34 傘は
学校が終わって、教室を出る前に携帯を見ると、清掃中にメールが来ていた。
(アズさんアズさん)
(んー?)
アズさんはすぐに起きたけれど、眠そうな、あまり力の入っていない声で返事をした。
(侵入者です)
今日も駅までの道が塞がれてしまった。駅は入っていないので、遠回りをすれば何の相手もせずに電車に乗ってしまえるけれど。
(わかった)
今度はちゃんと起きていることがわかる声だった。
校門から歩いて五分の所で私は膜の内側に入った。外と変わらず雨がしとしと降っている。
アズさんのコートが合羽になるので傘は畳んだ。
「家上くん、この傘見たら遠くからでも私だってわかるでしょうか……」
鞄と違って傘にはいろんな模様や色があるから個人を特定しやすいと思う。同じ学校で私と同じものを差している人は二人しか見たことがない。
ちなみに近くで見られたら即ばれる可能性が高い。傘をまとめるバンドに名前が書いてあるから。ここを握って隠そうと思う。
「わかるかもな。今度から袋か何か持ち歩いた方がいいな」
ふっとアズさんからコートが消えた。それからすぐにアズさんの手の上に畳まれていない状態で出てきた。
「今日のところはこれで隠しとけ」
「そういうわけには」
「いいからいいから」
「あっ……」
アズさんが私の傘にコートをかぶせてしまった。
「オレのことは心配するなって」
「……ありがとうございます」
持ちやすいようにコートを傘に巻き付けている時、通信機が鳴った。今回も立石さんかと思ったら森さんだった。
森さんによると、今日は魔獣だけでなく人も来ているそう。大胆な格好の怪しい美人を目撃した人がいるらしい。その美人がどんな人かはまだわからないけれど、たぶん迷惑な人に分類されるのだと思う。
いつもの道から外れて適当に歩いていると、急にアズさんが止まった。何かに気付いたんだろうなと私が思っているうちに、アズさんは私を抱えて、前と同じように車道に避難した。
「今日は重いな」
「リュックに古典と英語の辞書が入ってます」
「それでか」
私は地面に下ろされた。
私とアズさんがいた歩道には、黄色のトカゲっぽい魔獣が現れていた。結構大きい。
魔獣の首の辺りがブワッと大きくなった。あれはエリマキトカゲかなと思った瞬間、魔獣がビョンとジャンプした。
「かえるっ?」
私が驚いている間に、アズさんが刀を振って、魔獣がボトッと落ちた。アズさんは飛んできた魔獣を斬るのではなく叩き落としたらしい。
アズさんが魔獣をひっくり返して、胴体を容赦なく踏んだ。魔獣は頭を少し持ち上げて脚をもどかしそうに動かして尻尾をバッタバッタと強く振っている。
「主。たまにはオレを武器らしく使ってみないか?」
「えっ。……えっと、はい」
アズさんの提案に私は驚いたけれど、そういえば私以外はみんなしていることだった。だから私もやっておこうと思う。
「どうすればいいですか?」
「どこでも好きな所をぶすっと。噛まれないようにな」
私が刀を握って屈んだら、魔獣がグワッと口を開けて勢いよく閉じた。怖い。でも魔獣の口は何にも届かない。
私は魔獣の胸の辺りを刺した。驚く程簡単に刀は深く入った。
魔獣の頭がこてんと落ちて、脚と尻尾の動きが鈍くなった。
「少しの間、そのまま」
「はい」
アズさんが魔獣から足を下ろしても抵抗は弱いままだった。
魔獣が完全に動かなくなって、アズさんに「もういいぞ」と言われたので私は刀を抜いて魔獣から少し離れる。魔獣はその体から皮の感じがなくなって、泥のようになってぐしゃりと崩れた。
「魔獣を倒した感想は?」
「あんまり倒したって感じじゃないですけど……。ええと、アズさんってすごいんですね。あんまり力入れなくても刃がすーって入って」
アズさんが嬉しそうに笑った。
「こいつが柔らかいってのもあるんだけどな」
「ところでこれ、どこから出てきたんですか?」
「そこの家の屋根から降って……」
アズさんが途中で言葉を切った。アズさんが見ている方を私も見たら、黄色いものがビョンビョン跳ねて近付いてきていた。私が刺したのと同じものだと思う。
「お願いします」
アズさんに刀を渡す。
「おう」
トカゲみたいなかえるなのか、かえるの能力を手に入れたトカゲなのかよくわからない魔獣は一直線に私たちを襲いに来て、アズさんにすっぱり斬られた。
二個の魔獣の核を小瓶にしまって、侵入者探しを再開する。
次の侵入者は騒がしくしていたからすぐに見つかった。
そこはファミレスの駐車場で、三匹の魔獣が新崎さんに挑んでいた。新崎さんは青く光る長いものを使って魔獣の相手をしていて、よく見てみたら彼の武器は傘だった。
「あいつも男の子だなー」
アズさんが少し笑っている声でそんなことを言った。
傘を振り回す新崎さんの姿は確かに小学生の男子っぽいところがある。
「ああやってチャンバラごっことかする子の傘って長く保たないんだよな」
「それ、はるちゃんからも聞きました。はるちゃんが一本使う間に弟くんたちは二人とも二回傘変えたって」
「それで買い換える時は、お姉ちゃんはいいの買ってもらうけど、やんちゃ坊主たちは安いやつ」
「そうみたいです」
はるちゃんは新しい傘をお母さんと買いに行ったけれど、弟たちのものを買う時はお母さんが一人で行って「ボロになったから新しいの使ってね」と新品を渡していたらしい。今は上の弟は中学生になったので自分で選んだものを使っているのだとか。
ところで新崎さんを襲う魔獣は何だろう。色はくすんだ黄緑色で、ライオンみたいなたてがみがあるけれど体はあまり大きくない。小さいライオンだとしても何かおかしい。
新崎さんが傘を大きく振って魔獣を一匹殴り飛ばした。その魔獣は少し宙を舞って近くの車のボンネットに落ちた。もう何度も殴られているだろうに魔獣はむくりと起き上がって、新崎さんを襲いに戻……らないで、こちらへ突っ込んできた。
アズさんが私の前に立って、飛びかかってきた魔獣を蹴った。地面にひっくり返った魔獣はさすがにもう起きなかった。
残りの二匹のうち、一匹が頭を叩かれてよろけた。私にわかったのはそこまで。
何がどうなったのか、一匹が吹き飛んで、もう一匹が倒れた。倒れた方には青い矢が刺さっている。新崎さんが傘をその場に落とした。
飛んだ方がまだ立ち上がろうとする姿を見て、そこでやっと私は魔獣の何が変に思えるのかわかった。ライオンなのに猫みたいに尻尾全体がふわふわだ。
新崎さんは魔獣を立たせなかった。彼が弓矢を出して魔獣にとどめを刺す方が速かった。
弓をしまって傘を拾った新崎さんにアズさんが「無事か?」と声をかけると、新崎さんはこくりと頷いた。新崎さんの傘はもう光っていない。
私はアズさんが蹴った魔獣の核を拾って新崎さんに差し出した。でも彼は受け取らなかった。
「それはお前たちの分だ」
「え? 貰っていいんですか?」
「ああ。一匹そっちに行って助かったし、倒したのは俺じゃない」
「三匹相手にしてても大丈夫そうに見えましたけど」
私に続いてアズさんも言う。
「それに、蹴っただけで倒れるようにまでしたのはお前だろ」
「おかげで速く終わったから、いいんだ」
「そうですか。じゃあ貰いますね」




