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読むな!  作者: 玄武 聡一郎
一章:デウス・エクス・マキナのエポックメイキング
6/16

五百雀祀の立体思考 ウミガメのスープと角砂糖

「立体思考の始まりは、水平思考なの。提起された問題に対して、ありとあらゆる可能性を創造する」


 ころころといくつかの角砂糖を手のひらに載せて、五百雀いおじゃくさんは話し出した。


「水平思考は一九六七年にエドワード・デノボが提唱した、垂直思考と対をなす思考法なんだ。垂直思考っていうのは、つまりロジカルな思考法。AならばB、BならばCが成り立つなら、AならばC、って感じで、答えに向けて論理を組み立てる。地面をまっすぐに掘りすすめるイメージだね。それに対して、水平思考は色んな所に穴を掘りまくるイメージ。一つの可能性に固執せず、色んな可能性を考えるの」

「聞いたことがあります」


 水平思考ゲームの一つ、ウミガメのスープ問題、というのをやったことがある。


 元船員がレストランを訪れて、ウミガメのスープを注文する。

 元船員はそれを口にすると大層驚き「これはウミガメのスープですか?」と店員に問う。

 店員が「そうです」と答えると、元船員は黙って店を出て、その次の日に自殺してしまった。さて、どうしてだろうか?


 という問題だ。

 回答者はこれに対し、イエス・ノーで答えられる質問だけを投げかけて、得られたヒントを基に答えを導き出す。

 これは有名な例の一つで、要するに「突拍子もない問題に対し、様々な可能性を考えながら答えに近づいていく思考ゲーム」だったと記憶している。


「うん、その通り。今回もそれと同じように、色んな仮説を考えてみようと思うんだ。……っとその前にいくつか質問させてもらおうかな」

「どうぞ」

「じゃぁ一つ目。藍浦あいうら心音ここねさんは現在、一人暮らしをしている?」

「そうです。僕と同じで、実家は県外なので」

「では二つ目、藍浦心音さんと母親の仲は良くなかった?」


 いや、そんなことはなかったはずだ。僕が知っている心音はいつもおばさんと楽しく話していた。

 実家を離れ、一人暮らしを始めた今も、おばさんはちょくちょく心音の家に遊びに来ていたはずだ。

 実家からここまでは電車で片道二時間はかかるから、少なくとも不仲ではないだろう。そう答えると、五百雀さんはなるほど、と頷いた。


「では三つ目。藍浦心音さんは、自己中心的な人間?」

「それはないと思います」


 僕は即答した。心音は優しいやつだ。友達も多いし、好かれている。いつだって賑やかな輪の中心には心音がいた。家族をとても大事にしていて、バイトを初めたらお金をためて、大好きな両親に温泉旅行をプレゼントしたいのだと言っていた。

 そんな彼女が、自己中心的なはずがない。


「家族のことが、大好きだったんだね」

「えぇ、間違いありません」


 だからこそ、おかしいと思ったんだ。

 あの心音が、自分の母親が殺されているところを目撃しながら、通報すらしていないなんて。


「じゃぁ最後に。走り去った心音さんの手や服は、汚れていた?」


 少し考えて、僕は首を横に振った。薄明りの下ではあったけれど、心音の服装は普通だった。流れ落ちる涙をぬぐい続けていた以外に、おかしな点はなかったように思う。


「なるほどなるほど」

「あの……さっきから何やってるんですか?」


 五百雀さんは角砂糖を机の上に並べ、いくつかの角砂糖の上には更に角砂糖を置いて、奇妙なオブジェを作り上げていた。


「んー? 私の頭の中をビジュアライズしてみたの。かっこいいでしょー?」

「……スイーツ女子?」

「そういう意味じゃない!」


 大体女子って名乗るにはもう完璧アウトな年齢だし……とぶつぶつ言いながら、不服気に眉をひそめた後、五百雀さんは言った。


「これは一つ一つが仮説を表してるの。角砂糖が沢山積み重なってるほど、可能性が高い仮説だと思って?」

「……ということはこの五個重なってるのが、一番可能性が高い仮説ってことですか?」

「うん、そういうこと。で、他の仮説。特にこの辺りは――」


 積み重ならず、一つだけ置いてあった角砂糖を、いくつか手のひらでざらっと回収した。


「――仮説としてはふさわしくない。絶対に起こり得ない仮説だね」

「なるほど……?」


 つまり五百雀さんは、心音が事件に関わっているのかどうか、心音がなぜ泣いて走り去ってしまったのか、という問いに対し、いくつか頭の中で仮説を立て、そして検証した、ということなのだろう。


「それで、どんな仮説が棄却されたんですか?」

「いい質問だね。結論から言えば、『心音さんが事件に関与している』という仮説はほとんど棄却されたと言っていいと思う」

「ほ、ほんとですか⁈」

「ほとんど、ね」


 ぽちゃんと僕と自分の紅茶の中に角砂糖を落として、五百雀さんは頷いた。

 僕は無糖派なんだけど、この際それはどうでもいい。


「心音さんが事件に関わっていたとすると、考えられる仮説は二つ。心音さん自身が、『現場で』殺人に関与していた可能性。そしてもう一つは、心音さんが『裏で』犯人を操っていた可能性」


 前者は例えば、心音自身が刺したか、あるいは心音が母親を羽交い絞めする、現場に誘導するなどして、殺人に関わっていたような状況が。

 後者は、犯人と心音に何かしらのつながりがあり、犯人に母親を殺すように誘導したような状況が、それぞれ考えられるだろう。

 どちらも想像したくはないけれど……。


「だけどこの二つの仮説は、たった一つの状況証拠で、棄却できちゃうんだよ」

「それは……?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 そうか……。この事件の中に心音の名前は出てこない。

 もし心音が事件に関わっていたのであれば、犯人の口からその事実が語られないのはあまりにも不自然だ。

 だけど――


「もし……、犯人が、()()()()()()()()()()()()()()()?」

「鋭いね」


 例えば、例えばだ。

 母親が心音を虐待してたり……あるいは逆に、心音が母親のことを疎ましく思っていたりしたとして。

心音がそれをネット上で知り合った犯人に伝えた。心音に同情した犯人は母親を殺し、心音に捜査の手が伸びないよう自白したのだとすれば。

 この話の中に心音の名前が一切出てこないことも、説明できてしまうのではないだろうか?


「うん、その仮説は検討の余地がある」

「え……」


 まるで僕の心の中を読んだかのように、五百雀さんは話し続ける。


「確かに君が言う通り、犯人が心音さんのことをかばっている、って仮説は、角砂糖三つ分くらいはあると思うよ」

「だったら――」

「だけど、これについては後で検討しようか」


 『犯人が心音のことに触れていないから』。この理由で、角砂糖一つ分の仮説は棄却された。

 一方、『犯人が、心音をかばっている』という仮説は角砂糖三つ分で、まだ棄却できていない。


「立体思考ではね、あらゆる仮説をいろんな角度から、矛盾がないか検討して、角砂糖の個数を増やしたり減らしたりして、それで一番たくさんの角砂糖を含んでいる仮説が真実に近いと判断するの。私はこれを、最ももっともらしい仮説の採択、って呼んでる」

「最も、もっともらしい……」


 つまりそれは、現状把握できている情報の組み合わせから、考えられ得る仮説の中で、最も信憑性しんぴょうせいの高い、矛盾のない仮説を採択するということだろう。

 だとすれば。


「この仮説よりも、この五個角砂糖が重なった仮説の方が、もっと真実に近い。だから、『犯人が心音をかばっている』という仮説は、後々棄却されるってことですか?」

「その通り! 篠原君はとっても賢いね。ご褒美に角砂糖を足してあげよう」

「え、いらな……ありがとうございます」


 五百雀さんの曇りのない笑顔を向けられて、僕は無糖派であることをまた言いそびれた。目の前の紅茶は、既に五つくらい角砂糖が入ってしまっている。


「『不可能なものだけを切り捨てたならば、後に残ったものが、たとえどんなに信じがたくても、それは真実でなくてはならない』。私が敬愛するシャーロック・ホームズの言葉なんだけど、知ってるかな?」

「はい。有名ですよね」

「うん。実は私の思考法はシャーロック・ホームズの推理法に大きな影響を受けてるんだけど、このセリフだけはちょっと違うと思ってるんだよね……紅茶、飲まないの?」

「あ、どうぞお気になさらず、続けて下さい」


 大層甘くなってしまった紅茶の味を少しでも戻すためにポットから紅茶をつぎ足しながら、僕は続きを促す。


「私の意見はこう。『数限りない可能性を考えることができたのであれば、その中で最ももっともらしいものが、真実に一番近い』」


 私が知らない情報、知り得ない情報。

 分からないこと、分かり得ないこと。

 そんなものはたくさんあって、私はその全てを把握することはできない。だから、手持ちの情報を組み合わせた中で、一番齟齬が出ない仮説が、最も真実に近いって考えてるんだ。

 だって私は、警察でも、弁護士でも、ましてや探偵でもないんだから。

 そう言って、五百雀さんは微笑んだ。


「さ、じゃぁ続けよっか。心音さんが泣いていた理由。そして現場から走り去った後、通報しなかった理由。これについて仮説を検証しよう」




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