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読むな!  作者: 玄武 聡一郎
一章:デウス・エクス・マキナのエポックメイキング
3/16

少女Aはなぜ泣いたのか

 目が覚めると部屋が片付いていた。

 正確には、捨てられるべきものが捨てられていた、というべきか。

 物の配置はほとんど変わっていないけれど、空っぽのペットボトルやカップ麺の残骸が一カ所にまとまっているだけでこんなに印象が変わるのかと、僕は驚いた。そして――


「あ、起きた?」


 ――当たり前のように僕の脱ぎ散らかした服を畳みながら、五百雀いおじゃくさんは部屋にいた。


「あんまり物を移動させるのも良くないと思って、捨てても良さそうなものだけ捨てちゃった。勝手に触っちゃってごめんね?」

「いえ、それはいいんですけど……」

「それと、お洋服。こっちに畳んで置いといたけど、こっちはもう洗った方がいいかも。結構汚れちゃってるし。ズボンなんて、ほら。どれもこれも、裾の部分が泥だらけだよー?」

「それもありがとうございます、なんですけど……」

「そうそう、あとね、絨毯敷くなら、コロコロしてゴミ取るやつ買った方がいいよ? 埃、たまりやすいから」

「なるほど確かにそうですね。分かりました……じゃなくて!」


 僕はベッドから飛び降りて、五百雀さんの前で正座をした。


「い、いきなり寝ちゃって、すみません! 疲れてたからかな……。その上色々片付けまでしてもらって……なんてお礼を言ったらいいのか……」

「いいのいいの。疲れてたんでしょ?」

「その……はい」

「おまけにほとんど何も食べてない」

「よくご存じで……」

「そして隣に住んでる綺麗なお姉さんが助けにきてくれるのを心待ちにしていた」

「大変申し訳ないんですけど、それは微塵も思ってないです」

「ふふっ、じょーだんだよ」


 まぁ、そんな状態であれだけご飯食べたら、眠くもなるよねー。と笑って言いながら、五百雀さんは僕に向き合った。


「実はね、君がふらふらなの、知ってたんだ」

「え?」

「一週間くらい前からかな。見かける度にどんどん青白くなっていく君のことが気になっててね。たまに近くのコンビニで見かけたと思ったら、買ってるのはカップ麺とかコンビニ弁当ばっかりだし。こいつは見過ごせないぜ! と思って、こうして押しかけにきたわけなんだ。お節介でごめんね?」


 そうだったのか……。隣に住んでるわけだから、当然、買い物しているところを見られることだってあるだろう。僕が気付かなかっただけで。


「お節介だなんて、とんでもないです。あのままだったら、いつ倒れててもおかしくなかったと思いますし……。来てくださって本当にありがとうございました」


 ほとんど面識のない女性にここまでしてもらうなんて、情けないにも程がある。周りに迷惑をかけることだけはするなと、両親にあれだけ言われたというのに。


「もー、そんなにかしこまらないで? 折角お隣さんなんだし、困った時はお互い様ってことで!」

「そう言ってもらえると、助かります」


 五百雀さんが困っている時に僕が助ける未来はきっと訪れないだろう。気を使わないように言ってくれているのは明らかだ。

 こういうのを年上の余裕、というのだろうか。全身からあふれ出るお姉さんオーラが眩しい。具体的な年齢は分からないけど……二十前半、くらいかな? 


「じゃぁ、さ。お節介ついでにもう一つだけ。いいかな?」


 もちろんです、と首肯すると、五百雀さんはさらりと言った。


()()()()()()()()?」

「……はい?」

「もっと具体的に言おうか。君は二週間前に起こった「あること」を調べるために、ここ最近は睡眠時間や大学に行く時間を削っていた。現状をみるに、まだ解決はしていないみたいだね。そしてその「あること」というのは――」


 五百雀さんの手が、炬燵机の上に置いてある数枚のメモ用紙に伸びた。


「――ここに頻出する「少女A」に関係がある」

「なんで、分かるんですか……?」

「ふふ、そんなに難しい話じゃないよ。君の部屋には明確な境界線があるから」


 まず一つ目、と綺麗な指を一本立てる。


「君は多分、割とマメに郵便受けの中身を回収する人だよね。ゴミ箱を見れば、定期的に宣伝のチラシを回収して捨ててるのが分かったよ。でも……ある日を境に郵便受けの中身が回収されなくなった。それが、二週間前の水曜日」


 次に二つ目。と言って語り続ける五百雀さんの言葉に、僕はいつの間にか聞き入っていた。

 理路整然とした話しぶりと、耳に心地よい声音が、自然と僕を聞く体勢にしていた。


「散らばっているコンビニ弁当の消費期限が、溜まったチラシの日付と一緒だった。コンビニ弁当の消費期限は、製造されてから八時間以内と決まっているから、君の生活習慣が崩れ出したのは二週間前の水曜日の辺りだろうなって推測できたの」 

「なるほど……」

「ここ最近睡眠時間や大学に行く時間を削っていたのは……まぁ君自身が喋ってたからね。言及する必要もないとは思うけど、少し補足しようかな。君は、近くにある「泉ヶ岡公園」の辺りで何か探していたんじゃない?」


 「泉ヶ岡公園」は大学の最寄り駅である「泉ヶ岡駅」から少し歩いたところにある、大きな公園だ。

 この辺りに住んでいる人たちの憩いの場になっているのだけれど……。

 その単語を聞いた瞬間、思わず体が反応してしまった。そんな僕をみて、五百雀さんがいたずらっぽく目を細めてくすりと笑う。


「篠原君、嘘つくの苦手でしょー」

「ご覧の通りです……」


 図星を突かれると体が跳ねるとか、嘘を付く時は必ず鎖骨を触るだとか、あいつにもよく言われたっけ。


「素直なのは素敵なことだよ?」

「あんまり得したことないですけどね」

「それは君が悪いんじゃない。世間が悪いんだよ」


 ずばっとそう言ってしまえるのは彼女が強い人間だからだろうなと、なんとなく思った。

 僕は問う。


「どうして僕がその公園にいたって、分かったんですか?」

「これもとっても簡単な話でね、篠原君。君のズボン、裾が湿ってて泥だらけだったでしょ」


 ぴっと指さした先には、五百雀さんが「多分洗った方が良い」とまとめた洋服の山だった。その中にあるズボンの裾は、確かにどれも泥がついていて、今もまだ少し湿っているようだった。


「昨日まで雨は降ってたから、濡れてるのは分かるんだけど、泥がついてるのは妙だよね。この辺りは舗装されていて、泥がつく場所なんてほとんどないはず。普通に大学に通ってたなら、こんなに何着もズボンが汚れることなんてないよね。あとは……これかな」

「なんですか、それ? 雑草?」

「これはねー、君の靴の裏に泥と一緒にくっついてた、何かの植物の一部」


 親指と人差し指でくるくると植物の残骸を回しながら、五百雀さんは続ける。


「葉っぱの一部と茎の部分しか残ってないけど、これはシソ科の植物。茎が四角く角ばってて、葉っぱが対になって出てるのが特徴だね。多分ホトケノザじゃないかなぁ。で、この辺で生えてるのは「泉ヶ岡公園」だけだから、あそこに行ってたんだろうなって分かったの」

「まじですか……」

「まじなのです」


 いとも簡単に僕の行動が読まれてしまったことに、軽く戦慄する。この人、一体何者なんだ……?


「ま、ここまでは誰でも分かることなんだけど」


 できないですよ!

 というツッコミを必死に飲み込む。世の女性全員がこんなに鋭かったら、きっと多くの男性は日々を戦々恐々と生きることになるだろう。


「問題はここからだね。えっと……ごめんね。このメモ、読んじゃった」


 炬燵机の上に、今は綺麗に積まれた数枚のメモには、僕が書きなぐった文字が書いてある。

 全て、自分の頭を整理するために書いたものでしかないから、内容を読み解くのは難しいはずなんだけど……。


「このメモの内容を要約すると、こんな感じかな。『少女Aの母親が、ある男性に殺された。その直後、現場付近から、少女Aは泣きながら走り去っていった。なぜだろう』」


 五百雀さんは事も無げにぴたりと言い当てた。 

 その通りだった。

 そしてそこまでたどり着いたのであれば、この人はもう気付いているはずだ。


 二週間前の水曜日。

 泉ヶ岡公園。

 少女Aについてのメモ。

 そう、これは――


「――これ、二週間前に泉ヶ岡公園で起こった()()()()()()()だよね」

「はい」

「そっか……」


 しばしの沈黙。

 五百雀さんの言う通り、僕はとある理由からこの殺人事件について調べていた。それこそ、生活リズムが崩れてふらふらになるくらいに。

 きっと五百雀さんは「どうしてこんなことしてるの?」と聞いて来るだろう。

 どう説明するべきか、どうはぐらかすべきか。

 そんなことばかり考えていた僕は、五百雀さんの次の言葉に、思わず面食らった。


「解いてあげようか?」

「……え?」

「この謎……君を縛り付けて、いたぶって、苦しめているこの謎を。私が解いてあげようか?」

「なにを――」


 言っているんだろう、この人は。

 この二週間、僕は必死に情報をかき集めようとした。

 冴えない頭をフルに働かせて、なんとか謎を解き明かそうと奮闘した。


 なぜ少女Aが泣いていたのか。

 なぜ少女Aが走り去っていったのか。


 でも駄目だった。僕では……だめだった。

 それを、今、このことを知ったばかりのこの人が解けるなんて、あり得ない。

 だって五百雀さんは、僕が()()()()()()()()()()()すら知らないはずなのに。


 無理だ、不可能だ、あり得ない。

 そう、頭では考えていたはずなのに。


 彼女が、あまりにも鮮やかに僕の悩み事を見抜いたから。

 手際よく、僕の行動を当てて見せたから。

 何より、当たり前みたいに提案してきたから。


「おねがい、します」


 気付けば僕は、かすれた声でそう呟いていた。

 縋るみたいな、懇願するみたいな……情けない声だった。

 そんな僕を見て、それでも五百雀さんは優しく笑って――


「ま」

「……ま?」


 ――なぜか少し、逡巡して。

 下唇を噛んで。

 でも最後にはまた、花が咲いたみたいに笑って、右手を胸に当てながら、こう言ったのだった。


まつりお姉さんに、まかせなさい!」



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