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76 いると聞いたことはあっても

「言いますねー」

「今度会った時も、どっちだーってやっちゃいますよ」

「おう、いいぞ」


 アズさんは香野姉妹に自信ありげに笑ってみせた後、私に「これからどうする?」と言った。

 どうしよう。前は香野姉妹に道案内をしてもらいながら魔獣を探したけれど。


「お二人は別にこの中にいる必要はないですよね?」


 というか、いない方が推奨されるのでは?

 私の質問に姉妹は同時に「はい」と頷くと、真剣な表情になって事情を交互に話しだした。


「小学生のうちは早々に出てました」

「今日も、長引きそうってことで端まで連れていってもらうところだったんですけど」

「でも、その……わたしたちもよくわかんないんですけど、この中にいた方が役に立てる気がするっていうか、ほんとに役に立ったこともあって」

「そのせいか危ないから外に出なきゃっていう気持ちがどうにも薄くて」

「わたしたち――先輩も含めて、入っちゃう人がこの中でのんきだって話は聞いたことありますか?」


 ことみさんに聞かれて私は頷いた。


「危機感が薄い傾向にあるそうですね」


 私は、言われてみれば確かにという程度だと思うのだけれど……もしかして香野姉妹はもっと危機感がない?

 この二人は、迷惑な人たちが「また来る」と言ったという情報を得ていたけれど、向こうの世界の人の特徴を持つアズさんを見るまで忘れていた。あれは「のんき」の証拠かもしれない。


「そののんきが強くなっちゃったのかなって」

「何度も入ってるから慣れちゃったんだと思うんですけど……」


 慣れただけではないと思っている、と。


「この中にいると役に立つというのは、どういうことですか?」

「例えば、『この先はすごく危ない』って思うと、本当に、うんと強いのがいるんです」


 ……この二人は魔力か何かを感知できる?


「新崎さんの強めの矢がまともに刺さらないのとか、総長が雷みたいに電撃ドーンってやっても動くのとか」

「うんと強くないと危ないって思わないので、ちょっと不便な謎の勘の良さです」

「それは確かに不便そうに思えますね……」


 彼女たちが一匹の魔獣に対して二人で攻撃しても少ししかダメージを与えられなかったように、私たちには魔獣というだけで十分脅威なのに。


「ですよね。先輩は、わたしたちみたいな、“なぜかわかる”ようなことないですか?」

「ないですね」

「そうですか……。この中でなかなか『危ない』って思わないわたしたちが、見てもいないのに『すごく危ない』って思うので、入っちゃうのと無関係じゃないと思ってるんですけど……」


 確かに何か関係ありそうに思える。

 今度はみことさんがアズさんに尋ねた。


「アズさんの今までの持ち主さんはどうですか?」

「なかったと思うな」

「そうですか……」


 姉妹は残念そうにしたけれどすぐに気を取り直した様子で顔を上げた。


「とにかく、そういうわけですので、連れ歩くとお荷物ですけどいいことある……じゃないですね、うんと悪いことをよけられるかもしれないです」

「そうか……」


 アズさんは少し考えて、香野姉妹を連れて歩き回るのがいいかもしれないと言った。私の安全を確保するにしても、侵入者を早く片づけるにしても、道の先に強敵がいるとわかるのはいいことだという考えだった。

 というわけで私たちは今回も香野姉妹と一緒にいることにした。

 引き続きまっすぐ進んでいたら、


「危ない」


 アズさんがことみさんの腕を掴んで強く引いた。その直後、ことみさんの顔のあった辺りを何かが高速で通って、彼女が「ひゃあ!」と悲鳴を上げた。

 その何かは民家の玄関の戸に衝突して落ちた。それだけでは終わらず、こちらに向き直るとビョンと跳ねてまた高速で突っ込んできた。

 それをアズさんが手で一旦叩き落としてから拾った。

 頭は三角、体は太めだけど尻尾はだいぶ細い。足は短いのが四本。たくさんの人が知っているだろうけれど「実際に見た」と言う人はなかなかいない。そんな感じの見た目だ。全身オレンジ色であること以外は。

 みことさんが呟く。


「ツチノコ……?」

「そういやそんなので騒いだ時期があったな」


 魔獣の尻尾を掴んでぶらぶらさせながらそう言ったアズさんにことみさんが尋ねる。


「やっぱりアズさんもツチノコ見たことないんですか?」

「残念ながら」

「いないんですかねー」

「まあ太った蛇か何かだろうなあ」


 ぱっと手を離してアズさんは魔獣を地面に落とした。そして踏んだ。


「魔獣が正体ってことはありえませんか?」


 今度はみことさんが質問した。


「可能性はかなり低いと思う。もし魔獣なら人を襲いまくるはずだからな」

「あ、そっか……ツチノコってすぐ逃げるからはっきりしないんですもんね……」


 アズさんのブーツの下で魔獣が力尽きた。魔獣の核は潰れていなかったけれど大きくひびが入っていた。これは活用できないだろうということで小瓶に入れることはせずに割って処理した。

 さらに歩いていくと今度は魔獣の群れを見つけた。交差点で横の道を確認したらいた。鹿の形で、一匹一匹はあまり大きくない。車道をうろうろしている。


「主たちはここで……ん?」


 アズさんが何かに気付いて空を見上げた。私と香野姉妹も見てみた。

 五階建てのマンションより高い位置を飛んでいるものがある。翼のように手を広げていて、近付いてきている。


「まじで飛んでる……」


 アズさんが驚いたような感心したような呆れたような、いろんなものが混ざった複雑な表情と声で呟いて、


「人が!?」

「飛んでます!?」


 香野姉妹は信じられないものを見たという顔をした。

 私はフードをずらして手を振ってみた。すると飛んでいるもの――メイさんは左右にゆらゆらと揺れた。


「先輩のお知り合いですか?」

「そうです。頼もしい人ですよ」


 メイさんはだんだん高度を下げて、二階くらいの高さで飛行をやめた。そして魔獣の群れの近くに危なげなく着地した。空からの敵に気付いた魔獣たちが突撃しては返り討ちにされていく。一部、こちらを襲うことにした魔獣もいたけれどアズさんに斬られたり刺されたりして終わった。

 周囲の魔獣が全部倒れて、


「やっほー!」


 左手を上げて気楽な挨拶をするメイさん。右手に持っていた短剣は消えた。彼女が今着ているのは、向こうの組織の制服にして戦闘用の服(夏用)。デイテミエスさんたちが着ていたのと同じだ。両手には固そうな生地の、指なし手袋をはめている。


「こんにちは」

「おう。今日も元気だな」


 私とアズさんに続いて香野姉妹も明るく挨拶をした。


「もしかしてあなたたちが、みことみちゃん?」


 メイさんのそんな質問に姉妹は揃って頷いた。


「はい、そうです。わたしが妹のことみです」

「わたしが姉のみことです」


 へえ、「みことみ」ってセットで呼ばれることもあるんだ。


「私、メイニーティア・トーレです。メイって呼んでね」

「はーい」


 良い子二人の素直な返事にメイさんは満足そうにした。

 私たちとメイさんは魔獣の核を拾って、どのような経路で移動して侵入者を退治してきたか話した。

 メイさんは仮面の人は見たけれど迷惑な人は見ていなかった。彼女が会ってきた人たちも同じだったらしい。

 情報交換が終わると、メイさんは再び空から侵入者を探すとのことで大ジャンプして飛んでいった。


「ひょえー」

「ひょえー」

「すげえな」

「本当にそうですよね」


 私たちは遠ざかるメイさんをしばらく見てから侵入者探しを再開した。

 十分ほど歩いても何もないから、もうほとんど退治されたのかもなんて話していると、進行方向の横道から大きな魔獣が出てきた。あ、もう一匹いた。

 私たちはアズさんに促されて路地に隠れた。民家の塀の陰から様子をうかがう。

 二匹の魔獣は、高さが自動車くらいで全身茶色で四本足。立派な二本の枝分かれした角と、長い尻尾がある。


「何あれ?」


 ことみさんが私も思ったことを口にした。


「謎」


 みことさんも同じような感想のようだ。


「角と尻尾以外はカモシカって感じがするな」


 知識が多いアズさんは違った。

 カモシカかあ。一回だけ見たことあるけれど、あんまりよく覚えてないなあ……。


「むー、カモシカ見たことないんですよねー」

「なんかふさふさしてるっていう印象はあるんですけど」


 香野姉妹もカモシカの姿についての知識と記憶はあいまいだ。


「山登りでもすれば案外あっさり会えるかもしれないぞ。――それじゃいってくる」

「はい」


 アズさんだけ魔獣に近付いて、私たちは危ないので離れたままでいる。

 カモシカ的な何かな魔獣たちはアズさんに気付くと突進をしかけた。一人に対して二匹が同時に突っ込むあたりちょっとばかだと思う。ああ、やっぱり衝突した。

 アズさんはというと一匹に狙いを絞っているようだ。突進と蹴りをかわしながら切りつけていく。倒すのに時間がかかるかもしれないけれど、あと一匹くらい増えても大丈夫そう。

 こっちはいいけれど、他は、


「魔獣来たっ」


 別の魔獣が来た時にすぐに気付けるように路地の奥の方を見ていたみことさんが声を上げた。


「空に大きいのがっ」


 む、飛ぶのは厄介だ。

 みことさんが指差す先には鷲のような形のものがいた。ゆるゆると飛んでいる。全身ピンク色だ。距離があってもそこそこ大きく見えるから、近くにいればとても大きく思えるだろう。


「こっちにはまだ気付いてな、気付いたっぽい?」


 鳥の魔獣は高度を下げながら近付いてきている。幸いなことにあまり速度は出ていない。

 私はアズさんと陸の魔獣二匹の様子を見た。一匹はかなり弱っている。そして私たちとは距離がある。アズさんがいなくなってあの魔獣たちがこっちに気が付いたとして、来るまで時間に余裕があるはずだ。

 空の魔獣に視線を戻すと、こちらに向かって一直線に飛んで……なんか違う。


「狙ってるのわたしたちじゃない……?」

「近くに誰か、あっ、こっちになったっ」


 私がアズさんに戻ってもらおうとした時、何事かあって鳥の魔獣がふらふらした。何かの攻撃がかすった?


「今、何か飛んでいきませんでした?」


 私がそう言うと香野姉妹が頷いた。


「飛んでいきました」

「白っぽいのが、びゅんって」


 鳥の魔獣が体勢を立て直した。あれが狙っているのは私たちじゃない。見ている方向が違う。私たちから見て右の方を見ている。

 路地の上空にいる魔獣に向かって白っぽいものが下から飛んだ。そして魔獣に当たって爆発したように見えた。卓球の球くらいの小さなものだった。魔力の塊だろうか。

 魔獣が路地に落ちた。

 何かの攻撃と地面に落ちたことによる損傷はかなりのものだったのか、魔獣は羽をだらんと広げて、


「ゲギャアアアアッ!」


 わっ、鳴き声はまだかなり元気だ。しかも私たちの方を見た。やっぱりアズさんに頼ろう。


「あわわ……!」

「油断大敵……!」


 香野姉妹は肩にかけていたバッグを置いて両手で剣を握り直した。

 アズさんが鞘に戻った。

 魔獣が大きく羽ばたいて、そこへ謎の攻撃がまた来た。魔獣が飛んでいられたのは三秒くらいだった。

 アズさんが香野姉妹の前に立った。


「わっ!?」


 驚いて体をびくりとさせるのも声を出すのも同時だった姉妹に、


「おう、びっくりさせてごめんな」


 アズさんは振り返らないまま軽く謝った。


「ゲギャーッ!」


 魔獣がまた叫んだ。でももう空を飛ぶだけの力はないようだ。それでも羽が大きく動いているから近付くには勇気がいる。

 アズさんは魔獣を素早く切りつけた。そして風のように走って元の敵の所に戻った。カモシカっぽい魔獣のうち一匹は路地に近付いてきていた。もう一匹はまともに動けないでいた。

 香野姉妹は崩れた鳥の魔獣を見て、塀の陰からアズさんを見た。その後もう一度魔獣だったものを見て、私も見た。


「えっ、えっ、アズさんってテレポートとかできるんですか?」

「めっちゃ早くてわたしたちには見えなかっただけですか?」

「鞘に戻って、すぐに出たんです」

「あ、なるほどー!」

「アズさんもわたしたちの剣と同じなんでした」


 姉妹が納得したところで、路地の奥の曲がり角から、すっと人が現れた。

 銀髪で仮面とコート着用の人だった。右手に長い剣。

 家上くんじゃない。彼より背が高いし武器が違う。雰囲気も違う。この人の方が堂々としていて、自信を持っていそうな感じ。

 ……ああ。あの家上くんではないけれど、家上さんではあるのかもしれない。大学生の夏休みは長い。家上くんのお兄さんが今ここにいてもおかしくはない。

 銀髪の人は剣を消すと私たちのそばまで来た。若い。私より年上だろうけれど、そんなに離れてはいないと思う。

 仮面を取ったらどんな顔が現れるんだろう。


「きみたち怪我はないか」


 大学生くらいだろうと思わせる声だ。

 香野姉妹は同時に「はい」と返事をした。私は首を縦に振るだけにさせてもらった。


「そうか、良かった」


 銀髪の青年の口が笑みの形になった。わわ、文化祭の準備の時に見た小さく笑った家上くんに似てる!


「あの、もしかして、さっきそこの魔獣に何かぶつけた人ですか?」


 ことみさんの質問に銀髪の青年は「うん」と頷いたので、私と香野姉妹はお礼を言った。さすがにここで喋らないのは失礼かと思った。


「きみは……」


 どういうわけか青年が私を見つめてきた。家上くんに似ているところがあるせいでちょっとどぎまぎしてしまった。


「まるでいないかのようだ」


 ……へ?


「かくれんぼで隠れるの得意じゃないか」


 ええ?

 とりあえず私は首を横に振って否定した。

 そもそも得意だとか苦手だとか思ったことはない。いとこたちと遊んで、最初に見つかったことも四人目くらいで見つかったことも最後に見つかったこともある。要するに普通だと思う。


「不意打ちは」

「人並みかと……」

「では、遊びでなく真剣に不意打ちをしたことは」

「一回だけ……」

「五月の、パン屋でのことだね」


 家上くんたちから話を聞いているのか。当然か。

 私はただ頷いた。


「狙撃に協力したこともあるね」


 ……この人、私の体質だか何だかのことがわかったのかな……。

 とりあえず今の質問というか確認にも頷いておいた。


「警戒しながらも素直に答えてくれるのは好ましい、うん。だから、今日きみたちに会って話したことは俺だけの秘密にしておこうと思う。それじゃあ」


 そう言うと青年はくるりと反転した。去っていく。

 ……むむ。うかつだった。知り合いでないからと喋るのは良くなかった。

 あの人はきっと、私が銀髪家上くんたちの前で喋ると不都合があるということがわかったんだろう。それを私に伝えるためにわざわざ「話したことは秘密にする」なんて言ったのだと思う。

 あの人の気分が変わって家上くんたちに伝えられたらまずい。ああ失敗した。いや、でも、失礼なのはどうかと思う。それも家上くんのお兄さんかもしれない人に対して。でもでも、お礼以外に何回も喋ることはなかったかも……。

 一応、なるべく短くぼそぼそ喋って、何かの拍子に普通に会ってしまった時にわかりにくいようにしたつもりだけど、意味あったかな……。

 アズさんが歩いて戻ってきた。


「何だ、今のやつ」

「いつもの人のお兄さんあたりかと……」

「そうか」


 私はアズさんから魔獣の核を二つ受け取った。

 香野姉妹はまだ青年が歩いていった方を見ている。あれは何だったのかと疑問に思っている様子。


「なんかさ……イケメンオーラが漂ってたね……」

「うん……王子様感あった……」

「それに不思議な人だった……」

「向こうの人かなあ……」


 たぶん日本生まれ日本育ちで、我が校の卒業生ですよ。文化祭でソフトクリーム売ったらしいですよ。

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