消えた財布
「なーんかお前から、幸せ者のにおいがするんだよなぁ……」
「お前の嗅覚ってどうなってんの?」
大体、幸せ者のにおいってなんだよ、と思いながら、僕は凪田と昼食を食べる場所を探していた。
海藤凪田。彼は大学で出会った濃いキャラの内の一人であり、僕の悪友でもある。
国語辞典曰く、悪友と言うのは二つの意味があるらしい。一つは特に仲の良い友人のことを指す場合。そしてもう一つは、交際して身のためにならない友人のことを指す場合。こいつはその両方に該当する。
「なんていうのかなぁ。一言で表すと、俺がイラっとするにおい」
「凪田はそういうとこブレないよね……」
「人間性はブレちゃいけないって言うだろ?」
「お前のそれはブレていいと思う。なんならそっくり丸ごと取っ換えてもいいと思う」
他人の不幸は蜜の味。だったら当然、他人の幸は泥の味。なんて、こいつは平然と言ってのける。粗雑で、がさつで、女性に目が無い凪田は、意外と僕とウマが合った。
適当な冗談を言っても通じるところとか、根が優しいところとか、意外と博学なところとかを、僕が好んでいるのかもしれない。凪田が僕のことを気に入ってくれている理由は不明だけど。
当然だけど、僕はこいつに五百雀さんとのことは話してない。
ばれたら最後、どんな罵詈雑言を浴びせられるか分かったもんじゃないし。
「そーいや今日の飲み会、部室でやるからさ。四コマ終わったら一緒に行こうぜ。お、ここ空いてるじゃん、ラッキー」
「了解。でも僕、『野活』入らないかもしれないよ?」
凪田が見つけた食堂の席に座りながら、僕は答える。
彼が所属している『野外活動倶楽部』は、野生の動植物を観察したり、写真を撮ったり、美味しくいただいたりする、結構まじめな部活だ。
山に行ったり海に行ったりすることが多いから、男女垣根無くわいわいする、お遊びサークルと勘違いされることも多いらしい。
凪田もてっきり間違えて入ったのかと思っていたのだが……どうやらそうではないらしい。
曰く『なんで周りがどんどん幸せになっていくサークルに入らなくちゃいけない訳? 大自然と戯れてた方が五百倍有意義だわ』とのことだ。分かりやすくていい。
「コーキ、お前さぁ。もう大学始まって三か月目だぜ、三か月。悪いこと言わないから、そろそろなんかの部活入っとけって。サークルでもいいけど」
「うーん……。これといって趣味とか特技とかないからなぁ……」
「かーっ。これだからイケメンは。いいかコーキ。お前はこのままだと、ただの顔がいいだけで中身がなーんにも入ってない、つまんないやつになっちまうんだぞ? ピーマンの肉詰めの肉なしだぞ? 女子に『篠原君って顔はいけてるけど、話してみるとイマイチだよねぇ。観賞用のフィギュアにしたいかもー』とか言われるんだぞ? いいのか?」
「そもそも前提がおかしいよ。僕は別に、顔も良くない」
「はっ倒されたいのか?」
「いや、普通に嫌だけど?」
僕の顔は中性的だとよく言われる。
姉さんとその友達に冗談で女装をさせられて『違和感がなさすぎて面白くない』と言われたのは結構トラウマだ。『女の子みたい』と言われるたびに、凪田みたいに、もう少しワイルドな顔つきなら良かったのにと思うこともある。
短い茶髪をワックスでがしがし立てた髪型は、凪田に良く似合っていた。僕がやったら間違いなく、下手な高校デビューよりひどいことになる。
「ともかく。お前をダシに使って合コン開いて、色んな女の子と濃厚な桃色の宴会を開くのが俺の夢なんだから、お前にももう少し魅力的になってもらわなきゃ困るんだよ」
「しれっと、とんでもない計画のキモに僕を加えるのやめてくんない?」
とはいえ、凪田のいうこともまた事実だ。もちろん、肉なしピーマンの部分の話だが。
今朝方、五百雀さんにも色々経験するようにと言われたばかりだ。凪田もいるし、今日の飲み会次第では、『野活』に入るのも悪くないのかもしれない。
そんなことを考えながら、五百雀さんの持たせてくれたお弁当を開くと、唐揚げとか生春巻きとか、随分と手のかかりそうな品目が揃っていた。これだけ手間がかかっている物を作ってもらうのは流石に申し訳ない。おまけにタダだし。
一先ず大事にいただいて、次からはもっと簡単な物でいいと伝えないと。……いや、次があるかは分からないんだけど。
「ちょっと待て」
「なに?」
「それはなんだ」
「お弁当だけど」
凪田は身を乗り出し、じーっとお弁当箱を見つめると、ぼそりと呟いた。
「……女の匂いがする」
「は?」
「しかも年上で美乳で美人なお姉さんの手作り弁当の匂いがする!」
いや本当にどういう嗅覚してるんだよお前は!
「いいか? 俺は他人の不幸は喜ぶが、他人の幸福は反吐が出るくらいに嫌いだ。ただし可愛い女の子は除く」
「清々しいくらいのクズっぷりに、流石の僕もドン引きだ」
「ほら、何があったか正直に言ってみろ。さもなくば、今後俺はお前の唐揚げにレモンをかけ続ける」
「分かった、わーかった。話すから腕を離せって。そしてレモンをかけるのはやめろ、それは大罪だ」
まぁ、どこかのタイミングでは話すことになるだろうと思ってたし……。
僕はここ一か月であった出来事を洗いざらい話し……そして腹いせに五百雀さんのお弁当を半分ほど食べられた。
「ったく、とんでもないやつだなお前は。俺が年上お姉さん大好きっこと知っての狼藉か?」
「いや、お前がどんな女性をどう好もうと、僕の知ったこっちゃない訳だけど」
前は年下こそ至高の存在だとか言ってたくせに……。相手が女性だったらなんでもいいんじゃないだろうか。
「まぁ……良かったんじゃねぇか? いつまでも一人の女にこだわってるよりよっぽど健全だしな」
「ちがっ……! 五百雀さんはそういうのじゃ……」
「いおじゃく? 随分珍しい苗字だな。どんな漢字書くんだ?」
「え? えーっと……こう、五百に雀って書いて……」
「五百に雀……」
「どうした?」
急に真面目な顔をして、凪田が腕を組んだ。
「……どっかで見たことある名前だなと思って」
「へぇ。芸能人とか?」
僕はあまりテレビを観ないので、思い当たる節はない。
「いや、そういうんじゃなくて、もっとこう……身近で見たことがあるような……ないような……」
「どっちだよ」
「んーダメだ、出てこない。思い出したら言うわ」
珍しい苗字だし、気になるところではあるけれど……こうなった時、凪田が思い出すところを見たことがない。期待せずに待つことにしよう。
◇◇◇
四コマが終わり、僕は凪田に連れられて「野活」の部室へと向かっていた。
「ここが文化部棟かー」
「なんだよ初めて来るみたいな反応して」
「みたいなも何も、正真正銘初めて来るんだよ」
「野活」を始めとする、スポーツ関連以外の部の部屋は、全部まとめて文化部棟にまとめられていた。二階建ての古びた建物が二棟。お世辞にも綺麗とは言えないが、サークルは部室すらもらえないそうなので、贅沢は言えないらしい。
「見学にも来なかったのかよ。無理やりにでも連れまわせばよかった。あ、部室はここの二階な。隣はオケ部と文芸部」
人差し指を立てて、鍵がついたキーホルダーをくるくると回しながら、凪田が言った。
建物は古いが、一応各部室にはちゃんとした鍵が付いているらしい。
つい最近、軽音部の部室に泥棒が入ったため、誰もいない時は鍵をかけるよう周知されているそうだ。
「文芸部……」
ふと、今朝であった芥子菜さんの顔が脳裏をよぎった。タイミングが無くて、まだメッセは送れていない。遅くても今日中には一言送らないと良くないよな……。などと思いながら文芸部の部室の前を通り過ぎようとすると――
「あっ」
ぎぃ、っときしみながら扉が開き、ポニーテールの女の子が中から出て来た。芥子菜さんだ。
部室から顔を出した芥子菜さんは眉間にしわをよせ、何やら難しい顔をしていたが、僕の顔を見ると一転、ぱっと表情をやわらげ、両手を合わせて言った。
「篠原さん! 来てくださったんですか⁈ すごいタイミング! あ、もしかしてメッセージ送ってくれてました?」
「ち、違うんです。今日は隣の野活に行く予定があって……すみません」
「ありゃ、そうだったんですか。えへへ、早とちりしちゃいました」
ポニーテールがしゅんっとなった気がして、なんだか申し訳ない気分になった。
芥子菜さんが後ろ手に扉を閉める前に、部室の中がちらりと見えた。炬燵机と本棚がいくつか並んでいて、いかにもという感じだ。中には誰もいないようだ。
なるほど……。
「……」
「知り合い?」
凪田の質問に、僕は思考を中断して答える。
「あ、うん。まぁ今朝知り合ったばっかりなんだけどね。文芸部の芥子菜さん。こっちは僕の学科友達の凪田」
「はじめまして、芥子菜紡です!」
僕の時と同じく礼儀正しくお辞儀をした芥子菜さんを見て、凪田が不思議そうな顔をした。
「タメ?」
「そうです! 一年生です!」
「なんで二人とも敬語なわけ?」
こういう時、すぐさま敬語を外せる凪田が少し羨ましかった。
芥子菜さんの方をちらりと見ると、彼女も同じように僕に視線を向けていて、思わず二人して笑ってしまった。
「もう少し気楽に話そうか」
「そ、そうですね……だね! 頑張りま……がんばるね!」
敬語が取れ切っていない芥子菜さんを少し微笑ましく思いながら、僕は続ける。
「えっと……じゃぁ、ついでに一ついいかな?」
「は、はい! なにです、かな?」
「ぷっ。タメ口へたくそか」
「凪田、そういう言い方しない」
相変わらずな凪田をたしなめつつ、考えを整理する。
まぁ……間違ってたら僕が恥ずかしいだけだしいいか。
「もしかしたら、なんだけど……今、何か困ってる?」
「え……?」
「具体的には、何か探し物とかしてない? もし人手が必要だったら、手伝うよ?」
「お前、何言ってんの?」
凪田が訝し気な表情で言った。凪田の気持ちも分かる。セリフだけ聞いたら下手なナンパみたいだ。
だけどもし僕の予測が当たっているならば……。
数拍置いて、芥子菜さんが声を上げた。
「すっごい! どうして分かったの?」
テンションが上がっているからか、敬語が取れていた。
簡単な推測だった。
凪田の話では、部室に誰もいない時は、どの部も部屋に鍵をかける。
文芸部は今、芥子菜さん以外に人はいないから、普通なら鍵をかけるはずだ。
だけど部屋から出て来た彼女は手ぶらだった。
今日彼女がはいているスカートにはポケットはついていないし、鍵をしまう場所はない。
つまり、部室が見える範囲内で何かをするために外に出て来たのだと推測できる。
「何か」を特定する情報はないが、出て来た時の芥子菜さんの不安そうな表情と、僕に言った「すごいタイミング」というセリフから、何か困ったことがあったのではないかと予測した。
「何かを失くしてしまって探している」「人が来るのを待っている」というのが最も考えられ得る仮説だったから、カマをかけてみた、というだけの話だ。
そう説明すると、芥子菜さんは感心したように息を吐き、凪田は当たり前のように毒を吐いた。
「やっぱり篠原君は探偵さんみたい……」
「えぇぇ、気持ち悪……。お前そんな頭回るキャラだったっけ?」
両極端の反応を受けながら、僕は続けて言う。
「確信があったわけじゃなかったし、大したことじゃないよ。それより、探し物してるんだよね? 一緒に探そうか?」
「え、でも……二人とも用事があるんだよね?」
飲み会の開始は十七時。後二十分ほどだ。視線をなげかけると、凪田は肩をすくめて答えた。
「大丈夫じゃん? そもそも時間通り来るやつなんてほとんどいないだろうし。可愛い子の悩み解決する方が優先度高いって」
「いや、なんでそこ可愛い子に限定するんだよ……。じゃぁ、そういうことだから。もちろん、力になれそうなら、だけど……どうかな?」
数拍考えた後、芥子菜さんは眉をハの字にして頭を下げた。
「うぅ……ごめんね。実はスマホの充電も切れちゃって、誰にも助け求められなくて、困ってたの……。本当にありがとう。お願いします」
「おっけー、頑張って探すね。それで、何を探してるの?」
「えっと、今朝篠原君に拾ってもらったお財布、あったでしょ。あれがなくなっちゃったの。部室にはちゃんと鍵をかけてたのに」




