71 よくわかっていないこと
「ねえねえ、静かにした方がいい?」
アズさんとは逆に起きたメイさんが私に聞いてきた。
「普通にしてれば大丈夫です。近くに雷が落ちるくらいのことがないと起きません。でも私が怒ったりびっくりしたりすると起きちゃうこともあります。気付いたらそばに蜂がいたとか」
「持ち主がびっくりすると起きる」というのは、正確には「持ち主の警戒心や緊張が強くなると起きる」らしい。だから、例えば「誰それが結婚する」と私が聞いて驚いたところでアズさんは起きない。
持ち主の敵意に敏感だというのとは違って、警戒心はアズさんが感じ取るというよりは持ち主から送られてくる感じで、寝ている時にある程度の強さで伝わってくれば途端に目が覚めるのだとか。体育の時間に起きていることが多いのは、私が用心深くなっているせいで寝るに寝られないからのようだ。
私が急に強い警戒心を持ったことでアズさんが飛び起きたのは一昨日のことだった。授業中に大きな蜂が教室に入ってきて、前の席の小川くんが「わっ」と叫んで仰け反って、それに私がびっくりした上に蜂に気付いて「やばいどうしよう」と思ったらアズさんが起きた。私が退治のことを考えた――蜂に対して敵意を持ったこともあってか、アズさんとしては警報が鳴った感じだったらしい。あの時、私はアズさんが起きたことはわかったけれど、どう起きたかはやっぱりわからなかった。
「へー。それって、“武器”って感じだね。武器が欲しいっていうか、構えたい時? に起きてるよね」
「そうですね」
別に駒岡さんに怒った時に武器を構えようなんて考えはなかったけれど、怒って敵意を持っていたからには武器を望んでいてもおかしくなかった。蜂の時はまさに武器が欲しかった。退治できるスプレーが欲しかった。
「それにしてもすごかったなー。普通に剣振ったようにしか見えなかったのに。あれどうやってやったのかな? ゆかりちゃんわかる?」
「全然わかりません。アズさんがやったことはどうすごかったんですか?」
「あ、そこからもうわからないの? そっかあ。あのね、魔力を溜めて溜めてドーンって感じならわかるんだけど、そうじゃないから何をどうしたのかなあって私たちは思ってるの」
「威力が足りないように見えたんですか?」
「うん。かったーい壁壊せる人は、みんなドカーンってやるの。武器持ってる人なら武器が魔力でピカーって光ってるの。眩しいよ」
「へええ」
強く光っていれば威力も強いということはわかる。夏休み前の銀髪家上くんの攻撃がそうだったから。
「アズさんは、ピカーもドカーンもありませんでしたね」
「だよねえ。ふっつーにやってたよねえ? 派手なのもいいけどあれはあれでかっこよかったなー。静かにスパーンって! きっとセラルード・アイレイリーズってあんな感じ! ですよね、先輩!」
メイさんがアネアさんに話を振ると、
「そうだね」
アネアさんは楽しそうな表情と普通の大きさの声で返事をした。
「派手なことをしないのも剣豪と呼ばれる理由の一つだからね。実際は魔術でも剣の腕がいいように見えるもの」
「え? 魔術はほとんど使ってないですよね?」
「たぶんね。でも本当は見えないだけで立派に魔術使ってたかもしれないよ」
「それは夢が無いですー! でもでも、そうだとしても、魔術を斬ったのは魔術じゃないですよね?」
「ただの妨害説は昔からあるよ」
「やだー!」
夢の無い話を聞かされてメイさんは不満げだ。その気持ちをぶつけるかのようにせんべいの袋の封を勢いよく切って、中身を一気に二枚かじった。
私はデイテミエスさんが教えてくれたことを思い出した。「“魔術を切り裂いた”とはどういうことなのかよくわかっていない」ことと、「魔術の制限や妨害はできるけれど、それを“剣で斬る”ということでできるものかはわからない」ということ。
どうやら魔術を切り裂くことは特別な妨害の方法のようだけれど、やり方がわからないのではなくて、切り裂いたこと自体がわからないとはどういうことなんだろう。
アネアさんはセラルードさんに詳しいようだけれど、魔術を切り裂いたことについて細かい話を聞けるかな?
「あの、アネアさん」
「なあに?」
「剣で魔術を切り裂くのも、妨害のうちですよね」
「うん」
「魔術を切り裂いたことはよくわかっていないことだと聞きましたけど、それはどうしてですか? 剣でできるかはわからなくても、妨害は普通のことなんですよね?」
「それはね」
アネアさんはそんなに親しくない私に対しても明るい表情と声のまま解説を始めた。この人たぶん、はるちゃんに近い人だ。趣味の話を楽しそうにたくさんしてくれる。そんな感じの人。
「魔力とかのことは抜かして、あなたの“普通”で考えてね。ラジコンで遊ぶから近くではさみを使わないでくれって言われたら、どうする?」
「……はい?」
どうするって、頼まれたならそのとおりにしてもいいけれど、ラジコンで遊ぶからはさみがあると困るというのは一体どういうこと……? 夢中になって周りを見なくなって危ないから? でもそれだとラジコンに限った話ではないから、アネアさんが教えてくれようとしていることとは違いそう……。
「意味がわからないよね。でも『すごい床屋さんならはさみでラジコンの通信を切れる』って言われてて、その床屋さんがセラルード・アイレイリーズなの」
「……それは……“電源を切る”とか“切って壊す”じゃなくて」
「うん」
「何の問題もない操縦機から飛んでいく電磁波を、髪の毛を切るはさみで切っちゃうんですか?」
「うん。それに切れたらそのまま。床屋さんが何もしてなくても操作できなくなっちゃう。まあこれは他の妨害もそうなんだけど、普通なら短時間繋がらなかっただけなら元に戻せることも多いからそこが違うね」
「……めちゃくちゃですね」
「本当にそう」
ラジコンとはさみでたとえられると確かにどういうことかわからない。無線なのに「はさみで切ったからもう動かせない」と言われたら出てくる感想は「は?」だ。
「えっと……ラジコンで遊ぶことが魔術だって考えていいんですか? それとも『これくらいわからないこと』っていうだけですか?」
「いろんな遊びがあるように魔術もいろいろだから……でも、セラルード・アイレイリーズが攻撃の魔術を斬ったことは、ラジコンがわかりやすいと思う」
「じゃあ、ラジコンで考えたことなんですけど……セラルードさんが魔術を斬った時は自分に向かってきた攻撃を斬ったそうですけど、それは繋がりを切ったっていうか、受信する装置を壊したと見るのが普通だと思うんです。どうして無線を切ったことになるんですか?」
「受信側が切られて動かなくなるものじゃなかったから。ちょっとやってみようか。えっと、百聞は一見に……しかず?」
「合ってます」
「良かった。じゃあやるね」
アネアさんは右の手のひらを上に向けると、いとも簡単そうに魔力の塊の棒を出した。棒の色は茶色で、長さといい太さといいまるで鉛筆のよう。
「これ折ってみて」
「はい」
渡された棒は、軽くて、箸のような手触りだった。温かくも冷たくもない。両手で持って少し力を入れると、お菓子のように簡単に折れて二つになった。
「あなたは受信側の装置を壊したけど」
「わっ」
魔力の塊が逃げた! そんなに強く握っていなかったせいか手からスポーンと抜けて宙に浮いた。
「魔術の妨害はできてないからこうなるの」
「なるほど……私は魔術を折ることはできなかったというわけですね。セラルードさんだったら二つにするだけじゃなくて、宙に浮くことを阻止できるんですね」
「うん。……魔術を折るっていうの、それはそれでなんだかかっこいいね」
そうかな? 想像しにくくてよくわからないや。
「セラルードさんが他の人にはできないことをしてたのはわかりました。でも不思議です。床屋さんがラジコンの邪魔をしたなら、何か変な電波を出す物を持っていたとか考えられそうなものですけど、そうじゃないんですよね。どうしてよくわからないことをしたと言われ続けてるんですか?」
「その説明が先だったね。ごめんね。あのね、魔術の妨害は普通はわかりやすいことなの。――シーさん、これの邪魔をしてくれる?」
「いいよ」
にゅっとシーさんの手が伸びてきた。
「えいやっ」
かけ声と共に彼の手が強く光って、アネアさんの棒が床に落ちた。
シーさんが言う。
「これが普通の妨害の一つだよ。邪魔する電波飛ばしてる感じ。こんなに光っててわかりやすいでしょ?」
「はい。何も知らなくても、この人は何かしてるんだなって思います」
「セラルード・アイレイリーズは手も剣もこんなことになってなかったんだ」
シーさんの光が消える。するとアネアさんの棒がふわっと浮き上がった。
「こうやって戻されちゃうこともなかったからには、普通に考えるととても強い魔術だったことになるんだけど、それならめちゃくちゃわかりやすい光が出るのが普通なんだ。なのにそんなことはなかったっていうし、しかも魔術が苦手だったっていうんだから、もう謎。世の中にはいろんな人がいるから、光が出にくい人っていうのももちろんいるんだけどね、今みたいな強いことして何にも見えないってのはさすがにね……」
「だから魔術でない、何か別のみんなが知らない……"わからない"ことをしたと考えられるわけですか」
「そういうこと」
アネアさんがまた喋り始める。
「でもね、さっきメイさんに言ったように、極めてわかりにくかっただけで強力な魔術を使ってたんだっていう説は昔からあるの。アイレイリーズにとっては剣を振ることが魔術に必要な行動だったんじゃないかって。ねえ、私がやった他に、魔術で出した物を動かすのを見たことはある?」
「はい」
「その人はどうやってた? どういう動きをしてた?」
「アズさんとデイテミエスさんのを見たんですけど、アズさんはこう、指を動かして浮かせようとしてました。デイテミエスさんは特に何もしてませんでした」
アズさんは指の動きと氷が連動していた。デイテミエスさんは魔力の塊をくるくる回すのに指を動かすことはなかったし、氷のコップを私の方へ移動させた時も何もしていなかった。
「手を使ってるのと使ってないの、両方見たことあるんだね。それなら想像つきやすいと思う。あのね、魔術は手とか棒とか使って物とか向きを意識した方が何にもしないよりやりやすいの。そうしなきゃだめって人もいるくらい。だから、アイレイリーズは魔術が苦手だったけど、剣を振ればうまくできてたんじゃないかって……斬るということがアイレイリーズにとってはわかりやすい行動だったって考える人がいるの」
「切断という妨害がわかりやすいことだったから、剣を使った妨害の魔術ならできてたかも、というわけですね」
「そう」
「でもそれなら、魔術だったなら魔力に敏感な人にはわかりそうですけど、そういう人はいなかったんでしょうか?」
「いたけど、魔力を使ってるようにしか思えなかったみたい。だから本当のことは本人にしかわからないよ。他の誰かができるようになるまではね。で、“どうして『斬った』と言われてるか”なんだけど。アイレイリーズは剣を振るだけで、魔術を使っている様子はなくて、完璧に魔術を無効にして、本人が『斬った』と言っていて、斬られた側にもそう感じたと主張する人がいるの。となれば、“よくわからない”けどそう言うしかないと思わない?」
「……えっと……」
床屋さんはラジコンの近くではさみを動かしただけで他に怪しいことはしていなくて、ちょっとのことじゃ壊れないはずのラジコンがうんともすんともいわなくなって、床屋さんは無線を切ったと言っていて、ラジコンを壊された人もどうしてかそういう主張で……? そんなことがあると私も「床屋さんがラジコンの無線をはさみで切った」と言うしかない?
「……そう言われると……そうかもしれません。実際に見て、そうとしか見えなかったというなら」
「そう、それ。要するに“そうとしか見えなかった”から、斬ったと言われてるの。最初に披露した時から、本人さえ何をどうしたかよくわかっていなかったのに『あいつは魔術を斬った』なんて言われるくらいにね。だから、本当は魔術だったとしても『魔術を斬った』と言われることは変わらないとされてるよ」
「『剣豪』はどうですか?」
「変わらないと思うよ。魔力を固めて武器にしたり火とか使ったりしないで、剣で攻撃して、剣で防御する強い人であることは変わらないからね。夢は今より無くなっちゃうかもしれないけど……それでもずっと人気だと思うよ。強くてかっこいいからね」
……他の人にできないことをして、夢を与えて、控えめな性格のアネアさんがこんなに明るく語る人の一部がアズさん……今さらだけど、私、すごい物の持ち主になったなあ……。