32 彼の言動は
火曜の放課後、はるちゃんと一緒に教室を出ようとしたら、
「待って。樋本さんと小野さんちょっと待って」
どういうわけか涼木さんに呼び止められた。振り向いてみれば涼木さんのそばに駒岡さんと守矢さんがいる。あまり見ない組み合わせだ。
はるちゃんが「何?」と用件を聞いて、涼木さんが答える。
「明日、文化祭の準備できる時間あるでしょ? うちらは折り紙やるのがいいんじゃないかって話になってさ。折り紙の本持ってたら、持ってきてよ。どんなのでもいいからさ」
「わかった。持ってくるよ」
はるちゃんも私も頷いて、ついでに「また明日」を言って教室を出た。
もしかすると、涼木さんに挨拶したのは今のが初めてかもしれない。
☆★☆
翌日。
午後の授業の時間になって、教室では作業しやすいように机と椅子が全部後ろに下げられた。
私たちの班は空いたスペースの隅に集まって、なんとなく円になって座る。私の左隣ははるちゃんで、右は涼木さん。涼木さんの右には駒岡さんがいて、もう一つ隣に家上くんがいる。家上くんからは、百瀬くん、藤森くん、両角くんと並んでいて、はるちゃんに戻る。藤森くんと両角くんは、後からこの班に決まった人だ。どこの班でも良かった二人を文化祭実行委員の小川くんがこの班に入れた。
円のほぼ中心に、涼木さんが守矢さんから渡された色紙を置いた。
「帰宅部率高いなあ」
百瀬くんがそう言って、
「八人中五人か? 確かに多いな」
家上くんが頷いた。
部活に入っているのは、はるちゃんと藤森くんと両角くんだけ。他の班を見てみたら、どこも帰宅部が少数派のようだった。
作業が進みやすくていいのではないかと言った涼木さんに百瀬くんが同意した。
持ち寄った折り紙の本を全員で見る。
藤森くんが本をぱらぱらとめくりながら言う。
「オレの、手裏剣とか飛行機とか、飛ばして遊ぶやつばっかだからたぶん役に立たない」
「あ、それ私のと一緒」
はるちゃんは二冊持ってきていて、一冊が藤森くんとかぶった。その本には名前を書く欄があって、はるちゃんのは兄弟三人分が大人の字で、藤森くんのは子供の字で、しっかり名前が書いてある。微笑ましい。
「おれのも微妙ー。紙が余ったときに飾りでもつくるのにはいいかもしれないけど」
そう言う百瀬くんの本は分厚くて、複雑なものがいくつも載っている。簡単なものの本も以前はあったけれど引っ越しの際に捨ててしまったらしい。
「私のこれもいらないかな。勲章はこっちにある」
涼木さんも二冊持ってきていた。一冊は百瀬くんの本と同じようなもので、もう一冊は薄くてかわいらしい絵が描かれている。彼女は薄い方を開いてとあるページをみんなに見せた。
「『はな』って書いてあるけど」
怪訝そうな駒岡さんに涼木さんが説明する。
「これにリボンつけると勲章っぽくなるの。ここに書いてあるでしょ」
「なるほどね。何か付けるのもありなのね」
納得する駒岡さんの横で、家上くんも本を開いて床に置いた。
「勲章って言ったらこれだと思ってた」
彼の本は写真で解説している。この本で紹介されている勲章は四角っぽくて、私が考えていたものとだいぶ違うように見えた。
「勲章って丸いものじゃないの?」
両角くんもみんなに本を見せた。それには私が知っている形の勲章の絵が描かれていた。
「私のと同じのかな」
私も本を開いて両角くんの本の横に置いてみた。私の本は写真がたくさん使われていて、折ったものを使って遊ぶ子供の姿まである。
「うん、そうだね。同じのだ」
私の勲章の完成形や折り方を確認して両角くんが頷いた。
「どうすんの? 全部作る?」
藤森くんがそう言うと、
「一種類よりはいくつかあった方がいいよね」
百瀬くんが意見を出して、
「勲章だけ? こういうのもいいと思うんだけど」
はるちゃんがもう一冊の本を見せた。開かれたページにはリボンの折り方が載っている。私の本にもあるものだ。
「これの方が嬉しい子もいそう」
涼木さんが言った。
確かにいそう。私が園児だったらどれを選ぶだろう。リボンをよく作ったからリボンかもしれない。勲章はあまり面白いものに思えなかった気がする。でも、本に載っている見本のようにシールが貼られていたりおしゃれなリボンが付いていたら、きっと勲章を欲しがる。
駒岡さんがはるちゃんの本を引き寄せた。
「へえ、最初に半分に切っちゃうのね。たくさん作れていいじゃない」
「うん。節約ってこともできるけど、リボン希望する子には二個あげるってのもありだと思うんだ」
「それ女の子にはいいけどさあ」
藤森くんにそう言われて、はるちゃんは「そうなんだよねー……」と返した。
リボンを選ぶ男の子はきっと少ない。勲章とリボンで選ばせたら、多くの男の子にとっては選択肢なんて無いようなものかもしれない。
というわけで、男の子向けのものを探してみることになった。
私は本を百瀬くんに貸して、はるちゃんの本を見せてもらう。藤森くんが「たぶん役に立たない」と言った方だ。一つくらいは男の子が身に着けて遊ぶものがあるかもしれない。
目次に「ヒーローのベルト」と書いてあるのを見つけた。良さそうなものがあったと思ったけれど、大きい紙で作るべきものだった。残念。
「いろいろあるのね……」
駒岡さんの感心したような呟きが聞こえた。
彼女は涼木さんの本の簡単な方を膝の上に乗せて、興味深そうに見ている。あの様子だと折り紙にはあまり馴染みがないのかもしれない。彼女の本は無いようだし。
「あんた、折り紙あんまりやったことないの?」
私と同じことを思ったのか、涼木さんが駒岡さんに聞いた。
「ええ。二、三回、飛行機とか風船とか作ったくらいだと思うわ」
「忘れてるだけじゃない?」
はるちゃんがそう言うと、駒岡さんは首を横に振って、色紙を指差した。
「私にはこれが珍しいものに思えるの」
そんな駒岡さんこそ珍しいと私は思う。高校生にもなれば折り紙は遠いものになるかもしれないけれど、珍しいものとまで思う人はそんなにいないんじゃないだろうか。幼い頃に外国にいると駒岡さんみたいになるものなのかな。
「樋本さん」
おわっ、家上くんに話しかけられたっ!?
「本にこれ挟まってた」
いつの間にか家上くんも私の本を見ていた。
彼は、オレンジ色の色紙で作られた四角くて平べったいものを持っていて、それにはペンで目と口が描いてある。
「気付かなかった……。また挟んでおいてくれる?」
「わかった。これって樋本さんが作ったやつ?」
「うん」
わりと大きくなってから作った記憶がある。小四か小五くらいだったと思う。本棚に折り紙の本があるのを見つけて何年かぶりに開いて、今なら自力で全部できるよね、なんて思って作ったものの一つだ。
「女の子らしくてかわいいな」
…………!? 今、家上くん何て言った? 何て言った? なんかすごいことを私に言わなかった? え? え?…………私に? 私が家上くんに「かわいい」って言われた? そんなことってある?
「……樋本さん?」
家上くんが不安そうな顔をした。何で?
(主。あいつ、主が固まってるから変なこと言っちまったかと思ってんじゃないか)
えええ、そんなあああああ!
お、落ち着いて、落ち着いて考えて、何か言わなきゃ。
頭がうまく回らない私の肩に手が置かれた。はるちゃんの手だ。
はるちゃんが私の肩をぽんぽん叩きながら家上くんに言う。
「ゆかりん照れ屋なんだよ。あと男子からかわいいって何かを褒められた経験なくてびっくりしてんの」
そうだ、私が、なんてことないんだ。私に言ったけれど褒めたものは人ですらない。物に対しての言葉だ。勘違いしたらいけない。
「そ、そう?」
家上くんがはるちゃんに移していた視線を私にそっと戻して、私はなんとか頷いた。はるちゃんの手が私から離れた。
「と、当時の、あ、小学生だったんだけど、その時の私も、かわいくできたって思った気がする……」
「そっか。……その、びっくりさせてごめん」
どうして謝るの、家上くん……。
「あ、謝らないでっ。私の方こそ、変なところで、ごめんなさい。それと、褒めてくれてありがとう」
家上くんがほっとしたように小さな笑みを浮かべた。
ああー……家上くんのこういう表情もいいなあ。
「で、何なの? それ」
駒岡さんが質問して、家上くんの意識が彼女に向いた。
「これめくれるだろ? こんな風に目とか口とか描いて、めくっていろんな顔にして遊ぶんだよ」
私はというと、はるちゃんに腕をちょんちょんとつつかれた。彼女の顔を見たら、にやにやしていた。恥ずかしくてなんとなくつつき返しておいた。
☆★☆
結局、勲章とリボンの他に腕時計をプレゼントすることになった。
あとはただ折るだけ。私ははるちゃんと一緒にリボンを担当する。
色紙をはさみで切っていたら、
「なあなあ、ハンカチでリボン作ったことある?」
「保育園でやったことある気がする」
「おれ知らない」
そんな男子たちの会話が聞こえてきた。藤森くんがハンカチのリボンを話題にしたのは、はるちゃんが折ったリボンが彼の視界に入ったからだろうか。折り紙をすることで小さい頃を思い出したから、ということもありそう。
会話に駒岡さんが加わる。
「結んでどうにかするの?」
「それより折るとか畳むって感じ?」
両角くんが答えたけれど、駒岡さんはいまいちわからないようだった。
「こうするんだよ」
家上くんが青いハンカチをポケットから出した。彼は駒岡さんに説明しながらリボンを作って、それを自分の頭に乗せた。
「それっぽいだろ」
「そうね」
駒岡さんが頷くと、家上くんは今度は襟元にハンカチを当てた。
「蝶ネクタイにもなる」
「見えるわ」
家上くんが手を伸ばして、ハンカチが駒岡さんの胸の前に。
「あとこうすると、ぶ、あだっ」
駒岡さんにチョップされて家上くんがハンカチを取り落とした。
頭に両手を当てて「いってぇ……」と呟く家上くん。ああ、痛そう。今のは私も擁護しかねるけれど……。
駒岡さんが家上くんから少し離れて彼を睨んだ。
「何で私にやるのよ」
「いや男がやるのはどうかと思って」
頭のリボンは家上くん的にはセーフなのかな……あ、駒岡さんの頭だと駒岡さんには見えないからか。
「男子が女子にやる方がどうかしてるわ」
「ごめん」
素直に謝った家上くんはハンカチをポケットにしまった。
むすっとした表情で駒岡さんが元の位置に戻る。
「まったく、アキラって将来セクハラで訴えられるんじゃないかしら」
「うぐっ……」
家上くんとしては反論できないらしい。
「バカガミとアホキラから抜け出せそうにないね、あんたは」
涼木さんが、折り紙から顔も上げずに追撃した。
「アホキラって何だよ。いつそんなのが追加されたんだ」
「アホな晶ってこと。前から言われてるよ。バカガミに比べて語呂が悪いから言うことが少ないだけ」
「うわー……。誰が考えたんだ」
「さあね」
アホキラはたぶん、二月に葵さんが言ったのが最初だと思う。家上くんが駒岡さんを怒らせたのを見て「今度アホキラって呼んでやろうかな」と葵さんが言ったことがある。それは何かと私が聞いたら、「意外とアホな晶ってことでアホキラっていうのを今思いついたの」と返された。でも、あれ以降彼女が家上くんをアホキラと呼ぶところを私は見ていないので、ここは黙っておこうと思う。
バカガミについては、私は一月に知った。山村くん(クラスの二大イケメンの一人)が家上くんに向かって「そんなんだからバカガミなんて言われるんだ」と言ったのを聞いた。山村くん曰く、意味は「意外とバカな家上」で、言い出したのは隣のクラスの人だとかそうでないとか。
(バカでもアホでも、本当は頭に「意外と」が付くんです。だから家上くんの評価はいい方だったはずなんです)
リボンを折りながら、アズさんに相談のようなことをしてみる。
(それなのにどうして、怒らせるようなこと言ったりやったりする人になっちゃってるんでしょう。駒岡さんが怒ること、家上くんならわかりそうなのに……)
駒岡さんに対して何もしないでいることだってできるだろうに。
(……厳しいこと言うようだけどさ、わからないから不名誉なあだ名があるんだろ。それか……わざとやってる)
え? わざと?
(叩かれたり罵られたりするのが嬉しいやつなのかもしれないぞ。本読むとたまにそういうやつが出てくるだろ?)
家上くんは、踏まれたり殴られたり縛られたりするのが好きな人? とてもそうだとは思えない。
(そんな人だったら、笑ってるんじゃないですか? 家上くんはいつも痛そうで嫌そうです)
(喜ぶところ見せたら、叩いても逆効果だって思われるだろ)
(本当にそういう人だとして、家上くんのことだから駒岡さんをわざわざ不快にさせることはないと思うんですけど)
(それならあの子もあの子で、実は大して嫌がってないのかもしれないぞ。主にとっては人を叩くのは相当なことだろうけど、たぶんあの子にとっては軽いことなんだ)
そんなことってあるのかな。何だかんだで友達だから、彼女としてはあまり気にならなくて軽く流しているつもりなのかな……?
(魔力を使ってよく戦ってると考えると納得できないことはないぜ。使わないと全力には程遠いはずだからな)
ああ、そっか。そんな可能性があるのかあ……。
(普通の人と、特に魔力が無い人と、かなり感覚がずれてるかもしれないってことですね)
(ああ。そんなやつがいた……っていう話を、聞いたことがあるような、気がする……?)
アズさんの声からどんどん力が抜けていった。
(ずいぶん自信なさそうですね)
(昔……かなり昔……元のやつの思い出かもしれない)
おお、とても古い記憶っぽい。
アズさんは向こうの世界の歴史的にすごいことまで知っていそう。
(――いろいろ言ってみたわけだが)
アズさんの声が元に戻った。
(寝言だとでも思っててくれ。少なくともさっきのことは、あの子にとって結構嫌なことだったろうな。わざわざ頭に一撃入れてるわけだから)
あ、そうか。いくら駒岡さんでも、そんなに怒っていないならきっと叩くのは頭じゃなくて手のはずだ。頭にチョップする程怒らせることを、家上くんはわざとしないだろうから、うっかりやってしまったのだと思う。
でも、そうだとすると家上くんは自分の行動が女子を怒らせることだとはわからなかったということに……? 前に涼木さんが言ったように、学習していない……? いやいやまさかそんな。
きっと何か別の理由が……例えば、ちょっと注意しただけで手の甲をつねられたり脚を蹴られたりしているから、その仕返し的な感じかもしれない。寛容な家上くんだって、痛くされたら仕返ししたくなる……よね?




