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47 事故

 日曜日、文化祭三日目の朝。

 いつもと同じ時間の電車に揺られていたら、学校のある街にあの空間ができたことを知らせるメールが来た。学校は範囲外で、余程のことがなければまっすぐ学校に行っていいとのことだった。

 駅に着いて電車を降りたら急に目の前に何かが現れた。私はそれにぶつかって、


「――!?」


 聞いたことのある声が聞こえたかと思うと後ろに突き飛ばされた。乗っていた電車に倒れ込むなんてことはない。やばい。


「うあっ……!」


 ホームから落ちて、頭を打つと思ったけれどそうはならなかった。


「……あ、え?」


 何が起きたのか理解する前に「グギャア!」という何かの叫び声のようなものが聞こえた。


「まったく、主になんてことしてくれるんだ」


 ……えーっと、今の状況は。

 私はホームの下でアズさんに抱えられていて、ホームには焦った様子のフェゼイレスさんがいる。


「――――――!?」


 フェゼイレスさん私に怒ってるっぽい……?


「あの……」


 私がびびっていたらアズさんが通訳してくれた。


「『どこから湧いて出た?』って言ってる。上がるぞ」

「あ、はい」


 アズさんが私を抱えたままジャンプしてホームの上へ移動した。

 フェゼイレスさんの後ろで緑色の塊が小さくなっていく。……そうか、戦っているところに私が……。

 私はまず自分の足で立って、次にアズさんに助けてもらったお礼を言って、それからコートを借りた。きちんと着ると少々時間がかかるから今は羽織るだけにしておいて、先にフェゼイレスさんに謝る。


「えっとその、私、電車から降りたんですけど、それでぶつかっちゃったんですよね? すみません……」


 私は頭を下げた。


「そうか……。突き落としてすまなかった」


 フェゼイレスさんも頭を下げた。


「お互いに運が悪かったってことですよね」

「……ああ」


 フェゼイレスさんは電車のドアの位置で魔獣と戦っていた。そこへ電車を降りてこの空間に入った私がぶつかった。背中に不意打ちをくらって驚いたフェゼイレスさんは反射的に私を押した。そして私は線路に落ちてしまった。


「今日は面倒なのはいないはずだ。早く行け」

「はい」


 私が返事をすると、フェゼイレスさんはホームから降りて線路を横切って柵を軽々と飛び越えてどこかに行った。

 乗り越えるのではなくて道具もなしに真正面から飛び越えたし、さっきのアズさんのように人を抱えて高く飛び上がることもできてしまうのだから、魔力を使える人たちは本当にすごい。


「向こうの世界の柵とか塀って高いんでしょうね」


 私は喋りながらコートをしっかり着て通信機の電源を入れた。


「ん? んー、憶えてないけど、まあそうなんだろうな。二メートルくらいなら簡単に跳ぶやつゴロゴロいるはずだからな」


 今日は通信機の画面に表示される名前がいつもより多い。日曜日で学校や仕事が無いから魔獣退治に来た人が多くなっているのかもしれない。

 駅を出てすぐに知らない人たちに会った。おじさんと高校生くらいの少年で、どちらも髪の毛が黄緑色で顔立ちが似ていて見るからに親子だった。挨拶して少し話してみたら、彼らは実際に親子だったし、この辺りに住んでいるとわかった。未成年である子の方は基本的に白い石を家に置きっぱなしだから電車の行く先にこの空間があろうと私のようになってしまうことはないし、忙しい平日の朝にわざわざ入ったこともないらしい。今日は急ぎの用が無いから入っているそうで、私の考えは間違いではなかったことがわかった。

 親子と別れて小走りでいつもの道を進んで、駅から五分くらいの所で今度は髪が紫の立石さんと会った。そういえばこの空間で会うのは初めてだ。

 今日の立石さんは、上は白いTシャツ、下は黒いジャージだった。腰に小さなポーチを付けていて、ジョギングする人のようだ。


「樋本さんだよね?」

「はい。おはようございます」

「おはよう。説明し飽きたかもしれないけど、その格好何? 制服の汚れ防止っていうのは聞いて知ってるけど、顔と名前まで隠す必要は?」


 デイテミエスさんの時と同じように私より先にアズさんが答えた。


「仮面のやつらに対抗してただけで正直言って無かったが、今はある。主は前に来たやつに気に入られてな。あんなようなやつらに主を見せたくないし知られたくない」


 十六年半くらいしか生きていないのが下手なことを言う前にうまいことごまかそうとしてくれたのがわかる。


「大胆な格好の美人さんのことだね? 秀弥君のことも聞いてるよ」

「ああ。オレと戦ってる間も、変な目つきで主のことをかわいいって言ってた」


 アズさんはいかにも不愉快そうに答えた。本当のことらしい。言葉だけでなくて目つきまでおかしかったなんて。


「え、そうだったんですか」


 思わずそう言った私にアズさんが頷いた。


「主が嫌がるだろうから黙ってるつもりだったんだが、説明しないわけにはいかないからな。この際だから言うけど、悲鳴以外にもオレの後ろで怯えてたのがいいとか何とか語ってた」

「えー……」


 私だけでなく立石さんまで嫌そうな顔をして「うわぁ……」と言った。

 新崎さんが聞いたこと以外にもまだ私のことを言ってたんだあの人……やだなあ。


「キミって、持ち主を変な視線からも守ろうとするようにできてるのかい?」

「さあな。元からだったか誰かの影響でこうなったかはもうわからん」

「こういうことは初めてってことだね」

「そうだな。昔にも変なの来たし、こっちのやつでも変なのいたけど、主たちはそいつらの好みの対象じゃなかった。今日はあれ来てないんだよな?」


 それは私も聞きたかった。

 メールを読んだ時、今日こそ迷惑な人たちが本格的に来ちゃったんじゃないかって思ったのだけれど。


「うん、いる様子はないよ。失敗したんじゃないかと思うんだ。駅の向こうの方で、あっちの世界の子供用の帽子が見つかっててね。帽子だけ来たんじゃないかなと」

「あずき色のあの子がこっちに来ようとしてどうかなっちゃったかもしれないってことですか?」

「そう。それに、魔獣がたくさん来たんだけど、誰とも戦っていないはずなのに弱ってる感じのが結構いるんだ。過酷な道のりだったのかもしれないね」

「この前の美人は気楽な感じで来てましたけど、まだ危ないんですね」

「どうだろうね。昼間に普通に自動車運転するようなものかもしれないし、夜に交通量が多い車道を黒い服着て横切るようなものかもしれないし」


 ええと。周りを見て気を付けていればまあ大丈夫という程度かもしれないし、ほとんど自殺行為かもしれない?


「そのたとえだと、ちゃんとした道はどうなるんですか?」

「遊歩道を散歩」


 私は車を運転したことはないけれど、車の運転と散歩で考えると、それは散歩の方がずっと気楽で安全だろうなと思う。


「なんとなくわかりました。遅刻するといけないのでそろそろ行きますね」

「気を付けて。あ、そうだ、今日僕文化祭行くつもりだから、よろしくね」

「お待ちしてます」


 立石さんと別れてそう経たないうちに魔獣を見つけた。紫色の大きいのが二匹。車道と歩道をウロウロしている。二匹は同じ魔獣で、四本足で、三角の耳がピンと立っていて、ふさふさの太くて長い尻尾が二本もある。あんなの獣というよりは妖怪だ。妖怪の狐。


「私、妖怪って正常に生まれてこなかった生き物とか、想像力の産物だとか思ってたんですけど」


 例えば河童は水掻きがなくならないで生まれてきた人が元だろうと中学の理科の先生が言っていたし。


「魔獣が元ってこともあるんでしょうか」

「ないとは言えないな。尻尾が多い狐は魔獣ができたのよりずっと前からある話のはずだから関係ないとは思うが」


 魔獣が二匹とも尻尾以外ぴたりと止まった。どちらも私から見て左を向いているから、私たちに気付いたわけではないらしい。

 すぐに尻尾も止まった。中に棒でも入っているんじゃないかというくらい後ろにピンとまっすぐ伸びて停止した。

 競走にたとえたら、尻尾以外が止まったのが「位置について」で、尻尾がまっすぐになったのが「用意」だ。

 「ドン」はなかった。魔獣が走り出しそうになったと私が思ったのとほぼ同時に、魔獣が見る方向から銀色の三日月が飛んできて、魔獣は二匹まとめて切り裂かれた。

 きっと銀髪家上くんの攻撃だ。

 私とアズさんは近くの駐車場に停まっていた車の陰に隠れた。今日この鞄を持ってここにいるなんて家上くんと同じ学校の生徒だと言うようなものだから。もうとっくに学校は特定されているかもしれないけれど……。

 ともかく車の陰から魔獣だったもののある場所を見る。

 狭い道から思ったとおり銀髪家上くんが現れた。今日も季節外れの格好をしている。彼は魔獣の核を拾って、その何かを見て、二つとも地面に叩きつけて割った。


「今のってやっぱり、核に残った魔力見たんでしょうか?」

「それぐらいしかないと思うけど、あいつらだけが知ってることがあるのかもしれないな」


 銀髪家上くんが学校のある方へ走り去って、私とアズさんは歩道に戻った。私たちも走って学校に向かうけれど、私が遅いから銀髪家上くんに追いつくことはたぶんない。

 人も魔獣も見かけることなくこの空間の端にたどり着いた。

 さてどうやって出よう。これから行く方向に人がいるかいないかは確認できるけれど、今私が立っている場所のことはわからない。

 膜の向こうに同じ学校の生徒、それも同級生の石田さんが、ぽっと現れてスタスタと歩いていった。こういうことがあるから気楽に出られない。


「あっちなら人少なくていいんじゃないか?」


 アズさんが反対側の歩道を指差した。


「そうですね」


 確かに向こうを歩いている人はいつも少なかったと思う。

 言われたとおりの場所に移動して、膜の向こうを確認する。少なくとも前から来る人はいない。

 アズさんが姿を消して、私は素早く外に出た。

 ちらっと後ろを見てみたら、膜の向こうに人がいた。でも私からは離れていたし何事もなく普通に歩いているように見えた。


(セーフですよね……?)


 たまたま他の方を見ていたとか、距離があるから見間違いだとでも思ってくれたのかもしれない。


(出たり入ったりするの見せると確実にびっくりさせるけど、その後は大して気にされないもんだぜ、不思議なことに)

(そうなんですか?)

(一緒にいたのに消えたとか、出てきてぶつかったとかでもなけりゃすぐ忘れてくれるっぽいぞ。だから、びっくりしたんだとしてももう何とも思ってないさ、きっと)

(でも見られないに越したことはないですよね)

(そうだな)


☆★☆


 学校にはいつもと同じ時間に着いた。

 私が教室に入った時、家上くんも駒岡さんも涼木さんもすでにいて、他の生徒たちと一緒に点検ついでに迷路で遊んでいた。あの空間が消えたことを知らせるメールはまだ来ていない。


(家上くんたちも学校優先なんですね)


 たくさん侵入者が来るのは家上くんの剣が原因らしいのに、いいのかな。私たちと一緒で、今日は面倒なのはいないから放っておいても大丈夫と判断したのかな?


(“あんまり見ない人”に頼んだのかもな。外に出そうな厄介なのはいないし、オレたちが多いからそんなに心配じゃないだろうし)


 そっか、兄弟かもと言われている人たちが今日は頑張ることになったかもしれないのか。


「おっはよー!」


 私に気付いたはるちゃんが機嫌良さそうな感じで近付いてきて、元気良く挨拶してきた。


「おはよう。元気だね。何かいいことあった?」

「これからあるの。ネットで注文したものが今日来るの」

「家に帰ったら届いてるの? それはいいね」

「うんっ」


 私はロッカーに鞄を入れて、はるちゃんと床に座った。

 はるちゃんは指を組んでにこにこしていて、すごくわくわくしているんだろうなと思う。それから、なんとなくうっとりしているようにも見える。


「主人公が女の子で男の子が多いゲームかな」

「あ・た・り! ちなみに大人もいます」


 現実がだめだったからゲームに走っているというわけではない、とはるちゃんは主張している。好みの見た目と声のキャラがいても話が面白そうでなければ買わないし、主人公を好きになれそうにないならやっぱり買わないし、誰それが好きと言ってもそれはお気に入りの意味で、中一の時に持っていた苦い思い出の彼に対する想いには到底及ばないし、主人公に自分の名前を付けることはないし、彼氏ができたとしてもゲームをするらしい。今うっとりしているように見えるのは、主人公がどんな恋愛を見せてくれるのか楽しみだからだと思う。物語の中の恋に恋をしているとでも言おうか。

 よく喋るはるちゃんの話を聞いているうちにホームルームの時間になった。先生が教室に入ってきて、生徒たちは思い思いの場所に座った。空いている場所があまりないので迷路の中にいる人もいた。

 ホームルームの後に携帯を見ようとしたらちょうどメールが来た。あの空間が無事に消えたとのことだった。やっぱり魔獣しかいなかったらしい。

 あずき色の男の子はどうなったのだろう。悪いことをしている人なんかとんでもない所へ行っていたらいいと思うけれど、まだ小さいから変な所は少しかわいそうだなとも思う。お祖父さんが迷惑な組織のトップだったから悪く育てられてきたのかもしれないし……。うん、そうだな、簡単には帰れない所に行っているのがいいかな。

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