95 考えていること
月曜日。
今朝は家上くんは自分の席で美少女たちと談笑していた。特に変なことを言って怒らせるわけでもなく、厳しい意見で機嫌を損ねることもなく、ただただ親しい人たちとの会話を楽しんでいた。
私が近付いていって朝の挨拶をすると、家上くんは友人に向けていたものとは少し違う笑顔で返事をしてくれた。愛想笑いではないと思ったけれど距離を感じた。親しい間柄への道のりは遠い。
自分の席に着いた私は家上くんの後ろ姿を眺める。この学校の制服を着ていて、短い黒髪で、友人である女子三人と比べると体が大きい。今はきっと穏やかに微笑んでいるんだろう。
……何を考えてるのかなあ。
仮面の人たちはどういう集団なんだろう。銀髪家上くんの剣にはどんな価値があるんだろう。家上くんはこの世界のことをどう思っているんだろう。私のことには少しも気付いていないのかな。
☆★☆
昼休み、私とはるちゃんは中庭に出た。もちろん家上くんたちもだ。
こうしてまた中庭でお昼を食べるようになったのは九月に入ってすぐのこと。でも中庭で過ごした回数はそんなに多くない。気温が真夏に戻ったり頻繁に雨が降ったりしたからだ。
今日は雲が多めで気温が高くなくて過ごしやすい。
朝同様に平和に時間が過ぎていく。アズさんは寝ている。
お弁当を食べていたはるちゃんの手が止まった。
「あれは夢だったんじゃないかって思えてきた」
はるちゃんが私に言う「あれ」というと。
「家上くんがはるちゃんに言ったこと?」
「うん」
「今日まで何もないから?」
「そんなとこ。時間が経ったら冷静になったっていうか、記憶が薄れたっていうか。ゆかりんの恋が成就してほしいあまりに見た夢だったんじゃないかと不安になってね……」
家上くんが駒岡さんたちをわざと怒らせたということと、駒岡さんたちとの仲は今くらいのものが良いという発言。
あれは確かに、聞いてびっくりな話だったけれど。
「夢ならもっと意味不明になるか、都合のいい話になったんじゃないかな」
「うん、まあ、私が見る夢にしては細かい所までしっかりしすぎだったよ。そもそも私の夢に滅多に学校関係のもの出てこないしね。ゆかりんですら二回しか出てきてないと思うし」
はるちゃんが見る夢については以前にも聞いたことがある。起きた時に内容を憶えている夢に限った話ではあるけれど、ゲームとアニメとライトノベルと漫画の影響か非現実的を通り越してファンタジーな内容のものが大半を占めるそうだ。出てくる人も何かのキャラクターだったり、全然知らない架空の超人的な人だったり。現実の人でよく出てくるのは家族くらい。
本当は友達とか先生とか近所の人とか出てくる夢もよく見ているんだろうけれど、起きた時に憶えていないなら見ていないようなものだ。
私だって学校の図書館で借りた数が学年三位になるくらいには本を読んでいて、ファンタジーな夢はよく見る。しかも、実際にすごい動きをする人とか変な生き物もどきとかを見るようになったからか、魔法だの超能力だのの夢の頻度が上がった。だけどはるちゃんの方が映像付きの物語に多く触れている分、夢で繰り広げられる光景は現実からは遠いものになりやすいかもしれない。
「あー、何考えてんのかなー、あの人」
そう言いながらはるちゃんは視線を家上くんたちの方へ向けた。彼らは穏やかな雰囲気で昼休みを過ごしている。
「ねー。ほんと、何考えてるんだろうね」
「ゆかりんだけじゃなくて私までもやもやさせおってまったく!」
ちょっと怒ったように言った後、はるちゃんは唐突に「待てよ」と呟くと私を見た。なんかちょっと楽しそうな顔をしている。
「今思ったんだけど、家上くんが私にああ言ったのって、ゆかりんに話がいくと思ってのことじゃない?」
「え? 何で?」
「私の考えでは家上くんはゆかりんに結構興味がある。これはゆかりんにだって否定はさせないよ」
はるちゃんはやや早口で語りだした。
「そんで私のことは“ゆかりんの友達”っていう程度の認識だと思う。要はただの同級生。そんな私に、あんなこと言う意味がない」
「声かけてくる人がいたから答えただけじゃない?」
百瀬くんでも葵さんでも長田くんでも小川くんでも真紀さんでも名取さんでも答えたのでは?
「あんな不思議なことそう簡単には教えないはずだよ。疑問持たれるに決まってるし、変な人って思われて距離置かれたりするかもしれないじゃん。それで済めばまだいいけど、下手すれば駒岡さんたちに伝わっちゃう」
「そりゃまあ誰にでもってことはないと思うけど。私に伝わると見越してのことだとして、何で?」
「美人たちとは恋愛関係にならないよっていうアピール。ゆかりんの気持ちにうっすら気付いてて、ゆかりんに気があるから」
「もー、はるちゃんったらまた私に都合のいいように考えて」
というか私とはるちゃんにとって好ましい結論から先に考えたんじゃないだろうか。
「だって意味不明すぎるんだもーんっ」
そう言うとはるちゃんは止まっていた箸を動かして、機嫌良さそうに唐揚げを食べた。
「情報が少ないから想像膨らますしかないのはわかるけどさあ。恋愛関係にならないよって言ってるんなら、それはあの人たちに限ったことじゃなくて……」
……勇気がちょっと足りなくて続きを言えずにいたら、はるちゃんが察してくれた。彼女から楽しそうな雰囲気がすーっと消えた。
「あんなに一緒にいる人たちでさえ恋愛関係にならない。つまり誰ともそうなる気は無いってアピール?」
「うん。家上くん、ずっと彼女ができることを否定してきたでしょ。別に女子と仲悪いわけでもないのに。それに、バレンタインにチョコ贈られてるのに。あれを本命とは思わなかったかもしれないけど」
あれにはもっとちゃんと言葉を添えておくべきだったな……。
「それは都合悪すぎるから考えない方がいいと思うなあ」
「考えないようにしてきたよ。だからさっきちゃんと言えなかったの」
「そっか。ゆかりんなりに前向きにしてたんだね。ごめんね、うんと悪いこと考えさせちゃって」
「いいの。今は家上くんは恋人ができることにそこまで否定的じゃないと思うから」
「ほほう。何で?」
私はアズさんに話した考えをはるちゃんにも話してみた。
「ほえー。私、気付かなかったっていうか、そもそも何言ってたかなんて雰囲気くらいしか憶えてなーい。やっぱ恋してると違うねえ。私もあの頃は……そうでもないか。あれを見るまでわからなかったし」
中学時代を思い出してしょぼんとするはるちゃん。そんな彼女の頭を私は撫でた。
「はるちゃんは鈍くなんかないよ。家上くんが恋愛関係の話を振られることが多いから、私でもなんとか情報を入手できてるんだよ」
「……うん、そうだよね。気付かなくたってしょうがないよね。そもそも気付きようがなかったことかもしれないんだし」
はるちゃんが元に戻った。良かった。
「それにしても、あの人が自信をつけたかもしれないのかー。夏休みの間に何かあったと見るべき?」
「二学期から気持ちを切り替えたパターンかも」
「そうだとしたらささやかすぎる変化だけど……まあ、大きく変えたらますますからかわれるかもしれないしねえ」
例えば家上くんが「そのうち誰かと付き合う」と言い出したら。家上くんたちはかなり注目されて、家上くんが誰かと付き合い始めるのを今か今かと待ち構えられるようになりそう。今でも少しそんな感じではあるけれど。
「ほんと不思議な人だねー。もうさ、ゆかりんがさっさと射止めて真相聞くしかないね! ね、どうだい、ゆかりん。告白する勇気持てそう?」
「まだだめ」
「そっか。まあ、あれが夢じゃなかったっていうんなら、まだ猶予はあるよ」
「うん……」
駒岡さんたちとの関係については心配しないでいいのかもしれない。だけど、家上くんと親しい女子、それも容姿の優れている人は駒岡さんたちだけじゃない。彼女の存在を思えば急がないといけないのかもしれない。でも私は振られるのがとても恐ろしい。……どうしてこんなに恐れてしまうんだろう。いや、恐れる理由はわかってる。単純なことだ。「それだけ家上くんのことが好きだから」だ。だから「どうして恐れを抑えたり乗り越えたりする勇気を持てないのか」が正しい。
「実はさあ」
私がそう言うと、はるちゃんは「なあに」とでも言うように、水筒のコップに口をつけて飲む直前の状態で「んー?」と声を出して反応した。
「私のお母さんは、お父さんへの片思いの期間が三ヶ月だけだったらしいの。三ヶ月気持ちが変わらなかったから、これは間違いなく好きなんだって思って、お付き合いしてくださいって言ったんだって。別に仲良かったわけでもないのに」
「わーお、ゆかりんよりずっと勇気あるー!」
「でしょ? どうして私は同じようにできないのかなあ」
「娘だからって同じことできる人そんなに多くないと思うよ。それに、ゆかりんと条件同じにしたらお母さんもできないかもよ」
確かに、高校生時代のお母さんが私のように相手の人のそばにすごい美人がいる上に相手の人が大変な秘密を抱えていると知れば、告白しないでいそう。でも家上くんが女子といるようになったのは去年の十月末からだし、私が家上くんの秘密を知ったのは今年の五月。
「今の状態だと無理そうだけど、高一のお母さんなら駒岡さんが来る前に突撃してそう」
「ああ、ゆかりんが自覚したのが六月だから、三ヶ月で決心すればそうなるのかあ。お母さんに似なかったっていうんなら、お父さんが慎重になっちゃう人でそっちに似た?」
「お父さんに似たつもりはないんだけど、恋愛関係はそうなのかも」
お母さんに比べるとお父さんは度胸が無い人だと私は思っている。でもお父さんが告白する勇気を持てない人かどうかはわからない。
お父さんが恋愛でどうしてきたかなんてお母さんが話してくれたちょっとのことしか知らない。お父さんは喋らないし、娘としては聞きたい話でもない。でもこれは知ってる。お母さんに交際を申し込まれた時、お父さんはお母さんをかわいい人だと思っていたけれど好意はなくて、一週間悩んだ。一週間が長いかどうかは私にはわからないけれど(返事を待ったお母さんとしては長いようで短かったらしい)、即「はい」でなかったわけだから、慎重といえば慎重なんじゃないだろうか。結婚の話を出したのは早かったようだけれど。
「ゆかりんのお父さんお母さんとはろくに話したことないから性格のことは私にはわからないけどさ、初めて見た時、わーまさにゆかりんの両親! って思ったよ。顔と雰囲気がさ、足して割ったらゆかりんになる感じがした」
「そうなの?」
「うん。だからさ、お父さんに似てすんごく慎重になっちゃってお母さんと同じようにできないんだとしても、勇気持つことはできると思うんだ」
「そうかなあ」
「そうだよ。諦めなければ大丈夫」
はるちゃんは私の肩をぽんぽんと叩いた。また励ましてくれた。
……思えばこんな感じのやりとりもずいぶん長くやってるなあ。
「はるちゃんはいつも私を励ましてくれるね。ありがとう」
「親友には幸せになってほしいもん。あと私のためでもあるの、わかるでしょ?」
「うん」
はるちゃんは、告白できないでいるうちに失恋する私を見たくない。自分が中学生の時にそれに近い形で失恋をしたから、他人とはいえよく一緒にいる人が同じことになるのは結構な苦痛になるんだろう。
☆★☆
午後には体育の授業があった。
この時期の体育では、マラソン大会に向けて学校の外に出て走る。男女共に二キロ先まで行って戻ってくる。
私とはるちゃんは一緒に走る。どちらかに合わせているということはない。短距離でないなら、合わせようとしなくても私たちは大体同じ速度で走る。短距離だとはるちゃんが先に行く。
今年の私たちの記録は去年より縮んでいる。私がアズさんに声をかけられながら走るようになって、疲れて歩きに切り替えることが減って、それにはるちゃんが引っ張られるような形になっているからだ。でも終盤になると引っ張られるのは私の方。
今日も、ゴールが見えてくるとはるちゃんが走る速度を上げた。ずっと走ってきてすっかり疲れたという顔をしているのに、ああなったら体調が悪くない限りもう歩くことはない。
(ほら、主も)
(はいー)
私はアズさんに応援されながら、はるちゃんを追って走った。追いつけなかったけれど、また少し記録を縮めることができた。
さて、スタート地点でありゴール地点でもある学校近くの広場では、走り終えた生徒たちが休んでいたり体を伸ばしていたりする。
家上くんはどこかな……いた。今日は駒岡さんや百瀬くんたちと草相撲をして遊んでいた。
午後も平和だった。いいことだ。




