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読むな!  作者: 玄武 聡一郎
一章:デウス・エクス・マキナのエポックメイキング
5/16

警察でもなく、弁護士でもなく、探偵でもない。そんな彼女。

「少しだけ、情報を整理しよっか。まず、君の行動にはおかしな点が二つある」


 角砂糖を二つ取り出して、五百雀いおじゃくさんは話し始めた。

 数分前、「頭を使う時は糖分がなくっちゃね!」と言って、突然自分の部屋に戻ったかと思うと、すぐさまお菓子と紅茶を持って戻って来た。お目にかかったことがないようなお洒落なお菓子に手を出す勇気はなく、僕はずずっと紅茶をすすった。


「一つ、この事件は()()()()()()()()


 ぽちゃん、と角砂糖が一つ、マグカップの中に飛び込んだ。


「二つ、この事件に()()()()()()()()()


 二つ目の角砂糖も消え、緩やかに琥珀色の液体の中で溶けていく。

 五百雀さんは手早くスマートフォンを操作して、動画を流した。

 それは、二週間前の泉ヶ岡公園で起こった殺傷事件に関するニュースだった。



『――二週間前に起こった婦女殺傷事件。あれも物騒でしたよねぇ。女性の上司に怒られたから、腹いせに誰でもいいから女性を殺した、だなんて』

『全くです。しかも犯人は、わざわざ自宅から三十分もかかる駅で降りて、殺人を犯しているんですよ』

『自宅から離れた場所なら足が付きにくいと思った、と供述しているようですね。計画的な犯行ですよね』

『ですが、犯人は駅構内の監視カメラに写っており、それから程なくして逮捕されたんです。計画的というには、あまりにもずさんです。映像の中で鞄などを所持していなかったことから、凶器に使われた刃物も、恐らく駅を降りてから購入したのだろうと推測されています。凶器については、現在も調査中のようですが』

『つまり……どういうことですか?』

『上司から叱られたにもかかわらず、その怒りの矛先は全く別の人間に行く。怒りのあまり誰かを殺そうと思い立ったは良い物の、その計画は非常にずさん。これは一種の幼児退行を起こしていると考えられます。短絡的、且つ逃避的です。こういう犯人の特徴としては――』



「おっと、ここまででいいか。何が「幼児退行」なんだか。まったく、相変わらずこの番組のコメンテーターは適当なことばーっかり言うんだから」


 唇を尖らせながらスマートフォンの電源を落とし、五百雀さんは続けた。


「と、まぁこんな風に、既にこの事件の犯人は捕まってる。犯人は証券会社で働くサラリーマン。その日、上司に説教をくらって虫の居所が悪かった犯人は、誰かを殺すことにした。上司が女性だったから、その腹いせに、女なら誰でもいいから殺したかったって供述している、と。本当に下らなくて……残酷な話」


 彼は犯行を認めているし、凶器も見つかっている。

 凶器の出所など、明らかになっていない点はあるものの、彼が犯人であることは間違いないのだろう。


「そしてこの事件の中に、少女A、つまり被害者の娘さんの名前は、一度たりとも出て来たことがない」


 首肯する。

 彼女はこの事件には関係ない。関係ない、はずなんだ。


「さて、スムーズにお話を進めるには、まず『篠原君がどうしてこの謎にこだわっているのか』を推理しなくちゃいけないね」

「あ、それは――」

「待った」


 理由を説明しようと口を開いた矢先、五百雀さんが右手を挙げてストップをかけた。


「えっとね。篠原君は、私の推理が正しいか間違ってるかだけ、答えてくれれば良いよ。()()()()()()()()()

「え?」

「手早く済ませるから安心して? とりあえず、この少女Aっていうのを本名に変えようか。少女Aの正体は、藍浦あいうら心音ここねさん。君と同じT大に通う一年生で、君と同じ理学部。学科は化学科。篠原君とは幼稚園の頃からの腐れ縁なんだよね?」


 思わず紅茶を吹き出しそうになって、咳き込んだ。


「どっ……どうし、て。それをっ……」

「だ、大丈夫? これ使って?」

「ありがとうございます……」


 渡されたハンカチで口の周りをぬぐいながら、僕は息を整えた。大人の女性の香りがして、慌ててハンカチから顔を離す。


「さほど難しい話じゃないよ。被害者の名前は既にニュースで放映されてるから、苗字は分かってる。君がこれだけ悩んでいるんだから、少女Aと篠原君は知り合いである可能性が高い。篠原君は最近引っ越してきたばっかりだし、大学で知り合った相手が最有力候補だなぁと思って、これで調べたの」


 どん、と炬燵机の上に本が置かれた。大学に入学した時に全員に配られた、今年度の入学者の顔写真一覧だ。


「そしたら予想通り、藍浦って名前が一人該当した。これで名前と学部と学科はゲット。やー、個人情報ってどこから洩れるか分からないから、怖いよねー」

「く、腐れ縁云々の方は……?」

「それはあそこに書いてあったから」


 五百雀さんが指さした先には、さっき踏みかけた色紙があった。

 丸っこい女の子らしい文字で『大学まで一緒とかやばいね!(笑) 考えてみたら、人生のどこ見渡してもコーキがいるんだよね……ここまで来ると、腐れ縁って言葉じゃ片づけられない何かを感じるかも。因縁的な?(笑) これからも末永くよろしくっ! 心音』と書いてある。


「なるほど……」

「好きなの?」

「はい?」

「この子のこと、好きなの?」


 とんとん、とアルバムの顔写真を人差し指で叩きながら、五百雀さんが言った。

 短く、顎の下辺りで切りそろえた少し日焼けした髪。柔らかな頬、少し垂れた愛嬌のある目、綺麗な鼻筋。もう何度も見過ぎて、見飽きた顔だ。


「そんなわけないじゃないですか。そこにも書いてありますよね。ただの腐れ縁です。感覚としては、兄妹に近いと思いますよ。あとあいつ、今彼氏いますし。年上の」

「ふーん、そうなんだ」

「何ですか急に?」

「んー? 聞いてみただけー」


 ぱたむとアルバムを閉じ、五百雀さんは紅茶に口を付けた。

 僕には何も聞かないんじゃなかったっけ……?


「次は、篠原君がなぜこの事件を追っているのか、についてだね。まぁこれも、そんなに難しくはないかなぁ。むずかしくは、ないけど……」


 くるくるとカンディススティックをマグカップの中で回しながら、少し間を置いて、五百雀さんは言った。


「篠原君は……心音さんが()()()()()()()()()()()()()()()()()って、心配してるんだよね?」

「そう、です」


 また当たった。

 本当にこの人の頭の中はどうなっているんだろうか。僕の部屋に来て、メモを見た。たったそれだけで、僕の行動や考えが詳らかに明かされていく。


「そっか……。大変、だったね」

「何がですか?」

「人の死体、見たんだもんね。それも、友達のお母さんの……」


 トラウマにならなきゃいいんだけど、と五百雀さんは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。

 瞬間、あの日の光景がフラッシュバックした。


 暗い公園。

 茂みの中に倒れた女性。

 街灯の心もとない光に照らされた、どす黒い水たまり。

 粘土みたいな体。深々と突き刺さったナイフ。

 粘り気があり手にまとわりついた僕のモノではない体液。

 何も映していないのに何かを語りかけてくるかのような無機質な瞳昔からよく知っている遊びに行ったときは手料理を振舞ってくれた明るく陽気で面白いおばさんの顔おばさんだった顔造り物みたいにのっぺりとした皮膚ほのかに温かい人だった頃のぬくもりが外気に触れて段々となくなっていってあぁ死とはこういうものなのだとまざまざとみせつけられているようで僕はただタンパク質のずた袋みたいになってしまったおばさんの体を横にしてスマートフォンを取り出してねばついた指で必死に必死にただ必死に。


「篠原君!」

「……大丈夫です」

「……」


 五百雀さんは、無言で僕の手を取って、両手で包んでくれた。ひんやりとしていて、気持ちが良かった。


「ごめん、軽率だったね」

「……いえ」

「辛かったら、言うんだよ」

「はい……」


 細く、長く息を吐き出して、頭を振った。いつの間にか、手が小刻みに震えている。何か違う事を考えていた方が良い気がして、僕は五百雀さんの推理について考えることにした。


「五百雀さんはどうして、僕が心音について心配してるって分かったんですか? それに……どうして僕が死体を見たって分かったんですか?」

「答えはどっちも同じ。君が書いたメモを見たから、だよ」


 特にこの文章を読んだ時だね、と五百雀さんはメモの、ある一点を小指でつついた。


「『なぜだろう』……」

「よく考えてみると、変な文章なんだよね。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだから」

「……なるほど。つまり、僕が『おかしい』と思った理由が何かあると考えたんですね」

「うん、その通り。それと、もう一つ分かることがあるんだけど。何か当ててみて?」


 僕の手の甲をさすりながら、五百雀さんが優しく囁いた。段々と手の震えが収まってきていた。僕はより一層思考に集中する。


「……そうか、僕があのメモを書けるってことは、僕が事件当時、殺害現場の近くにいたってことになるのか」 


 『少女Aの母親が、ある男性に殺された。その直後、現場付近から、少女Aは泣きながら走り去っていった。なぜだろう』

 少女A、つまり心音の話はニュースではやっていない。つまりこれを書けるということは、僕自身が事件発生当時、現場の近くにいたということに他ならない。


「ぴんぽーん。そして、この二つを併せて考えると、一つの仮説が浮かび上がるの。『君は心音さんが走り去るのを目撃した後、血まみれの被害者を発見し、警察や救急車に通報したのではないか』って」


 だから五百雀さんはさっき僕に、「人の死体、見たんだもんね」と言えたのか。ただのメモの走り書きからここまで推理できるなんて……。


「君は、事件現場に遭遇し、そして警察と救急車を呼んだ。そして事情聴取を受けて……きっとその時に知ったんだよね。心音ちゃんが通報してなかったってことを」


 僕は黙って頷いた。

 そう、彼女は……藍浦心音は。

 泣きながらも。母親の死を目撃しながらも。()()()()()()()()()()()()


「だから君はおかしいと思ったんだ。これが『なぜだろう』ってメモに書き記した理由だね」

「はい。加えて言うと、心音は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしいんです。絶対に事件現場を目撃しているはずなのに」 


 母親の死を目撃しながら通報しなかったのは、本当は事件に関与しているからじゃないのか? なんて、恐ろしい考えが頭を過ったこともある。

 彼女はあれ以来、家に引きこもってしまっている。勿論、葬儀や色々な手続きで忙しくしているのもあるのだろう。

 だけど、それだけじゃない気がして。

 あの日流していた涙に、何か意味があるような気がして。

 もしあいつが困ってるなら、助けになってやりたいなんて、勝手に考えて。

 それで僕は、存在するかも分からない真実を、求め続けているんだ。


「おっけー。これでようやく、君のお願いに答えてあげることができるね。解き明かすべき謎は、二つ。一つ、藍浦心音さんは事件に関わっているのかどうか。二つ、藍浦心音さんはなぜ、事件現場から泣きながら走り去り、通報しなかったのか。そして、なぜその事実を隠したのか」


 言い終わるや否や、五百雀さんは目を瞑り、綺麗な毛先を指でくるくると回し出した。考え事をする時の癖なのだろうか。


 そんな五百雀さんを眺めながら、僕は考える。

 これは、既に終わりを迎えた事件だ。

 被害者は死に、犯人は捕まり、後は淡々と時間だけが流れていくはずだ。

 そんなエンドロールを流し終えた後の事件に、ここから新たな真実を見つけることなんて、本当にできるのだろうか。

 警察でもなく、弁護士でもなく、探偵でもない。そんな、ただの――


「よし、分かった」

「え?」

「大体解けたよ、この謎」

「じょ、冗談でしょう⁈」 


 思わず大きな声が出てしまった。

 だって……あり得ない。まだ考え始めてから、数分しか経ってないのに。 


「ふっふっふー。舐めてもらっちゃ困るなぁ篠原君。私にかかれば、こんなの朝飯前だよ」

「あ、朝飯の時間はもう過ぎましたけど……」

「ふざけてる場合?」

「すみません。動揺してつい」

「ぷふっ……変な動揺の仕方」


 思わず、という感じで吹き出した五百雀さんは軽く咳ばらいをして、続けた。


「……こんな格言を知ってるかな。『真実は多面体だ、立体的な思考をもてば理解できない事象はない』。いい言葉だと思わない?」


 聞いたことがない。首を横に振って、聞く。


「誰が言ったんですか?」

「わたし!」

「え、自分で自分の言葉、格言って言います? 普通」

「い、いいでしょ別に! 格言は偉い人が言わなくちゃいけないなんてルールはないんだから!」

「いやまぁそれはそうですけど……」


 なんでだろう……。

 絶対すごい人なのに。なんなら今まさに、僕が追い求めていた真実を突き止めてくれたかもしれないのに。なんだか締まらない。

 だけどそのくせ、不思議と惹きつけられる。


「今から君にいくつか質問をします。それで、おしまい。君が知りたかったことは、きっと全部分かるよ」

「ほんとですか?」

「もちろん。言ったでしょ? 祀お姉さんにまかせなさい、って」


 五百雀祀という人物は、警察ではない。弁護士でもなく、もちろん探偵でもない。

 だけど彼女は、このエンドロールを流し終えた後の事件に、新たな真実を見出した。

 だから僕はただ……耳を傾ける。彼女の言葉に。


「それじゃぁ解説するね。垂直思考でも、水平思考でもない。私が得意とする思考法――」



「――()()()()()





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