49 暑くても
月曜日は休み、火、水は私には特別で重大なことはなかった。
木曜日に登校すると、男装女装コンテストとクラス企画の投票の結果が貼り出されていた。クラス企画はどこが何票獲得したか全部わかったけれど、男装女装は上位三人が誰かということしかわからなかった。家上くんも涼木さんも四位以降だった。
金曜日も何もなし、土日は普通に休み、次の月火も何もなし。私は一週間以上あの空間に入らなかったし、あれができたという連絡すらもらわなかった。家上くんと話すことも一度だってなかった。
私にとっては平和な毎日だったけれどたぶん駒岡さんにとってはそうじゃなかった。なぜなら水曜日である今日から明後日の金曜日まで期末試験の期間で、駒岡さんは昨日まで家上くんと涼木さんと士村さんにビシバシと勉強させられていたから。私が朝教室に入ると必ず駒岡さんは机にノートや教科書などを広げていて、その周りに家上くんたちがいた。昼休みに中庭に出た日には食事が済んだらゆっくりせずに教室に戻って朝と同じように勉強していた。この日々の駒岡さんはいつもよりおとなしかった。怒る気力があまりなかったようで、せいぜい家上くんの頬を抓る程度だった。
今朝の駒岡さんは最後の追い込みを一人でしていた。家上くんと涼木さんは自分の席に座っていて、士村さんは私たちの教室にはいなかった。
登校した私は荷物を置いてはるちゃんの所へ行った。
「はるちゃーん、へばるには早いよー」
私が声をかけると机に突っ伏していたはるちゃんがのろのろと顔を上げた。
「だって暑いんだもーん……」
「ほらほら、風送ってあげるからちゃんと起きて」
私ははるちゃんの体の下から抜き取った赤い下敷きで彼女を扇ぐ。
「明日と明後日は曇りか雨だから。特別頑張るのは今日だけでいいはずだから」
「こぶんかんぶんほろびろー」
はるちゃんは目を閉じて風を受けながら呻く。
(いつもと逆だな)
アズさんが少し笑った声で言った。
「ゆかりんは直前なのに余裕そーだねー。やっぱわざわざここまで通うことを選んだだけはあるねー」
「今のはるちゃんに比べたらの話だよ」
文化祭が終わってから私には何もなかったけれど何もしなかったわけじゃない。試験に向けて勉強していた。余裕なんて、今焦っていない程度でしかない。
「焦ってるなら起きなって。今教科書読んどけば一個正解が増えるかもしれないよ」
「う~」
風を送り続けた甲斐あって、はるちゃんが目を開けてよっこいせと起きた。これで良し。
☆★☆
試験期間もその次の週も平和だった。
魔獣の組織にとって文化祭の日の失敗は相当な痛手だったのかもしれない。
でも夏休みまであと二日のところでとうとうあの空間ができた。お知らせメールが来たのは午後四時過ぎで、私は一人で下校しているところだった。私の帰宅の妨げにはなっていないけれど、広範囲で侵入者が多そうだということで私も行くよう指示された。
私はリュックとバッグを駅のロッカーに押し込んで身軽になって、学校とは駅を挟んで反対側の地区の人気のない路地裏で膜を通った。
制服と顔を隠して通信機の電源を入れて、この空間の中で歩き回る準備を終えた私にアズさんが刀を見せてきた。
「いい感じだろ?」
「わあー……!」
最初に見た時に比べて明らかに刃が長くなっていた。十五センチくらい伸びたんじゃないだろうか。
「夏休み中は主が暑さに参って伸びるのがゆっくりになるかもしれないが、それでも九月の半ばには柄も大きくなりだすはずだ」
「大きくなったら、両手で振るようになりますか?」
「ああ」
「前にも言いましたけど、大きい刀を振るアズさんってかっこいいんでしょうね」
「主が振ってもそれはそれで絵になると思うぞ」
「えー? そうですか?」
「オレが言うんだからそうだって」
特に何の指示も来ないので私とアズさんはとりあえず適当に歩き回ることにした。
確かに今日は侵入者が多いらしい。
まず遭遇したのは水色の山羊八匹だった。これはアズさんに一回ずつ斬られて倒れた。
私が水色山羊の核を拾い集めていたら緑色の鷲か何かの形の魔獣が五匹猛スピードで飛んできた。というかほぼ落ちてきた。アズさんが私を抱えてよけると先に来た三匹が地面に激突して自滅、次の一匹はアズさんがタイミングを計って構えた刀に直撃して真っ二つになった。残りの一匹は地面に激突せずにグッと曲がったのはいいけれどなぜか見当違いの方向にすっ飛んで、クリーニング屋の窓ガラスを割って店内に突っ込んだ。私とアズさんが見に行った時には既に形が崩れていた。
「何でこんなことに……」
「速く飛ぶことに特化しすぎた感じだな……」
クリーニング屋から百メートルくらい歩いたところで今度は黄緑色のワニのような魔獣が地面を這っているのを見つけた。一匹だけかと思ったら建物と建物の間から六匹もぞろぞろと出てきた。黄緑ワニの体は小さめで動きはのろのろと鈍いものだったけれど、大きく口を開けた時はやっぱり怖かった。アズさんは魔獣の口を思いっきり踏みつけて、頭をぐさりと刺して倒していった。
その後、何やら激しく戦っているらしい音が聞こえてきたからその方向に行ってみたら、くすんだオレンジ色の猪っぽい魔獣の群れを相手にデイテミエスさんが大暴れしていた。つららのような長くて尖った氷で串刺しにして、サッカーボールくらいの大きさの球状の炎をぶつけて、それでもなお突進してくるものを剣で突いたり切りつけたり。
オレンジ猪はここに来るまでにアズさんが倒したものよりだいぶ丈夫な魔獣らしい。胴体につららが二本刺さっていてもまだ動く。
「手伝いいるかー?」
アズさんが声をかけるとデイテミエスさんは振り返らずに答えた。
「いらなーい! でも一応いてー!」
美容院の駐車場にある車が戦闘に巻き込まれて悲惨なことになっている。あれに炎の球がぶつかったら爆発してしまわないだろうか。
「前にも思ったが、派手だな」
デイテミエスさんの戦い方を見てアズさんが感想を言った。
「わかりやすくかっこよくていいと思いますっ。あ、そうだ。魔術ありで戦ったらアズさん勝てますか?」
「いける。あれならよけられる」
即答だった。自信があるのがよくわかった。頼もしくていい。
「アズさんは魔術使わないんですか?」
「使わない。使えないって言っていいくらいでな。ちょっとどっちかの手を出してくれるか?」
右手を出してみたら、アズさんが左手を重ねてきた。……ひゃ!? 手に何か!
「つ、つめ、冷たいです」
「これくらいしかできないんだ」
アズさんが手をどけると、私の手の上には丸い氷が乗っていた。家の製氷皿で作る氷と同じくらいの大きさだ。
へえー、これが魔術で出したものかー! 立石さんも間近で魔術を見せてくれたけれど、出したものがこうやって触れるものじゃなかったから新鮮だ。
「変な感じはしないですね。普通っていうか」
特別重いとか軽いとか変わった匂いがするとかはない。
「ほとんど普通と言ってもいいだろうな。食べても大丈夫だ」
「何が普通じゃないんですか?」
「こういう所」
アズさんが氷に向けた人差し指を少し上に動かすと、氷が一センチくらい浮いた。と思ったらぽとっと落ちた。
「ありゃ、全然長続きしなかったな。まあとにかく、今みたいに、出したやつがある程度動かせる所が普通じゃない」
「なるほど……」
私が感心しているうちにデイテミエスさんはオレンジ猪を全部倒しきった。
倒した数のわりに魔獣の核集めはすぐに終わった。デイテミエスさんがあまり加減せずに次から次へと攻撃したので倒れていった魔獣の核の多くが戦いの中で割れたからだった。
小瓶の蓋を閉めたデイテミエスさんは、
「――!」
何か言うと自分の頭の上に水を出して、その水をかぶった。
デイテミエスさんが何と言ったかは簡単に想像できた。アズさんに確認してみる。
「今のって、『あっつい!』ですか?」
「当たり。さすが主」
ちょっとしたことなのに一言加えて褒めてくるアズさん本当に持ち主に甘い。
服の裾だけ絞ったデイテミエスさんがこちらに近寄ってきた。
「ゆかりさんと刀のお兄さんやっほ」
「こんにちは」
「おう」
「二人揃って暑苦しい格好だね。熱中症には気を付けてよ」
「はい。でも、デイテミエスさんこそ日本の暑さは大丈夫ですか?」
「実はつらい。いや、俺の国とそんなに気候変わらないんだけど、俺が住んでるとこ最高でも三十一度だからさー……」
今日のこの街は三十四度になってしまった。明後日なんか三十六度とかいう予報だ。
「でもこれくらいで魔獣に負けるなんてことないから安心してね!」
デイテミエスさんはぱちんとウインクした。私にはそれが、彼が濡れていることもあって涼しさのあるいい感じの仕草に見えた。




