41 反省すること
必要なこと以外話さずに色塗りをしていたら、同級生の葵さんがやってきて、
「おら、作業追加だー」
彼女は私と家上くんの間に、あまり大きくない段ボール箱を置いた。箱の中には何かのパーツがごちゃごちゃと入っていた。
「どれをどうすればいいの?」
「とりあえず星塗って、星。黄色ね。両面よろしく」
葵さんは、はるちゃんの前で家上くんの横の位置に座ると、アーチ型の大きめのパーツを黒く塗り始めた。
私は自分で持ってきたものを塗り終わったので、葵さんに指示されたとおりのものを塗る。
「これ、どうするものなの?」
「迷路にさ、上開いてないとこあるじゃん? あそこにぶら下げたいんだって」
私の質問に葵さんが答えると、はるちゃんが言った。
「ちびっこの私だったら、きっと引っ張ってぶちって取っちゃうよ」
「それは私も思ってさあ、取れるかもよ、って言ったんだよ。でもさ、ぶらさがってた方が楽しいじゃん? って意見に、それもそうだなって思う私もいて、そんなに強くは反対してないわけ。んで、他の人もどっちがいいかなーって考えてるっぽくて、両面塗ってもらってるけど、実はまだちゃんと決まってないの」
決まっていないのに星を持ってきたのは、決めてからでは作業が間に合わないから……ではなくて、きっと、私たちがしばらく教室に戻らなくていいようにと葵さんが考えてのことだと思う。
「……なあ、葵」
家上くんが一旦手を止めて、葵さんに遠慮がちに声をかけた。
「駒岡、どうしてる? っていうか教室どうなってる……?」
葵さんはちょっと真面目な感じになって答える。
「楓はすんごい不機嫌そう。でもちゃんと作業してるよ。みんな普通にしてる。吉田もね。何思ってるかは知らないけど」
「そうか……あの剣幕だったから、なんかやらかしてないかってちょっと不安でさ……」
「楓だって高校生なんだから、せいぜいちょっとがさつになる程度だって」
「それはわかってるんだけど、あいつは感覚がずれてるところがあるから……」
「まあ確かに前はあれだったけど、今はいいと思うよ。あんたが相手だと加減がおかしいままかもしれないけどさ」
葵さんの言うとおりかもしれない。私が家上くんと同じような扱いだったら、きっと早い段階で手が出されていた。
(ってことは、こいつ以外に手が出たことがあったのか?)
(何度かありました。よく一緒にいること、駒岡さんたちも結構からかわれてて、その時に手とか足とか出てました。そんなに怒ったようには見えなかったので、たぶんイラッときた程度だと思うんですけど、張っ倒したり投げたり……。あ、広い所での話ですよ。教室だったら、今でも家上くんがされるようなことやってました)
アズさんに一年生の時のことを話していたら、
「楓先輩と喧嘩したんですか?」
かわいらしい声がすぐそばで聞こえて、顔を上げてみれば一年生の女子がいた。ツインテールの美少女、後輩さんだ。名札には岐田桔梗と書かれている。かわいくてやや幼くて華やかな雰囲気の彼女の名前としては渋いように感じる。でも年を取った時のことを考えるとこういうのがいいのかもしれない。
私は視線を手元に戻して、家上くんと後輩さんが話すのを聞く。
「喧嘩っていうか、機嫌損ねた」
喧嘩したのは私です。
「なんだ、いつものことじゃないですかー。早いとこ謝るんですよ」
「もう謝ってる……いや謝ってないこともあるけど……」
「何やらかしたんですか?」
「今回は教えない」
「えー、まさかよほどのセク」
後輩さんが全部言わないうちに、
「事故だ、事故」
と、家上くんが慌てたように言った。
「またですか。注意力散漫過ぎません?」
……また? 過去にも今日みたいなことが?
さりげなく家上くんを見ると、彼は不満そうな表情になっていた。
「気を付けてたってどうしようもないこともあるんだよ」
「どーでしょーねー。晶先輩抜けてる所ありますからねぇ、あきとさんと違って」
あきと? もしかして家上くんのお兄さんの名前?
「兄さんと比べられたら大体の人は抜けてるって言えるんじゃないか……」
当たりだった。
「それもそうですけどねー。――それじゃ、このへんで」
家上くんとの会話を切り上げた後輩さんは、友達であろう女子生徒の元へ行った。
後輩さんのいる方をちらっと見た葵さんが家上くんに質問をする。
「ねー、晶。あんたたちってどういう集まりなの?」
「あー……友達の友達は友達みたいな感じ?」
「ふーん」
葵さんが納得したようには見えなかったけれど、彼女はもう質問しなかった。
(なあ。この二人名前で呼び合ってるんだけど、仲いいのか? オレが寝てて知らないだけで、話すことがあるのか?)
(保育園から小二まで一緒だったんです。小三で葵さんが引っ越して、高校入ってみたら知ってる人がいたって感じだと思います。葵さん、名前呼びのことが多いですし、小さい時と同じように呼んで、家上くんもそうすることにしたんでしょうね。去年の文化祭の準備の時は話してましたけど、二人で話してるの見たことはちょっとしかありません。良い同級生って程度じゃないですか?)
(心配にはならないか?)
(葵さん、彼氏がいますから)
いつも一緒でお付き合いしている人もいない美少女たちに比べたら脅威でも何でもない。
(そうか。それならいいな。そういえば前に、小さい時はどんなだったんだって気になってただろ? この子に聞いてみないのか?)
(聞いたらバレちゃうと思って……。それに、仲良しってわけでもなかったからよく憶えてないって言ってました。でも、ちょっと話してくれたことはあります。綺麗にお片付けできる子だったそうです)
(お片付けって、そりゃ園児の時だな? しつけがしっかりしてたってことかもしれないな)
(そうですね)
アズさんと話したり葵さんの話を聞いたりしながら作業を続けていると、不意に家上くんが手を止めて、ズボンのポケットからスマホを取り出した。
「涼木から、先に帰るって連絡きた」
ああ……家上くん、駒岡さんと涼木さんと帰れないんだ……。
もしかして初めてのことなんじゃないだろうか。家上くん、駒岡さん、涼木さんは欠席も早退もたぶん無い。喧嘩とかして別々に帰ったこともきっと無い。
他の人はどうするのかな。三年生は文化祭のために遅くまで残ることが少ないようだから今日も別かもしれない。士村さんと後輩さんは一緒かな。
「んじゃあ今塗ってるのが終わったら私たちも帰るとしますか」
一足先に塗り終わった葵さんは、箱にパーツをぽいぽいと投げ入れて、私たちが持ってきたものもついでに入れた。
☆★☆
使った道具を片付けて教室まで戻ると、廊下で士村さんが家上くんを待っていた。
家上くんは素早く帰る支度をして、
「樋本さん」
「はい?」
「また明日」
……家上くんの方から言われたーっ!
「ま、また明日」
私が返すと、家上くんは嬉しそうに少し笑って教室を出ていった。
ああびっくりした。
「また明日」ということは、私のしたことは家上くんにとって本当に良いことだったと思ってもいいのかな。でも家上くんは優しくて気遣いができる人だから……。
私は帰る前に、葵さんの所へ行った。
「葵さん」
「なーに?」
「今日はありがとう」
気を利かせてくれたことにお礼を言ったら、葵さんはにっと笑って私の両肩に手を置いた。
「楓に食ってかかった勇気を称える」
「へっ?」
「ただの気遣いじゃないってことだよ。それと、私だけの気持ちじゃないからね。まあ言い出したのは私だけどさ。それじゃ、また明日。――真紀、帰ろ」
葵さんが、スマホをいじっていた真紀さんに声をかけて、
「んー。ばいばい、ゆかりさん」
「あ、うん、さようなら」
真紀さんは軽く返事をして私に帰りの挨拶をして、そうして二人一緒に帰っていった。
……別に勇気を出してやったことじゃないんだけどな。
私とはるちゃんが学校を出たのは午後六時半過ぎだった。
「ゆかりんはさ、駒岡さんのこと怖がってたよね。喧嘩したらきっと手とか足とか出されて勝てない、って」
「うん。噛みついた時にはすっかり頭から飛んでた」
途中からは怖いと思う気持ちもあった。冷静になった今振り返ってみると、私がずっとうるさかったのは、怒りの他に、怖かったから叫んでいないと駒岡さんと言い争いなんてやっていられなかったというのもある。
「やっぱりね。でも、最初は考えなしだとしても、よくやったと私は思うよ。ゆかりんはそう思えないだろうけど」
「うん……。家上くんも葵さんも良く言ってくれたけど、明日、駒岡さんに謝る……やっぱり、ああいうのは良くない……」
もしかしたらビンタの後に少し待ってみれば、駒岡さんは自分のしたことがひどいことだと気付いて家上くんに謝ったかもしれない。彼女が自分で気付かなくても私が静かに諭していれば、やっぱり謝ったかもしれない。そうだったら、私が怒りをずっと抱えることはなかったし、家上くんたちはいつものように一緒に帰ることができた。葵さんが言っていたように、血の気の多い駒岡さんだって高校生なのだから。
駒岡さんは最初は落ち着きがあった。それなのに私が強く非難したから駒岡さんの声も大きくなってしまった。年下の男の子に売られた喧嘩を買っちゃう彼女のことだから、同級生が喧嘩腰で来たら反撃するのは当然で、今日はずっと私が怒鳴っていたから引くに引けなかったと思う。
はるちゃんや家上くんをびっくりさせたこと、教室の空気を悪くしてしまったことと合わせて、怒鳴って駒岡さんを無駄に怒らせてしまったことをよく反省しないといけない。