30 全部お任せ
休日になって私はまた組織の本部へと出かけた。
来るようにと指示された場所は八階の体育館(本当は運動場というけれど体育館と呼んでもいいらしい)だった。
体育館の中は長い机が並んでいて、複数に区切られていた。
こちらの世界の人より向こうの世界の人の方が多くいるように見える。前と違って、突飛な服を着ている人はたぶんいない。
入ってすぐの所にいた美世子さんが、
「ゆかりちゃんは刀だからあそこね」
そう言って奥のスペースを指差した。
言われた所へ行くと、刀のお手入れ(たぶん)をしている人が三人いて、そのうちの一人がシェーデさんだった。彼は、汚れてもいい格好ということなのか、色あせた青いTシャツを着ている。
「あのー」
声をかけてみたら三人共顔を上げて私を見て、
「ああ、ゆかりさん! おはよう! 待ってた!」
シェーデさんが嬉しそうに立ち上がって、段ボール箱から黒い何かを引っ掴んでから近寄ってきた。仕切ってある長机越しに話すことになるかと思いきや、彼はそれを軽く飛び越えてきた。……近すぎない?
「お、おはようございます」
「あのさ、きみの刀、長いこと整備してないよね?」
「そうみたいです」
「それならまるっと預けてくれない?」
「まるっと?」
「鞘もってこと」
(うぇー……)
なぜかアズさんが嫌そうにした。
シェーデさんには少し待ってもらってアズさんと話す。
(鞘ごとは嫌ですか?)
(縮むから嫌だ)
何が? 本体が?
(せっかく伸びたのに縮んじゃうってことですか?)
(そう。今整備のために全部出たら最初に戻っちまう)
大体一ヶ月の分がそんなに速くなくなる?
伸びたいアズさんにとっても、伸びてほしい私にとっても嫌だなと感じることだ。でもアズさんはもう長い間、本体すら見てもらっていない。ここらで丸ごとやっておいた方がいいんじゃないかとも思う。
(一旦縮んでおいて、後は何の心配もなく伸びるっていうのはどうですか?)
(今だって別に心配はないぞ)
……なんだか、長いこと怪我も病気もしていないから自分は大丈夫って言って検査を嫌がる人みたい。
(そうですか)
話す相手をシェーデさんに戻す。
「アズさんが、鞘ごとは縮むから嫌だって言ってます」
「それなら大丈夫だよ!」
シェーデさんは手に持った物を私に見せながら言う。黒い物は細長い布だった。
「今はこれでそんなに縮まないようにできるから! 減るのが大きいのでも、一時間で三、じゃなくて……――――」
シェーデさんは俯いて頭に指を当てて、その状態で私にはわからない言葉でもごもご言っている。それでも「メートル」と呟いたのはわかった。これは……単位が思い出せないのかな。
「センチ?」
「――……それより小さいの」
「ミリ?」
「そうそう、それ! 一時間で大体四ミリに抑えられるの。きみの刀ならもうちょっと抑えられるんじゃないかなあ」
(それならまあいいか……)
乗り気でないことは変わらないもののアズさんが承諾したので、私はそのことをシェーデさんに伝えた。すると彼はまた嬉しそうに笑って「良かった!」と言い、黒い布を渡してきた。布はごわごわしていて、触り心地は良くない。
シェーデさんが更衣室を指差した。
「あそこで出してきてね。出したら鞘にそれをぐるぐる巻いて。あ、出し方わかる?」
(オレが教える)
「アズさんが教えてくれるそうです」
「それなら大丈夫だね」
シェーデさんたちから離れて、私は誰もいない更衣室に入った。
(座って落ち着いてやろうぜ)
アズさんにそう言われたから床に座る。
(じゃあやるぞ。まず普通にオレ出して)
手の上にアズさんを出した。今日もアズさんの刃は綺麗だ。今回も本体は置いておけばいいそうなので、床にそーっと置いた。
「入れた時のこと思い出して、あれの逆が起こることを想像してみてくれ。逆再生する感じで」
うーんと、先が刺さって入ったから、反対から出てくると……。
服の上から胸の辺りを見つめて想像してみたら、ほんの少しだけ胸がくすぐったいような感じがした。
少し出たとアズさんに教えられて、襟から覗いてみた。
うわあ……埋まってる……。
確かに鞘があった。見えている部分が少なくて、刺さっているというよりは埋まっていると言った方がしっくりくる。特に痛くはない。
「あとは続きを想像してもいいし、引っ張ってもいい。引っ張った方が早いか」
襟から手を入れてちょっと引っ張ってみると、その分がすんなり出てきた。やっぱり痛くも何ともない。
……よし。
私は鞘をしっかり掴んで、一気に引き抜いた。
「おお主、大胆だな」
「入れる時に一気にやろうって言われましたから、出す時もそうした方がいいと思って」
答えながら鞘に布を巻き付けて、それから刃を納めた。
アズさんを手に持ってシェーデさんたちの所に戻ると、
「――――!?」
たぶん驚かれた。
「あの?」
「あ、えっとね、出すの早いよ! 普通はね、入れる時も出す時も苦労するんだよ。だから全部預けてくれないかって聞いたんだよ。苦労しなかったら『はい、出して』って言うよ」
へえ、そうなんだ。
「人によるし、早くできるのもあるけど、それにしたって早いよ。すごいねえ」
「そういうところも、アズさんは特別ですか?」
視線を下げて本人(人じゃないけど)に聞いてみた。
「いや、特別って程じゃない。主が速くできる人で、オレが速く出るタイプで、主が素直にオレの言うこと聞いたからだな」
アズさんが喋っていたら他の二人も寄ってきて、興味深そうにアズさんを見た。一人が何かぽつりと言って、もう一人が頷いた。「本当に喋ってる」とか言ったんじゃないかと思う。
「アズさんのこと、お願いします」
私がアズさんを差し出すとシェーデさんが手を伸ばしてきたけれど、
「ちょっと待って」
そんな言葉と共に、彼の手はアズさんに触れる直前にピタッと止まった。
「緊張してきた」
シェーデさんは一度手を強く握って、また開いた。でも今度は手が少し震えている。私も初めてアズさんに触った時は慎重になったけれど、ここまでではなかった。一体どうしたんだろう。あの時に初めて武器としての刃物を触った私と違って、シェーデさんは慣れていると思うのだけれど。
「緊張なんかすることないだろう?」
アズさんがシェーデさんに声をかけた。
「そんなこと言われても、きみ一つしかないし、魂に関係してる部分がどうかなったときの直し方わかんないし。他の作れないし、ご先祖様の超自信作だし」
「そうか」
アズさんの声がどこか嬉しそうなものに聞こえた。たぶん「超自信作」と言われたのが良かったのだと思う。
「どうかなったらオレがあれこれ指示するから、そんなに心配するな」
なるほど。アズさんが教えることができるから、資料に肝心なことがなくてついでに伝説扱いでも大丈夫らしい。
「そうなの? 構造がわかってるの? それじゃどうやって作られたかも知ってる?」
「それは知らん」
「そっかー……」
「ほら、早く持て。余計なことしてたら縮むだろうが」
「う、うん。わかった」
ようやくシェーデさんはアズさんを掴んだ。もう手の震えはない。
アズさんを両手でしっかり持った彼が私に言う。
「どれくらいかかるかはわかんないから、終わったら呼びに行くか、きみに連絡するよう誰かに頼むね。暇つぶしは食堂でしてる人が多いみたいだよ」
「わかりました。――それじゃアズさん、良くしてもらってくださいね」




