70 斬っても
水分補給をするとメイさんはその場に寝転んだ。お菓子はまだ食べる気にはなれないようだ。
「しばらく動きたくなーい。あー……あんなに強い人? が一緒ならゆかりちゃんも安心だね」
「はい。とても心強いです。ところで、そのタオルの絵は何ですか? かわいいですね」
「これはねえー、フォンラシャータっていう、うさぎっぽい動物なの。ゲームに出てくるやつで、本当にはいないよ。ふぉきゅうんって鳴くの。有名なんだよ。私、小さい時からずっとこれが好きなの。へへ」
メイさんは少し恥ずかしそうに「好き」と言った。きっとこのうさぎは、女子が好くものというよりは子供向けのものなんじゃないだろうか。
「これ、絵があんまり大きくないですし落ち着いた雰囲気で、大きい人に向けてそうな感じですけど」
「これはね。ゲームは小学生向けで、すっごくはやったの」
やっぱりそうなんだ。
「今も新しいのが出るよ。今の小学生だけじゃなくて、私みたいな大きい人も買いたくなっちゃうの。何年経っても好きなままの人がいっぱいいて、こういうちょっと上品っぽいのもよく売られるようになったの」
長く広く愛されているキャラクターか。私も向こうの世界で生まれていたらこれのことが好きでぬいぐるみやらハンカチやらを持っているかもしれない。
「それでも子供っぽいって言われちゃうんだけどね」
そしてメイさん本人も多少はそう思っているから恥ずかしそうに話すんだろう。でも一緒にいてほしくて持ってきた、といったところだと思う。なんとなく気持ちがわかる。私にも離れ難いキャラクターがいるから。
「好きなのって、連れていきたくなりますよね。遠くとか大事な用事に行く時は心の支えになってくれますし」
「うんっ」
異国どころか異世界に長期間滞在するにあたって慣れ親しんだものをそばに置いておくのはいいことだと思う。
☆★☆
回復を終えたアズさんが外に出た。
「次は誰だ?」
「はい」
返事をして挙手したのはディウニカさんだった。
この場で戦うにあたってディウニカさんは武器を持たない代わりに周囲に被害が出にくい魔術を使うという。だからアズさんはまた真剣で戦う。
ディウニカさんは、火や水を出す魔術は一般人とそう変わらない。魔力の塊を出すのはとても得意だけれど、遠くに飛ばすのは道具を使っても全然うまくいかない。そんな彼はあのひたすら守りに徹する人たちの一人だ。
でも彼は今、魔力の塊を飛ばすのではなく伸ばして攻撃をするということができるようになっている。
自分の正面に小さな四角いものを出して、それを高速で前方にぐんと長く伸ばして相手にぶつける。小さな四角から長い棒になったものはそのまま障害物にしても良し、掴んで振り回しても良し。小さな魔力の塊は飛ばすものと思っている人が多いから、伸ばしての攻撃はディウニカさんのことを知らない人が相手だと不意打ちになって結構勝てるらしい。
アズさんに対してディウニカさんは次から次へと伸ばす攻撃をした。でもアズさんには全然当たらなくて、早々に攻撃をやめて壁を作った。壁はアズさんの攻撃を防いだ。浮いていた障害物が消えた。
ディウニカさんは壁の厚みを増してアズさんを後退させると、壁を消して提案をした。
「勝負の方法を変えませんか」
「どうしたい?」
「だらだら続くのを避けるために制限時間を設けましょう。そして私は一切攻撃せず、あなたは私の壁を壊して私に触ることができれば勝ちです」
「いいだろう。何分だ?」
「十分で」
「わかった」
アズさんが承諾すると、ディウニカさんは立石さんに時間を見るよう頼んだ。そして厚くて向こう側が見えにくい壁を作った。高さと横幅はそんなになくて、敷き布団より少し大きいくらい。
新しく作られた壁はアズさんの刃が入るものではあった。でもかなり厚みがあるから刀の切っ先すらディウニカさんには届かないし、切れたそばから直っていく。正確にはディウニカさんが急いで直している。それにシーさんが言うには、一撃ごとに気合いを入れなければ(魔力で武器を強化するとかしなければ)ろくに切れもしないから大変らしい。その証拠にアズさんの最初の二回の攻撃は止められたし(傷くらいはついたかも)、刀が一度振られてから次に振られるまでの時間が長い。
「これってアズさんに勝ち目あるんでしょうか」
シーさんに質問してみた。何度も何度も刀を振るアズさんに対して壁に両手をついて動かないディウニカさんの方がだいぶ有利かと思ったから。
「あるよ。ディウニカさんはさっき大きいの作って疲れてるはずだから、この調子ならきっと五分もすれば弱ってくるよ」
ディウニカさんの変化はシーさんの予想より早かった。
ふと気付くと壁が薄くなっていて、私の腕時計で時間を見ると三分半だった。四分が経過した時には修復が遅くなっているのがわかった。このままならアズさんは勝てそうだ。でもアズさんだってそのうち疲れてくると思う。
残り三分をきったところで、アズさんが刀を振るペースが落ちた。
それから一分が過ぎると壁がだいぶ薄くなった。振られた刀は壁の中に収まらなくて、ディウニカさんは壁から離れた。でも彼はアズさんが次の攻撃をするより早く再び壁に手を当てた。そしてアズさんの刃を止めた。
壁はかなり固くなったようだ。切れなくなった。その代わりなのか直らなくなった。固さが増す前に切れた部分はそのままだ。けれどそれだけでは人のアズさんはディウニカさんに触れない。
「これは厳しいかも」
シーさんが私に言った。
「ディウニカさんはきっと、最後にああやって逃げ切るために体力を多めにとっておいたんだろうね。弱ってることは弱ってるけど、おれの予想より余裕があるんだ。きみの刀の人、何度も何度も壁斬って強敵なことは間違いないんだけど、綺麗に斬っちゃうからディウニカさんとしては直すのにあんまり疲れなくて良かったんだと思うな」
「そうですか……一直線ですし、直さなきゃいけない範囲が狭いですもんね……」
アネアさんの銃弾によるあの大きなひびなんかは直すの大変そう。
「うん。せめて刃があと五センチ……じゃあ、そんなに変わらないかなあ……八センチくらい長ければ違うかなあ」
アズさんは壁を斬ることを三回試みた後、刀を構え直すとその状態で止まった。何をしてるんだろう。精神統一的なこと?
どうしたのか、どうするのかとよくよく注意して見る気にみんながなったのか、体育館が静まりかえった。
一歩動く人すらいない中、アズさんがおもむろに刀を振り上げた。
なんかいけそうな雰囲気。
ディウニカさんが飛び退ってアズさんが刀を振り切った直後、立石さんが「終わりだよー!」と言った。
斬れた! 勝負には負けてしまったけれど、アズさんはディウニカさんのとても固い壁を斬った! これはきっとすごいことだ。シーさんが「厳しい」と言っていたから。
あちこちからいろんな声が聞こえてくる。アズさんが壁を切り裂いたこと、あるいはディウニカさんが逃げ切ったことに対する感想はいろいろあるようだけれど、多いのは驚きだろうか。多くの人が喋ってざわざわしている感じが、人のアズさんが姿を現した時に近いように思える。
「――!」
アネアさんも少し大きい声を出した。彼女は両手を胸の前で組んでキラキラした目でアズさんを見ている。そんな彼女の姿に、私は、好きなものを語るはるちゃんや理想に近いものを見たデイテミエスさんを思い出した。
「ほえー」
「はえー」
メイさんとシーさんは驚いて呆けた感じだ。ちなみにメイさんは寝転んだままで、今は畳んだタオルを枕にしている。
壁が消えて、ディウニカさんはその場にふらふらと座り込んで、アズさんは鞘に戻った。
(あー……すごく疲れた……)
アズさんが喋ったのとほぼ同時にシーさんとアネアさんとメイさんがわいわい話し始めた。
(お疲れ様ですっ。強敵でしたね)
(主、何で上機嫌なんだ?)
(それはもちろんアズさんが壁をスパーンって斬ったからです! かっこよかったです! ほら、アネアさんも興奮気味ですよ)
(そうか……それは嬉しいな……)
アズさんの声には疲れだけでなくて眠気も混じっているように聞こえる。だいぶ消耗したんだろう。
(急いで回復しないで、時間もらって寝るのはどうですか?)
(ああ……そうさせてもらおうかな……)
私は次の勝負の相手であるシーさんにアズさんのことを話した。アズさんは十五分間寝ることになった。