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~Please kill me softly~

 窓の外がパッと明るくなり、村の中心部から聞こえてくるざわめきが一際大きくなった。広場のあたりで新たな篝火が焚かれたらしい。

「まるで祭りだね」

 カウンターの端でジョッキを傾けていた男が、誰にともなくボソリと言った。右手の脇には、随分と使い込まれた手帖が置かれている。上背はないが逞しく、それでいて物静かな印象を与える男だ。

 村はずれの酒場には、ほかに客は二人だけ。

 四人掛けのテーブルをひとりで占拠している小柄な男は、挨拶らしき言葉を呟いたきり、一言も口を利いていない。それでも、常連の男が黙っていつもの席に着くと、店主も無言でお茶を淹れ、クロテッドクリームと木苺のジャムを添えた焼き立てのスコーンを用意した。男は特別ありがたがる素振りも見せないが、一口頬張るごとに愛想のない顔にゆっくりと笑みが広がっていき、それだけで店主を満足させる。

 もうひとり、二人掛けのテーブルで食事をしている優しげな風貌の色白の男は、酒場だというのに酒も頼まず、かわりに店主が自分用に仕込んでいたシチューを言葉巧みに提供させて、今は熱々のアップルパイを堪能している。酒と簡単なつまみを出すだけの店だったのが、この男があらわれてから、交渉次第で食事にありつける店だという評判が広まってしまい、店主は大いに不服を申し立てているのだが、「おかげで客が増えたでしょ?」と男はまったく意に介さず笑って返す。店主に店を繁盛させる気など毛頭ないのは、充分承知した上で。


 店主が今の男にかわってから、そろそろ半年になるだろうか。

 村の誰もが知っていることだが、長身痩躯のこの男も、もともとは旅の途中でふらりと立ち寄った客のひとりだった。折悪しく老齢の店主が突然倒れ、身寄りもないと聞いては立ち去りかねて、そのまま看取ることとなってしまった。

 その臨終の間際、何をどう見込まれたものか、見ず知らずに等しいこの男に、老人は古ぼけた酒場を託していった。

 断ることは、もちろんできた。旅することが日常となり、ひとつところに留まることなく流れ流れて生きてきた彼にとって、いつしか「定住」は獄に繋がれるも等しいものになっている。

 しかし、この豊かな森に囲まれたなんの変哲もない小村に潜む何かが、男の足を止めさせた。

 純朴で人懐こい村人たちは、よく働きよく飲んで、よく笑う。元気いっぱいの子供たちがそこかしこを駆けまわって、村には活気が満ちている。

 なのに、どことはない憂愁の気が、村のそこここに巣食っていた。

 ふっと会話が途切れた、須臾の間。ひんやりとした風が通り過ぎた、ほんの一瞬。

 大人たちの顔は強張り、子供たちの目に怯えがよぎる。

 その原因は、まもなくもっとも陰惨な形で明らかになった。

 満月を迎えようとするとある朝、役場前広場の絞首台に、男がひとり、吊るされていたのだ。

 劈くような悲鳴に、村は眠りを破られた。だらりとぶら下がった亡骸に、男の女房が取り縋って絶叫していた。

 誰の仕業であったのかはわからない。だが、理由は考えるまでもない。

 男は「人狼」であると見なされて、村人の手により、夜更けに密かに吊るされたのだ。


 「人狼」の噂は、旅の先々で耳にしていた。

 昼間は人間の姿をして、普通に村に溶け込んでいる。そうして満月の夜になると、狼と化して村人の喉笛に齧り付く。

 ひとり、またひとり、罪のない隣人の骸が道端に転がっているのを、朝日が昇るのとともに発見する恐怖は、想像に難くない。

 次は我が身か。今度狙われるのは、愛しい妻子やもしれぬ。そうなる前に先手を打って、なんとしてでも悪魔の化身を退治してしまおう。

 そういう考えに至るのは当然で、古い文書を調べ、かつて被害に遭ったことのある隣村から聞き取りもし、見付け出した対処法はただひとつ。

 「人狼」がもっとも力を得る満月の前に、彼奴を絞首台の露とする。吊るしたときには人の姿であるが、翌朝には汚らわしい狼の骸がぶら下がっていることとなり、「正義」が行われたことが明らかとなる。

 だが、村の中に紛れ込んだ「人狼」を見定めるのは困難だ。こいつが怪しい、間違いない、と信じて首にロープをかけたというのに、朝になって広場を覗いてみると、かつての友人の惨たらしい姿を拝むはめになることも間々あった。遺された家族の悲憤は凄まじく、自分の愛する人を手にかけたのは誰なのかと、疑心暗鬼が募っていく。

 一刻も早く、文字通りに人の皮をかぶった獣を抹殺してしまわなければ、この村に真の平安は訪れない。

 表向きはこれまでどおりの営みをつづけながら、殺伐した空気がどんどん色濃くなっていく。


 そうした日々の果てに、遂に彼らはやったのだ。

 夜明けとともに広場に集まってきた人々は、爽やかに晴れ渡った秋空のもと、仔馬ほどもあろうかという大狼の亡骸が、絞首台に吊るされているのを目撃した。

 今度こそ間違いなく「人狼」を仕留めてやったのだ。我々の勝利だ!

 というわけで、朝から俄かなお祭り騒ぎ、今日は一日、村中が飲めや歌えの無礼講となっている。


「いやあ、メデタイ! ほんっと、メデタイ! こんなメデタイことってないよね~」

 バン! と勢いよくドアが開き、屋外の喧騒とともに陽気な男がなだれ込んできた。すでにだいぶ聞こし召している模様で、危なっかしい足取りでカウンターまでやってくる。

「マスター、ビールちょうだい!」

「もうやめといた方がいいんじゃないか? ハル」

 店主は商売っ気のかけらもなく、気のいいパン焼き職人を嗜めたが、

「ナーニ言ってんの! どんどん注いじゃってよ! もう、ここのみんなに奢っちゃう!」

と返されて、苦笑まじりに小さく首を横に振り、銅製のジョッキにビールを満たした。

「この人、さっきからずーっとこの調子でさ。あっちこっちで奢りまくってんの。たぶん、もう財布んなか空っぽだぜ?」

 一緒に入ってきた愛らしい顔立ちをした華奢な男が、四人掛けテーブルの空いた椅子を無造作に引いた。彼は領主館の住人で、家令見習いとして働いている。人懐こい彼とは対照的に、先に席についていた無愛想で人付き合いの悪い飾り職人は、スコーンに伸ばしかけた手を止めちらりと視線を上げたものの、そのまま何も言わずにパクリと頬張った。ケイとジン、見た目も性格も正反対の二人だが、不思議と相性は悪くない。

「細かいことは気にすんなって! マスター、俺につけといてね!」

「知ってんだろ。うちはツケはなしだ」

 店主は素っ気なく調子のいい男をいなすと、テーブル席に声をかけた。

「なんにする?」

「俺もビールでいいよ」

 残っていたスコーンに遠慮なく手を伸ばしながら、ケイは澄ましてそう応じる。カルーアミルクかカシスオレンジか、そんな返事を予測していた店主は、わずかに眉を上げたものの、黙って頷いた。ただし、カウンターの影でジンジャーエールの瓶に手を伸ばし、ジョッキの半分ほどを満たしてからビールを注ぐ。カウンターの端に座るジェイが、さほど酒は飲めないはずのケイへの配慮に目敏く気づき、そっと笑った。

「さっきの音は、爆竹か何か? あんまり羽目を外すようだと、止めに入らないと」

 アップルパイを食べ終えたクリフが、ジョッキを受け取って戻ってきたケイに静かに問う。温厚ではあるが厳格な面も持つ彼には、村役場で働く者として、こんな日ではあっても秩序を保つ責任があった。

「そう、爆竹。鍛冶屋のバカ息子たちが篝火に投げ込んだんだ。けど、すぐに引っ掴まって家に連れ戻されたから、大丈夫だよ」

 そっか、と頷くと、クリフは椅子に座りなおし、食後のコーヒーを注文する。

「なんだよ、コーヒーって。俺の奢りを断る気かよ?!」

「俺が飲めないの、知ってるだろ? 気持ちだけありがたく受け取っておくよ」

 穏やかにそう返されると、どんなに酔っぱらっていても絡めなくなる。「なんだよもー」と不貞腐れたように言いながら、ハルはカウンターに肘を乗せ、頬杖をついた。

 一気に賑やかになった酒場の空気が、それを機に、いつもの調子に落ち着いていく。

「こんなに気持ちのいい満月は、久し振りだね」

 不意に零れ落ちた掠れ声に、それぞれの眼差しが送られる。

 四角く切り取られた木枠の窓の向こうには、常より大きく見える、まあるい月。

 前の月に絞首台にかけられたのは、領主館で働くケイの弟分だった。もちろん彼が「人狼」などであるはずはなく、無残な姿で風に揺られているのを、朝になっても姿が見えないのを不審に思った領主館の人々によって発見された。

 ケイは、誰にも何も言わなかった。が、かわいがっていた弟分を理不尽に殺されて、平気でいられるはずがない。このひと月、彼がどんな思いでいたものか、察するにあまりある。

 しかし、ようやく「人狼」は始末された。

 これからはもう、怯えて暮らす必要はない。

「……本当に、そうなのかな」

 ささやかな酒場の片隅で、ジェイがひっそりと呟いた。今は臨時雇いとして村役場で働いているが、この村に来る前は、長く修道院にいたのだという。理由あって誓願を立てる前に修道生活から離れることになったが、読み書きにたけている上に農作業や薬草の知識も備えているのは、そのためらしい。

「どういう意味だよ、それ」

 ハルは、とろんとした目をジェイに向けた。朝が早いパン焼き職人は、夜にめっぽう弱い。

 ボロボロとなった手帳を見るともなく見遣ってから、ジェイはボソリと低く言った。

「確かに、今回吊されたのは本物の『人狼』だったけどさ。これで終わったって、言い切っちゃってもいいのかな」

 ジェイの言葉が途切れるとともに、じわり、じわりと、重苦しい沈黙が酒場に満ちる。

「つまり」

 ふわりと空気を孕んだようなやわらかな声が、張り詰めた空気をそっと破った。

「ほかにもまだ、いるんじゃないかって、そういうこと?」

 村に忍び込んだ「人狼」が、一匹だけであるとはかぎらない。そもそも、狼とは群れで生きるものだろう。そう考える方が、むしろ自然であるかもしれない。

 クリフの穏やかな表情の奥に、冷徹ともいえる影がよぎる。

「ふざっけんなよ」

 乾いた声とともに、カラン、と皿の上にフォークが落ちた。指についたクリームを、剣呑な目付きをしたジンがぺろりと舐め取る。

 ジンは、以前あらぬ疑いをかけられて、あやうく吊るされかけたことがあった。

 腕のいい職人ではあるが、人付き合いは好まない。もともとは市の立つ日に荷物を担いであらわれたのがはじまりで、たまたま精緻な細工物が領主の娘の目にとまり、村に留まるように説得されて居ついた男だ。身分証は所持していたし、ギルドの承認も得ているが、いざとなると、「余所者」に向けられる目は冷たい。友と呼べる相手はほとんどないし、ひとりでいることを好むから、狙いをつけられてはひとたまりもない。

 あれから二月ほどになるだろうか。ちょうどこの酒場から塒へ戻ろうとするところを襲われて、すんでのところで拉致されかけた。たまたま店仕舞いの仕度のために裏庭に出てきた店主が異変に気付き、「うちの客に手出しは無用だ」と、覆面姿の男たちからジンを救い出したのだ。

「てことはさー」

 もう半分眠っているような気怠い口調で、ハルが言った。

「ここにいる全員が、アヤしいってことになるよね?」

 もともとは旅人である店主。自称修道士崩れのジェイ。流れ職人のジン。そして、数年ごとに各地方の役場に派遣されるクリフも、新任の家令に従って王都からやってきたケイも、所詮は「余所者」だ。

「その点、俺はこの村出身だからな~」

 ハルはてへっ、とどこか胡散臭い笑みを浮かべて、カウンターにペタリと突っ伏した。

「悪い酒だな」

 普段は他人の神経を逆撫でするようなことを口にする男ではないのに、お祭り騒ぎの余韻で調子に乗りすぎたのか。

 店主は苦笑すると、酔っ払いの手からジョッキを取り上げ、肩を揺すった。

「こんなところで寝たら、風邪ひくぞ。もう帰れ」

「んー」

「誰か、送ってってやってくれよ。ひとりで帰したら、途中で眠っちまいそうだ」

 小さな村のことだ、パン焼き職人を住処まで送り届けたところで、たいした回り道にはならない。

 いつもならすぐに誰かしらが名乗りをあげるはずなのだが、今夜は誰の手も上らなかった。

「……どうした?」

 訝しげに訊ねる店主に、返ってくるのは沈黙だけ。

 それが耐え難いまでの重さになったところで、かたん、とマグを置く音が響きわたった。

 みなの視線が、クリフのもとへと向けられる。

「新しい村に赴任するとね。一番はじめに、その村の歴史を調べるんだ」

「れきし?」

 薄めたビールの影響なのか、ケイが舌っ足らずに問い返す。

「そう。嵐がくるのは何月かとか、火事のときに被害に遭いやすいのはどの方角かとか、どういう理由で飢饉が起こったのかとか。街道は安全か、過去に疫病に見舞われたことはあるのかないのか、そういうことを知っておくと、いざというときに役に立つから」

 有能で勤勉な役人の言葉に、ああ、と一同納得する。

「幸いなことに、この村には特筆すべきような災厄はほとんどなかった。でも、ひとつだけ印象に残ってることがあってさ」

「うん?」

 クリフは誰とも視線を合わせずに、穏やかな表情そのままに静かに言った。

「パン焼き小屋の、全焼事件」

「え……」

 放たれた言葉の持つ意味が、うまく理解されずにぽっかり宙に浮いたまま、じわじわと嫌な予感を生み出していく。

「竈は村の共有財産だから、本来なら重い罪に問われるところだけど、このときは落雷が原因なのがはっきりしてたから、職人一家は罰せられずに済んだ。でも、そのときの怪我がもとで、パン焼きの夫婦が亡くなってね。残された赤ん坊は、母親の妹に引き取られていったんだそうだ」

 それって、つまり。いや、まさか。

 そんな視線が、カウンターから滑り落ちそうになって居眠りしているハルの背中に注がれる。

「すっかり成長したその子が、立派なパン焼き職人となって村に戻ってきたのが、去年の秋。当時を知る人はほとんど残っていないし、引き取られていった先の村は、ペストにやられて全滅してる。書類上は確かにこの村出身ということになるんだけど、彼が本当にあのときの赤ん坊なのかは、誰にも証明しようがない」

「ちょっと待ってよぉ」

 カウンターに突っ伏した姿勢のまま、ハルがヘラリと笑った。

「なんなのよぉ、それ。まるで俺が疑われてるみたいじゃねー?」

「誰も言ってないよ、そんなこと」

 ねえ、と同意を求めるケイから、すっと視線がそらされる。

「ちょっと……みんな、本気なの?」

 困惑とともに、ケイの声がどんどん小さくなっていった。

「今夜はもう、店仕舞いにした方がよさそうだな」

 まだ宵の口とも言っていい時刻ではあるが、いつもどおり楽しく飲めないようならば、帰っていただいて結構だ。

 グラスを磨く店主の口調には、言外の思いが滲んでいる。

 村人も、役人も、旅の途中の異邦人も、ここではみんな、平等だ。うまい酒を飲んで、愉快に談笑し、ときには歌い、興がのれば楽器も奏でる。

 老人から預かったのはそういう酒場で、店主はそれを、大切に守りつづけている。

「それは、俺たち全員、村に解き放っても大丈夫だってこと?」

 ジェイはどこかおもしろがるようにも見える目を、店主に向けた。邪気のない問い掛けのようでもあり、相手の出方を探っているようでもある。

 店主はわずかに目を眇めたが、呆れたように答える声は、いつもの彼のものだった。

「当たり前だろ」

 ぶっきら棒にそう言って、磨き上がったグラスを棚に戻す。

 ジェイは「ふーん」と口の中で小さく呟き、しばらく店主の様子を眺めていたが、やがて、素知らぬ振りをしつづける相手を挑発するようにニヤリと笑った。

「『人狼』かそうでないかって、見ただけでわかるものなの?」

「……あん?」

 一拍おいて向けられた眼差しは、隠そうにも隠し切れない剣呑な光を帯びている。

 ジェイはそれを待ち受けていたかのように真っ向から受け止めると、カウンターに身を乗り出し囁いた。

「あなたは『狩人』なんでしょ? レン」

「な……っ」

 店主の切れ長な双眸がひとまわり大きく見開かれ、酒場の空気がざわりとする。

「旅をしながら『人狼』を見つけ出し、処分する『狩人』。俺も実際に逢うのはじめてだけど、すぐにわかったよ」

 彼らは教皇の勅書を携帯し、各国を自由に行き来することを許されているのだという。殺生の罪は事前に赦免されており、「人狼」を狩った後は、すみやかに村を立ち去り行方を晦ます。そうしてまた、新たな旅をつづけるのだ。

「とんだお門違いだな」

 店主は肩を竦めると、ハルのジョッキに残っていたビールを飲み干した。

「最近の修道院じゃ、そんな与太話を広めてるのか?」

「俺が『狩人』の噂を聞いたのは、修道院を出てからだよ」

 零れ落ちそうに大きな瞳をひたと当ててくるジェイに、今度は店主が、「ふーん」と返す。

「『狩人』ってのは、一目でそれと見破られるようじゃマズいんだろ? もしも俺がそうだとしたら、だいぶ腕が悪いってことだ」

「俺以外の誰にも気づかせないで半年も酒場の主人をやってたんだから、充分じゃない?」

「そりゃあどうも。けど、俺は夕べもいつもどおりに店を開けて、ここにいたぜ。『人狼』を狩るヒマはなかったな」

 酒場が通常営業だったのは間違いないが、店を閉めてから夜明けまでの間に、目星をつけていた『人狼』を絞首台にかけるのは果たして本当に不可能か。酒場の上階でひとり寝起きしている店主の動向は、誰にも確かめようがない。

「なんにしても、『人狼』の疑いをかけられるよりはマシなんだから、よかったじゃない」

 クリフはにっこり笑うと、カウンターに置かれたポットからコーヒーを継ぎ足した。

「俺なんかこの人とはじめて逢ったとき、人相悪いなーと思ったからね。凶状持ちとかだったらどうしようって、手配書を確認したくらいだよ」

「お前なー」

 店主は溜め息をつくと、小さく首を横に振った。

 同年輩のこの二人、一方は精悍で浅黒く、一方は柔和で色白という見た目同様、生まれ育ちもまったく異なり、底なしの大酒飲みと正真正銘の下戸という具合に何もかもが正反対なのだが、ナゼだか波長は合うらしく、常に折り目正しいクリフがこの男相手だと遠慮のない物言いをする。

「もしも本当に『狩人』ならさ。『人狼』はもうみつかったんだから、この村から出てくってことになるよね……?」

 冷たくなっても充分にうまいスコーンを名残惜しそうに噛み締めながら、ケイが店主を振り仰いだ。そしたら淋しいなとか、悲しいなとか、人懐こい眼差しが告げている。

「いや、だから俺は……」

「レンが『狩人』だっていうのはジェイの推測でしかないし、『人狼』狩りが終わったのかも定かじゃないって、そもそもはそういう話だったよね」

 店主の言葉を遮るクリフに、ケイは「そっか」と頷きかけて、そのまま「あれ?」と首を傾げた。

「それって、喜んだらダメだよね?」

 この先もおいしい料理にありつけるのは嬉しいけれど、まだ村に「人狼」が潜んでいるかもしれないというのはいただけない。

「なんにしろ、今すぐ出ていこうとは思ってないよ」

 店主は安心させるようにそう言って、残ったアップルパイを三つに切り分け、二切れ載せた皿をケイに差し出し、もう一皿をジェイに渡した。

「ってことは……」

「別に、まだ『人狼』がいそうだからってわけじゃないけどな」

 ジェイが話を蒸し返す前に、店主はすかさず釘を差す。

 村の入口に近い酒場には、関所のような役目もあった。自ら望んだことではないとはいえ、こうして預った以上は、新たに委ねるべき人物が訪れるその日まで、守りとおす義務がある。

「せっかくパイもうまく焼けるようになったことだしね」

「お前らがうるさく言うからな」

 ジンが頬張るアップルパイを物欲しそうに眺めるクリフの方に、店主はビールの摘みにするつもりでいた、パイ皮の切れ端で拵えたチーズ入りの焼き菓子を押し出した。

 旅をしていると森で野宿することも珍しくはないから、大抵のことは器用にこなすが、子供の喜びそうな菓子の類までは、そのかぎりではない。そもそも酒場でそんなものを出す必要があるのかという話だが、もとから需要はあったようで、老人の遺していった帳面には母親から伝えられたらしい調理法が記されていて、これが食べたい、こっちも作って、というしつこいリクエストに根負けして、パイやスコーンを出すようになったのだ。

「なんか、もうずーっと昔っからここでこうしているみたいだもんね」

 そんなことを言いながら、甘酸っぱいリンゴとほくほくのサツマイモ、レーズン入りのパイに舌鼓を打つケイの向かいで、ジンがククッと小さく笑う。

 村にやってきた順でいえば、店主はこの中で一番遅いくらいだ。なのに、いつのまにか村人から一目置かれる存在となり、すっかり根を下ろしている。本当に「狩人」であるのかはともかくとして、そうだと言われれば、そうかもしれない、と思わせる雰囲気は確かにあった。この人に「こいつが『人狼』だ」と指差されたら信じてしまいそうだし、「こいつは違う」と首を振られたら、糾弾の声は自然と尻すぼみになっていく。

 ジンが助かったのも、そのおかげだった。ただ一声で事態をおさめる、凄みを帯びた低い声。あれ以来、直接手を出してくる輩はひとりもいない。

 が、だからといって、疑いの眼差しをまったく感じないわけでもなかった。先祖代々この村で暮らしている人々にしてみると、災厄をもたらすのは「余所者」であるべきだし、それも、領主館や役場で働く身元の確かな人物よりも、ふらりとあらわれた名もない職人であって欲しいのだ。腕の良し悪しには関係なく、いや、寧ろよければよいほど、表向きは歓迎されても、裏にまわれば煙たがられる。

 ケイに言わせれば、自分たちだとてまったく疑惑を持たれていないわけではないのだという。

 だからこそ弟分であった少年は吊るされてしまったのだし、あの少年でないのならば、あるいは彼をかわいがっていたケイの方こそが、という声なき声を感じることもある。

 そして。

「かしこくってさー、やさしくって。ひんこーほーせーで、じんぼーもあつい。クリフみたいなひとが、ものがたりとかだと『人狼』だったりすんだよねー」

 突然むっくりとカラダを起したハルは、へらへらと笑って誰にともなくそう言った。

 クリフは穏やかな笑みをそのまま維持し、何も聞こえなかったように、なんの反応も示さない。あまりにもバカバカしくって相手にする気にもなれないのか、感情を抑えようとするがあまり表情が消えてしまったのか、どちらのようにも受け取れる。

 店主は溜め息をひとつつくと、ハルに水を入れたジョッキを手渡した。

「頭を冷やせ。もうたくさんだ、そんな話」

「そだねー。あそこに座って物識りっぽい顔してるおにーさんの方が、案外『人狼』だったりすんのかもしんないねー」

「ハル」

「だってさー、修道士のなりそこないって! いかにもアヤしい感じじゃねー?」

「ハル」

 特に声を荒げたわけではない。しかし、店主が重ねて名を呼ぶと、ハルはふっと、我に返ったような顔をした。パチパチと瞬きをして、はじめて気が付いたかのように自分の手の中に収まっているジョッキを見つめると、ゴクゴクとノドを鳴らして水を飲む。

「満月は、人を狂わすっていうからね」

 ジェイは落ち着いた声で呟くと、静かにジョッキを傾けた。端正な横顔に月の光が陰影を落とし、人生に倦んだ老人のようにも、あどけない幼子のようにも見える。



 ――はたしてナニが、真実なのか。信じるべきものは、どこにあるのか。



 住人たちから愛されて、旅人の足も自然と止まる、村のはずれの古びた酒場。

 このささやかな聖域で約束されるのは、ほんの束の間の安息でしかないのだけれど。

 不安も不満も飲みこんで、今宵もまた、うまい酒と料理が彼らを迎える。




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