3 謎空間
帰ろうとして立ち上がった時、
「お嬢さん、お嬢さん」
後ろの方から、若い男の人の声が聞こえた。呼ばれたの、私?
振り向いてみても誰もいない。
「身動き取れないからこっち来てくれないか?」
困っているのかもしれない。行ってみようか。不審者だといけないから慎重に。
「とりあえず石の腰掛けのとこまで来て。で、お嬢さんから見て右の石灯籠」
その石灯籠の方から声が聞こえた。陰に誰かがいる様子はない。意外とハイテクでスピーカーでも内蔵されているのだろうか。
石灯籠に近付いて、次の指示を貰う。
「中に四角い石があるだろ? それ取ってみてくれ」
石灯籠の、明かりを入れる所に手を入れて、言われたものを持ち上げた。思ったよりも重い。
「それは隅にでも置いとけばいい。いいか?」
「はい」
「じゃ今度は、ちょっと下。飾りが五つあるだろ? 真ん中のは引き出せる」
ひし形の飾りの一つを掴んで引っ張る。うわ、本当だ、抜けた。
「それはさっきのと一緒でいいだろ。次、太くなってるとこの、一番上。三つに分かれてるだろ?」
「はい」
「それも真ん中が引き出せる。なるべく慎重に取ってくれると嬉しい。ちょっと苦労するかもな」
言われた部分の上下に溝がある。そこに指を入れて、引っ張ってみる。む……動くけれど重い。
力を入れて両手で引っ張ると、それは引き出しのようになっていた。そしてその中には布に包まれた何かがあった。慎重に、と言われたのはこれがあったからだろう。
石の引き出しをゆっくり地面に置く。
「布取ってくれ」
今、石灯籠じゃなくて、地面というか石の引き出しから声が聞こえたような気がする。
包みを開けると、見慣れないものが出てきた。……刀?
そんなに大きいものじゃない。鉛筆一本と半分くらいの長さだ。短刀と言えばいいだろうか。
「よう」
そんな軽い挨拶みたいなこと言われても……。
こんなものを出させて、私を呼んだ人はどうしたいのだろう。何か切ってほしいものでもあるのだろうか。っていうか、
「どこにいるんですか?」
声の主が身動きが取れないということしか私は聞いていない。いったいどこにいてどうやって指示を出しているのだろうか。
辺りを見回していると、
「ここ!」
やっぱりすぐそばから声が聞こえた。
「どこですか?」
「目の前」
え、ええ? もしかして、
「この刀ですか?」
「そう」
「どういう仕組みですか?」
スピーカー内蔵は石灯籠でなくて刀なのだろうか。
「あー、えーと、あれだ。付喪神? 最初からだけど。まあとにかくそんな感じ」
付喪神?……じゃあ、機械仕掛けとかじゃなくて、刀に何かが付いてて喋ってるってこと!
刀だから自由に動けなくて私を呼んだということだろうか。
「信じられないかもしれないけど、それは今は置いといて。――お嬢さんは、何でこの辺りが静かだったかわかるか?」
自称付喪神的な何かの短刀さんは急にそんなことを私に聞いてきた。
「全然わかりません」
「じゃあ教えてやるよ。この世界は、ちゃんとした道を通ってこないやつを閉じこめるんだよ。元々この世界にいるやつは受け入れるけどな。あの静かな空間は、侵入者を閉じこめるためのものってわけだ」
……ええと、膜の中は侵入者を閉じこめる空間だったと? で、侵入者というのは……
「変なのがいただろ?」
「あ、はい。紫色の、熊と鳥みたいなのが」
「それはな、魔獣って言うんだ。魔の獣。別の世界から来た、生き物もどき」
生き物もどき? じゃあ変な熊と鳥は生き物もどきだからあんな風に消えたのだろうか。
「あの熊と鳥は、別の世界から変な道通ってこの世界に来て、閉じこめられてたってことですか?」
「そういうこと。密入国して捕まるようなもん」
「出入り自由でしたけど……」
少し抵抗はあるけれど、あれは自由と言っていいと思う。立て付けの悪い扉を開けるのと同じようなものだ。あれで閉じこめることができるなら、変な熊も鳥も意外と非力なのかもしれない。
「普通は自由じゃないんだよ。まあ端にさえたどり着ければ、出るのはこの世界のやつなら簡単だけどな。お嬢さん、綺麗な白い石持ってない?」
「持ってません」
「ストラップとかに付いてないか? 小さいのが何かに紛れてることもあるぞ」
そう言われるとはっきりとは答えられない。
背負っていたリュックと手提げのバッグを置いて、持ち物を点検してみる。
ええと、これは石なんか付いてないし、この白いのは石じゃないし……。
それらしきものは見つからない。
「やっぱりないみたいです」
「んじゃお嬢さんはそういう人なんだな」
「そういう人って、どういうことですか?」
「普通は白い石を持ってなきゃダメなんだが、それがなくてもなぜか入れちまう人ってこと。そこでだ。お嬢さん、オレの主にならない?」
……主? 付喪神的な何かの短刀の主? 短刀の……
「持ち主ってことですか?」
「そういうこと。そろそろまた誰かのものになりたいなって思っててさ。主になってくれたら守ってやるぜ? お嬢さんみたいな人は、気が付いたらあの空間の真ん中にいることがある。すぐに出られたらいいけど、その前に何かに襲われたら困るだろ?」
「気が付いたらって……」
膜を通らなくても入ってしまうということ?
「散歩してたらとか、家で寝てたらとか」
えええ。そんなのすごく困る。守ってもらえるのだとしたらありがたい。でも、
「短刀さん? は、神社のものなんじゃないんですか?」
「いいや。前の主がここに置いてっただけ」
「私が持ち主でいいんですか?」
「よっぽど変なやつじゃなきゃ誰でも歓迎さ。それにオレ、お嬢さんみたいな人のために作られたんだ」
「じゃあ、えっと、私のになってください」
物に対して自分のものになれと言うなんて、変な気分だ。
「おー、女の子にそんな台詞言われるとなんかいい気分になるな!」
……そういうもの?
「ともかくありがとう。んじゃ、ちょっと鞘から抜いてくんない? 指とか切らないように気を付けてくれよ」
短刀を手に取ってみた。軽いような、重たいような。
鞘と柄を掴んで、柄の方を引っ張っると、綺麗な刃が出てきた。博物館とかお城とかで見たことのあるもののどれよりも、ずっとずっと綺麗だと思う。ガラス越しでないからだろうか。
「鞘だけ持って。本体は地面でいいから」
短刀をそーっと石の引き出しに置いて、言われたとおりに鞘だけを持った。
「鞘を胸に直接当てて。一部が触れてればいい」
不思議な注文だ。とりあえず制服の襟から鞘を差し入れてみる。これでいいのだろうか。これで何がどうなるというのだろう。
「強く押し当ててみて」
こう……って、あれ?
何かがおかしくて、胸を覗いてみた。……何これ。
「さ、刺さってる……!」
胸に鞘が突き刺さったような感じになっている。刃ならわかるけど何で鞘が。訳がわからない。痛くないのが不思議。
「そのまま全部入れちゃって」
「全部……」
入れるの? 入るの? 入ってる……本当に、何なの、これ。
「そんなゆっくりじゃなくて一気にやっちゃおうぜ、お嬢さん」
一気に……うん、訳がわからないのが長く続くよりはいいような気がする。
やりやすいように制服のボタンを二つ外した。
鞘をぐっと押して、微妙に残って、押し込んで、全部入った。
「はい、よくできましたー」
短刀さんはとても嬉しそうだ。
「今度は本体持って。持ってくれるだけでいいから」
短刀の柄を握った瞬間、刃が青く光った。と思ったら、誰かの脚が見えた。
「え……?」
顔を上げると、私を見下ろしてニッと笑う、強気そうな男の人がいた。
男の人は、髪の毛も目も青色で、すごく整った顔立ちで、背が高くて、洋服のような和服のようなよくわからない黒い服を着ている。ブーツで、ズボンで……何だろう。着物要素を取り入れたコート?
すっと男の人が片膝をつき、口を開いた。
「これから長い間よろしく、主」
短刀さんと同じ声だ。
「あの、短刀さんですか……?」
「そう。刀に付いてるのがオレ。驚いたか?」
「はい……」
これで驚かない人なんて、そうそういないと思う。
「ははは、そうだよなー」
男の人改め短刀さんが私の手から短刀を取った。
短刀がふっと消えた。手品……じゃない気がする。
さっきから、いや膜に気が付いてから、私は何を見ているのだろう。
「それにしても」
短刀さんがずいっと顔を近付けてきた。
「主はかわいいな」
「……え?」
いきなり何だろう。……悪い気はしないからいいけれど。
「今までの主は男ばっかでな。女でしかもこんな若いなんて幸せだ」
幸せ? 私で? 駒岡さんとかだったらもっと幸せ?
すっと短刀さんの手が伸びてきた。何だと思えば、外したままだった制服のボタンを留めてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
あああ、恥ずかしい。男の人にこんな……この人、男だよね?
「さて、そろそろ主も家に帰りたいだろうから」
今度は短刀さんがふっと消えた。短刀が消えた時と同じように、音もなく一瞬のうちに姿が見えなくなった。
(おー、いい感じ)
うわあっ? 何だろう、頭の中で短刀さんの声が聞こえたような。
「短刀さん、どこに……」
返事はまた頭の中で聞こえた。
(鞘の中)
鞘の? その鞘は、さっき……。
(つまり主の中)
鞘だけじゃなくて全部入ったということ?
どこに? 声が聞こえる頭? でも鞘は胸から入れたはずだし……。
「私のどこにそんな空間があるんですか……?」
(さあなあ。今までの主も不思議に思ってたんだがオレにもよくわからん。それにしても快適……女の子だからかなあ……)
短刀さんの声はどことなくのほほんとしている。訳がわからないけれど、気に入ってくれたようだから、とりあえずはまあいいか。
早く家に帰ろう。
……あ、その前に石灯籠を元に戻さないと。