竹が伸びて、光が進んで
旦那様、起きてください。布団を干しますよ。
「……竹が爪の先ほど伸び、光が隣の惑星まで行って帰ってくる……そのくらいの時間、寝かせてほしい……」
時は金なり、私は旦那様から掛け布団を取り上げました。毎朝こんなことを言うので嫌になります。
「ああ、無常。科学文明は人間から布団の温もりまで奪うというのか……」
私はベッドから転がり出た旦那様の言葉を無視して、布団を干しました。
「まだ朝食ができていないなら寝ていれば良かった。」
だらだらしていないで早く手伝ってほしいです。あとは温めるだけなんですから。
「そうか、『ファイア』。」
炎がぼんとあがり、ジャガイモスープが温まりました。
私の旦那様は魔法使いです。機関車が走り、蒸気船が七つの海を行き交う世の中でこんな馬鹿なことを続けている人はほとんどいません。魔法は便利なことは便利ですが最近発明されたというガスコンロの方が便利そうです。
「そんなこと言うなら、料理を温めるのはもうよそうか。」
それなら私は料理をやめます。魔法に作ってもらってください。そもそも旦那様が日の出すぐに起きてくれれば温めなおす必要はなかったんですよ。
「……反省しよう。」
こんなことを言ってまともに起きてくれたことはほとんどないのです。反省するだけならゴブリンにもできます。
「いや、その発言は人種差別だ。ゴブリン族は我らが栄えある帝国の構成種族であり、私たちと同様の義務と権利を……」
はいはい、わかりました。それより早く食べてください。後片付けもあるんですから。
朝食を済ませると旦那様は部屋にこもって魔法の実験を始めます。なので、私が代わりに領地の様子を見に行かないといけません。
「おはようです、奥さま。今日もお早いですだ。」
小作のみなさんが挨拶してくれます。今日も元気そうでなによりです。
「なにもかにも旦那さまと奥さまのおかげですだ。隣村なんか囲い込みでひどいことになっただけど、おら達はこうして畑さ耕してられる。」
……別に口には出しませんが私はやろうかと思ったんですよね、囲い込み。その方が儲かるので。なので、感謝するなら旦那様はにしてください。
「やあ、奥さまは謙虚なかただあ!いつも旦那さまさ立てて、うちのカミさんなんて〜」
「あんた!奥さまの迷惑だよ!さっさと仕事しな!」
私も小作のみなさんの邪魔になってはいけないので、そろそろ買い物に行きましょう。
乗り合い馬車に乗って町に行くのは魔法道具を買うためです。日用品はだいたい領地で手に入りますがこればかりは仕方ありません。昼までには帰らないといけないので行きつけの店に向かいます。お値段は張りますが品ぞろえが良いのです。
「ああ、奥さん。いつものですか?すみません、天然の月見草だけは今切らしてまして……マホダイト原石は半値にしますから、今日はご勘弁を。」
……こんな日もあります。仕方がないので冒険者ギルドに行きましょう。
冒険者ギルドはここ数年ですっかり寂れてしまいましたが便利なところです。ドリルウサギの駆除や収穫期の人手を集めるのに毎年お世話になります。さて、天然の月見草はあるでしょうか?
「いやー、奥様は運がいい。ちょうど依頼のキャンセルがあって余っていたところです。お安くしておきましょう!どうぞこれからもうちをご贔屓に!」
マホダイトも月見草も安く手に入ったのでなんだか楽しくなってきました。寄り道して市場にでも行ってみましょう。掘り出し物があるかもしれません。
結論から言うと無駄足でした。気分が良いからといって人混みに行くものではありません。お腹も空きましたし……ああ!旦那様はの昼食を忘れていました!
「おかえり、遅いからジャガイモ焼いて食べたから。じゃあ。」
案の定、旦那様はヘソを曲げました。少し遅れたくらいでひどいと思います。夕飯の時間には機嫌が直っていると良いのですが……
それはともかく、私も昼食は簡単に済ませて午後はお掃除です。私達の家は大して広くないのでメイドを雇わなくて良いのが助かります。箒で掃いて、雑巾で拭いて、エトセトラ、エトセトラ。布団や洗濯物の取り込みも含めて、夕焼けまでにはすみました。もう夕食を作らないといけませんが、その前にもうひとつ大事なことを。
家の裏庭にある小さな石塔の前で私は手を合わせます。大旦那様、大奥様、旦那様は相変わらずです。御家は当代で絶えるかもしれません。身分違いの私を引き立てていただいた御恩を仇で返すようですが、こればかりは天からの授かりものですので今少しお待ちください……さあ、いよいよ夕食作りです!頑張らないと!
「おお、カレーだ!どれどれ……うん、美味い!」
食前のお祈りもそこそこに食べ始めたのを見ると旦那様は機嫌を直してくれたようです。いつもの事とはいえほっとします。ところで魔法の研究はいかがでしたか?
「悠久の真理に挑む研究は一日でなるものではない。」
つまり、今日も特に成果はなかったんですね。足りないものがあれば早めに言ってください。町までいくのは大変ですので。
「そうだな、草の葉がほしい。一種類でなく、いくつか試したい。」
普通の葉っぱですか?でしたら、見まわりのついでに採ってきますよ。量が必要でしたら小作のみなさんにも頼んで集めますよ。
「そこまでしなくていい。よし、たまには自分で採りにいく。」
私は危うくスプーンを落とすところでした。旦那様が外出するなんていつぶりでしょうか。
「大げさな奴だ、前の満月の日に月明かりを液化する実験をやっただろうに。」
あの時は庭に出ただけじゃないですか。ああ、今回も草でしたら庭にありますね。軍手を用意しておきます……ごちそうさま。片付けたら縫い物をしないと。旦那様は食後はいかがなさいますか?もう寝られるのでしたらそちらのお支度を……え?旦那様どうかされましたか?
「明日の昼は外で食べる。二人分、サンドイッチでも作ってくれ。それと、今日はもう寝室に行く……お前も早く来い。」
こうしてまた竹が私の背丈ほど伸び、光が遥かな暗黒まで飛び去る、それだけの時間が過ぎました。明日も明後日も同じように時は流れるのでしょう。進歩のない、変わり映えのない日常ですが私は幸せです。
「進歩という言葉は時間が一直線に進むという思想から生まれた。対して、時間は円を描き循環するという思想が……」
こんな時くらい気の利いたことは言えないのですか。さすがに私も怒りますよ、旦那様!