たま〜に行われる一括ダウンロードへの疑問?
たとえばたま〜にあるんだけど、このエッセイ集なら500超えるアクセスがとある1時間の中に行われるという現象。
僕はただ単に、一括ダウンロードみたいな方法があって、ちょこっと気に入った『長編』をそういう風にして読もうとしているのかなぁ?
とか、単純に思っていたんだけど、考えてみたらそんなことする必要はないから(いつでも読めるわけだから)、それは気に入ったとかとは全く別の理由でなされている一括ダウンロードなのではないのか?
とか、疑い出してしまったんだよ。
では、一体だれがなんのために?
ならそんなことをする理由なんかひとつしかないよね。
管理側の、見廻り組の調査のあととか。
なんか最近はないけど、むかしなんどか、この文章は規定違反だから直ちに削除してください、ってメールが来てたから、そういう違反の見廻りってのをしている人がいるわけでしょう?
そういう人たちも、違反を見つけるためには、ひと通り長編ならその全ての文章に目を通す必要があるわけでしょう?
まぁ、ほんとうに可能か不可能かは置いておいても、そういう試みのあとっていうのは残さなくてはいけないわけでしょ?
それなのかなぁ?
とか、思っているんだ。
まぁ、ほんとうに僕の詩文が大好きとか、僕のこんなエッセイ文が大好きで一括ダウンロードして頂いているというのなら、そんなしあわせなことはまたとないのだけれどもね。