85 とりあえずやる
九月最後の土曜日を迎えた。
今日までに家上くんの変化や考えについて得たものは特に無い。そもそも家上くんが恋愛について誰かと話す機会がなかった。さすがに何かを得ることを期待するには短期間すぎた。
☆★☆
さて、今日はアズさんが魔術を切り裂く練習をしてみる日だ。
家を出て歩いていると立石さんからメールが来た。体育館でなく一階に来いとのことだった。
私は駅で電車を待つ間にメールを読み返して、アズさんを起こした。
(今日は向こうでやるそうです)
(そうなのか)
(『魔術の脅威にさらされてこそ身につくものなんじゃないか』ってお考えのようで)
(それならあっちの方がやりやすいもんな)
セラルード・アイレイリーズが初めて魔術を斬ったのは攻撃された時。アズさんはディウニカさんの魔術を斬ったようだけれどどうも不完全。それならば、攻撃されて追い詰められた方が火事場の馬鹿力的なものがよく働いてすっぱり綺麗に斬れるのでは? ということを立石さんはメールに書いてきた。
アズさんを追い詰めるような魔術は、こちらの世界のしかも屋内ではやりにくい。だから屋外で少々騒がしくしても問題ない場所を向こうの人たちに借りる。ついでに魔術による攻撃もいろいろと。
というわけで、私はまた世界の境界を越えることになった。今回は立石さんとディウニカさんが一緒だ。
トンネルの先でデイテミエスさんが私たちを待っていた。
「久しぶりー! 会えて嬉しいよ!」
デイテミエスさんは満面の笑みで迎えてくれた。その上、私の両手を握ってぶんぶん振った。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
「うん。俺はこのとおり」
上機嫌な彼に連れられていった先は、前に大きな銃を触った運動場だった。あの時は静かだったけれど、今日は人が多くて賑やかだ。戦闘用の制服を着た人たちが走り回ったり話したりしている。
「――」
デイテミエスさんに呼ばれた人が振り返った。茶髪のおじさんだ。この人は見たことがある気がする。五月に体育館でアズさんと勝負した人たちの一人のはず。
おじさんと立石さんたちが挨拶を交わす横で、デイテミエスさんが私におじさんのことを教えてくれた。
「今日の偉い人、バトニスさんだよ」
この名前は聞いたことがあるような気がする……。
(面白い紹介の仕方だな)
わかりやすくていいと思う。
それはそうと私も挨拶しなきゃ。日本語じゃなくて、こっちの言葉で言ってみる。
「〈おはようございます〉」
(百点)
やった。ちゃんと言えた。
バトニスさんが「おはよう」と返してくれた。
「あれ、ゆかりさん、覚えたの」
「あ、はい。これくらいですけど」
先生はもちろんアズさんだ。
基本の挨拶の他に、「はい」と「いいえ」も覚えた。肯定と否定で確かに覚えたと言えるのはそれだけで、日本語の「そう」とか「違う」みたいなことまでは習得していない。
今は簡単な指示なら理解できるように教わっているところ。「走れ」とか「止まれ」とか。会話は当分できそうにない。
(オレもやるか)
アズさんが出てきて、
「よう」
バトニスさんに気軽な挨拶をした。
「――――」
「――」
バトニスさんは少し驚いた様子を見せたけれど、アズさんに何か言った声の感じからして、私のそばに人が現れるのを見るのは初めてじゃない。誰かに何か言われる前にアズさんが自分から出たし、やっぱり前に日本に来た人だ。
アズさんとの戦いが長めに続いた人だったと思う。「強いと言われるだけはあるんだな」と思った覚えがある。
あの人のことは、複数の部隊をまとめる立場の人だと立石さんが言っていた。こちらの世界で魔獣の群れの退治に出動する際に“現場で一番偉い人”となることが多いらしい。そしてそんな立場には強い人がなるものなのだと聞かされた。
バトニスさんがメガホンを構えた。
「――ー! ――ー!」
呼ばれた人たちがあっという間に集まってきた。陸上の大会かと思うほどの速さで走ってきた人もいた。
立石さんの提案によって、アズさんはとりあえず一人と普通に戦ってみることになった。相手は魔力の塊複数を一度に飛ばせる人。アネアさんの銃弾よりは遅いけれど最低三つは同時に飛ばすからそれなりに厄介なはずとのこと。
戦いが始まる前に、安全のためにとディウニカさんが透明な壁を作った。
周りを見れば、他にも魔術で自分とそばにいる人を守っている人がいた。魔術より武器での攻撃が主な人も見学に来ているとデイテミエスさんが教えてくれた。
結果からいうと、アズさんがあっさりと相手に刀を突きつけて終わった。攻撃はアネアさんの銃撃より遅いし、あの時と違って壁も天井もないから自由に動けて避けやすかったようだ。
私たちのところにアズさんが戻ってきて、知らない人も見覚えのある人も何人か来て、話し合いが始まった。デイテミエスさんが私に見せてくれた本が参考のために用意されていた。
話し合いの中で、魔術によっていろんなものが出てきた。それらをアズさんは簡単そうに真っ二つにしたり、かぼちゃに苦労する人のように頑張って斬ったりした。水とか炎とか刀ではどうにもならなそうなものは、やっぱりどうにもならなかった。
魔力と魔術のことが少しでも理解できるようにと私にも魔術でできたものが渡された。持てないものはそばで見せてもらえた。魔術で出すだけでなく維持もしているので握っても溶けない氷とか、魔術の風に吹かれ続けて地面に落ちない葉っぱとか、「大」の字の形になる火とか。
私にもわかる形で出てくる魔術に見入っていたら、それが嬉しかったようでサービスで追加の芸を見せてくれた人がいた。小さい小さい人型の魔力の塊が氷の板の上で動くというものだった。簡単に言うと小さなフィギュアスケートだった。きらきらしていて綺麗だし面白いしで私は拍手した。魔力がある人たちも感心していた。
水や氷の他に魔力の塊も触らせてもらった。魔力の塊は固かったり柔らかかったり冷たかったり温かかったりいろいろあった。そのうちの一つが触り心地が良かったから両手でふにふに揉んでいたら、触ってなんともないのかとデイテミエスさんに尋ねられた。
「はい。なんともないです。何かあるものなんですか?」
立石さんを経由したとはいえ気楽にぽんと渡されたから、特に用心もしないで触っていた。
「さっきからゆかりさんが触ってるの、ほとんどが立派に攻撃用のだからね。特にそれ、俺は痛くて触れないよ。ゆず湯みたいにぴりぴりするんだ」
「そうなんですか。私にはこうやってついつい揉みたくなっちゃう感じです」
「そっかー」
これは柔らかいし軽いから、攻撃に使われるのがいまいち想像できない。玉入れの玉の方がまだぶつけられた時に痛いんじゃないかと思う。
☆★☆
話し合いが終わった。
セラルードさんの記録や、ディウニカさんの壁を切り裂いた時のことを考えて、「何度も何度も剣を振るけど相手は倒れなくて、むしろ自分が不利になっていて、負けないためには何がなんでも斬るしかない」状況に追い込まれるといいのではないかということで……アズさんは複数人を一度に相手にすることになった。アズさんを手っ取り早く追い詰めるにはそれが一番だからだ。武術大会の再現をしてみるという案もあったけれど、魔術ありでも一人でアズさんの相手をするのはなかなかに大変だからやらない。
アズさんと魔術での攻撃が得意な人たち(デイテミエスさんも参加)には武器が配られる。これらはセラルードさんが出場した武術大会と同じで、切れたり刺さったりはしないものだ。刃物が武器の人は相手の攻撃などを切るというより叩き割ることになる。……けれど、やろうと思えば切れるようにできる人もいる。例えば剣なら、固くして鋭くした魔力の塊をくっつけて刃にできてしまう。今回はアズさん以外に何かを切る必要のある人はいないから、切れる剣を握る人はいない。
アズさんの前に武器がたくさん入った箱が置かれた。武器探しは私も一緒にしたけれど日本刀タイプでちょうどいい長さのものがなかった。だからアズさんは今回も、木の武器の時と同じようにまっすぐな両刃の剣を握って……なぜか動きを止めた。剣をただただ見つめている。
「どうしたんですか?」
「…………すごく昔のことを思い出した。……――――――……」
日本語でなくなっているあたり、セラルードさんの頃か作られてすぐの頃の思い出かもしれない。みんなの前でうっかりしないよう、日本語に戻ってもらおう。
「アズさんは木のそういう剣はつい最近握りましたけど、その剣でも戦えそうですか?」
「あ、ああ。大丈夫。素振りするから、離れてくれ」
「はい」
よし。ちゃんと日本語を喋ってるし、いつものアズさんの表情だ。
戦う準備を終えた人たちが位置につくと、防御が得意な人はまた壁を作った。
「――」
バトニスさんが合図をすると、いろんなものが魔術で出された。一応、叩けば普通に壊せるものばかりだ。
アズさんにたくさんの攻撃が殺到する。
「うひゃー、よくまあ剣一本で対処するね!」
立石さんが驚きと感心と、ちょっとの恐れを感じさせる声でそんなことを言った。
アズさんがなんとかできているらしいのは私にもわかる。アズさんに叩き落とされたり割られたりしたであろう物体が地面に転がっていたり空中で消えたりしているからだ。
次から次へと攻撃されながらもアズさんは前に進んでいって、逃げ遅れた敵の一人を叩いた。その人は地面にうずくまった。
敵が一人減ったけれどアズさんはまだまだ劣勢だ。むしろ敵は運動能力低めの人がいなくなって残りの四人が攻撃しやすくなったかもしれない。
アズさんの後ろで、地面に落ちていた氷の破片が浮いた。少なくともあの魔術は壊せていない。
背後からの攻撃をアズさんはよけた。そして近くにいたデイテミエスさんの剣を弾き飛ばして、魔術無しならすぐ退場させるところだけれど今日はそうでないからめちゃくちゃ抵抗された。しかもそこに他の人たちからの攻撃も来る。
横からの槍をかわして、上からのつららを薙ぎ払って、前からの魔力のボールを叩き割って、もうわかんない。
でも、一人だけ何をしているかわかる人がいた。他の人のようにびゅんびゅん動いていないからだ。
その人は攻撃を仲間に任せて、離れた位置に立って長い杖をアズさんに向けている。杖はピンクの光をまとっていて、前方の空中に水が丸い形で浮いていて、それがどんどん大きくなって(水の量が増えて)いく。どう見たって魔術の水でアズさんを攻撃しようとしている。
浮いている水の量が浴槽の半分を超えるくらいになると増加は止まった。そして球から形を変えて、長くなって、蛇……いや、龍のようになった。よくよく見ると角とかひげらしきものがあるから杖の人としても龍のつもりだと思う。
「わあ……!」
すごいなあと思っていたら、立石さんとディウニカさんが水の魔術についての感想を言った。
「かっこいいね!」
「芸が細かいですね」
二人の言葉に私は頷いた。
セラルードさんが見たものもこんな感じだったのかな。この前聞かせてもらった昔話で、アズさんは「滝がうねって……」と言っていたけれど自信なさげだった。
「ああああああああああああ!」
杖の人が急に大声を出した。何だと思ったら攻撃の合図だったらしい。攻撃の通り道にいた仲間がさっとその場を離れて、アズさんに水の龍が猛烈な速さで襲いかかった。
突っ込んできた水の龍をアズさんは回避した。龍っぽいといえど水だから頭も尻尾も関係ないのか、杖の人の攻撃は同じ速さでバックして再びアズさんを襲った。
アズさんはもう一度よけようとした。そこへ他の人から邪魔が入って、剣でその攻撃を払って……ああ、だめだった。アズさんはびしょ濡れになったし、よろけてしまった。




