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読むな!  作者: 玄武 聡一郎
二章:マクガフィンによる悪夢の前奏曲
11/16

ポニーテールの良く似合う彼女

 木曜日は一コマ目から授業があるので、朝が早い。

 流石に弁当を用意する時間はなかったなと思いながら、僕は玄関の扉を開いた。


「あ、篠原君おはよー」


 扉の外で、五百雀さんが廊下の柵に寄りかかって、庭を眺めていた。


「おはようございます。何してるんですか?」

「朝日を浴びてたの。脳と体に、朝ですよー起きますよーって、教えてあげてるんだ」


 柵に肘を置き、頬杖を突きながら外を眺める五百雀さんは、びっくりするくらいにさまになっていて、何かのCMに使えそうだなって思った。


「あ、そうそう。はい、これお弁当」

「え、作ってくれたんですか?」

「昨日夜、なんだかお料理したい気分になってねー。たくさん作ったから、お裾分すそわけ。大したものじゃないけど、良かったら食べて?」


 水色の布で包まれたお弁当を、ありがたく受け取った。


「うわー! めちゃくちゃ嬉しいです! いただきます!」

「ふふ、いい反応。やっぱり君は、素直で素敵だね」


 僕じゃなくたって、五百雀さんにお弁当を作ってもらえたら飛び上がって喜ぶだろうと思うけれど。

 褒められるのは嬉しいので、特に言い返さなかった。


「じゃ、いってらっしゃい。今日は学科の友達と飲み会なんだっけ?」

「はい。あんまり気乗りはしないんですけど……」

「そういう経験は今しかできないからね。無理しない程度に、参加しておいで」

「なんか、若い子を遠目に見る大人のセリフって感じですよね、それ」

「間違ってはないけど、言葉のチョイスに悪意を感じるんだけど?」

「冗談です、いってきます」

「いってらっしゃい。まったく、いつの間にか口が回るようになっちゃって……誰の影響なんだか」


 どう考えても一人しか該当者がいないわけだけど、僕は何も言わずに階段を下りた。

 流石にこれだけ一緒にいると、ちょっとは感化される部分があるのかもしれない。



◇◇◇



 一コマ目の講義があるC棟に、たくさんの学生が足早に入っていく。一般教養の科目の多くはこの棟で行われるので、違う学科の学生も多いようだった。

 建物の中に入り、講義室へ向かう廊下の角を曲がった。

 その時――


「いてっ」

「あっ」


 ――女の子とぶつかってしまった。

 ふわりと嗅いだことのある匂いが漂った。あぁ、この匂い。確か……。


「ご、ごめんなさい! お怪我はありませんか?」


 視線を下げると、深々と頭を下げている女の子のポニーテールが目に入った。

 頭を下げる度にぴょこぴょこと揺れて可愛らしい。


 白いブラウスに淡いピンクのカーディガン。

 下はちょっと変わった花柄のフレアスカート。

 五百雀さんは基本的に無地のカットソーやガウチョパンツを好むから、こういう華やかな服装を間近で見るのは久しぶりな気がした。

 ……いつの間にこんなに女性服の名称に詳しくなったんだ僕は。


「いえ、大丈夫です。というか、僕よりあなたの方が心配なんですけど……」


 体が小さいし……とは、もちろん言わなかった。


「私は大丈夫です!」

「なら、良かったです」


 失礼しました! と三度みたび頭を下げて、女の子は去って行った。

 硝子の風鈴を鳴らしたみたいな、綺麗に澄んだ声音だった。結構好きかもしれない。

 まぁ、もう会うことはないだろうけど……と歩を進めかけた時、僕は床に落ちているピンク色の長財布に気付いた。

 慌てて拾い上げ、さっき女の子が歩いていった方向へ走る。


「あの! これ落としましたよ!」


 程なくして女の子の後姿を見つけ、声をかけた。

 花柄のフレアスカートが目立っていて、分かりやすかったのが幸いした。


「え……? あ、あぁあ! あ、ありがとうございます! 全然気づかなかった……」

「あはは、追いつけて良かったです。()()()()()()()()()()()()()()()


 何の気なしにそう言った瞬間、女の子の肩がぴくんと跳ねた。


「ど、どうして……分かったんですか?」

「何がですか?」

「このお財布は、今は引退されたフランスの職人さんに特別にお願いしてもらった一点ものなんです。見た目はあくまで普通の財布のように、とお願いしたので、一目見ただけではこれが高級なものだと分からないはずなんです。現にブランド物に詳しい友達にも見抜かれたことはありません! なのにどうしてあなたはそれが――」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 慌てて女の子の言葉を遮る。


「僕は別に、その財布自体が高級なものだって分かったわけじゃないんです。ただ、あなたが持ってるなら高級なんだろうなって思っただけで――」

「どういうことですか⁈」


 な、なんかすごい食いつきだな……。

 改めて、女の子の顔を見る。ぱっちりとした目に日の光が映って、きらきらと輝いていた。

 剥きたての卵みたいにつるつるの白い肌に、ぷっくりとした薄桃色の唇が綺麗に映えていた。無邪気と好奇心が仲良く同居している。そんな印象を受けた。


「か、簡単な話ですよ……。あなたの使ってるハンドクリーム、リブラ・ルーブルのタイプあいですよね」


 リブラ・ルーブルは1940年にイタリアで創業したコスメブランドで、ハンドクリームを始めとした数多くの高級化粧品を生み出している。

 その中でもタイプIは最近発売された変わり種で、日本の「こう」の文化を取り入れている。従来の軽やかなテクスチャー、肌になじみやすく、べた付かない特徴を兼ね備えつつ、白檀びゃくだん沈香じんこう唐木香もっこうなど、独特の香りをエッセンスとして加えたハンドクリームは、特に海外で大層話題を呼んでいるらしい。


『結婚式の引き出物でもらったんだけど、私はあんまり好きな匂いじゃなかったから、篠原君にあげるね』


 そう言ってついこの間僕がもらったハンドクリームが、まさしくこれだった。

 確かに独特ではあったけれど、僕は割と好きな匂いだったので、よく覚えている。

 余談だが、僕はハンドクリームなんて使わないので、全部まとめて姉さんに送った。あの人からハート付きのメッセが飛んできたのは生まれて初めてかもしれない。


「それと、そのスカートはルンメイトの新作。淑女向けの服をメインに作っていた高級レディースファッションメーカーが、ターゲット層を下げて来たって話題になってたはずです」


 『超かわいい超かわいい! 見てみて篠原君あの花柄すっごく可愛いよ! 若い子にも手が出やすいデザインにしてあるね! あー……でも流石にこれは着られないなー。なんで私が大学生の時に出してくれないかなー。辛いなぁ……』


 と五百雀さんが切ないリアクションをしていたので、こちらも記憶に新しい。かわいいかどうかは僕には判断がつかなかったが、ポケットがついてないという説明を聞き、不便そうだなとだけ思った。

 因みにどちらも一介の大学生が買えるような代物ではない。

 値段を聞いた時は目玉が飛び出すかと思った。


「というわけで、どちらもかなり質のいいものを身に付けているので、財布も当然、高級なんじゃないかなって思っただけなんです」


 そしてこうしてもう一度目の前にしてみても、やはり彼女が身に付けている物、体のケアに気を使っていることがうかがえる。

 髪の毛は五百雀さん並みに艶があるし、肌にはシミ一つない。爪は先まで美しく磨かれていて、ほんのり透明のマニキュアが塗ってある。

 これは多分あれだ。お嬢様がお嬢様と悟られないように、上品にお洒落をしているんだ。


「すごい……」

「あぁ、すみません。余計なことをぺらぺらと……。講義始まっちゃいますよね。早く行った方が――」

「あの!」

「はい!」


 元気の良い呼びかけに、思わず僕の声も大きくなる。周りを歩いている学生がくすくすと笑っていた。


「す、すみません。私、声が大きくて……」

「いえこちらこそ……。それで、何か?」

「はい! その、もし良かったらお時間ある時に文芸部の部室に来てくれませんか?」

「文芸部?」


 話の流れが読めなくて、首を傾げると、女の子は慌てて補足をした。


「あ、申し遅れました。私、芥子菜からしなつむぎと言います! 文芸部所属の一年生で、主にミステリー小説を書くのが趣味なんです!」


 芥子菜……。五百雀さんに引き続き、代わった苗字だ。覚えやすくて助かるけど。

 名乗ってもらったからには、僕も自己紹介をしない訳にはいかない。


「えと、篠原しのはら宏樹こうきです。同じく一年生で、部活、サークルはどこにも所属してません」

「篠原さんですね、覚えました!」


 返事の一つ一つが小気味よくて、好感が持てる子だなと思った。何より、僕と話し始めてからずっと笑顔を絶やしていないから、僕も自然と肩の力が抜ける。


「さっきの篠原さんの推理、まるで推理小説に出てくる探偵の登場シーンみたいだったので、ぜひお話を聞かせてもらえたらなぁと思った次第なんです!」

「いや、そんな大したものじゃないと思うんですけど……」

「そんなことありません!」


 芥子菜さんは両こぶしを胸の前で握って言った。


「ハンドクリームメーカーにファッションメーカー。どちらも知識として知っていたとしても、それを活かせるかどうかは話が別です。日常的に観察眼を養ったり、知識と推測をつなげるトレーニングをしていないとできないはずです!」

「あー……」


 思い当たる節があって、僕は目をそらした。五百雀さんは日常的に僕の行動を先読みしたり、思考を読んだりしてからかってくるから、自然とそのクセが移ってしまったのかもしれない。


「やっぱり何かい秘訣があるんですね!」

「ないことは無い……ですね」

「わはぁ~……!」


 目をキラキラと輝かせ、芥子菜さんは嬉しそうに両手を合わせた。


「あのあのっ。ほんとにお時間ある時で構わないので、ぜひいらしてください! このIDにメッセ送って頂けたら、すぐさま飛んでいきますので!」


 ごそごそとバッグの中からメモを取り出し、そこにメッセージアプリのIDを書き込んだ。


「うーん、期待はずれかもしれないですけど……」

「そんなことは絶対にありません! 私にできないことを出来る方とお話しする時間が、無意味なはずがないのです!」


 そう断言されると僕もノーとは言いづらい。

 それに何というかこの子は……人を立てるのが絶妙にうまい。自分を卑下することなく、自分の立ち位置は変わらないまま、相手の良い所を並べて、ただ相手の立ち位置だけを上へ上へとあげていく。

 端的に言えば、彼女と喋るのはとても心地よかった。


「えーっと、お名前は聞いたし、私のことも話したし、連絡先は渡したし、時間は講義開始十分前。よし、完璧!」


 指さし確認をするように独り言を呟いた後、彼女は鞄のチャックを閉めた。

 チャックのついた大きな口が二つ付いている、ちょっと変わった鞄だった。

 型崩れしておらず、目立った傷も汚れもない。『持ち物には人間性が現れるからね』と言って、よれた僕の服を見るたびにほつれた部分を繕ったり、アイロンをかけてくれた五百雀さんの言葉を思い出した。


「それでは篠原さん、またお話しできるのを楽しみにしてますね!」


 失礼します! とお辞儀をして、芥子菜さんは去って行った。

 同い年なのになんて礼儀正しいんだ。今度話すときは、もう少し楽にするよう提案してみよう。


「連絡する前提の思考回路だなこれは……」


 すっかり彼女にほだされた気分になりながら、僕も自分の講義に向かう。

 これが僕と芥子菜さんの、最初の出会いだった。



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