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73 関わってきた期間

 ルーエちゃんはよく喋って、向こうの世界の話をたくさんしてくれた。といっても彼女はまだ小学生で広い世界の知識は少ないし、詳しく知っていても私への説明が難しいこともあるから、住む街(フィウリー市)や学校、身近な人の話が大半を占めた。ときどき、ルーエちゃんが言葉が出てこなくて困るとメイさんたち異世界人三人が手助けした。

 ルーエちゃんに教える三人がとても頼りになるものだから、私は質問せずにはいられなかった。


「どうして皆さんそんなに日本語に堪能なんですか?」


 この三人だけじゃない。ディウニカさんもデイテミエスさんもフェゼイレスさんもシェーデさんもウィメさんもエイゼリックスさんもだ。彼らが日本語で話す声だけ聞いて、日本に住んでいるわけでもない外国人が喋っていると判断する人はきっとほとんどいない。


「そう?」


 ……どうやら私の言ったことをすぐに理解できたのはアネアさんだけのようだけれど。


「たんのう……何かを堪能するっていうのなら知ってるけど……」

「たんのうってなーに? 上手ってこと?」


 シーさんとメイさんからは質問が返ってきた。


「そういうことです。長いこと日本で生活してきた人みたいです。でもそうじゃないですよね?」


 メイさんが頷いた。


「うん。ずっとあっちにいたよ。でも私は八年くらい勉強してきたからね、できて当然だよ」


 今メイさんは十八歳だから、十歳からか。……十歳から長期滞在も無しに八年でメイさんのようになるのが当然かどうかは今は置いといて……早いうちから勉強していることがわかった。


「メイさんって、ルーエちゃんみたいに先祖代々こっちと関わりがあるんですか?」

「あるよー。あのね、うちは魔獣が出てくる前から戦ってばっかりの家系なの。代々騎士になってお国に仕えてたらね、一人が魔獣対策組に回ることになったの。それでその人がこっちの世界のことを知って、その子供が大きくなってから同じ仕事して、孫もそうで。んで、代々同じことするなら、いっそのこと子供の時から日本語教え込んじまえ! って感じで、こっちと関わる家になったんだー。うちだけじゃないよ。私たちの中には私みたいな子供の時から日本語教育組がいっぱいいるよ。先輩もそうだし」


 アネアさんもメイさんと同じだという情報の前に気になったことがある。代々騎士になっているということだ。騎士のことはなんとなくしか知らないけれど、代々なっているのならそれはもしや名門というやつでは?


「あの、もしかしてメイさんっていいとこのお嬢様だったり……?」

「うちはそうでもないよ。王様のそばに居続けたお兄さん家系の方が、えーと、あれ、栄えあるもん」


 おおう。日本語のメイさんは少し幼い喋り方をするから、語彙もそんな感じかと思っていたらここに来て「栄えある」なんて出てきた。私だって言ったことがあるか怪しいくらいなのに。


「はえ?」


 きょとんとするルーエちゃんにアネアさんが向こうの言葉で何か言った。意味を教えてあげたんだろう。


「魔獣対策組になったご先祖様は兄弟で騎士やってたんですか?」

「うん。お兄さんは王様のそばにいて守るとっても名誉な仕事をしてたの。弟は騎士団の平」

「なんて言ってるけど、アンレールが王国の頃ならメイさんも立派に貴族のご令嬢だよ」


 アネアさんが情報の追加をしてくれた。セラルードさんの話をする時とは違って小さめの声だった。表情は明るくも暗くもない。


「それに、ご先祖様はただ魔獣対策組の一員やってたんじゃなくて、リーダーにもなったの。世代が後の人も、一番にはならないにしても上の方にいたそうだし」

「過去の栄光ですよう」


 メイさんは謙遜するけれどアネアさんはまだ語る。


「こうやって日本を任されてるように今でも魔獣退治で活躍して時には賞賛されてるし、ご実家の敷地は広いし家屋は大きいしで、メイさんは十分“いいとこのお嬢様”って言えるよ」

「へえー! メイさんのおうちってすごくて頼もしいんですね」


 私が感心していると、何だかんだで誉められれば嬉しいのかメイさんは「えへ」と照れたように少し笑った。

 きっと兄の方の家系はすごすぎるんだろう。

 ところで、すごいといえばアネアさんだ。彼女は今のところ私の言ったことがわからなかったことがないし、「極めて」とか「家屋」とか、私なら文章を読み上げる時にしか言ったことがないような言葉がごく自然に出てくる。「百聞は一見に如かず」には自信がなかったようだけれど、私より国語の成績が良くても驚かない。


「アネアさんは日本語を覚え始めて何年ですか?」

「私? えっと、十六年」

「わあ、私と同じくらいですね」

「そういえばそうだね」

「アネアさんもご先祖様は騎士だったんですか?」

「最初に日本に関わった人だけね。その人は日本の人をお嫁にもらったの。それから家ごとこっちに関わるようになったよ」

「え。アネアさんの魔力とか髪の毛とかどうなってるんですか?」


 アネアさんの髪の色はずっと茶色だ。この世界に来た時も、自己紹介をした時も、魔術を使ってアズさんと戦っていた時も、セラルードさんについて語っていた時も、今も。

 魔力の色と、何もしていない時の髪の色が同じでわかりにくい人もいるとは聞いているけれど、そういうタイプ?


「総長たちと違うのが不思議なんだね。……えい」


 アネアさんが一瞬真剣な目をすると、彼女の髪が黒くなった。日の当たる窓際にでもいれば茶色に見える黒色だ。


「ほら、これが日本のご先祖様から貰った色だよ」


 ということは今のアネアさんは魔力を使っていないのだろうけれど、かけ声があったからにはこうなるのは楽じゃないのかな……?


「アネアさんは普段から魔力使ってるってことですか?」

「使ってるっていうか、動いちゃうっていうか……あまり意識してなくてね、起きてて別に弱ってるわけでもないなら茶色でいるのが普通なの」

「じゃあ今はアネアさんにとってはどういう状態なんですか?」

「目を閉じてるような状態かな。少し休まる感じ」

「起きててその状態になるの、難しいですか? 立石さんたちと違って力を入れてるように見えたんですけど」

「難しくはないよ。確かに、力を抜いて魔力を使わない状態に戻る総長たちとは違って、『動かさないぞ』って強めに意識して切り替えるけど、ボタン長押しの程度だと思ってるの」


 ボタン長押しで、少し休まる状態に切り替え……どんな感覚だろう。意識して少し力を入れれば変えられるものとしては呼吸が思い浮かぶけれど、これは止めたら苦しくなるものであって休まらない。魔力が無い私には……いや、新崎さんたちとも違うということは、魔力があっても理解されにくい感覚かもしれない。


「ふふ」


 何が面白いのかシーさんが小さく笑った。


「やっぱりいろいろ質問したくなっちゃうよね。わかるよ」

「シーさんも私みたいに質問したことあるんですか?」

「うん。速く走っても、遠くに物を投げても、魔力が動かないっていうのがすごいことに思えたし、別の世界ってどんなものだろうって気になって気になって。こっちのことを教えられた時、アネアさんが証拠の一つだったんだ。アネアさんに魔力を計測する機械が付けられててね」

「シーさんは就職してからこっちのこと知ったんですか?」

「そうだよ。トーレちゃんたちと違って何の関わりもなくて、フィウリーに配属されて二年経ってからようやく知ったんだ。詳しい話聞きたい?」

「はい」


 何も知らなかった人がいかにしてここに来ることになったのか興味がある。


「私も聞きたいです」


 ルーエちゃんもシーさんの話を希望した。自分と違って大きくなってから別の世界を知った人に興味が湧いたのかもしれない。


「じゃあ聞いてよ。おれは元々自分の国で下っ端兵士やってたんだけど、銃より剣とか槍振り回してる方が強いから魔獣退治に行かないかって勧められてさ、それもいいなと思って志願したんだ。書類の“配属先は外国でもいいよ”ってとこに丸付けといたんだけど、それがまさか別の世界で生活するようにまでなるとは思わなかった!」

「まさか過ぎますね」

「だよね。まあそんなわけで、おれはフィウリーに配属されたんだ。一年間の予定でね。ただ魔獣退治してたんだけど、あと一ヶ月くらいで任期終わりってところで『正式にうちの子にならない?』って誘われてさ、思い切って転職したんだ。それからまた一年間働いてたら違う部隊に移ることになって、それでやっとこっちのこと知ったよ」

「誘われてから一年後って、しばらく様子を見られてたんでしょうか……?」

「そうなんだよ。配属されてから半年くらいで『あいついいな』って思われたみたいで。ハインのやつに――カイネートくんのお兄さんにずーっと観察されてたんだよ」


 デイテミエスさんにお兄さんいたんだ。彼とはよく話したような気がしていたけれど……他の人に比べてそうというだけだったな。


「デイテミエスさんの家も昔から関わってきてるんですか?」

「うん。ご先祖様は組織を作る時に声かけられた……何て言うの?」


 シーさんがアネアさんに助けを求めた。正解は「傭兵」だった。デイテミエスさんのご先祖様は傭兵から魔獣退治専門の人に転職したらしい。

 そういえばデイテミエスさんはあちらの組織に直接就職していて、あの支部は特別なことをしているから直接の割合が高いと言っていた。


「メイさんとアネアさんは、どこかの軍隊とか経由しないで直接入ったんですか?」

「うん」


 声を出したのはメイさんだけだったけれど二人とも頷いた。

 アネアさんは黒髪のままでいる。……この状態の彼女をシーさんが初めて見たのは一体いつ?


「シーさんがこっちを知ったのって、メイさんたちと比べたら最近ですよね……?」

「三年半前だね」


 三年半!


「それでそんなに日本語話せるの天才じゃないですか」

「そんなことないよ。みんなこんなもんだよ」


 留学したわけでもないのに四年もしないうちに発音がおかしくないどころかまるでこの辺りで育った人のようになるのが普通だなんてそんな。


「あのね」


 アネアさんが相変わらずの小さめの声で喋った。


「私たちはあなたたちと比べると言葉の習得は早いものらしいの。地球の人はよくびっくりするって聞いたよ」

「私も今びっくりしてます。シーさんのことだけじゃなくてルーエちゃんのこともです。――ルーエちゃん、前に来た時は今日みたいに話せなかったよね?」

「はい」


 ルーエちゃんはこくんと頷いた。


「私、前より上手になったと思いますか?」

「うん。とっても成長したと思ったよ」

「やったー!」


 万歳して喜ぶルーエちゃん。かわいい。


「そっか、びっくりしたかー」


 シーさんは少し嬉しそうにしたけれど、「でもねえ……」と言って笑みを引っ込めてしまった。今にも溜め息をつきそうな顔だ。


「おれたちは聞くのと喋るのができるだけで、読み書きはだめな人が多いんだ。他のことも――計算とか、覚えることとか、きみから見たらだいぶ程度が低い人がいっぱいいると思う」


 アズさんもそんなようなことを言っていたけれど……。


「シーさんと話しててそうは感じません」

「それは嬉しいな。でも、おれ、こっちの人と話したりテレビ見たりして、レベルが違うなーって思ったよ。おれね、漢字の勉強始めて丸三年経ったけど、たぶん小三のきみより書けないよ」


 む。そういえばデイテミエスさんが、漢字はちょっとしか読めないって言ってた……。


「普段使わないんですからそんなものじゃないですか?」


 普段使っていないから、私は中一の四月に英語の授業で習った筆記体を忘れ気味だ。自分の名前だけは迷わず書けるけれど。


「使う必要はないけど、おれは使おうとしてるんだよ。これを覚えたら別の世界に行ける確率が上がるぞって言われたから。日記を日本語で書いてみたりとかしてさ」

「ご立派ですね。私、英語でそんなことしようなんて思ったことありません」


 宿題にでもされない限りやらない。


「立派だなんて、そんな。褒めるのうまいなあ」


 そういうシーさんも褒めるのがうまいと思う。


「ともかく、きみたちにとってはおれたちは勉強だめなのが多いっていうのは、みんな思ってることなんだ。会う機会が多ければきみもきっとわかるよ」

「はあ、そうですか」


 自分の学力が低いと言いつつ外国語をあっという間に覚えていく人たちに会えば会う程、この人たちは頭がいいんだという考えが強くなりそう。


「でもアネアさんは参考にならないからね。ちゃんと頭のいい人だから」

「ちょっと、ハードル上げないで」


 あ、アネアさんが茶髪になった。目を閉じている場合じゃないと思ったのかな。


「いい大学出てるし、きみの刀作った人の日記普通に読むから」

「先輩はねえ、たぶん漢字をいっちばん覚えてると思うの」


 メイさんまでアネアさんのすごさを語りだした。


「お料理番組見て、日本語で漢字使ってメモするし、日本語の本もふりがな無しで余裕で読めるの! 昨日も難しそうな文庫本読んでた!」


 ルーエちゃんが「おおー」と尊敬の眼差しをアネアさんに向けた。


「難しくないから。樋本さんなら中学生の時にとっくに読んでてもおかしくないくらいだから。っていうかどうしてあのタイトルで難しそうって判断するの……」

「先輩が読んでると大体は難しそうに見えちゃうんですよう」

「もう……」


 アネアさんは呆れたようだ。でもちょっぴり照れているようにも見える。尊敬されて悪い気はしないんだろう。

 何を読んだのかと聞いてみたら、私が小五の時に児童向けバージョンを読んだ本だった。元の本でも内容的にも文章的にも難しいものではない。あとアネアさんの突っ込みも理解できる。

 それにしても……言葉を覚えるのは得意で他の学習が苦手というのは……駒岡さんによく当てはまる。

 彼女が日本語を普通に話すわりには漢字にかなり弱いのも、英語の成績は心配がないのも、何ヶ国語も話せるのも、向こうの世界の人の特徴がよく出たからなのかもしれない。

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