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38 お疲れ様

 油断していた。


「ぅいっ……たぁ……」


 浮かれていて、いつもより大きく動いたのかもしれない。自分でも原因はよくわからないけれど、痛い思いをした。


「ああー、痛そうに」


 うん、めっちゃ痛いよ、お母さん。

 駅にお母さんが車で迎えにきて、家に着いて車を降りようとした時に、何でかわからないけれど私は頭をドアの枠にぶつけてしまった。痛くて思わず座席に再び座った。

 痛い。こんな所でこんなことになるかもしれないなんてちっとも思っていなかった。階段を落ちるのよりはずっとましだけれど痛いものは痛い。


「うぅ~……」

(よしよし。まあこの程度で済んで良かったな)

(これが不幸の始まりだったりしないですか……)


 頭をさすりつつ慎重に車を降りる。


(心配しすぎだぞ)


 ドアを閉めようとしたら今度は静電気でバチンときた。青い光が見えた。


(さっそく追撃が)

(今のは関係ないって。よくあることだろ。でも玄関は気を付けるんだぞ。壁に手をついてから戸に触ること)

(はい)


 アズさんに言われたとおりにして家の中に入って、その後は寝るまでいろいろ注意して過ごした。


☆★☆


 翌朝。

 魔獣の核を提出しに行って、事務室のある五階でエレベーターを降りたら、デイテミエスさんとシェーデさんが壁際でひっくり返っていた。どうしたのかと近付いてみたら二人とも寝ていた。何でこんな所で。

 事務室の窓口にいた辰男さんに小瓶を渡すついでに話を聞いてみた。


「あの人たち、どうしちゃったんですか?」

「疲れて寝ちまったんだわ」


 辰男さんによると、二人は午前四時前に起きて、ここから離れた街に魔獣退治に行った。帰ってきたのが今から一時間前くらいで、寝不足と疲労でここで横になってしまったらしい。フェゼイレスさんも魔獣退治に行ったけれど、彼は寝泊まりする部屋にきちんと引き上げたそう。


「起こすのもかわいそうかと思ったんだがなあ、ずっと床で寝てたら体痛くなるで、そろそろ起こしてやるか」

「それなら私が起こします」

「おう、そうか。頼むわ。起きたらこれ渡してやってくれるか」


 辰男さんから小瓶を二つ渡された。一つは白い蓋で、もう一つは青い蓋。どちらの蓋にも私が読めない字が書いてある。デイテミエスさんとシェーデさんの名前かもしれない。

 辰男さんが事務室の奥に引っ込んで、私はまずシェーデさんから起こすことにした。シェーデさんの前に屈んで声をかけてみる。


「シェーデさん、シェーデさん。起きてください」

「……んううう?」


 眠そうな声を出しながらもシェーデさんは目を開けた。彼はまず私を見て、ぼんやりした顔で体を起こすと周りを見て何か呟いた。それから体をぐっと伸ばした。


「起きました?」

「うん」

「こんな所で寝てても良くないので起こしました」

「そうだね。ありがとう」

「これどっちですか?」

「こっち」


 小瓶二つを見せてどちらがシェーデさんのものか聞くと、彼は白い蓋の方を取った。

 私は今度はデイテミエスさんを起こしにかかる。


「デイテミエスさん。デイテミエスさーん。起きてください。こんな所で寝てたら体バキバキになっちゃいますよ。起きてくださーい!」


 声をかけても起きる気配がなくて、体を揺すってみる。


「起きてくーだーさーいー!」


 デイテミエスさんの目が少し開いた。


「寝るならお布団で寝ましょうよ」


 彼はなぜかふにゃーんとした緩い笑みを浮かべた。


「――――。――――――」


 何言ってるかわからないけど、これは寝ぼけてるんだろうな……。そう思っていたらシェーデさんがデイテミエスさんの言ったことを教えてくれた。


「ゆかりさん、ナンパされてるよ」


 やっぱり寝ぼけていた。


「ちゃんと起きて、上行って寝てください」

「――ー」


 シェーデさんも声をかけてデイテミエスさんを揺する。


「うぅぅぅ……」

「まったくもう。これでどうだっ」


 目を閉じて呻いて嫌そうにするデイテミエスさんの体をシェーデさんが力ずくで起こした。するとデイテミエスさんの目がさっきより大きく開いた。


「……おはよう?」


 私を見て日本語を喋るあたりある程度は目を覚ましたらしい。


「おはようございます」


 私は挨拶と一緒に小瓶を差し出した。デイテミエスさんはぼーっとした顔で小瓶を受け取って、


「……――」


 ぼそっと何か言った。独り言っぽくて、「ありがとう」ではないと思う。「眠い」かな。


「――――――」

「――」


 シェーデさんも何か言って、それにデイテミエスさんが頷いた。

 二人で少しやりとりした後、シェーデさんが私に言った。


「これから朝ご飯にするんだけど、ゆかりさんもお茶くらい飲んでいかない?」


 ああそうか。ご飯がまだなんだ。それならきっと、さっきのは「お腹空いた」とかそんな感じだったんだろうな。眠いだけでなくて空腹だったらデイテミエスさんがまだぼーっとしているのもわかる。


「はい。行きます」

「それじゃ先に行ってるね」


☆★☆


 事務室での用を済ませて食堂に行くと、デイテミエスさんたちの他にも人が複数いた。その中にはテーブルに顔を伏せている人もいる。この人たちも朝早かったのだと思う。

 デイテミエスさんとシェーデさんは向かい合って座っていて、デイテミエスさんの横の椅子の前に急須と空の湯飲みが置いてある。私の席はここらしい。

 私が座るとデイテミエスさんがにこにこ笑顔を向けてきた。もう眠気と空腹でぼーっとした状態じゃない。


「いやー、手間かけさせてごめんね。朝早くて」

「聞きました。私たちのためにありがとうございます」

「俺たちが一方的に迷惑かけてるだけだから、ちゃんと片づけないとね。こっちは魔力ある人少ないんだから、もっと頼ってくれてもいいと思うんだけどな。今は悪いのがよく来るわけだし」


 デイテミエスさんたちはときどき私と話しながら結構な量を食べた。私が来た時点で私には頑張っても食べきれない量に見えたのに、二人とも味噌汁をおかわりして干し柿を食べてお茶を二杯ずつ飲んだ。しかもデイテミエスさんはご飯を大きいお茶碗の半分おかわりした。

 二人が食事を終えて食器を持っていこうとするのを私は止めた。


「お皿は私が片づけておきますから、お二人はゆっくり休んでください」

「いいの?」


 シェーデさんが聞いてきて、私は頷いた。


「わざわざ別の世界から来てくれた人が疲れてるんですから、食器洗いくらいします」

「そういうことならお願いしちゃおうかな」

「はい」


 彼らが食堂を出た後、私は慎重に食器を流しまで運んだ。昨日のように私が痛い目に遭うだけならまだしもみんなのものまで損なってしまうわけにはいかない。

 よくよく注意して食器を洗って無事に食器棚にしまって、食事をしていたテーブルを拭きに戻ると立石さんがいた。今日のジャージは前にも見たことがあるものだと思う。


「やあ、おはよう」

「おはようございます」

「向こうの世界で面白いものが見つかってね。樋本さんに見せたくて待ってたんだけど、まだやることがあるようだね」

「はい」


 立石さんには待ってもらって、なるべく早めにテーブルを拭いて早めに台拭きを洗って、片づけを終わらせた。


「お待たせしましたっ」

「はい、お疲れ様」

「私に見せたいってことは、アズさんに関係あることですか?」

「そう。作るのに関わった人の日記なんだけど、その人は日本にも来てて、日本でのアイレイリーズ君とその持ち主の様子も書かれてるんだ。で、これがその日記のコピー」


 差し出された封筒を開けてみると紙の束が入っていた。それに並んでいる字が綺麗なのか汚いのかさえわからない。


「それは樋本さんにあげるよ。アイレイリーズ君に読んでもらえばいいと思うんだけど、読めるかな」

「聞いてみます」


 アズさんを起こして、書いてあることを読めるかどうか尋ねてみた。


(あー……何だこりゃ。『製作中のあれにアイレイリーズと名前を付けた。』だと)

(アズさんを作るのに関わった人の日記だそうです)

(ほう)


 アズさんが読めたことを伝えると、立石さんは「良かった」と言って微笑んだ。


「アイレイリーズ君の作り方とかは相変わらず不明なんだけど、昔のアイレイリーズ君のことがわかって面白いよ。それに何か思い出す切っ掛けになるかもしれないね。家でゆっくり読んで……って、それ鞄に入らないね。紙袋でも持ってくるからちょっと待ってて」


 立石さんは早歩きで食堂を出ていった。私は出入り口近くの席に座って待っていることにした。

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