよう。
町を歩く中ふと目に入ったのは、老舗を感じさせる独特の草書体で書かれた「寿司」の看板。
お品書きの値段の部分が『時価』と書かれてそうな店だ。
普段の俺ならば素通りする所だが、懐は暖かい。
流石に10万までは取られないだろうと、引き戸に手をかけ横に滑らせる。
「ヘイ、ラッシャーイ?」
中を見た瞬間……いや、その語尾を上げるイントネーションを聞いた瞬間にそのまま戸を閉めそうになる。
中に待ち構えていたのは……いかにも和と縁がなさそうな外国人。
店内に飾られる神々を象った彫像や絵は、インド料理屋に入ったのかと誤想させる。
それでも帰らずに踏み止まったのは、カウンター越しに見えた女性板前のせいだろう。
吊り上がったキリッとした眉に切れ長で涼しげな目元。
鼻は筋が通っており、濃い顔ながらも圧倒するような美人だ。
ねじり鉢巻きに白衣、前掛けと、ある種コスプレのようにも見えるが、ちょっと彼女の握った寿司を食いたいなと、助平心が出るほどに似合っていたのだ。
店内に俺以外の客はいない。
接客係と思われるインド人(濃厚イケメン)は一つの椅子を引いてくる。
「ドウゾ、ドウゾ」
「あっ、はい」
妙に緊張しながら席に着くと、お品書きを目にする。
いや、目の前のインド美人を見たいのだが気恥ずかしい。
品目は至って普通のお寿司屋と変わりはない。
値段も良心的だ。
もちろん、味ばかりは食べて見ないと分からないのでなんとも言えないが。
「ナンニシマショウ?」
濃厚イケメン(以下濃メン)は歯をむき出して営業スマイルを浮かべている。
「じゃ、とりあえずヒラメ貰おうかな?」
「ヒラメ、アリガトウゴザイナマッサ!」
ーーありがとうございなまっさってなんだ!?
不思議に思いつつも視線は美人女性インド板前(以下美板前)へ。
ネタケースからヒラメの切り身を取り出すと、鮮やかに包丁を入れる。
インド舞踊を彷彿させるキレッキレの動き。
その美しさに息をのむ。
切り終わると、美板前は米粒が手につかないよう酢水で手を湿らせ、右手でシャリを取って軽く丸めはじめる。
ヒラメを左手の指に置き、右手の人さし指でワサビを塗るとその指をひと舐め。
そのままヒラメをのせて軽く握る。
ーー今、舐めたよね!?
しかもそのまま握ったよね!?
「オマチドウサマデス」
俺の前に置かれた二貫のヒラメ。いや、通ならばこれで一貫か……。
いや、そんな事はどうでもいい。
俺は波打つ鼓動を表に出ぬよう堪えながら、ヒラメを手に取る。
た、食べてもいいよね?
背徳行為を犯してるような気持ちになりながら、一口で頬張る。
もはや美味い、不味いではない。
美板前と間接キスをした事実だけで、かつてないほどの充足感を満たしていた。
「あっ?」
一つ食べ終えて、始めて醤油が出ていない事に気付く。
寿司屋で醤油が無いはずは……。
「すいません、むらさき貰えます?」
「ムラサキウニ! アリガトウゴザイナマッサ!」
「違ーーう!!!」
その後俺はむらさきが醤油である事を説明し、やけにフレンドリーな濃メンと仲良くなる。
「プリンに醤油でウニの味!」
を披露すると、「オォ、ジャパニーズマジック!」と大喜びだった。
「マタキテネ! シャチョさん!」
手を振り見送る濃メンと美板前。
こうして俺は生涯の行きつけとなる寿司屋と巡りあったのであった。
by.雨音AKIRA様!