89 そう見えた
十分後、いつも通りに見えるアズさんが出てきた。雷のことを話題にしなければ大丈夫かな?
そんなアズさんに立石さんは変なことは何もなかったかのように接した。
「キミが何が何でも斬らなきゃって気分になるであろう危険度高めの案があるんだけど」
「何だ?」
「樋本さんに参加してもらって、今までよりずっと危機的な状況に陥ってみるのは?」
あの目の意味はこれか。私をしっかり巻き込むことを考えていたのか。
「……あ?」
アズさんは「何言ってんだこいつ」みたいな呆れの強い顔をして非難を込めた目で立石さんを見たけれど。
「私はいいですよ」
「主?」
私が立石さんの意見に即賛成したものだからアズさんはびっくりしたように私を見つめた。
「アズさんといて怪我したことないので」
立石さんが考えるようにアズさんには効果が高そうな試みだと思って賛成してみた。正直に言うと怖いけれど実戦と比べたらだいぶ安全だろうし、別にそうではないとしても、アズさんの持ち主である私は危ない状況にもうちょっと慣れておくべきなんじゃないだろうか。
「だからって……」
困り顔になるアズさん。きっと、私が嫌がっていないのに加えて信頼していることを伝えられてしまったものだから強く断れない感じだ。
これは「避難訓練は大事だからしよう」みたいなことを言えば丸め込める……!
「私、あの迷惑な人たちに狙われるようになったかもしれませんよね。だから、その対処の練習も兼ねてやりましょうよ」
「主にそう言われちゃあなぁ……」
アズさんは渋々といった様子で立石さんの提案を受け入れた。
危ない場所にいることになった私は、まず安全のためにとヘルメットをかぶせられた。
それから訓練用の切れない剣を持たされた。これはあの空間でパン屋に隠れた時の麺棒的なお守りだ。長さは私の傘より少し短いくらいで、ちょっと重いなと感じる。でもそこまで邪魔にはならないと思う。
ヘルメットと剣は見ている人たちのためのものでもある。ただでさえ魔力の無い一般人が何も持っていないことはこちらの人をかなり心配させてしまうらしい。一方地球人の立石さんは軽めに見ているっぽい。ぴりぴりするような魔力の塊を私が触ってもなんともないことをわかっているからだろう。
私が支度をしている間に、防御が得意な人たちが戦いの場に障害物をいくつも作った。私が隠れるためだ。あの空間で建物などの陰にいるのと同じだ。
今回アズさんの相手をするのは三人。小さい杖の人と、長い棒の人と、今のアズさん本体くらいの長さの剣の人。
アズさんがこれまでのように降参するしかない状況になるか、私に攻撃が当たるか誰かが触ればそれで終わり。ちなみに私が攻撃をしてもいい。
戦いが始まる前に私はピンク色の壁の陰に潜んだ。私が最初にどこにいるか相手の人たちは知らない。
バトニスさんの合図で戦いが始められた。
私はしばらくは移動する必要がなかった。
たまに壁から少し顔を出して周囲を見てみた。障害物が多くてあまり意味はなかったけれど、高さのある緑色の障壁が消えるところは見えた。その後、私と戦いの音との距離がいくらか縮んだ。他に注意しなければならない音――例えばわざわざ私を探す足音――は聞こえなかったけれど、念のため見つかりにくいようにじっとしていることにした。
そろそろまた様子を見てみようかなと考えていた時、すぐ近くで鈍い音がした。ピンク壁に何か当たったようだった。でもそれきり何も起きなくて、私は壁の陰から様子をうかがってみた。障害物が減ったことによってちょっぴり見通しが良くなっていた。ガラスのような魔力の向こうで地面が濡れているのが見えた。
壁のそばで黄色の丸い魔力が消えそうになっているのを見つけた。
飛んできたり転がってきたりするものには触らないようアズさんから言いつけられている。剣でつついて遠ざけるのはいい。でも本当に本当に何の危険もなさそうだったら、投げるとかして活用すると良いとも言われた。
辺りに誰もいないので思い切って壁の陰から出て、剣で黄色の魔力をちょんと突いてみた。包丁で豆腐を切った時みたいに簡単に刃が入って、特に何も起きずに魔力の塊は静かに消えていった。
危ないかもしれないものがなくなったところで、ピンク壁の攻撃が当たった面を見てみた。どうともなっていなかった。
まだピンク壁は丈夫そうだから、これまでと同じように隠れていることにした。
そう時間が経たないうちに戦いの音がだいぶ近付いてきた。度々水の魔術が繰り出されているらしく、ばしゃん、と水が地面に落ちた音がよく聞こえてくる。
私はまだ動かない。黄色いものがピンク壁の横を通っていった。それは別の壁にぶつかって、地面に落ちた時には消え始めていた。ピンク壁にも何かぶつかって大きな音がした。その次には壁と私の横をきらめく何かがいくつも弾丸のように通り過ぎた。
なかなかに危なくなってきた。アズさんはどんな気持ちになっているだろう。
ドドドドドとピンク壁に何かが次から次へと当たった。この攻撃は大したことじゃなかったと思うけれど、壁に変化が現れた。どうなったかというと色が少し薄くなった。この壁は時間が経つにつれ耐久力が下がっていく。それだけならよくあることなのだけれど、あるところからは下がる速度が増してしまう。そのついでに色が薄くなり始める。耐久力が下がると共に色はどんどん薄く淡くなっていって、白くなったらもうだめだと作った人が言っていた。なんでもちょっとの衝撃で儚く散るらしい。ちなみに散る様は桜吹雪みたいでちょっと綺麗とのこと。
ここがだめならどこに移動しようかと辺りを見回していたら、地面を水が流れてきた。広範囲が濡れて、しかも凍っていく。
近くの自動車サイズの障害物に攻撃が連続で当たって、その障害物が消えた。
そしてピンク壁に何か強いものが一つ当たって、壁の色が白っぽくなってきた。ここを離れよう。
なるべく急いで他の壁まで移動したいけれど地面が凍っているから走れない。
あとちょっとで到達というところで、目的の壁も色が薄れた。弱くなってしまったのかも。留まるのではなくて後ろを通って別の場所へ向かうことにした。
この判断は間違っていなかったらしい。壁を通り過ぎた後、ボコッという音が聞こえたから振り返ってみたら、何かめりこんだ壁が消えそうになっていた。
それから私は頻繁に移動した。時間が経つにつれて身を隠せる場所が少なくなってしまったからだ。今障害物としている壁というかなぜか自立している板は強度はある感じだけれど透けている。
隠れられないけれど、身を守りつつ状況がわかるというのは悪くないかもしれない。
アズさんが戦っているのがばっちり見える。具体的に何をどうしているかはわからないけれど、小さい杖の人の援護を受けた剣の人に対してやや優勢っぽい感じ?
長い棒の人はどこだろう。後ろからやられたら嫌だな。とか思いながらあちこち見ていたら、障害物の陰からひょっこり出てきた長い棒の人と目が合った。
あれはドッジボールで狙う時の目!
長い棒の人はあっという間に近付いてきた。私はとっさに目の前の板を押した。板が壊されて捕まるくらいなら私の方が先に何かしようと思った。板が倒れて、長い棒の人が飛び退いたところへ、
「よくやった主!」
アズさんが蹴りを入れた。そのまま戦う二人。
剣の人は……倒れているし剣を手放してはいるけれどまだ退場じゃないみたい。
彼の後方で小さい杖の人が何かしている。魔術で出した水を動かして……龍とは違う何かの形を作ろうとしている。
私が剣の人のちょっとした魔術で進路を妨害されて思ったように動けないでいるうちに、杖の人の水はそんなに大きくない四足歩行の何かになった。犬か狼か狐のどれかだ。アズさんを濡らした水の龍に比べると弱そうというか、かわいらしさがある。……あ、これ私狙いだから控えめに?
「いくよー!」
小さい杖の人は親切にも日本語で予告してくれた。
水の獣が動いた。空中を走る……かと思いきやそんな細かいことはやっていられないのか、ちょっと脚を動かしただけで後はその体勢のまま滑るように突っ込んでくる。
逃げようにもマットのような魔力が私の周囲にあって無理だ。ずぶ濡れを覚悟する。その前に。
「斬って!」
思いっきりアズさんに頼った。
私が頼む前にアズさんは動いていたけれどそれでも声に出して願った。
アズさんは私と水の獣の間に割り込んできて、刀を振った。
対象は水だから刃があっさり入った。
刀が振り切られて、水の獣が落ちた。
……アズさんの前に水溜まりができている。
これって……。
アズさんが空中を移動する水の獣に刀を振ったら、水がばしゃんと落ちたように見えたけれど、これって……!
戦っていた人たちはみんな動きを止めた。
周りで見ていた人たちがざわざわしている。
立石さんが走ってきた。魔力を使っていないのにやたら速かった。小さい杖の人の方からも立石さんに近付いていった。
立石さんの期待に満ちた眼差し付きの質問に対して杖の人は水溜まりやアズさんを指し示しながら興奮気味の早口で答えた。
「ほらー! やっぱりできるじゃないかー!」
叫ぶように言いながら立石さんはアズさんに大股で近付いた。そしてアズさんの肩をバンバン叩いた。表情といい声といいめちゃくちゃ嬉しそう。
「お、おう」
アズさんは自分が刀を振ったことで起きたことを受け止めきれていない様子。
「魔術切り裂いたって感触あった?」
「……いや……斬ることしか考えてなくて記憶にない」
「じゃあさ、樋本さんを襲うものが斬れるものだと思ってた?」
「……そういうことになるのか? 水だからどうこうってことはどっか行ってたな」
「そっかそっか。ともかくおめでとう! 樋本さんもおめでとう!」
私まで祝福されてしまった。
「あのあの、アズさんは魔術斬ったんですよね?」
「そうだよ! ばっさりやられたって!」
ばっさり!
「なんか変っていう程度じゃなくて、完全にできたんですよね?」
「そう! すっかり断ち切っちゃった!」
わあー!
「僕すごいもの見ちゃった! ばんざーい!」
「やりましたねアズさん! ばんざーい!」
私は立石さんと一緒になって万歳をした。まだ「本当に?」といった疑いの気持ちを持っているらしいアズさんは、私たちのテンションの高さに押されて戸惑いながらもちょっとだけ両手を上げた。
「よし、ビデオ見てみよう!」
「はい!」
またまた人が映像記録の確認のために集まった。立石さんがちょっとぼうっとしているアズさんをテレビの正面に移動させた。私はその隣にいさせてもらう。
バトニスさんが操作をして、ビデオが再生された。
確かにアズさんが刀を振った直後に水の獣が落ちていた。見間違いではないとわかって、集まった人たちは感嘆したり、近くにいる人と賑やかに話し出した。
自分が魔術を斬る様子を他人の視点から見せられたアズさんは、目を見開いて呟いた。
「本当に、斬った、のか」
「そう見えました。っていうか、そうとしか見えませんでした」
「そうか。主にそう見えたなら、そうなんだろうな」
アズさんが笑ったけれどちょっとだけだった。まだまだ成し遂げた喜びや嬉しさより驚きが大きいようだ。
テレビの画面がよく見えなかった人たちに場所を譲って、私たちは後方へ移動した。
ビデオは何度も再生された。「斬ったかもしれない」という時には見なかった人もこればかりは見たがって、入れ替わり立ち替わりテレビの前に来ては見ていった。
わいわいと話して盛り上がった人たちがアズさんに何か言った。アズさんは慌てたように返事をした。というか拒否した?
「どうしたんですか?」
「祝わせろ、って」
あれ、拒否することでもない。と思ったら、立石さんが詳しい解説をしてくれた。
「胴上げだよ。胴上げ。みんな興奮しちゃって、何かしたいんだよ」
「私もしたいです!」
「主もかー!」
というわけでアズさんは胴上げされた。四回目で私の同級生たちよりずいぶん高く上げられた。魔力ある人たちすごい。
アズさんは八回投げられてから解放されると、少し困ったように言った。
「何だこの盛り上がり。何かの大会で優勝したわけでもないのに……」
「それくらいすごいって思われたんですよ。あと、とってもかっこよかったです!」
褒められるとアズさんはとてもとても嬉しそうな顔で笑った。
「ありがとな」
そして私を抱き締めた。おおう、力が強くてちょっぴり痛い。でもこれは私が胴上げをしたくなったように、アズさんも何かしたくなってのことだと思うから文句は言わない。




