9 仲間入り
美世子さんは私に隣の部屋に入らせた。
何の部屋かと思ったら、どうやら飲食ができるスペースらしかった。テーブル一つと椅子二つが部屋のほぼ真ん中に置かれている。壁際には低い棚と流しとコンロと小さい冷蔵庫。棚の一番上には電子レンジ。広い給湯室というよりは、台所?
新崎さんと辰男さんが椅子を持ってきてテーブルの横に置き、そのまま自分の席とした。私も座るよう言われたので、新崎さんの隣に座ることにした。それからアズさんをテーブルの上に置いた。
美世子さんがやかんを持って言った。
「何がいーい? コーヒー? 紅茶? 緑茶? ココアもあるわよー。おじいちゃんは緑茶よね?」
新崎さんは「何でもいいです」と答えた。私は緑茶をお願いしてみた。
「ゆかりちゃんは、昨日初めて別の世界云々を知ったのよね?」
やかんをコンロの火にかけながら美世子さんが私に聞いてきた。
「はい」
「そのわりには結構受け入れてる感じするわー」
「ほんとにな」
アズさんが同意した。
「会ったばっかなのにオレと普通に喋ってくれるし、理解も早いし。あんまりびっくりしてないっつーか」
「そんなことないです。生き物もどきとか、鞘が刺さったり髪の毛青い人が出てきたり、十分びっくりしてます」
ただ銀髪家上くんのかっこよさの前に驚きや困惑が全て霞んでいるだけなんです、なんてことは言わない。秘密。
お湯が沸くと美世子さんは緑茶を四人分用意して、おじいさんの横に座った。
「さてと。魔獣の侵入が増えてるって話だけど。説明はしゅーちゃんの方が詳しくていいかしらね」
「そうですね」
新崎さんが頷き、私とアズさんに説明を始めた。
この街は他と比べて元々侵入者が多いそうで、他では五年に一度、十年に一度でも、ここではほぼ毎年あることだったらしい。一年に二、三回というのも珍しくなくて、去年は九月の初めまでに三回あったけれど、それが問題だと考える人はその時点ではいなかった。その後、九月中旬に四回目、十月の頭に五回目で、ここ十年の最多記録に並んだ。十月下旬には六回目があり、結局、去年は大晦日までに全部で十三回あった。
今年は今日のも合わせると既に十四回。
六回目の直後、さすがにおかしい、と別の世界の人たちが調査を始めた。その結果、魔獣をこの街に送り込んでいる組織の存在が判明した。調査していた人たちはその組織を潰そうとしたのだけれど、その前に相手は壊滅した。それが二月中旬のこと。
「第三の勢力登場、ってとこか?」
アズさんの質問に新崎さんは首を横に振った。
「いや、最初からあいつらはいた。それにどちらかといえば俺たちとあちらの関係者の方が第三の勢力だった」
魔獣を送り込んできていた組織は、こちらの世界で何かを捜そうとしていた。その捜し物に関わっていたのが、魔獣の組織を壊滅に追いやった勢力だった。
魔獣の組織の壊滅後、約一ヶ月半の期間は何もなかった。つまり三月はまるまる平和だった。
次に侵入があったのは四月五日。これが毎年のことなのか、それとも人がやっていることなのかはわからなかった。次にあったのはその三日後で、そのまた次は六日後だった。人為的なものである可能性が高まったので、別の世界の人はまた調査を始めた。
「まだ原因はわかっていない」
そう言うと新崎さんはお茶を一口飲んだ。湯気でほんの少し眼鏡が曇ってすぐに晴れた。
「魔獣を送ってきてた組織を壊滅させた勢力っていうのは、どういう人たちなんですか?」
今度は私が質問してみた。
「それもよくわからない。あいつら、こちらとの接触を避けたいようだからな。敵ではないが味方とも言えない。仮面を着けているから顔の確認ができていないが、目撃されているのは全員若いようだ。しかも未成年の可能性が高い」
未成年……接触を避けたい未成年……。
誰かに見られるからと、走って去っていった銀髪家上くんたちの姿が頭の中に浮かんだ。
違うかな、違うよね、まず仮面を着けてなかったし、普通に大声で名前呼んで捜してたし。普段仮面着用で昨日は何かの理由で仮面なしだったとしても、接触を避けるなら名前を伏せようと思うはず。それに「見られる」と言ったのだって、あの空間から出た時に、って意味だろうし。
「あの、その人たちに、髪の毛が銀色の人と赤い人いませんか?」
「見たのか?」
新崎さんのこの返事は「いる」ということ? でもまだ、私が見た人と同じかどうかわからない。
「昨日、アズさんに会うちょっと前に見ました。私、周りの状況がわかってなかったので声かけようかと思ったんですけど、髪の毛の色が奇抜だし武器持ってるのがちょっと怖くて……」
「そいつらはどういう武器を持っていた?」
「銀髪の人が大きい剣で、赤い人は細いのを両手に持ってました」
「それならやつらだ」
……本当に何者なの家上くん! あと駒岡さん!
「なあ主。銀髪のやつって」
アズさん、家上くんのこと言う? 言っちゃう?
「魔獣倒した後に何か拾ってたんだよな?」
あ、そのことか。
「はい」
「主が言ったの、オレは魔獣の核のことだと思うんだが、あれって使い道あるのか?」
アズさんの疑問に答えたのは、それまでずっと静かにお茶を飲んでいた辰男さんだった。
「あれはなあ、たまーに、いい感じに魔力だけ残る時があってな。その魔力を武器に移せば魔獣によく効くようになるんだわ」
「へえ、そうなのか。知らなかった」
「むかーしは今と違ってそばに置くのも嫌な魔力百パーセントだったから誰もやろうとは思わなかっただろうよ」
そばに置くのも嫌な魔力って一体どんなものだろう。アズさんには魔力がこめられているそうだけれど、私にはそういうものがあるということがわからない。アズさんのものは、というか普通の魔力はそばにあっても何の害もないものなのかもしれない。
そもそも魔力というもの自体を私はよく知らない。物語のジャンルによってはよく出てくる言葉だけれど、目の前でされている会話の中の「魔力」は私にも理解できるものだろうか。「綺麗な宝石の魔力」みたいに「魅力」というような意味ではないのはわかるけれど。
「そうだな、あんなの入れられたくねえ。今のも嫌だが」
「入れる必要がないならそれがいいわな」
辰男さんが美世子さんに湯飲み茶碗を差し出した。美世子さんが急須のお茶を辰男さんの湯飲み茶碗にとぽとぽと注いでいると、出入り口のドアが勢いよく開いた。そして、
「ハッアーイ!」
テンションの高い挨拶らしき言葉と一緒に男性が部屋に入ってきた。
三十代、いや四十を越えているかもしれない。でも二十代後半にも見える。服装は上下とも黒のジャージ。何なんだろう、この人。
「霜月が発見されたって聞いて急いで戻ってきたよ!」
「ここにあるわよー」
突然の登場に驚いた様子もなく美世子さんがアズさんを指差すと、男性がテーブルに近寄ってきた。
「おおー、綺麗。本物?」
「本物本物。偽物だったら私ひっくり返るわ」
「いやー、すごい。もはや伝説扱いの刀が目の前にあるなんて」
「伝説ぅ? オレが?」
「すぐどっか行っちゃったし、向こうの人も作り方わかんないとか言うし。……って、今、喋った?」
男性はテーブルに両手をついてアズさんに顔を近付けた。近付けすぎだ。アズさんと男性の顔の間は拳二つ分くらいしかない。
「それ以上寄ったら斬るぞ」
「うわ、物騒!」
アズさんに脅された男性が少し慌てた様子で普通の姿勢に戻って、それから私に顔を向けた。間近で見てもやっぱり年齢がわからない。
「キミが持ち主?」
「はい」
「名前聞いてもいいかな?」
「樋本ゆかりです」
見てのとおりしゅーちゃんの後輩よ、と美世子さんが付け足した。
今度は男性が名乗る。
「僕は立石利明。一応、えつかんたいの総長ってことになってるよ」
“えつかんたい”って何だろう。というのは置いといて、総長って、一番上? 偉い人ということ? それならこの人は若くないのかもしれない。でも声と話し方は若いように思う。
「えつかんたい、っていうのは、この組織のことね」
「え、何、そんなことも教えてなかった!?」
私に謎の単語を解説してくれた美世子さんを、立石さんがぎょっとしたように見た。
「やー、なんていうか、会話の流れ? で言う機会がなかったって感じ?」
立石さんに答えながら美世子さんはメモ帳に何かを書くと、それを私に差し出した。
越世境管理隊、と漢字が並んでいて、「越世境」の上に「えつ(っ)せきょう」とひらがなが書いてある。さらに「越」と「管」と「隊」の下には線が一本引かれている。越世境管理隊を略して越管隊らしい。(っ)とあるあたり「えっせきょうかんりたい」と「えっかんたい」でもいいようだ。
「ゆかりちゃんは今のとこ、これを見せに来てくれただけだから『あれ』とか『これ』で話してたのよ」
「そっかー。それじゃあ樋本さん、この組織の一員にならない? せっかく魔獣に対抗できる武器があるんだからさ」
急に勧誘された。入学式の後に部活に勧誘された時くらいの気軽さで。
「魔獣倒したらささやかながら報酬が出るよ。別の世界と接するから見聞を広められるし、あっちの人たち美男美女が多いから眼福だよ」
報酬と広まる見聞はさておき、別の世界関係の美男美女ならアズさんと家上くんたちで十分だ。それに……。
「あの、私はアズさん、この刀さんに守ってもらうばかりで」
何の役にも立たないので断ろうとしていたら、アズさんが私の言葉を遮った。
「主が積極的にいきたいっつーなら協力するぜ」
「え、そんなの悪いです」
「悪くない。確かにオレは『守れ』と言われたけど守るためだけの存在じゃないんだ。魔力がなくてしかもろくに戦えない人のための武器なんだよ。主はどうしたい?」
関わりたい。そうすれば家上くんたちが何者なのか知ることができるかもしれない。彼らに少しでも近付きたい。……こんな自分勝手な理由で、いいわけがない。
「遠慮するなって」
「……私が考えてること、そこにいてもわかるんですか?」
「推測はできる。いろんなやつにそれなりの期間付き合ってきたからな。――ほら、オレ刀だから、主の持ち物なんだから気にすんなって」
あ……。朝に教室で聞いた言葉だ。たった一日一緒にいただけなのに、離れていても私の考えはアズさんにバレバレのようだ。……恥ずかしい。アズさんは私の持ち物といっても恥ずかし過ぎる。テーブルに突っ伏すどころか布団でバタバタゴロンゴロンやりたいくらいだ。
「背中押してあげよっか」
美世子さんがそんなことを言った。
「ゆかりちゃんはまだ約二年はここに来なきゃいけないわね。で、ここは魔獣が頻繁に出るでしょ。だからどっちにしろ関わることになるわけ。それなら何もないよりは何かもらえた方がいいでしょ?」
「それは確かにそうですけど……」
「っていうか僕たちのこと手伝って! お願い!」
わ!? 立石さんにお願いなんてされてしまった。
「戦力が欲しいんだ。キミがまだ子供だから勧誘にしてるけど、大人だったらほぼ強制的に入れるか、この刀譲ってもらってるところだよ」
何それひど……くはないか。強い人(人じゃないけど)がそこにいるのに逃す手はない。
私は関わりたい。アズさんもそれでいいと言ってくれている。そして組織の偉い人からお願いされた。
もう断ることもないか。よし。
「よろしくお願いします」
私はそう言って頭を下げた。そうしたら「女の子ゲットー!」と喜ぶ美世子さんの声が聞こえた。
元の姿勢に戻った私に笑顔で立石さんが言う。
「ありがとう。じゃ、ちょっと待っててね。書類取ってくる」
「あ、待って待って」
どこかに行こうとする彼を美世子さんが引き止めた。
「ゆかりちゃんの個人情報ならさっき聞いたから契約書だけでいいから」
「わかったよ」
今度こそ立石さんはどこかに行った。
契約書って何が書かれているんだろう、と少しドキドキしながらお茶を飲んでいたら五分程で立石さんが戻ってきた。
立石さんが持ってきた契約書には、難しいことは書かれていなかった。「招集に応じる」とか「むやみに組織のことを他人に話さない」とかそんな感じの、当たり前に思えるようなことだった。
契約書に自分の名前を書いて、さらにはその横に拇印を押した時、私は少し大人になった気分だった。
ファイルに契約書をしっかりしまった立石さんが、
「今日からよろしくね」
と、手を差し出してきて、私は彼と握手をした。
「さっそく実力を測りたいところだけど……今日はやめておこう。明後日は何か用事ある?」
明後日? 土曜日か。
何の用事もないことを伝えると、土曜日にまたここに来てほしいと言われたので来る約束をした。そして今日はいくつかのことを教えてもらうだけになった。