2 変なの
困った。
家に帰るには膜を通らないといけないらしい。なぜなら膜はこの街の一部を囲っていて、私の家は囲いの中だから。きちんと確かめたわけではないけれど、間違ってはいないと思う。
どうしよう。膜の中の自分の家に着いたところで、帰ったことにはならない気がする。でも、もしかしたら膜の囲いはドーナツみたいになっていて、普通に家に帰れる、なんてことがあるかもしれない。
行ってみよう。だめだったら、我が家は諦めておじいちゃんおばあちゃんの家に行こう。
「寄り道をする」とお母さんにメールを送ってから、膜の中に入った。
家に向かって歩いていると、信号機がちゃんと動いていることに気付いた。音がなっているし、色が変わる。
あ、赤だ……。でも今は、渡ってもいいかな? だめ?
一応、青になってから渡ることにした。
膜を通ってから三分くらい歩いて、神社の前を通りかかった時だった。
車道を挟んで反対側の歩道に、変なのの姿を見つけた。
全体的に紫色でずんぐりむっくりな四本足。うーん……熊? 離れているから正確なことはわからないけれど、結構大きいと思う。
変なのは私に気付いていないようだ。襲われてもいけないから今のうちにこの場を離れ……いいや、隠れるくらいにしておこう。この中で初めて見る生き物なのだから、見ていればここのことが何かわかるかもしれない。
とりあえず神社の境内にいて、変なのを観察してみることにした。
変なのは、のそのそと動いているけれどこちらに近付きもしないし遠ざかりもしない。いったい何をしているのだろう。
もう少し待ってみて変わりがないようなら、別の道を通って……あ!
変なのが走りだした。私に気付いた? でも変なのは車道に出ない。ということはたぶんあっちの歩道に何かを見つけたんだろう。
神社の前を変なのが通る。大きくて耳が丸くて尻尾も丸い。やっぱり熊の仲間だろうか。
変な熊が向かう先を見てみれば、人がいた。人の方も走っている。頭が銀色だ。若そうに見えるけれど、お年寄りかもしれない。手に持っている長いものは何だろうか。
人が車道に出ると変な熊も出た。変な熊の狙いはあの人で間違いないだろう。
ウゴーッと鳴いた変な熊が人に飛びかかるのと、人が両手で持ったものを変な熊に向けて振ったのはほとんど同時だった。
人が変な熊を、殴った? 違う、斬った?
とにかく人は無事そうで、熊は地面にドサリと倒れた。
そして、熊の体が崩れた。
よくわからないけれど、そう見えた。いきなり骨がなくなってしまったかのようだった。
もう熊だとは、動物だとは思えない。変な紫色の塊だ。
「え……えー……?」
しかもかなりの勢いで小さくなって、一分しないうちに消えてしまった。
熊の体があった所で銀髪の人が何かを拾うような動作をした。少しの間、指で摘んだ何かを見て、最後は地面に叩きつけた。
銀髪の人が歩き出した。近付いてくる。
……家上くんだ! 髪の毛の色が変だけど、あの人は家上くんだと思う。それから彼が手に持っているものは、剣に見える。
ど、どうしよう。
事情がわかっているようだから、声をかけるべきだろうか。でも、剣なんか持っているあの人が家上くんじゃなかったら……。
銀髪家上くんが足を止めて振り返り、剣を構えた。
紫色の何かが飛んできて、銀髪家上くんはそれを斬った。紫色から何かが地面に落ちた。
「ギャアアアアア!」
うわ、うるさっ。
紫色のものが悲鳴を上げたらしい。
銀髪家上くんに斬り落とされたものが、さっきの熊と同じように小さくなっていく。
紫色のものは大きな鳥だ。銀髪家上くんが斬ったのはそれの脚だと思う。
鳥がまた銀髪家上くんを襲う。銀髪家上くんはそれをよけて、剣を振った。今度は鳥の一部だけじゃなくて全部が落ちた。
変な鳥が小さくなって、また銀髪家上くんは何かを拾った。そしてやっぱり彼はそれを地面に叩きつけた。近い所で見たせいか、それが割れて飛び散ったのがわかった。
……どうしよう。出る? 出てあの人に話しかけてみる? まだ何か変なのがいたら困るから隠れているべき?
「アキラー、どこー?」
どこからか家上くんを呼ぶ声が聞こえた。駒岡さんの声だと思う。
「神社の前ー」
銀髪家上くんが返事をした。今の声は間違いなく家上くんだ。「アキラ」と呼ばれて返事をしたし彼は家上くん本人のはずだ。でもどうして銀色なの。染めた? かつら?
少しして、真っ赤な髪の人が車道を歩いてやってきた。あのポニーテール……もしかして駒岡さん? 駒岡さんだとしたら何で赤いの。
駒岡さん(?)も物騒なものを持っている。両手に細い剣を一本ずつ。
「無事?」
「大丈夫。お前は? みんなは見たか?」
「私は見てのとおりよ。ルリなら見たわ。特に問題ないと思う」
ルリ……涼木さんのことだ。彼女もこの中にいて、髪の色がいつもと違うことになっているのだろうか。
駒岡さんが遠くを見た。何かに気が付いたらしい。
「終わったみたいね」
その言葉に家上くんが頷いた。
そして二人の手から武器が消えた。光の粒になって、それが手の中に吸い込まれていくようだった。
「ここじゃ誰かに見られるから移動するわよ」
もう見てるけど……。
誰かに見られるのが嫌なら、話しかけない方がいいか。
「こっち」
「わかった」
家上くんは、駒岡さんに連れられて、走ってどこかに行ってしまった。
私も移動しようか。あの人が「終わったみたい」って――
「わっ……うぇ」
急に地面がなくなったような感覚がして、バランスを崩した私は尻餅をついた。
それとほぼ同時に、辺りが賑やかになった。
「あ……」
車が走っている。歩いている人もいる。元に戻ったらしい。
あの静かな街は何だったのだろう。っていうか……
「かっこよかった……!」
何が何だかわからなかったけれど、大きな剣を振り回す家上くんはとてもかっこよかった。それに銀髪があんなに似合うなんて! いつもの家上くんも素敵だけど!
きっと私はとても素敵な秘密を覗いたんだ。掃除の時にちょっと話せただけでも幸せなのに! 今夜はいい夢を見られる気がする。駒岡さんのことは考えない。
さて、帰ろう。