86 やっぱり難しい
動き回っていた人たちが止まった。
杖の人の龍がアズさんの周りをくるくる回ってから、形を失って地面に水溜まりを作った。
私と立石さんはアズさんたちに駆け寄った。
どうだったかと杖の人に立石さんが質問すると、杖の人は首を横に振った。他の人も魔術に異常はなかったと答えた。
「最後、水に剣を振ってはいたよね?」
立石さんは今度はアズさんに聞いた。
「よけられない以上はやるしかないと思ったが遅かった。間に合ってたらできてたってもんじゃないだろうけどな」
「そうかなー? できたんじゃないかなー?」
アズさんが自分を信じていないならどっちにしろ無理なんじゃ? と思ったので私は立石さんにそのことを言ってみた。
「あ、そっか。まあ、最初からうまくいくってことは、なかなかないよね」
というわけで、とりあえず魔術の人たちを変えてみてもう一度。……その前に、アズさんは一旦鞘に戻って乾いた状態で再び出た。
二回目の窮地に立たされたアズさんに飛んでいったのは、緑色の魔力の球だった。その球はまず槍の先に小さく現れた。十秒後にはドッジボールのボールくらいになって、そこから三秒くらいで一回り大きくなると成長が止まって、出て二十秒目には撃ち出されていた。
アズさんは魔力の球を切り裂いた。でも魔術の妨害はできていなかった。二つになった魔力の塊は地面に落ちた後、ふわっと浮いたかと思うとアズさんを襲った。片方はまた切られたけれどもう片方はアズさんを降参させた。
見ていた私たちはまた、戦っていた人たちに話を聞きにいった。今回も変わったことは起きていなかった。
「いい感じの状況だったと思うんだけどなあ。……戦う相手が多くて集中しにくい?」
立石さんにそう聞かれたアズさんはきっぱり否定した。
「そんなことはない。実戦の時より集中してると言ってもいい。主の安全が確保できてるからな」
「へえ、そう。当たり前に切れるものだと逆にだめなのかな」
また人を変えて挑戦する。
三回目の戦いでは壊れにくい魔力の塊がアズさんを襲った。オレンジ色のそれはアズさんの剣が当たっても割れない。私はあれを出す人の魔力の塊を話し合いの時に触っている。固いものではなかったけれど、今飛んでいるあれはどうだろう。
剣に弾かれたオレンジ魔力の一つが地面をころころと転がってきたから拾ってみた。ソフトテニスのボールのような手触り。話し合いで出てきたものもそうだった。でも、あの塊とは違ってあまり長持ちしないものとして用意されたのか、拾って五秒くらいで消えてなくなった。
追い詰められて剣を振るしかなくなったアズさんは、オレンジ軟球魔力をかっ飛ばした。野球だったらきっとホームランになったに違いない。そして動きを制限する障壁が消えて(時間切れらしかった)、アズさんは窮地を脱した。
アズさんが動きやすくなったというだけで別に魔術の人たちはどうともなっていない。だからオレンジ魔力もそれ以外のものも引き続きアズさんに向かって飛ぶ。
アズさんは矢を打ち払って、冷たい魔力のサッカーボールを切って、薄い壁を叩き壊して、火の玉はよけて、オレンジ魔力に剣を振って壊せなくて……ああっ。
弾かれたオレンジ魔力が、細い剣を持った人に当たった。細い剣の人はふらふらよろよろと退場していった。あの人は今、ぴりぴりとかぞわぞわとかの嫌な感じに襲われているのかもしれない。
一人減らしたけれど、すぐにまたアズさんに危機が訪れた。足下が凍るわ矢が飛んでくるわでまともに移動できなくなって、剣でオレンジ魔力を打った。そして剣を落としてしまった。その直後に長剣を突きつけられたけれど、最後の最後に一人倒していた。打ったオレンジ魔力が、地面を凍らせた人に当たったのだった。三回目終わり。
私が駆け寄った時、アズさんは両手を握ったり開いたりしていた。……攻撃が当たって剣を落として、この何かを練習したり確認したりするかのような動き……もしや?
「も、もしかしてあのオレンジ色のボールが当たったから干渉されちゃったんですか?」
「そう。久しぶりにビビビビって感じのが来て力が抜けた。今はもう大丈夫だ」
ほっ。良かった。
アズさんが握っていたのが本体だったら、負けてしまったとしても武器を落とさずに済んだのかな。
「あいつはまだだめみたいだな」
アズさんが指差した先にいるのは、最後にオレンジ魔力が当たって倒れた人。それと、弓矢の人。オレンジ魔力にやられた人は弓矢の人の手を借りて立ち上がったのだけれど、ふらふらしていて危なっかしくて弓矢の人が肩も貸した。
オレンジ魔力の人と、障壁の人に話を聞いていた立石さんが振り返った。
「ねえ、アイレイリーズ君。魔術切るの諦めてなかった?」
「諦めた。そもそもそっちの二人のは普通にだって切れなかったからな」
「まあそうだよね。難易度上げ過ぎちゃったかな」
立石さんは他の人にもどうだったかと聞いて回った。今回も魔術は切れていなかった。
そして四回目。
オレンジソフト魔力のような、真剣でないと刃が通りそうにないものは無しになった。アズさんは積極的に攻撃を切りにいったけれど、魔術が切れた様子はなかったし、大量の水をかぶって負けた。
私と立石さんが話を聞きにいくと、アズさんは水を滴らせながら振り返って、
「剣を振ってはみたが……水を斬るって気分になるのは相当難しいことだと思う」
そう言いながら濡れた前髪をかき上げた。するとそばにいた女性が口元に手を当てて動揺した様子を見せた。セラルードさんもこんな感じで女性を魅了したのかな?
立石さんも私と同じようなことを思ったのか、
「キミの容姿ってどれくらいセラルード・アイレイリーズに近いんだい?」
そんなことをアズさんに聞いた。
「は?」
アズさんは立石さんの質問に不思議そうな顔をした。動揺中の女性の反応には気付いていないようだ。
私が「二枚目」とだけ言ってみたところ、アズさんは自分の動作を思い出したらしかった。前髪を動かした手を再び上げて、頭に軽く触れた。
「ああ、そういう……。毛をかき上げたオレが良く見えて、見目の良いやつだったっていうセラルードに考えが飛んだか」
女性のことにはまだ気付いていないっぽい。喋る相手は立石さんだから、静かにしている女性の方にはあまり意識がいかないのかもしれない。
「僕としても急な質問だったと思ってるんだけど、よく一言でそこまで理解したね。理解させる樋本さんもすごいけど」
「梅雨時に主に褒めてもらったばっかりでな。上げたの見て『二枚目』って言ってくれたのは別の主だが」
「へえ、そう」
件の女性が手を下ろして何でもない顔をしてアズさんから目をそらすと、立石さんは話題を戻した。
「キミの容姿の話は後でいいや。僕だって魔術無しで頼れるのが剣だけだとして、切る方向では考えないだろうね。――樋本さんならどうする?」
私? 魔術という手段を最初から持たない人間の考えを聞きたいということかな。
私が剣を握っていて、誰かの操る水が襲ってくるのに逃げられなかったら?
「えっと……いくらかでも水の威力がそがれたらいいなって思って剣を構えてみるか、地面に剣突き刺して支えにして水に押し流されないようにしてみる……と思います」
今ぱっと思い浮かんだのがこの二つだけれど、実際に危機的状況に立たされた時には観念して目をつぶるくらいしかできないような気もする。足下が柔らかくないと剣は刺さりそうにないし。
「やっぱりそんなところだよね。僕はその二つに、相手に剣投げるっていうの追加するけど、水に対してはね……」
そっか、剣を投げてしまうのもありか。きっとセラルードさんも考えただろうな。アズさんも本体投げることがあるし。簡単に二メートル以上跳べてしまうような人なら、本来投げて使うものでなくて相手との距離があってもちゃんと飛んでいきそう。
立石さんはアズさんを鞘に戻らせると、自分は例の女性に戦闘中のことを訪ねた。そしてもちろん他の人にも話を聞いた。やっぱり魔術はどうともなっていなかった。
休憩を挟んで五回目。
今度は魔力に包まれた水が出てきた。うっすらと色のついた魔力の膜が、球状にまとまった水をすっかり覆っている。水がただ魔術で浮いているよりは破壊できるものに見えやすいのではという考えに沿ったものだ。魔力は袋となっているだけで、魔術で動かされるのは水の方。ちなみに袋と中身で用意した人は別。
負けそうになったアズさんの剣は袋を切って、水の中を通り過ぎた。袋だった魔力は消えて、水は空中に浮かび続け……というか飛び続けてアズさんの体に当たって濡らした。
「……当たったの、惰性じゃないですよね」
水の動きについて立石さんに聞いてみた。
「残念ながらね。頭に当たりそうだったけど、直前でガッと下がって胴体に行ったからね。あれはあの人の意思で動いてたよ」
ああ、やっぱりそうなんだ。
アズさんが降参して、私たちは話を聞きにいった。
今回の窮地のアズさんは、水の攻撃が用意されたのを見て「あれを切って対処しよう」という気分になれたらしい。攻撃の主体は中身の水だと知っていて、それでも剣を振れば壊せるものに思えた。ただ水が丸くなっているのではなくて色がついている(ように見える)から、ゼリーとか寒天のように切れそうだ、と。
「結局、皮がむけただけになっちまったけどな。食べ物みたいに思って必死さが薄れたのがいけなかったか?」
「柔らかい食べ物でもあの量と速さで飛んできたら十分脅威じゃないですか?」
「そりゃそうだけどさ、主が思う程じゃないさ。主の感覚でいえば……ドッジボールで狙われたようなもの、かな」
「微妙な恐怖ですね」
なんて会話を私とアズさんはしつつ、水を動かしていた人に話を聞く立石さんの後ろ姿を眺めていたら、その立石さんが「ねえ!」と大きな声を出しながら振り返った。表情が明るい。
「最後にちょっと妨害された気がするって!」
「えっ」
なんともならなかったように見えたのは立石さんも同じだったのに。
「初めての感覚があったって!」
おお、それなら!
「やりましたねアズさん!」
私と立石さんは喜んだけれど、
「あー、うん、そうだな」
アズさんの反応が小さい。自覚がないからだろう。
立石さんが今日の責任者であるバトニスさんに事情を話して、また人を集めてもらった。
今回はテーブルと、小さいテレビと、ビデオカメラがある。戦いの様子はばっちり録画されていたのだった。
ビデオを再生してみたところ、とってもわかりにくいけれど、異常が起きているのが認められた。
剣が斜めに通っていった水の球は、アズさんの体に当たる前に一部が崩壊していた。剣に払われた部分が飛び散ったのではなくて、見えない丸い器がひび割れたかのように球から水が流れ落ちていた。
「これをオレがした妨害の結果だって言われてもな……」
映像を見た中で一番「これが?」と思っているであろうアズさんが独り言のように言うと、
「うん、まあ、そうだね。証拠として弱いよね」
二番目か三番目くらいには「魔術は少し切れていた」と思っていそうな立石さんが頷いた。
「切られた人も、今なんか変だったぞってくらいだし。でもそれまでは誰も何も感じなかったんだから、キミが何かしたと思っていいんじゃないかな?」
「危ないものが飛んでくるからそれを切りたくて剣振っただけだぞ」
「自信あった方が切れるんでしょう? できたって思い込むようにしたらどうだい?」
「難しいな。まず、外の魔力なら切ったと思えたが水に対しては思えなかった。それに録画見ても水の変化がわかりにくいし、あいつはお前が言ったとおり、はっきり何かを感じたわけじゃないし。あと……何年間できないものと思ってきたことか」
「変なところで頭の固いおじいさん感出さないでよ。んんん……」
難しい顔をした立石さんは何かを考える様子を見せた。それから私とアズさんにまた休憩するよう言うと、他の人たちと話し合いを始めた。