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42 仲

(寝る前にちょっと話しておこうと思うことがあるんだ)


 夜、私が布団で横になった時にアズさんがそう言った。


(何ですか?)

(今日オレが学校で飛び起きたことなんだけど、主が怒鳴ったから起きたんじゃないんだ)

(え? じゃあどうしてですか?)


 っていうか飛び起きたんだ。起きたということしかわからなかった。いつかは違いがわかるようになるのかな。


(オレさ、武器だからか、主の敵意には他のより敏感なんだ。主が敵意持てばすぐわかるし、敵意持ってる時の主の気持ちは他の時よりわかる)

(ということは、私が怒ったからアズさんは起きたんですか?)


 大声を出してうるさくしたからじゃなくて、アズさんが起きるような感情を持ったから?


(そういうこと。主が静かに怒っててもオレは起きた。こんなこと教えても何にもならないけどさ、主が怒るとどんな感じなのかオレは今日知ったわけで、それならオレのことを主に知ってもらおうって思ったんだ。話はこれで終わり。おやすみ)

(おやすみなさい)


 アズさんは十秒も経たないうちに寝た。寝付きがいい。

 私は今日のことを思い返す。喧嘩してから時間が経って気分が変わったからなのか、家上くんが私に笑ってくれたことがすごく嬉しく思えてきた。駒岡さんへの気持ちは今は忘れることにする。変な夢見そうだし。

 ああ家上くん。「俺なんか」とか言っちゃって、自分の笑顔一つで幸せな気分になる他人がいるなんて全然思ってないんだろうな。


☆★☆


 翌朝私が教室に入った時、駒岡さんは涼木さんと士村さんと一緒にいた。駒岡さんの席に数学の教科書と参考書とノートと私の知らない本が広げられている。椅子に座ってシャーペンを握る駒岡さんの右には士村さんがいて、机の左に涼木さんがいる。

 家上くんは趣味仲間と一緒だ。いつもより彼らの声が小さくて、何を話しているかはわからない。趣味の話にしては雰囲気が明るくない。進路の話でもしているのかもしれない。

 私ははるちゃんにおはようを言ってから一旦席に着いて荷物を下ろした。斜め前にいる三人を見る。

 士村さんと涼木さんが駒岡さんの手元を見て参考書を指差したり何か言ったりしている。駒岡さんに勉強させているようだ。家上くんがいないのが珍しい。昨日家上くんが私と一緒に教室を出てから仲直りしていないのかもしれない。そうだとしたら私は本当に申し訳ないことをした。

 駒岡さんのことは気にくわない。まだ昨日のことに対して怒りがある。でも私が悪いことは謝らないと。

 私は席を立ってゆっくり歩いて、駒岡さんの席の前に回り込んだ。涼木さんが机の横から駒岡さんの隣に移動した。


「駒岡さん」


 私が名前を呼ぶと、駒岡さんは静かに私を見た。睨んでこない。怒っているようには見えない。でもどことなく身構えている。そんな彼女の両隣で涼木さんと士村さんが固い表情になっている。また言い争いを始めないかと不安なのかもしれない。


「昨日はあんな風に言って、ごめんなさい」


 頭を下げたら、


「……悪かったわ」


 という言葉がぽつりと返ってきた。

 私は視線を下げたまま思ったことを言う。


「駒岡さんが私に謝ることはないと思うけど」

「あるわ。怒鳴ったのは私も一緒だもの。静かに喧嘩することだってできたでしょ、私たち」

「うん」


 自分が冷静だったなら、という気持ちは駒岡さんにもあるらしい。


「アキラにも謝ったわ。下敷きにしたことと、ぶったこと」


 ……そっか。駒岡さん反省したんだ。うん、いいことだと思う。

 家上くんと仲直りしたかと聞いてみたら、駒岡さんは「ええ」と頷いた後、小さく付け足した。


「……一緒に登校したわ」


 ああ、良かった!

 もう私は怒りと不安を抱えて過ごさなくてよくなった。


「ならもう何も言わないよ。勉強の邪魔してごめんね」


 私は自分の席に戻る。涼木さんと士村さんは喧嘩のことについては何も言わずに駒岡さんに勉強を再開させた。

 椅子に座った途端、私はほっとして力が抜けた。家族以外と喧嘩してごめんねを言うのは一体何年ぶりだろう。


(アズさ~ん。私やりました~)

(おう、ちゃんと謝っていい子だ。受け入れてもらえてよかったな)

(はい)


 駒岡さんに無視されたらどうしようもなかった。


(今人になって良かったら頭撫でるのに)

(ふふ。そういえば今までの人たちのことは撫でてきたんですか?)

(みんな大人の男だぞ? 無いって。主の子供とか孫なら小さいうちによく撫でた。大体は寝てるところをそーっとな。うんと小さい時には起きてるうちに抱っこもあったな)


 実は半分起きていたりうっすら憶えていたりして幼い頃の不思議な体験の記憶になっている人がいそう。


(すっかり大人でもアズさんからすれば子供なんじゃないかなーって思ったんです)

(そうだなあ……幼いように思うこともなかったわけじゃないけど、大人として接してた。でもまあ、かわいい弟? みたいな扱いは結構してきてるな。主が若いうちは特に)


 弟かあ……私の扱いもいつかは孫っぽいのから妹っぽいのに変わるのかな?


☆★☆


 昼休み。

 私とはるちゃんがお弁当を広げていると、家上くんが中庭に姿を現した。彼は今日は五番目で、三年生二人がまだ来ていない。私は水筒の麦茶を飲んで見ていないふりをして彼が通り過ぎるのを待つ。


「樋本さん」


 ひゃっ!? 目の前で立ち止まった!?


「何でしょうっ?」


 顔を上げたら穏やかな表情の家上くんと目が合った。そのままでいることが私にできるわけがなくて、少し下を見るようにする。


「俺と駒岡のことはもう心配しなくていいってことを伝えたくて」

「あ、朝に、駒岡さんから、仲直りしたって聞いたよ」

「樋本さんと駒岡も仲直りできたってことでいいのかな」

「……わかんない……。お互いに謝っただけみたいな感じするし、そもそもあの人と私の間にはどうにかなるものなんか無かった、と思う……」


 私が一方的に彼女に対して何かを思うだけ。

 私の返事に家上くんはちょっと困ったような顔になって、「んーと……」と何を言うか考える様子を見せた。


「何も無いっていう仲があったってことでいいんじゃないかな。で、昨日のは誰がどう見ても仲が悪くて、あの状態じゃなくなるなら仲直りでいいと思う」

「じゃあ……もう昨日のことで喧嘩はしないと思うから、私は駒岡さんと仲直りしたよ」

「それならいいんだ」


 微笑んだ家上くんが、


「邪魔してごめん」


 なんて言って立ち去ろうとしたものだから私はすぐに否定した。


「邪魔じゃないよ。むしろ嬉しい……」


 ……あ、嬉しいまで言っちゃった。

 家上くんの顔にまず驚きが浮かんで、それから、どう反応したらいいかわからない……といった感じの戸惑いの表情になった。


「あの、その、わざわざ伝えにきてくれてありがとう」

「あ、うん。どういたしまして。えっと、それじゃ」


 なんだかぎこちない動きで家上くんは私たちの前からいなくなった。

 私と家上くんが話している間に関係ないと言わんばかりにゆるゆると食事を進めていたはるちゃんの手が止まった。


「嬉しいの後のは付け足さなくて良かったんじゃないかなー?」

「だってあんな顔されちゃったんだもん……」

「ただ顔赤くしとけば、もしかして……って思ってもらえたかもしれないのに、もー」


 はるちゃんに頬を指でぐりぐり押された。このへたれー、という意味だと思う。


「でも、ゆかりんとあの人の距離、だいぶ縮まったね」


 ほっぺぐりぐり攻撃が止まった。


「そう思う? 進歩したって思っていいかな。私頑張った?」

「頑張った頑張った。あの人の前だと頭回らなくなる人としてはかなりの成果なんじゃない? 全然話せてなかったのに、だめだったの月曜日だけじゃん!」

「会話はあったけど、印象良くなったかな」

「良くなってなかったらあの人の思考回路とか感性とかどうかしてると思うし、そんな人と一緒になれても幸せなのは最初のうちだけだろうから恋心は即刻崖から投げ捨てるべき」


 恋心って捨てようと思って捨てられるもの? 無理じゃないかな。気が付いたらどうにかなってるものなんじゃないかなあ。


☆★☆


 放課後、段ボール迷路が無事に完成した。まず担任の先生に体験してもらって、その後に生徒も遊んだ。私もはるちゃんと一緒に入ってみた。塗った星がビニール紐で吊り下げられていた。

 迷路が楽しかったのはいいのだけれど……家上くんと必要なこと以外話すことができなかった。家上くんは駒岡さんと涼木さんのものだった。雨降って地固まる、だと思った。でも帰りの挨拶だけはなんとかした。

 ……このままじゃ終われない。

 去年の、いいや、ついこの間までの私なら「強敵だなあ」と思って見るだけに戻ったけれど、私は好きなものについて家上くんと話す楽しさを知った。あれをまた体験したい。したいならここで引いてはいけないと思う。それに、文化祭準備の思い出が「好きな人と話せなかった。しかも彼は他の女子に取られていた」ということで終わるのがすごく嫌だ。

 文化祭は明日からだけれど、クラスごとの企画公開は明後日から。つまり明日も準備する時間がある。少しだけど。

 様子がおかしいと思われるとか、他の人に私の想いが気付かれるとかあるかもしれないけれど、明日は頑張ろう。

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