【閑話】あなたの好きだった紅茶
【祀お姉さんに、まかせなさい】
それは彼女の決め台詞でもあり、決まり文句でもあった。常套句と言ってもいい。
僕が相談を持ちかけた時、彼女はいつも必ずこう言って、そこからは惚れ惚れするような手際で問題を解決していくのだった。
祀お姉さんに、まかせなさい。
思えば僕は、その言葉の重みを良く知らないままに、彼女に甘えていた。
今となっては、彼女を悩ませていた辛い過去も。
そして、あの時言いよどんだ理由も。
全てすべて、分かってしまっていて。
もう少し早く気付いてあげていれば良かったのかな、なんて……取り返しのないIFに手を伸ばしたりする。
ついさっき入れたばかりの紅茶に息を吹きかけながら、僕は五百雀さんの部屋で一人、彼女の残した手紙を読んでいる。
【そんな私の、ほんの一雫だけ残った、後悔と懺悔がこもった、真実の物語なんだ】
なんて、仰々しい終わり方で締めた癖に、次の便箋は気の抜けるような文章で始まっていた。
【あーでも、ちょっと長くなりそうかも。紅茶でも飲みながらゆっくり読んでよ】
まぁ今日は少し冷えるし、それもありだなと思い、僕はすっかり使い慣れたキッチンの引き出しから、紅茶の葉を取り出した。
いつもの通り、イングリッシュブレックファーストに伸ばしかけた僕の手は、紫色のアールグレイの箱が目に入った瞬間にぴたりと止まった。
アールグレイは、五百雀さんの好きな味だ。
度々彼女から勧められてはいたけれど、独特の風味が僕にはどうも薬みたいに感じられて、好きになれなかった。
この味の良さが分からないなんて、まだまだ子供だね、と僕をからかってきた五百雀さんの声が脳内で再生される。
「はぁ……何やってんだろうな……」
思わず呟く。
数分後、僕のマグカップに入っていたのは、アールグレイだった。
少しつんとする香りが、白い湯気にのって鼻腔をくすぐる。やっぱり、苦手だ。でも、少しだけ五百雀さんを近くに感じた気がした。
琥珀色の水面に息を吹きかけながら、便箋の冒頭を読み返す。
【ま、どうせお子ちゃまな篠原君は、無難にイングリッシュブレックファーストを選んじゃうんだろうけどねー】
「残念、アールグレイでした」
こんなことで勝った気になる僕は、やっぱり彼女の言う通りお子ちゃまなんだろうけど。
【角砂糖もいつもの所に入ってるからね。ちゃんと補充しといてあげたから、たっぷり使っていいよ?】
結局最後まで、僕は彼女に無糖派であることを伝えることができなかった。
いつも五百雀さんは、悪意なんて微塵もない笑顔で、僕の紅茶にたっぷり角砂糖を入れたり、カンディススティックを突っ込んだり、挙句の果てにはハチミツまで投入したりして来たから、甘くない紅茶を飲むのは、久しぶりだった。
「にが……」
だからだろうか。
舌の上を滑っていったアールグレイは、ひどく苦く感じられた。
「……ちょっと寒いな」
やはり、少し肌寒い。
二月も終わりを迎えようとしているからか、部屋の中はしんと冷えていた。
もう少ししたら暖房を付けよう。リモコンを手元に寄せ、僕は椅子の上に縮まりながら、手紙の続きに目を這わせた。
【ねぇ、少しだけ、私達が出会った頃の話をしてもいいかな?】
いいですよ、と僕は答えた。
ありったけの時間を、この手紙につぎ込むから。
一文字一句読み落とさず、あなたの意図を汲み取り損ねないように、ゆっくり丁寧に読み込むから。
だからどうか最後には……全てを語ってくださいね。




