67 そもそもいつから
二学期二日目。晴れ。
駒岡さんは泳ぎも得意だ。今も同時にスタートした水泳部員よりやや先を泳いでいる。彼女たちの後方に、はるちゃんと石田さんがいる。
私はというとプールサイドに座っていて、自分が泳ぐ番が来るのを待っている。こうして午後の日差しを浴びてじっとしていると、自分が焼けていくのがよくわかるような気がする。
私の横で葵さんと真紀さんが話している。
「楓ってさあ、スポーツ続けてきましたっていうより、強くなるために頑張ってきましたって感じするよね。……私の言ってることわかる?」
「わかるよー。競技じゃなくて実戦って感じ」
「そうそう」
私もわかる。駒岡さんが速く走ろうとするのは、一等賞になりたいからじゃなくて、何かを追いかけたり何かから逃げたり何かの事態に駆けつけたりするため。そう感じる。私が別の世界のことを知っているからだろうけれど、知っていなくても今頃は葵さんたちと同じように考えている気がする。
「あれだけの美人だし、誘拐とかストーカー対策かなあ?」
「かもねー」
変な人と魔獣対策なんだろうな。
「変質者に蹴り入れたことが何回かあるって前に言ってたよ」
私の前の列にいる名取さんが振り返ってそう言った。
「『何回か』ってことは、結構な苦労してるんだ……」
「うわー……」
家上くんに対して悪く考えることが多いのはそのせいなんだろうか。
(アズさん)
(何だ?)
(駒岡さんって、ずっと外国暮らしだったって言ってますけど……)
(地球にいたわけじゃないかも、か?)
(はい)
前に魔獣を送ってきていた組織が壊滅したのは向こうの世界の出来事で、壊滅させたのは仮面の人たちだ。だから仮面の人たちはこの世界とあちらの世界を行き来する手段を持っていると考えられるわけで。
駒岡さんが転校してきたのは去年の十月末。
去年この街に侵入者があったのは全部で十三回だったけれど、五回目は十月の頭という三ヶ月間の詰まりっぷり。
侵入者の多い時期に駒岡さんは来た。きっと何か関係あるんだろう。
(……あの子は、転校してきてすぐの頃はみんなに対して投げたり蹴ったり技かけたりしてたんだよな)
(はい)
(前に言ったように、魔力を使わなければ全力にはほど遠いから他の人と比べて強くやっちまうってことはあると思う。でも、だからこそ、こっちで育ってたら魔力の無い普通の人と自分の差を理解しててもっと力を抑えそうなものだよな)
(私もそう思います)
すぐに手や足を出してしまうような人が、十五、六歳になるまで力の差や基準に気付かずに生きてくるなんてことはあるだろうか。
今日も駒岡さんが一番速いかと思っていたら、泳ぎきったのは水泳部員と同時に見えた。
見学なので泳ぐ人のタイムを計って記録する係となっている涼木さんが、プールから上がった水泳部員の吉川さんに何か伝えた。すると吉川さんが腕を突き上げた。彼女の勝ちなのかな?
腕を下ろした吉川さんは駒岡さんと握手をした。二人にとって良い勝負だったんだろう。
(駒岡さん、自己紹介の時に、親の都合でいろんな国を転々としてきたって言ってました)
だから「駒岡さんは“外国”暮らしだった」と私は言う。クラスのみんなもそうだと思う。
(あと、住んでた国について聞かれても長くは住んでなくて知識があんまり無かったり混ざっちゃっててちゃんと答えられない、みたいなことも言ってました。あれはきっと、本当はこの世界に住んでなくて知識不足なことをごまかすためなんでしょうね)
(んー、一国の知識を詰め込んだ方がいいようにも思えるけどな)
(駒岡さんって日常会話程度なら何ヶ国語もわかってるんです。去年、スマホ使って駒岡さんに外国語を聞かせてみた人がいたんですけど、駒岡さんはちゃんと日本語に訳してました。結構説得力のある“証拠”だと思いませんか?)
(なるほど……。英語以外の教科がだめっぽいことを考えると主の言うとおりかもしれない。勉強が苦手でも言葉は覚えられたから、それを活かしたか)
はるちゃんと石田さんがプールから上がって、次の人たちが泳ぎ始めた。
(あの子が来たのは、あの剣の持ち主と年が同じでそばにいられて守りやすいからってのはどうだ)
(きっとそうです。仮面の主な人はこの学校の人ですし。でも何でここなんでしょう? 正体を隠したいなら私服の学校の方がやりやすいでしょうし、ここは人によっては勉強が負担になります)
何かあった時のためにみんなで同じ所にいるということは理解できるけれど、その場所にこの学校は不向きに思える。
(……って言ってみましたけど、剣より入学が先の可能性ありますよね?)
(んー…………)
アズさんが考えている。私も考えてみる。
何らかの理由で剣を持ってた誰かが――家上くんだろうけど――入学後に仲間が必要だと判断して、立石さんたちとの関わりがなくなった家の人を探してあんな集団になったということは? そもそも魔力があるのに関わりのなくなった家というものがあるのかという話だけれど。とても貴重なアズさんのことがわからなくなったくらいなんだから、自由に動いて増えていく人間のことを組織が把握しきれていなくても不思議じゃないし、その中にはご先祖様がどんなことをしていたか知らない人がいるかもしれない。
この想像が合っているとして、組織に関係している生徒をどうやって避ける? 一人は積極的に魔物退治に参加しているからわかるけれど、組織に関わっていて魔力を持っていても強くはないから滅多に戦わない人は?
……無理っぽくない? いや、何か資料を手に入れられればできる? それでも難しい?
(なあ主)
(はい)
(あいつらがオレたちを避けるのは何でだと思う? どうして自分たちの正体を隠して、剣のことを話さない? 嫌いだからか?)
(嫌いってわけではないと思います。えっと……敵に情報が漏れて不利になるかもしれないからっていうのと、私たちがあれを欲しくなっちゃうかもしれないから、でしょうか)
(オレたちのことが信用できない、と)
(たぶん)
(オレも同じような意見なんだけどな、あいつらは他を信用しないようにしてるんだと思うんだ。あの剣のことを言わないってオレに言った時に、そういう固い意志を感じてな)
私たちが信用に足る足らないの話ではなくて、何であっても信用しない?
そうかもしれない。
(私もそういうのちょっと感じました。絶対に渡せないって、即答でしたから)
(そうして、“言わない”って言ったんだ。“言えない”じゃなくて。指示されてるとかじゃなくて、自分でそう決めて、拒絶してきた)
私は「絶対に渡せません」に銀髪家上くんの強い気持ちがよく表れていると思ったけれど、どうやらアズさんとしては後の言葉も同じかそれ以上に強いと感じたようだ。
銀髪家上くんがアズさんをまっすぐ見て、アズさんに向けてはっきり言った言葉だったから、籠もった気持ちがどんなものなのか私よりずっとわかったんだろう。
(あいつらは、オレたちがこの世界を守ってるって知ってる。一番迷惑かけられてる人たちを助けてることだってたぶん知ってる。不名誉なあだ名がついてるあいつでも、オレたちが悪い集団じゃないってわかってると思う)
たぶんアズさんの言うとおりだ。オレンジ美女先輩は私たちに対してこの世界を守る方かどうかを聞いてきて、守る方だとアズさんが答えると「それならいい」と言った。つまりはそういう組織があると知っていて、それは悪いものではないと認識しているということ。そして仮面の人たちは誰も私や香野姉妹があの空間にいることを疑問に思っている様子はなかった。だから魔力の無い人間が巻き込まれることも知っている。
(それでも剣のことを言わない。そう決めてるやつが、剣の秘密を共有する仲間集めを高校でするか?)
(……変ですね)
(だから、入学が先説はあるけど、ほぼないと思う)
(じゃあ仮面の人たちはずっと前から仲間ってことを前提にしましょう)
(そうしよう。――ここにいるのは、家……とは限らないな、基地とでも言うか。そこに近いからじゃないか? “侵入者にならずに済む道”が当然あるだろうから敵に使われないようにしなきゃいけないし、牢の位置とか大きさとか把握できる設備なんかもあるだろうし)
(ああ、そういう所を守るにしても、置いてある何かを使うにしても近い方がいいですよね)
(でもまあ主の言うとおり、この学校が適してるってわけじゃないとは思うぜ。それに魔力があれば一キロくらい大した距離じゃない。だから、ここにいるのは『いい学校を選んだから』くらいのことかもしれないぞ。近くにいて襲撃に備えようって話があっても、別にここが一番推奨されてたわけじゃなかった。たまたま五人がここを目指しただけ……は、ちょっと無理があるか。なるべくリーダーに合わせるようにはしたかもな。今みたいなことに備えてたけど、普通に暮らすつもりだった。あれだ、保険に入っておいたら大金がいる状況になっちまった……って感じでさ)
すごく警戒していたわけではない、と?
(……ありそうですね。家上くんに魔力があるからには家族も何か知ってるはずですけど、ご両親はあまり家にいられない仕事をして、お兄さんは遠くに行って、大事な物を持っててしかもまだ高校生の家上くんは家に一人です)
(家に一人になるけど大丈夫だろうと判断するくらいにはそれまで平穏な生活を送ってきたとは考えられないか? だから、あの剣がこっちに来てからそれなりに時間が経ってると思う。十年くらいなら戦力的に大丈夫だとわかっていても心配になりそうだけど、親が生きてきたくらいには何もない期間が続けばどうだ?)
家上くんの親の年齢……美男美女で若めに見えたけれど、十代で結婚したとかでなければ長子が大学生だから四十代にはなっているだろうし、五十を過ぎていたっておかしくはない。
(五十年くらい平和で、生きてるうちに何も体験したことがなかったら、警戒心薄れそうです)
アズさんと考えたり話したりしているうちに私が泳ぐ番がやってきた。プールに入ってゴーグルを着ける。
何で泳いでもよくて、私は今日も平泳ぎのつもりだったのだけれど。
(なあ、クロールにしないか? やり方教えるぜ?)
(えっ? いきなり何ですか?)
(今思い付いた。できた方がいいだろ?)
(それはそうですけど)
先生が今にもスタートの笛を吹きそう。
(あのあの、運動得意な人の感覚で考えないですか?)
(たぶん大丈夫)
(じゃあお願いします)