44 魅了
昼休みが終わって、生徒たちは校庭へ移動した。
最初の大玉を使った競技では赤組と白組に別れた。奇数のクラスは赤で偶数が白だったので私たちのクラスは白組だった。クラスの代表者による大玉転がしに美男子先輩が出て、男子からも女子からもたくさん応援されていた。その後の全員参加の大玉送りでは駒岡さんが「変な遊びね」と涼木さんに言っていた。どうも経験がないらしかった。
次の二人三脚ではチームが五つになった。各学年二つずつ、全部で六つのクラスで一組みというチームが四つと、先生たちのチームが一つだ。担任の先生もこの時は敵。私たちはこの分け方だと赤組だった。
緩めでちょっとふざけた感じのところもあった二人三脚と障害物競走の後は、クラス対抗の大縄跳びだった。新崎さんのいるクラスがめちゃくちゃ強かった。私はすっかり忘れていたことだけれど、はるちゃんが言うにはあのクラスは去年も一番だったらしい。
最後に待ち構えていたのは真面目で本気なリレーだった。また五つのチームに分かれた。
生徒は各クラスから男女一人ずつ出場する。陸上部は出場不可。
一年生の女子からスタートして、次にその女子と同じクラスの男子が走って、その後は隣のクラスの二人が走って、二年生にバトンを渡す。
先生も男女交互に走る。体育の先生は二人までしか出場ができない。
一人が走る距離はトラック半周だけれど、アンカーは一周する。
私たちのクラスからは駒岡さんと西村くんが出る。ここまで美男美女を出すクラスはなかなか無いと思う。
スタート地点に一年生の女子と数学の先生が並んだ。生徒の一人は家上くんの後輩さんだった。走る五人の中で彼女が一番背が低い。
後輩さんは二位でバトンを渡した。一位は先生だった。私が応援するべき赤組の子は残念ながら五位で、その後の男子が四位にした。隣のクラスの二人は頻繁に追い抜いたり追い抜かれたりして順位が上がったり下がったりしたけれど、二年の番になった時には赤組はまた四位だった。私たちの隣のクラスの二人はその状態を維持した。
駒岡さんが走り出して、私たちのクラスから上がる声援が大きくなった。私はいまいち声を出す気になれなかった。クラスの代表を応援する気持ちはあったけれど駒岡さんに「頑張れ」と言うのが嫌だった。別に声援を送らなければならないなんてことはなくて、ただ見ているだけの人だって多くて、家上くんも静かだ。けれど彼は心の中では駒岡さんのことをすごく応援しているのだと思う。クラスの代表としても彼と親しい人としても。
駒岡さんはすぐに一人抜いて、コーナーに入る前にもう二人抜いてトップになった。そして英語の先生の猛追から楽々と逃げきって西村くんにバトンを渡した。
ぶっちぎりの一位でバトンが渡ったものだから私たちのクラスでは拍手が起きた。拍手なら私もできた。
西村くんは頑張ったけれど彼がバトンを渡した時には後続との距離はあまりなくて、バトンを受け取った三年生は数秒で二位に落ちてしまった。
「やっぱ駒岡さん速かったな」
長田くんが独り言のように言って、それに百瀬くんが頷いた。
「今からでも陸上部とか入ればいいのに」
「なー」とか「もったいねー」とかの声が上がる中で涼木さんがキッパリ言う。
「楓に部活やらせたら勉強が悲惨なことになるからだめ」
それに今は勉強も部活もしていられないようなことが起こるしね。
「やっぱ成績低めな感じ?」
米山くんの質問には家上くんが答えた。
「英語以外はビシバシやらないと危ない。……って俺が言ったこと本人には言うなよ」
「どーしようかなー。口止め料請求しようかなー」
「口止め料請求するやつは死ぬぞ」
家上くんがそんなことを言うと、近くにいた生徒たちが補足のようなことを好き勝手に言い始めた。
「お金受け取って確認してる時とか帰ろうとした時にグサッってやられるよね」
「あと階段から突き落とされたり、頭ガツンってやられたりな」
「夜の神社は危ないよな」
「あと公園」
「この間見たの毒殺だった」
もしかしてこのクラスは刑事ドラマの視聴率高めなのかな。それともどこもこんなものなのかな。
「ケチー。俺一回しか要求しないよ。殺されるやつは何回もゆするからだろー?」
(いや一回でも死ぬぞ)
米山くんにアズさんが聞こえない突っ込みを入れた。
「……明日の模擬店で一つだけ奢ってやる」
家上くんが溜め息をついてからそう言った。
奢るといえば小川くんが家上くんに約束していたけれど、どうなったんだろう。
「そんで味をしめて二回、三回と……死んだね」
「仮に殺されても名取さんが二時間で解決してくれるから安心しな」
「名取さんなら一時間でいけるって」
「ねえ、何でわたし?」
残念、名取さんにはネタが通じなかった。「サスペンスの主人公がさー」と長田くんが解説をした。
結局、赤組は二位だった。一位とはほとんど差がなくて、アンカーの人は悔しかっただろうなと思う。
運動会の閉会式の後、私たちのクラスでは代表として競技に出た人を胴上げした。駒岡さんは上げられている最中も終わってからもとても喜んでいて、すごく笑顔だった。家上くんと涼木さんに「ちょっと怖かったけど楽しかった」と胴上げの感想を話す駒岡さんを、何人かの生徒が見つめていたり友達と話しながらちらちら見たりしていた。私にはそれが美人の笑顔に魅了されているように見えた。私が思ったことはそう間違ってはいないと思う。だって私でさえにこにこな駒岡さんは素敵なものに感じたのだから。あれで家上くんに手や足を出していなかったら、私は諦めていたかもしれない。
あの笑顔を間近で見た家上くん、何を思ったのかなあ。
☆★☆
最後の文化祭準備が始まった。文化祭実行委員と一部の部活の生徒は、校舎全体の装飾や体育館でのパイプ椅子並べや部活関連の展示の用意に行った。私たちの班では藤森くんがいない。はるちゃんも後で行く予定だそう。
私とはるちゃんで廊下の壁の高い所を飾っていると、教室から家上くんが出てきた。「いりぐち」「でぐち」と漢字よりひらがなが大きく書かれた紙を戸に貼るためだった。彼は素早く作業を終わらせて、私が理由をつけて引き留めようとして口を開く直前にこちらを見た。目が合った。彼が小さな笑みを浮かべたものだから私は一瞬思考が止まった感じがした。
「俺もこっちやるよ」
やったあ!
「お、お願いします」
声が少し小さくなってしまったけれど、そんなに変じゃない返事ができたと思う。
「中はいいの?」
こういうことの時だけわりと楽に話せるのほんと何なの。
「四人いれば十分だよ」
床に置いてあった、文字の形に切られた段ボールを家上くんが手に取った。すると、はるちゃんがまだちゃんと付けていない飾りから手を離して椅子から下りて、
「ゆかりんこれね」
私にも段ボールを持たせた。それから家上くんに、
「こうする予定だから」
と、図の描かれた紙を見せて言った。
「わかった。じゃあこれはこの辺か」
「うん、よろしく」
はるちゃんはまた椅子に乗った。
私はありがたく床に下りて、家上くんの隣の字を壁に貼る。
さっき目が合った上に笑ってくれたから、今日までの一週間にした会話は何だったんだというくらい私は緊張してしまっている。
はー何あれ。目が合ったのも笑ってくれたのも今日が初めてじゃないのに。一度にやられたから? それとも今日の家上くん人を魅了する魔力でも振りまいてるの? 女子と目が合って笑うなんて去年の今頃の家上くんなら絶対しなかっただろうな。いつあんなことができるようになったのかな。私も家上くんにできるようになれたらいいな。
……ともかく。落ち着いて、落ち着いて。声が小さくならないように、変な話し方にならないように。
家上くんだけに話すことを考えるとどうしても小声になるから、はるちゃんにも話を振るつもりで声を出してみる。
「ねえ家上くん、今日は晴れて良かったよね」
ああ良かった。普通に近い声だった。
「そうだよな。三年としては今日はいいから明日明後日降らないでくれって感じみたいだけど」
家上くんの返事も普通でさらに安心した。これはいける。
「自分たちはテントの下でもお客さんはそうはいかないもんね」
「雨強かったら学校に来る人が少なくなるだろうし」
「冷たいもの売るクラスの人たちはもっと心配なんだろうね」
ああー家上くんと一緒のことをしながら何でもないことを話せる幸せ……!
「そうかも。あ、でも俺の兄さん、雨の日にソフトクリーム売ったけど人気投票で一番だったらしいんだ。俺たちが中三の時に兄さんはここの三年でさ、文化祭の何日か後に、一番だったって自慢してきたんだ」
「へえー。あんまり寒くなかったのかな」
「雨降っててちょっとやだなってことくらいでよく憶えてないんだよな……。兄さんが渦巻き作ってるの見たのは簡単に思い出せるんだけど」
「家上くん、ここに遊びにきたんだ」
「うん。実は小学生の時から模擬店目当てで毎年。そういえば学力のことなんかちっとも考えないで自分もここの人になるものだと思ってた時もあったな……」
「偉いね。私なんか中三の夏休み過ぎてからようやく高校生の自分を想像してたっていうのに。近くの高校の人しょっちゅう見てたはずなんだけど……」
小さい頃、同じ服を着た大きいお姉さんお兄さんだとしか認識していなかった時期があったことはなんとなく憶えている。
「自分の行く所じゃないって思ってたんじゃないかな」
「そういえばあそこの制服はあんまり好みじゃないかも」
椅子を下りたはるちゃんが教室の中を覗き込んだ。中の時計で時刻を確認したらしい。
「ゆかりんー。私、部活の方行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
はるちゃんは親指をぐっと立ててから歩いていった。たぶん「しっかりやれよ」みたいな意味だと思う。




