64 持ち主の
八月最初の朝、私はアズさんにあちらの世界で撮った写真を見せた。デイテミエスさんから聞いた情報も添える。
(これなんかは稼ぎ頭らしいですよ)
(忘れられるどころか、人気者かよ……すげえな。本人の人気って言っていいか微妙なとこだけど)
他人に対する感想だった。女子を見せても「へえ、そうなのか」くらいだった。
デイテミエスさんが少々熱くなってセラルードさんのことを教えてくれた話もしてみた。
(アズさんを見てああなってたのは、単純にかっこいいからってだけじゃなくて、理想に近かったからってこともあると思うんです)
(なるほどな。なあ、主はどれが好きだ?)
(そうですねえ……)
私は携帯を操作して画像を切り替えながら答える。
(見た目だけなら……これですね。剣豪的には……この俳優で)
(ほう。こいつはなかなか強そうでいいな)
アズさんの俳優への評価が高い。
(アズさんとしては……これです。アズさんが女の子だったらこうかなーって思うんですよね)
(そうか? どのへんがオレっぽいんだ?)
(強気そうなところです)
(なるほど。今のオレはこんな感じに見えてるわけか)
(今まではどう言われてたんですか?)
(んー……本当に最初の頃、笑顔が控えめって言われた記憶はあるな。あとは……五番目の主に、強そうでいいって言われたことくらいか)
(私、今のアズさんの笑顔は三番目の人の影響が強いんじゃないかって思ってるんですけど、どうでしょう?)
三番目の持ち主は、特に度胸のある人だったと聞いている。
あの空間の中で小さな子を連れて逃げることになって、その子に「おれについてくれば怪我一つしないぞ」と言い切った。まだアズさんが二番目の人のものだった時の話だ。自分だって魔獣相手にはどうしようもないのに、怯える子に笑って手を差し出した。アズさんから見ても強そうに見えたその顔に、小さな子は少し安心した様子だったという。
(そうかもしれないな。少しでも不安を減らせるならって思って、真似するようにしてたんだ。いつの間にか自然に出るようになってたんだな)
(性格も昔とはだいぶ違いますよね?)
(性格? そこまで変わってるように思えるのか? あの日記読んで、ああそういえばあの頃は今みたいにできなかったな、みたいなことは思ったが……)
(ウィメさんと初めて会った時、資料にアズさんのこと『堅苦しくて近寄り難い』って書いてあるって聞きましたし)
(背が高くてビビられてる感じはあったし、日記に書いてあるけど……“堅苦しくて”……?)
(昨日は、昔のことを頑張って思い出したアズさんが混乱しちゃったのか、いつもと違ったって話を聞きました)
(ごちゃごちゃしたことはした……。オレ、何か変なこと言っちまったりしたか?)
(それはないと思いますけど、話し方とか表情が違う感じだったらしいじゃないですか。立石さんなんか、昔の格好のアズさんが喋った時に『誰』って思ったそうですよ。私も立石さんも、アズさんのことは気さくなお兄さんって思ってるんですけど、そんな感じじゃなかったって言ってました)
(そうか……)
アズさんはしばらく黙っていて、それからぽつりぽつりと話しだした。
(……そうだな、昔は気さくと言われるようなものじゃなかった。人付き合いが苦手だって思ってた。元がそうだったんだ。それに、人とどうやって接したらいいかわからなかった。それで余計に遠ざけることになってたかもしれない。作ったやつらがオレに『お前は武器』って言っておきながら人と同じ扱いしてきたんだ。あいつらも困ってたかもしれないな。思ってたよりもオレが“人”で。もしかするとオレが一番、武器だから武器らしくしないとって思ってたのかもな……。主がオレをオレだと思うのはいつ頃からだろうな。これまでの人は今のオレを見たら何て言うんだろうな)
(そうですねえ……一人目と二人目はいっぱい褒めてくれると思います)
(え?)
(日本語がすごく上達してて、会話そのものが上手になってて、相談に乗るようにまでなってたらもう感動もののはずです)
特に最初の人は大喜びすると思う。
アズさんが言うには、最初の人が約二十五年間でアズさんの日本語の能力を“全然だめ”から“ろくに話せないけれど相手の言っていることはわかる”くらいにした。
アズさんと最初の人は、言葉での意志疎通の難易度が高かった。そのせいかお互いのことがわかる度合いがとても強くなったようで、出会って一年程で相手が理解できる言葉で話さずとも言いたいことが伝わるようにまでなった。だから困ることはそう多くはなかったけれど、アズさんが日本語を覚えないでいるわけにはいかなかった。時には持ち主以外と話す必要があったし、未来の持ち主とアズさんまで苦労するようではいけない、というのが最初の人の考えだった。
結局、最初の人はアズさんの日本語を思ったように上達させられなくて、それが心残りになってしまったらしい。アズさんを二番目の人に渡す時に「よくよく教えてやって」と頼んだ。
頼まれた人はというと、約三十五年間で“ちょっと変”くらいにまで引き上げた。
(……そうだな……確かに褒めてくれそうだ)
そしてきっとアズさんが照れて、「こんなに顔に出るようになったなんて」と元持ち主を驚かせるかもしれない。
☆★☆
私の周りは平和に二週間が過ぎた。どこか遠くの街には魔獣が現れたけれど速やかに倒されたらしい。
今日は私は母方の祖父母の家に来ている。初めてあの空間に入ったあの日に、家に帰れないなら行こうと考えていたのがここだ。
今、私のそばでいとこの一人、正也くんが畳でごろごろしている。四時間に及ぶ旅でお疲れの様子だ。彼の妹の亜美ちゃんは扇風機の前に座って涼み、ときどき「あー」とか「われわれはうちゅうじんだ」とか言っている。その隣で、ここでは一番年下のいとこ実玖ちゃんがすやすやと眠っている。一番下と言ってもとても小さいわけではなく、十二歳で中一だ。
「透視ー!」
みくちゃんの姉の実華ちゃんがテーブルの向こうからこちらをじいい……と見つめている。彼女は私が自分でもわからないようにしてテーブルに伏せたカードのどちらを引くかで悩んでいる。
「もろこしの時間じゃー!」
一番年上のいとこ総司くんがとうもろこしを載せた大皿を持って部屋に入ってきた。そのすぐ後に彼の弟の広司くんが小皿を人数分持ってきた。
まさやくんがよっこらせと起き上がった。私とみかちゃんは手札以外のトランプを片付けた。あみちゃんがみくちゃんを起こして、二人一緒にみかちゃんの横に移動した。そうじくんが私の隣に、こうじくんがまさやくんの隣に座った。
「扇風機で十分とかすげーわ、こっち」
まさやくんがコップに麦茶を注ぎながら言った。
「この家はねー。うちはすだれの奮闘むなしく、エアコン様様状態になっちゃった」
みかちゃんが否定して、
「うちもエアコンつけないと気力なくなる」
私も言っておいた。
まだ熱いとうもろこしをそうじくんが気合いで二つに折っていく。
「エアコン、バカ売れらしいねー」
こうじくんがいつもののほほんとした口調で会話に入ってきた。
「生産が追いつかないってニュースで言ってたね。あつっ」
みくちゃんが折られたとうもろこしに手を伸ばしてすぐ引っ込めた。
あみちゃんがうちわで扇いでとうもろこしを冷まそうとしている。
「ゆかりちゃん、私から見て右のちょうだい」
私はみかちゃんが選んだものが何かを確認しないで彼女にカードを差し出した。
「ふぉおおおういえあっ!」
柄を確認した彼女は面白い声を出してガッツポーズをした。私の負けかー。
いくらか冷めたとうもろこしを食べていたらアズさんが起きた。
(おう、ちょっと寝てる間にずいぶん賑やかになったな)
(そうですね。紹介しますね)
私はアズさんに、いとこたちの名前と年齢、誰が誰と兄弟で誰の子供なのかを教えた。アズさんは見事に一度で覚えた。
夜、私たち孫は花火大会に行くために着替えた。なぜか全員こういう時に浴衣やら甚平やら着たがる。
着替え終わった私は鏡の前でおかしな所がないか確認する。それからみかちゃんたちもしっかり着たことも確認して、アズさんに周りが見えるようにした。
(ああ、いい。よく似合ってる)
(ありがとうございます)
(前から主はこういうのが合うんじゃないかとは思ってた。こりゃ成人式が楽しみだ。結婚式も和装でどうだ? なあ、あいつの羽織袴想像したことあるか? 結構いい感じになると思わないか? もちろん主のドレスにあいつのタキシードも捨て難いけど、どうだ?)
……羽織袴の家上くん……タキシードってだけじゃなくて新郎な家上くん……! あわわわわ……!
(……考えておきます……!)
きゃー、アズさんったら、もー!
☆★☆
翌日はみんなでお墓参りに出かけた。お墓があるのは市が管理する墓地で、背の高いお墓が多い。
(今時法事でもないのに十七人がぞろぞろ行く家は少ないだろうな……)
(でしょうね)
お父さんの方だと、私たち家族三人と、お父さんの姉家族四人と、おばあちゃんの八人だけだ。
一人前に動ける人が十七人もいると、あっという間に雑草が引っこ抜かれて墓石が綺麗になる。
お線香をあげて手を合わせて、あとは帰るだけとなった。
(主……行ってみてほしい所があるんだが)
私に行ってみてほしい?……アズさんが行きたいところ?
(いいですよ。どこですか?)
私はみんなのそばを離れて、アズさんの案内でとある家のお墓へ向かった。
(ここですか?)
(ああ)
少し前まで誰かがいたらしい。お線香から煙が出ている。
墓石の側面を見てみる。彫られた四つの名前のうち、一番新しいものは私も知っている名前だった。
(九十か……きっと最高記録だな)
その人は三年前に亡くなっていた。
竹内善行。アズさんの前の持ち主で、持ち主だった期間が一番長い人。アズさんのことを「けんちゃん」と呼んでいた。剣だから「けん」という名前にして、友達のようにちゃんを付けていた。実際友達に近い関係だったと思う。
アズさんは持ち主の死を知らない。持ち主は動けなくなったり死んだりする前にアズさんを次に譲ろうとする。アズさんは最後まで付き合いたいそうだけれど、持ち主はだめと言う。
人の手から人の手へ渡ったのは最初の二回だけ。あとはどこかに置いていかれて何年かすると次の人が現れてアズさんを持っていく。
竹内さんは、八十五歳の時にあの神社にアズさんを置いていった。前日にアズさんを自分から出して、当日に車で神社の近くまで行った。竹内さんは私の住む地区を車で通り過ぎることはあっても用があって来たことはなかったのに、地図も見ないであの神社まで迷わずにたどり着いた。そして「不思議だなあ」なんて言いながらあの灯籠にアズさんを入れた。
本当に不思議だ。今までの持ち主が自分が動けるうちに次の人のためにアズさんを手放すことも、あの灯籠に収納スペースがあったことも。
未来の私はどんな行動を取るのだろう。変わらずこの辺りに住んでいたら組織の本部に行くのだろうか。アズさんがまだ私の持ち物でいると言ってくれても「もう私は守ってもらわなくていいんです」なんて言って。
(どうしてるんだろうな……。今は家に帰ってるのか、もう生まれ変わって別人か……)
アズさんの声がすごくしんみりとしている。
(今なら周りに誰もいません。手を合わせていきませんか?)
(そうするよ)
出てきた人のアズさんはいつもと少し違う格好だった。ブーツではなくて短い靴で、コートの袖がいつもよりブカブカしている。
アズさんは彫られた名前を自分の目で見ると、とても悲しそうな顔をした。名前に触れて、ほとんど出ていない声で何か言った。すっかりしょんぼりしている。こんな風に落ち込ませてしまうのなら、私の提案は間違いだったのかもしれない。どうしよう。
不意にアズさんが体の向きを変えた。悲しそうな顔をしたまま、でもしっかりと私を見て、ただ静かな声で喋った。
「こんなに動揺するなんて思ってなかった。ごめんな。長く存在してるのに、こうやって以前の持ち主の墓を見るのも初めてじゃないのにこんなで」
「わ、悪くありません悪くありませんっ。仲良かったり大事にしてた人にもう会えないって知って平常でいられなくなるのは当然のことですしこういうことの経験不足なのはいいことですし」
「……ああ、そうだよな」
アズさんはほんの少し笑って私の頭を撫でた。
今のはどういう気持ちの現れなのかと私がちょっと考える間にアズさんが墓石の正面に移動した。
「誰かが来る前にやっちまわないとな」
表情からして落ち込みから幾分か回復したと思っていいだろうか。
「そうですね」
私とアズさんは並んでお墓に手を合わせた。
☆★☆
自宅に帰ってきた。
窓を開けて扇風機を回して自室でぽーっとしていたら、アズさんが出たいと言った。和装に挑戦するとのことだった。
アズさんは今回は妙な格好で出てきた。
「なんかいけそうな気がしたんだが……袴しか合ってねえな、これ」
一番上は群青色の羽織っぽいもの。袖が振れる。女子の浴衣に影響を受けすぎたらしい。
羽織の下は甚平に似た黒い服。甚平にしては生地が厚ぼったい。そしてなぜか蝶結びの帯。
甚平的なものの下はいつものコートの下のワイシャツっぽい服。
下半身は紺色の袴に、前にも見た黒い靴下。
デイテミエスさんに和装を見てみたいと言われた時に、ごちゃごちゃになりそうだからやりたくないと言っていたけれど、本当にごちゃごちゃしている。
改善するには、えっと……
「これ振れないようにできませんか?」
「それだけなら大丈夫なはずだ」
アズさんが羽織を一旦消す。そして畳まれた状態で出して、着た。
余計なものが消えて、下のものが隠れて、遠くからならいい感じに見えそうだ。
「これなら遠目には羽織袴か? 今日はこれでよしとするか」
「完璧なの、いつか見せてくださいね」
「お、主も見たいか。気長に待っててくれ」
「はい。楽しみにしてます」




