Episode2:それは、《発見》という名の出会い
2388年5月25日(水)7:55A.M. 第13居住区・西ニューアシヤ駅周辺
24世紀を生きる彼らは、“国家”という概念を持たない。今から約150年前、初の植民星・《月》を手にした人類は、思想や理念を異にする“国家”同士の、不完全な連携でしかなかった国際連合に代わる組織として、UGE・地球連合政府を発足させた。UGEは発足直後、《地球》と《月》に存在したすべての“国家”を解体し、代わりに“居住区”と呼ばれるものを置き、そこに様々な人種を住まわせた。すべての居住区はUGEの管轄下に置かれ、そこに住む人々もまた、UGEの監視の下で生活するようになった。圧倒的な政治力と軍事力を持つUGEの発足以来、民衆による政治的クーデターや、異民族・異集団間の差別や紛争はなくなり、各植民星の居住区の生活は正に平和そのものとなった。
《エデン》には現在、69もの地球人類の居住区がある。いずれの居住区にも出自、言語、文化の異なる人々が集まり生活している。各居住区には番号と、《地球》にある地名に由来した名前が付けられている。光たちの住む第13居住区・「ニューアシヤ(新芦屋)」も、北に山地、南に海を湛えているところから、《地球》の国家・日本の都市に肖って名付けられた。
光の住むマンションはニューアシヤの西部の、緩やかな坂の上に建ち、すぐ近くには南にゆるやかに流れる川がある。光はここから、居住区の東部に位置する高校に通っている。毎朝川沿いの道を5分程歩き、南にある西ニューアシヤ駅から電車に乗り、東部にあるコウゴエン(甲午園)駅で下車、そこから更にバスに乗って15分でようやく高校にたどり着く。光はこの日も、片道約30分のこの通学コースを使って学校を目指していた。
《地球》から持ち込まれ植えられたという松の並木が続く川沿いの道を、いつものペースで歩く光。光はふと、左手のグローブを少しめくって、あの痣をのぞき込む。白い素肌に浮かんでいる黒色の痣は、左右対称の幾何学模様を成し、まるで何らかの地位や所属を表すエンブレムのようでもある。
「そういやこの痣、一体何でこんな模様してるんだろうな。」
この光の左手の痣――燈は《希望の痣》と呼んでいる――は、光がこの世に生を受けた頃から存在するもので、痣がなぜできたかについては今のところ分かっていない。痣があることで特に痛みや痒みを感じる、ということは無く、普通の人間の左腕のように動かせる。ただあまりに痣が不自然な形と色しているため、初対面の人などを驚かせてしまわないように、普段はグローブを装着して痣を隠しているのである。
「古の魔物が封印されているとか、あるいは悪い魔法使いに負わされた古傷――だったりして。」
そんな妄想をしている内に、西ニューアシヤ駅にたどり着く。地下の改札口に降りた光は、腕時計?らしきものをつけた右手の袖をめくり、それを露にする。腕時計?の文字盤にあたる部分の画面には、「M23720909ED13NA05XLN0358A」という文字の羅列と、白・黒・赤・青の複雑なモザイク状の正方形が表示される。それを、自動改札機の読み取り面にかざすと、改札機の横のランプが緑色に光り、閉ざされていたドアが開き進めるようになった。更に改札を通過したところにある自動販売機にも腕時計?をかざす。すると自動販売機の液晶画面が切り替わり、コーラやお茶など様々なドリンクが横一列に表示される。
「今日はどれにしようか。」
液晶画面を右へ左へとスワイプさせ、お目当ての飲料を探す。光はそのうちの一つを撰び、「決定-OK-」と書かれた表示をタップした。自動販売機の下から、光の選んだミネラルウォーターのペットボトルが転がり出てきた。
ペットボトルを左手に持った光は、エスカレーターで新京都方面のホームに上る。通勤・通学のために電車を待つ人々の列が、もう既にそこにはできていた。よく見ると、列に並ぶ人々は皆、光と同じ腕時計型の装置を身につけている。スーツ姿のビジネスマンは勿論、ランドセルを背負った小学生の女の子も、杖をついた年老いた男性も、母親の曳くベビーカーに載せられた赤ん坊まで、全員が同じ装置を腕につけていた。
この腕時計型の装置は、通称「IDEA-Watch」、または単に「Watch」と呼ばれている。「IDEA」というのは、地球人類ひとり一人の、生まれてから現在までのあらゆる情報を記録したパーソナルデータであり、誕生日、血液型、住所、職業、年収、家族構成、趣味、特技、好きな異性のタイプ――などなど、ありとあらゆる個人のデータが、25桁からなる数字とアルファベットの羅列(これを「IDEAナンバー」と呼ぶ。)、それと4色のモザイク画のような三次元コード(これを「IDEAコード」と呼ぶ。)に刻まれている。UGEはこのIDEAを用いて民衆を監視し、社会保障の給付や犯罪の抑止などに役立てている。
IDEA-Watchは、その記録・更新・表示などができる「万能型ウェアラブル端末」で、この時代の人々は皆これを装備して生活している。IDEA-Watchには、先ほど光が見せた電子マネーや乗車券の役割のほか、社員証・生徒手帳・保険証・運転免許証・パスポートといった身分証明書の役割や、電話・メールなどのコミュニケーション・ツール、カメラや電卓、預金通帳などの便利機能に、新聞やテレビなどのメディアとしての機能や、音楽プレイヤーやゲームなどの娯楽要素も詰め込まれている。勿論、「Watch」の名に恥じず、「時計」としての機能もちゃんと備えている。
光がそのWatchでパズルゲームを楽しんでいると、運転席に誰も乗っていない6両編成の電車がホームに到着した。電車のドアとホームドアが同時に一斉に開き、人々の群れが電車の中へとどんどん吸い込まれていく。光は列の最後の方だったので、光が電車に乗り込んだ時には既にぎゅうぎゅう詰めの状態だった。しばらくして電車のドアが閉まり、客車はすべて満員なのに運転席だけ無人という状況の中、電車は静かに動き出す。
無人運転で動く電車の中、サラリーマン軍団の意図しない物理的圧力に耐えながら、光は窓の外を眺めていた。窓の外にはモダンな洋風建築の家やマンションが立ち並び、その奥には深い緑に覆われた山々が聳えている。さらにその山々の向こうには、白い壁のようなものが見え、この第13居住区全体を取り囲んでいる。
その遥か上空を見やると、UGE軍の戦闘機3機に囲まれながら、翼の生えた緑色の巨大なドラゴンが、白い壁の方向に向かって穏やかに飛んでいくのが見える。人類の入植以前から《エデン》に生息するドラゴン達は、狩りや巣作りの材料集めのために、時折居住区の上空を飛行することがある。そうした場合、UGEは戦闘機を何機かドラゴンの周囲に付け、居住区やそこに住む民衆を襲わないように監視させるようにしている。あの緑色のドラゴンは比較的大人しい性格の種類であり、下手に刺激しない限りはこちらに害をもたらすことはないということを、光は小学校の頃の授業で学んでいる。とは言え、10mはあろうかというあの巨体が、もしこちらに襲い掛かりでもしたら――という恐怖の感情も全くないわけではなかった。光は固唾を飲んで、ドラゴンの行動に注目する。
やがてドラゴンの姿は米粒程のサイズになり、白い壁の上空を通過していった。ドラゴンの飛んで行った方向には他の居住区が存在しないため、安全を確認した戦闘機はドラゴンの元から次々と離脱していく。
(良かった。何も起こらなくて。)
光がほっと胸を撫で下ろしたその時、山の向こうから、何かが素早く飛んでくるのが見える。それはちょうど光の視界の真ん中でピタッと止まり、そのまま空中にしばらくとどまっていた。初めて見た時、光はそれをUFOか、あるいは新種の《エデン》の原生生物ではないかと思ったという。が、いきなり飛んできたそれは、白い衣服を着た人間の少女のように見える。
「なんだ、あれ……?」
光は右手のIDEA-Watchを顔の前に掲げる。そして左手でIDEA-Watchの横のボタンを押すと、画面が垂直に立ち上がり、画面の裏側に搭載されているカメラのレンズが現れる。カメラ機能を起動させた光は、空飛ぶ人影にレンズを向け、録画ボタンをタップした。そして画面の横を上に何度もなぞり、その人影をズームアップさせていく。肉眼では分からなかった少女の特徴を、だんだんと明確にさせていく。
空を飛ぶ少女は、その白く透き通った肌の上に、白い振袖のような衣服と茶色のブーツを纏い、右手には拳銃とナイフが一体化したような武器を所持している。光の目線では、少女は右を向いて立っているように見え、彼女の背中や足には、ジェットパックやドローンのような飛行するための装置は確認できなかった。背景の建物の高さからざっと計算して、少女は地上から100mくらいの所を飛んでいると思われる。その高さを、少女は何の道具も使わずに宙に浮き続けているということになる。
光はさらにカメラをズームさせ、少女の顔を画面に捉えた。髪は腰まで伸びる綺麗な銀色をしており、風が吹く度にさらさらとたなびきながら、その美しい光沢をきらきらと輝かせている。あまり掘りの深くないその顔立ちは、非常に整った美少女のそれである。瞳はやや青みがかったグレーで、何か真剣な表情で考え込んでいるように見える。時折つやっとした唇を動かし、何かを呟いている様子を見せる。何より光の印象に残ったのは、長く尖った少女の“耳”である。例えるならそれは、ファンタジー物の漫画やゲームに登場する「エルフ」のような耳という表現が一番しっくりくる。その尖った耳は、サイズや位置などを考えると、特殊メイクとかではなくて本物の耳であるようだと光の眼には映った。
「何だろう、あの娘。どうやって空に浮いてるんだろう。それにあの尖った耳、本物なのかな……?」
光の視線はしばらくの間、少女に釘付けだった。今までに見たことのない美少女が空を飛んでいるその光景は、不思議であるとともに神秘的でもあった。どうやって少女は飛んでいるのか。右手の銃は何に使うのか。彼女が何を考え込んでいるのか。そもそも少女は何者か。この惑星には、まだまだ明かされていない秘密や真実があるのではないかという好奇心が、光の心には芽生え出していた。
ふと画面の中の少女の目線が、こちらに向けられた。すると少女は驚いたような顔をして光の方を怪訝な表情で見つめる。光もいきなり少女がこちらを向いてきたことに慌てて思わず「えっ?えっ?」と声が漏れる。するといきなり少女は右手に持った銃をこちらに向け、何かを呟き始めた。
「まさか、発砲するのか?!」
光が声を荒らげたその瞬間、少女の銃口から目映い閃光が放たれる。まるで超新星爆発のように輝くその閃光は、光だけではなく、電車に乗り込んでいた者全員の眼を逸らさせ、少女の姿を完全に隠してしまっていた。
閃光は5秒間程のあいだ光り、そして消えた。光をはじめとする電車の乗客に怪我人はなく、窓の外の街も、ビルや家屋なども破壊されていない、いつも通りの光景のままだ。先程ドラゴンを見張っていた3機の戦闘機が閃光の光った場所まで戻ってきたが、あの少女の姿は確認できない。光も窓に顔を押し当て、再びあの少女の姿を空に探すが、確認できたのは雲と、3機の戦闘機と、砂粒サイズにまでなった先程のドラゴンの姿のみであった。長い耳をした少女の姿は、もうそこにはいなかった。少女を見逃してしまったことに愕然とした光は、ずっと起動させっぱなしだったカメラ機能を終了させ、IDEA-Watchを元の状態に戻した。
「あれは一体何だったのだろう。」そんな謎を胸に抱いたまま、光の乗る電車はコウゴエン駅に到着した。