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75 今なら

 午後もアズさんは強かった。一度だけだったけれど相手が三人でも勝ったものだから、立石さんがまた神社の方を向いて手を合わせた。

 全部の勝負が終わって、私は今回も向こうの世界に帰る人たちを見送った。トンネルの向こうでルーエちゃんが大きく手を振ったから、私も振った。

 お見送りの後は食堂に移動した。

 今、食堂には私の他に立石さんとメイさんたち四人、それから人のアズさんがいる。今のアズさんは刀の状態だと鞘の外でも即眠ってしまうので人になることで頑張って起きている。

 私の隣のアズさん以外、男性はみんなテーブルの向こう側に座っている。

 テーブルの上には余った麦茶とスポーツドリンクと、新しく出されたお菓子がある。体育館に用意されていたお菓子は無い。余りが参加者のお土産となったから。

 私はお菓子には手をつけずに、持ってきたおにぎりを食べながら話を聞く。


「問題は、魔術を切り裂けることがどれくらいの利益になるか」


 立石さんの言葉にみんなが頷いた。

 アズさんがセラルードさんのようになれば私や今後の持ち主たちとしてはより安全になっていいけれど、刀が伸びにくくなることと、協力してくれる人たちの苦労に見合う成果を出せるのか。


「完全に魔術を無効にするっていうのは魅力的だよね。できた方がいいに決まってる。僕もやりたい。セラルード・アイレイリーズは、どうやって、どれくらいの期間でできるようになったのかな」


 立石さんに「何か知ってる?」と聞かれたアネアさんは、


「魔術が得意な仲間に協力してもらってただひたすら剣を振って練習していたそうです」


 真面目な顔で普通の(おそらく彼女にとっては大きめの)声量で話した。


「偶然でなく自分の意志で妨害ができるようになるまで何年もかかったとか」

「方法については何か伝わってる?」

「いいえ。セラルード・アイレイリーズは特に隠していたわけではないようなので、他人には理解しづらいことだったのではないかと思います」

「じゃあやっぱり樋本さんのアイレイリーズ君が今日のことからなんとかするしかないわけか……」


 立石さんはちょっとだけ残念そうな顔をすると、スポーツドリンクのペットボトルに手を伸ばした。

 ペットボトルの中身がコップに注がれ、蓋が閉められた後、アズさんが、


「実はな、やり方なら知ってる」


 ぼそっとそう言った。

 アネアさんが、コップを持ち上げた状態でぴたっと止まった。

 目を丸くした立石さんが身を乗り出した。


「えっ、何。今日のでわかったわけ?」

「違う。知ってる。教えられた。練習したこともある」

「えーっ!」


 いま叫んだのはメイさんだ。アズさんの発言に余程驚いたのか彼女の手から包装されたままの饅頭が落ちた。

 そしてアネアさんが先程より強く反応した。コップをテーブルに置くとやや早口になってアズさんに何か言った。


「――――!? ――――!?」

「ああ」

「――――?」

「できなかった。知ってるだけ」

「そう……」


 アズさんはアネアさんに魔術の切り裂き方を教えてくれた人のことを話したようだ。


「ねえ、魔術を切り裂くのって、どうやるの?」


 次の質問はシーさんからだった。彼はあまり驚いている様子がない。というかメイさんとアネアさんの反応が大きすぎるのか。彼女たちはセラルードさんあるいは魔術を切り裂くことへの憧れが反応の大きさとして出ているのかもしれない。

 とはいえ、シーさんもそれなりに好奇心や興味をもっていると思う。お菓子の袋を開ける手を止めてアズさんをじっと見つめているから。

 そんなシーさんからアズさんは目をそらした。


「説明しても伝わる気がしない。オレも、教えられた時、何を言ってるんだって感じだった。……しかもあの頃は記憶力が悪かった」

「ああ、作った人の日記に……」


 シーさんは、丁丸さんの日記のアズさんに対する評価の記述――「物覚えが悪くて心配」とかそういう感じのものを思い出したようだ。


「ただな、“最低でもこれを覚えておけばそのうちなんとかなるはずだ”っていうのははっきり覚えてる。――自分を信じて集中して剣を振れ」

「……それでできたらやってる人いっぱいいるね……」

「だよなあ」


 本当にセラルードさんがそんな感じでやっていたらしいからどうしようもない。「仕組みとか理論とかをちゃんとした言葉にできるくらい理解してたら、いろんな人に教えた」と生まれ変わりの人が言っていたそう。


「斬ることしか考えていない状態で斬ったのですから、きっとそれはとても大事なことなのでしょうね」


 ディウニカさんが静かに言った。彼が一番反応が小さかった。もしかすると、アズさんが魔術の切り裂き方を教えられていることを推測していたのかも。


「あなたは、私の壁を破壊できるのだと信じていたのではないですか? それは、自分を信じていたということではないですか?」


 そう言われて、アズさんは顎に手を当てた。


「……そういうことになるか。難しいとは思っても、無理だとは思わなかったからな……」


 ということは……初めて魔術を切り裂いた時のセラルードさんは、水を切り裂けるものだと思っていたのかも? 生き物みたいに動く水だったそうだから、かえって切れるものに思えたのかな。

 立石さんが元の姿勢に戻って、コップに口を付けた。二口飲んだ後、落ち着いた様子でアズさんに視線を向けた。


「つまりキミは、だめだって知ってるから、自分がディウニカさんの魔術を斬ったとは思えないし、できるとも思えなくて今は練習にあんまり乗り気じゃないと」


 アズさんは無言で頷いた。


「できるものならやりたい?」

「それはまあ、そうだな」

「だよねえ。んんん……とりあえず、今月の下旬にでも一回練習しない? いろいろ考えるのはそれからにしよう。――どう?」


 最後の「どう?」は私に向けられていた。


「私は賛成です」


 魔術を切り裂くという意味不明なことについては、考える前に様子を見ることはいいことだと思うし、今月の下旬なら近すぎず遠すぎずでちょうどいい。


「主がそう言うなら」


 私とアズさんが了承して、この日は解散となった。


☆★☆


 日曜日は、アズさんは午後になってから目を覚ました。私は読書を中断して質問してみた。どうしてアズさんは刀なのか、と。シーさんも気になっていたことだ。


(大した理由じゃないぞ。『かっこいいから』。そう聞いた)


 わあ、なんていうか……気楽!


(それって、日本刀がですか? セラルードさんに刀を持たせたらってことですか?)

(両方。正しいセラルードの姿を見たことないけどきっと似合うだろうって言い出しっぺは思ったらしい。『向こうの人のものになるのだからそれでいいだろう』って賛成意見も出て、あっさり決まったんだと。武器の形はともかく、組み合わせのことを聞いた時はよくわからん感覚だと思ったものだけど、主たちが褒めてくれるからいい判断だったんだろうな)

(そうですね)


 日本刀はかっこいい。セラルード・アイレイリーズはかっこよかったという。両方合わさればもっとかっこいいはずだ。っていう感じかな。


☆★☆


 水曜日。

 とうとうあの空間ができてしまった。

 今回の私は下校中に一人で歩いていたところを入れられた。入った瞬間の姿勢や荷物の量の違いのせいか、前に強制的に入れられた時よりふらついて危なかった。

 転倒を回避して落ち着いた私は、まずいつものようにアズさんから服を借りた。次に通信機の電源を入れて、その後は鞄から自作の袋を取り出した。今日は登校時に雨がザーザー降っていたから、私は折り畳みでない傘を持っている。これを隠す。

 傘を袋に入れて口をきゅっと閉じたところ、


「ちょっと怪しいやつに見えるな」


 とアズさんに言われてしまった。

 むむ。……何か長い物が入っているであろう袋を、顔を隠した人物が持っている……。これは武器を持っていると思われるかも。無害そうと言われやすい私でもさすがに厳しいか。


「警戒されちゃうでしょうか」


 私がちょっと長さのある物を持ったところで弱そうであることは変わらないと思うけれど。


「そうかもな。持ち手出すのはどうだ? 傘だってわかれば、珍しい人ってだけで済むかもしれない。特徴的な色でもないし、個人を特定するまではなかなかいかないだろ」

「そうですね」


 私はアズさんの助言に従って傘の持ち手を袋から出した。これで家上くんたちから見た時の怪しさが軽減されているといいけれど。

 動き回る準備ができたので、通信機でこの空間にいる人を確認する。香野姉妹の名前がある。駅の向こうが主な行動範囲である彼女たちがいるということは、今回のこれは駅もすっぽり入っている可能性大だ。でも私たちはとりあえずいつものように駅に向かう。

 最初に遭遇したのは馬のような形の魔獣だった。小さくて、耳の位置が私の膝よりちょっと高いくらい。その魔獣は馬らしく走って、私の顔の高さまでの大ジャンプを見せたけれど、アズさんにかわされて着地に失敗して脚を痛めたらしかった。そしてよろよろしているところをアズさんに刺されて終わった。

 同じ種類の魔獣をアズさんが三回倒した後、私の通信機が鳴った。組織の人からの一斉の連絡だった。それによると、この空間は広いらしい。半径三.六キロと言っていた。中心は駅から南に七百メートルくらいの所。

 怪しい人を見たという情報はないそうだ。来ていないといいな。

 私たちが駅に着くまでに何度も魔獣が襲ってきた。現れたのは狸っぽいのとか鶏っぽいのとか比較的小さな魔獣ばかりで、ほとんどはアズさんが即座に倒した。全部ではないのはアズさんが苦戦したからではなくて、魔獣が自滅したから。

 さて、駅に着いたはいいけど今日はどうしよう。


「どこ行きましょう」

「そうだなあ……とりあえずこの中心なんかどうだ?」

「じゃあ次はそこで」


 この空間の中心に向かう途中、組織の人に会った。槍を持った赤毛のおばさんだった。その人から、仮面をつけた女の子を一人見たと聞いた。オレンジの髪で白コートだったらしいから、槍の女性が見たのはオレンジ美女先輩だと思う。

 中心に着くのにそう時間はかからなかった。魔獣が二回、上空から襲ってきただけで済んだ。

 侵入者を閉じこめる空間の中心だからといって何かがあるわけではない。この空間ができてすぐなら魔獣が多くいただろうけれど、今はもう魔獣はあちこちに散っている。


「次はどうする?」

「そうですね……とりあえずあっちで」


 私は踏切の向こうを指差した。なぜならコンビニの駐車場にユニークな模様の車を見つけたから。


「ほらあれ、あの車、ときどき見るやつです」

「ああ、あれか」


 私だけでなく、はるちゃんや葵さん、家上くんたちまでもが勝手に「芸術カー」と呼んでいる謎の車だ。下校時にたまに見かける。

 私たちはさっそく芸術カーに近付いてみた。謎が解けた。車体に会社名が控えめに書いてある。芸術カーは商売用だ。

 すっきりしたので、魔獣探しに戻る。迷子にならないようになるべくまっすぐ行く。

 魔獣を倒しながら十分くらい歩いて、どこまで行ったら引き返そうかと話していた時、


「未来せんぱーい! アズさーん!」


 香野姉妹のどちらかの声が聞こえた。振り向くと、姉妹と知らない人が走ってきていた。


「こんにちは!」

「お久しぶりです!」


 姉妹は二人とも元気いっぱいのようだ。

 私の知らない人は大学生くらいの女性で、髪の毛がピンク色だ。大きな弓を持っている。彼女は会釈するとアズさんに言った。


「この二人をお任せしていいでしょうか? 私、あんまり戦闘力はなくて……」

「ああ、もちろん。でもお嬢さん、ここにいるってことは戦えるよな?」

「一応は。でもあまり他人を気にする余裕がなくて」

「そうか。わかった」

「お願いします」


 ピンクの女性はアズさんに頭を下げると香野姉妹に視線を向けた。


「それじゃあ私、二人が早くおうちに帰れるように頑張るね」

「はーい。ここまでありがとうございました」

「お気を付けてー」


 駅方面へ行く女性を見送った後、双子は同時にくるっと体の向きを変えて私たちを見た。ちょっぴり楽しそうなこの顔はもしや。


「今日はどっちがどっちだかわかりますー?」


 受けて立ちましょう!

 香野姉妹は非常によく似ている。元は一つの存在だったのだろうと強く思わせる。でもそれは発生の本当に初めの頃だけで、もう長いこと彼女たちは別人だ。違いはしっかりある。

 わかりやすいこととして、彼女たちは利き手が違う。姉のみことさんが左利きで妹のことみさんが右利き。でもこの情報は今はあまり役に立たない。今の彼女たちは二人とも、右手に剣、左手にバッグだ。

 道具の使い方、持ち方でわからないならば、顔を見比べる。


「ことみさんを当てます。アズさんもどうですか?」

「やる」

「じゃあ、せーので当てましょう。せーの」


 私もアズさんも右の人を指した。

 香野姉妹は二人揃ってにこっとした。


「正解です!」

「もうわたしたちの区別つくようになったんですね」


 今のは、正解だと言った方がことみさんだ。


「はい、なんとか」


 みことさんの方が少し黒目が大きく、ことみさんの方が少し鼻が高い。

 二人と間近で話してみると、性格と雰囲気にも違いがあることに気付ける。ことみさんの方がやや積極的、やや強気、やや活発だ。例えば話しかけづらい人がいる時、先に勇気を出すのはことみさんだろう。


「でもちょっとしたことで間違えそうです」


 二人が泣いていたり髪型が変わったりしたらそっちに意識が行って、「あれ、どっちがどうだったっけ」っていう感じでわからなくなりそう。


「オレは大丈夫だと思う」


 おお、さすが今のアズさんだ。

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