74 自覚無し
お昼になるまでにアズさんは一度も負けなかった。相手が二人でも勝った。
午前の分の勝負が終わると瀬田さんが帰っていった。
今日の昼食は食堂で提供された。参加者のためにカレーを大量に作ってくれた人たちがいたのだった。
私が食堂に入った時点で、各テーブルにはカレーの盛られたお皿が並べられていた。
テーブルとテーブルの間に、見覚えのある割烹着を着た人がいる。コップに麦茶を注いで回るその人を立石さんが呼び止めた。
「母さん、母さん。この子が樋本ゆかりさん」
立石さんのお母さんだった。っていうか何で私が紹介されているんだろう。
(母親似だったか)
アズさんの言うとおり、振り向いた立石母は「女性になって年を取った立石さん」という感じだった。年は七十手前くらいに見える。身長は百六十五以上あると思う。彼女は私を認識するとなぜか嬉しそうに笑った。
「まあー。聡明そうなお嬢さんだことっ」
頭良さそう的な感想を貰うのは久しぶりだ。
「あ、ありがとうございます」
立石母は持っていた物をテーブルに置くと、私にずいっと近寄ってきた。彼女の背が私にとっては高いこともあって少々圧迫感がある。
(他人との距離が近いのも遺伝したか……教育か……)
立石さんにかなり接近されたことのあるアズさんがそんなことを言った。
「私ね、戦力として頼りたいすごい武器の持ち主が高校生だって聞いて、もー心配で。利明には無理させないように言ってるけど、大丈夫?」
話を聞いて見知らぬ私を気にかけていてくれたのか……。
「大丈夫です。私は一度だって怪我したことありませんし、立石さんは私に聞きたいことがあっても『時間があれば』って言ってくれます」
「そう。それならいいけどね。嫌だったらちゃーんと言うのよ。大人に抵抗するのは難しいと思うけど」
「はい」
と返事をしたけれど……立石さんが私にとってきついことを要求してくるのはとても大変な状況の時だろうから、相手が大人ということは関係なく拒否しにくいのではないかと思う。
私の返事を聞くと立石母は麦茶を注ぐ仕事に戻った。
「あの割烹着、デイテミエスさんが借りてましたよね」
「うん」
立石さんは頷いた後、声を小さくした。
「あれは合ってなかったから、違うの贈らせてもらったよ。サイズもデザインも男が着ても変じゃないやつ」
「そうですか」
それなら今頃着てるのかもしれない。
「そういえばお母さんは魔力ある人ですか?」
「無いよ。結婚直前まで何も知らなかったって。今日はなーんにも予定が無かったから暇でお昼作りに来たんだ」
立石さんによると彼のお母さんはお料理大好きらしい。凝ったお弁当を作る息子さんは多大な影響を受けたと見える。デイテミエスさんたちがこちらに滞在していた時、彼らが料理を頑張りだしたことを知った立石母は先生役をしたいと言ったそうだ。
特に手伝うことも無く、私は席に着くことになった。メイさんとルーエちゃんの間だ。前にはシーさんが座っている。シーさんの隣はアネアさんとディウニカさん。アズさんは寝た。
カレーライスというものは向こうの世界の子も虜にするらしい。カレーを食べる間ルーエちゃんは幸せそうな顔をしていた。
お皿を空にした後、麦茶の残りを飲んでいた私はディウニカさんに名前を呼ばれた。ディウニカさんはなぜかやけに真剣な目で私を見ていた。
「あなたの刀は今どうしていますか?」
「寝てます」
「刀の彼に確認したいことがあるのですが出せますか? できれば直接話したいです」
「起こすのでちょっと待ってください」
呼びかけるとアズさんはすぐに起きた。
(ディウニカさんが聞きたいことがあるそうです。まだ疲れてますか?)
(いや、回復した。出てもいい)
私がテーブルに置いたアズさんを見てルーエちゃんが「わあ! 綺麗!」と言った。そういえば彼女が刀のアズさんを見るのは初めてだった。
「ありがとな、お嬢さん」
「わ! あわわ……」
刀に話しかけられて驚いてどうしたらいいかわからなくなったらしく、ルーエちゃんは私にくっついてきた。
「びっくりさせちまったか。ごめんな。でも喋る物なんてオレ以外にもあるだろ? 人形とか券売機とかATMとか」
アズさんは穏やかな声で自分は身構えなくていいものだと主張したのだけれど、
「……そんなにぺらぺらしゃべらない……」
ルーエちゃんにとっては扱いに困るものというのは変わらないようだ。
「あの青い人の声が刀から聞こえてるだけって思っていいよ」
私がそう言ってみるとルーエちゃんはこくんと頷いて椅子に座り直した。
「で、オレに何の用だ?」
アズさんがディウニカさんに用件を尋ねた。
「あなたは……魔術を斬りましたね?」
え? アネアさんが私にいかに謎な現象か熱心に教えてくれたことをアズさんが? 方法は聞いたけれどできないとアズさんが言っていたことが今日になってできた?
「あ? オレが、魔術を、斬った?」
アズさんに自覚はないようだ。
私とアズさんだけでなく一緒に座っている人たちも「えっ」と声を出したり目を丸くしたりした。
「銃のお嬢さんのじゃあないよな? お前の魔術をオレが斬った?」
「私は魔術を妨害されたと思ったのですが、あなたは魔術を斬ったつもりはありませんか」
「ない。目の前の障害物斬ることしか考えてなかったし、“魔術でできたもの”を斬ったとしか思ってねえ」
「私はあなたに斬られる度に壁を直していましたが、最後は元に戻らなかったでしょう?」
「あれはお前が強度を優先して直すのに労力回さなかったからじゃないのか?」
ディウニカさんは首を横に振った。
「いいえ。直すつもりが思うように直せなかったのです。真剣がすぐそばにあるというのに切れたままでは不安だったので塞ぎたかったのですが」
「そうか。……って言うしかないな、オレは」
私もディウニカさんに質問してみる。
「戻せなかったのって、切り裂かれたからなんですか? アネアさんみたいに攻撃を当てて体調不良にさせてそれが妨害に繋がるっていうのとは違ったんですか?」
「違いました。私はただ疲れていただけでした。体調不良だったなら補強もできなかったはずです。それに……これは言い切れないことなのですが……初めてのことが……壁との繋がりがぷつんと切れたような感じがしました。きっとあれが、魔術を斬られたという感覚だと思うのです」
「そうでしたか」
魔術を斬られたと思しき感覚があったというのなら、本当にそうだったのかも……。
「ただ、すっかり断ち切られたのではなくて、大きくはさみを入れられたような……本などに書かれている話と比べると不完全なようにも感じました。壁の補強ができたのはきっとそのせいです」
体調不良でも、完全に魔術を斬られていてもディウニカさんは壁の修復と補強ができなかった。修復ができなくて補強はできたなら、それはアズさんの攻撃が不完全だったから……なるほど。
「それと、最後の一撃も……力で押し切ったのではなく魔術の妨害があってのことだったのではないかと。あの時も、斬られたと感じましたし……私のあれを破壊できるような威力には思えませんでした」
「ディウニカさんからも、アズさんは刀を振っただけに見えました?」
「ええ。それなのに『これはまずい』と勘が言うので下がったら綺麗に斬られたというわけです」
力で壁を壊したのでないならば、技術で、魔術をどうにかすることで、壁を弱くしてやったことだったのではないか、と。
「オレはわかりやすいことはやらないぞ。魔力で武器覆うとか炎まとわせるとかしないし、これでもかってくらいの魔力が込められないと光るところまでいかない。主が倒れるくらいエネルギーもらったって今は無理だ」
かなりの魔力が込められているというアズさんにとっての「これでもか」って一体どれほどのものだろう。それくらいなら私にも何か感じられないかな?
「では自分は強い攻撃をしたと思っていると?」
「あれを斬ろうってんだからそりゃ当然」
「ですが、魔力のことがわかる人が、最後の攻撃は大したことない威力だったと思うと言っていました」
「そう言われても……」
アズさんはやはり自分がディウニカさんの魔術を斬ったとは思えないようだ。
「威力がそんなになかったっていうんなら、お前が飛び退いたから壁が柔らかくなってオレに切れたんじゃないか?」
「確かにあれは私が何もせずに時間が経てば柔らかくなってしまいますが、即座になるものではありません」
「えー。じゃあマジでオレ、魔術を斬ったのか?」
人のアズさんの体はセラルードさんを再現したものだし、魂の分離後にわざわざ与えられた知識もある。でも、昔に練習した時は全然できなかった。そう聞いている。アズさんに魔術を切り裂く方法を教えたのは魂を提供した人で、その人も知識があるだけでやっぱりできなかったらしい。そんなだから、「あなたは魔術を斬った」と他人から言われたところで確かにそうだとはなかなか思えないんだろう。
「私はそう感じましたし、見ていた皆さんの中にそう思った人もいるのでは?」
ディウニカさんのその言葉を受けてまずアネアさんが口を開いた。
「さすがに魔術を切り裂いたとまでは思い至りませんでしたが、セラルード・アイレイリーズのように見えました」
「おれもそんな感じです。昔の人が見たのもこういうのだったのかなって」
「私もー」
メイさんが軽く手を上げて自分がアネアさんとシーさんと同じ意見だと示した後、「ねえねえ」とアズさんに話しかけた。
「今日みたいなことたくさんやれば、ちゃんとできるようにならないかな」
「さてなあ。初めて切り裂いた時のセラルードとは違ってオレに自覚がないしなー」
アズさんにはセラルードさんが初めて魔術を切り裂いた試合の記憶もある。ただ、肝心の瞬間について思い出せるのは「ピンチだった。剣を振った」くらいのもの。セラルードさん本人も、追いつめられた状態でのとっさの行動についての記憶はおぼろげだったようだ。
それでもセラルードさんが魔術を妨害した自覚をもったのは、試合相手に攻撃された後の自分が水で濡れているもののダメージは無いと言ってよくて、相手が混乱していて、魔術で動いていたはずの水が全部相手の制御下になかったから。
「でも一回できたのは同じだし、やらないっていうのはもったいないって思うんだよね。私は協力できそうにないけど……」
提案しておいて自分は斬ってもらえるようなものを出せないことに落ち込んだのか、メイさんはしゅんとした。そして助けを求めるようにディウニカさんを見た。
ディウニカさんはメイさんに頷いたけれど、練習を実行することについては難しく考えているようだった。
「戦力向上に繋がりそうですからもちろん協力しますが、あまりできないのでしょうね。頻度が高ければ樋本さんに結構な負担がかかるのでは?」
「ああ。それにオレが伸びない」
確実に修得できるとしてもそれまでにどれくらい時間がかかるかわからないのに、アズさんが伸びないというのは困るなあ。私の食費が増えるくらいならいいけれど。
「ああーそっかー。魔力の無い人向けの武器だってこと考えなきゃいけなかったよう。本当にやるなら偉い人たちと相談しなきゃいけないね」
昼食の時間の終わりが近付いてきたので、魔術を切り裂く練習をするかどうかはまた後で話すことになった。
☆★☆
午後、私は観戦する立石さんの所へ今度は一人で行った。そして彼にこの組織が関係者を把握しているか聞いてみた。
「正直に言うと把握しきれてないよ。昭和の頃に比べればだいぶましな状況だけどね」
「それならきっと、魔力を持っていながらご先祖様のこと知らない人だっていますよね?」
「そうだね。みんなが無事に事情を話してくれる親と生きていけるとは限らないしね」
「魔力持ってる人って、よく噂とかニュースになりそうなことしませんね」
魔力は自分にあればわかるし使えるものと聞いた。手や足のようなものだというから、特に小さな子はよく動かしそうなのに。保育園で友達と喧嘩して魔力を使って相手を叩いちゃうとか、鬼ごっこで魔力を使って走っちゃうなんてことがあれば、きっと噂になるし、ニュースにもなりかねない。だって魔力を使うと髪の毛の色が変わって、それは明らかにおかしいことだから。それなのにそんな話は聞いたことがない。
「問題が起きてはいるよ。あの手この手で頑張ってごまかすんだ。頻度が低くて、一番最近のでも十五年も前だけどね。僕みたいなのはね、魔力を人前で使っちゃいけないって言われるまでもなく思うんだ。不思議なことに。本当に、何も言われなくてもね」
「え、それは、親が何も教えなくてもってことですか?」
「うん。相手が魔力のこと知ってるって知らなければ親にも兄弟にも魔力動かすところ見せないよ」
なんとまあ! そこまで「だめ」と思うなんて。
「それは不思議ですね……」
「だよねえ」
「魔力を使っちゃいけないって、どういう理由でですか?」
「それがさあ、僕もはっきりしないんだけど……」
立石さんは両手を前にもってきて見つめた。魔術の時に力を込めることの多い部分だからだろうか。
「……あえて言うなら、怒られそうな気がするから?」
怒られる? ちょっと動かしたところで別に何か被害が出るわけでもないと思うのだけれど。
「誰にですか?」
「んー……お天道様……とは違うかな。何だろ」
本人にも自分が感じているものがわからないようだし、私が聞いてもあんまり意味のないことだったかな。
「あのさ。この世界って、外からのものに厳しいって思わないかい?」
「閉じこめちゃいますもんね」
牢のわりには快適だから前の総長が呼び名を変えたというのは他ならぬ立石さんが教えてくれたことだけれど。
「それ以外にもさ、こっちから開くトンネルはすぐ開いて短いけど向こうからだと開くのに苦労するし長いのは、さっさと異物を出そうとしてるのと異物を入れたくないって抵抗してるみたいだなーって」
「なるほど」
「まあこっちから開いて短い道で向こうの人を招けることの説明ができないんだけど」
「悪い異物排除のための良いもの扱いとかどうですか?」
「あるかもね。あとね、僕みたいなのが魔力を使わないでいることも、排除とはいかないまでも押さえつけたいっていう感じかなって」
この世界がどうのこうのの話になった理由はそれか。立石さんは結構強く謎の抑圧を感じているのかな……?
「まあ所詮は僕の勝手な穴だらけの想像だよ」
「ちなみにその考えでいくと、私みたいな人は、何ですか?」
やっぱりただ巻き込まれているだけ?
「何なんだろうねー。優しい部分なのかなって思ったことはあるけど違うよね」
「どういうことですか?」
私が外からのものに優しい?
「複製空間に閉じこめられたものはね」
立石さんは襟から白い石のペンダントを引っ張り出した。
「これ持てば侵入者として数えられなくなるけど、端から出られるわけじゃないんだよ。壁が消えるのを待つしかないんだ」
「そうなんですか」
「うん。でもね、樋本さんみたいな人なら、連れ出してあげられるんだ。これがあって、樋本さんみたいな人に連れられて、それでようやく好きな時に外に出られるんだよ」
「じゃあ、あのうさぎは」
細田さんが捕まえて、山田さんが車で引き取っていったあのうさぎ。そういえば山田さんの仕事は、あの空間の端まで連れていくことだった。あれの“外”じゃない。
「野口っていうお爺さんに出してもらったよ」
「そうなんですね。閉じこめられたものを出すから“優しい”ですか?」
「うん。まあ違うと思うけど。なんたって世界が樋本さんたちに優しくないからね。自分の身の安全が確保されてないのに、よそから来た自分より強いようなのの面倒なんか見られないでしょ?」
「そうですね……」
私は、制限されている感じは何もない。でも居場所が悪いと侵入者を閉じこめる空間に入れられてしまう。侵入者と違って空間の端から出入り自由だから巻き込まれているだけかと思いきや、侵入者だったものを連れて出ることも可能ときた。
この世界にとって、私は何?




