16 少し不思議
土曜日、私はまた出かけた。行き先は先週と同じで、目的は魔獣退治の証拠を提出すること。証拠を見せるのはすぐでなくてもいいと立石さんに言われていたから、私は帰宅時間が遅くなることを避けて休日を選んだ。
バスの中で読書をしていると、不思議な感覚がした。
今、アズさんが起きた。そんな気がする。
確かめるためにアズさんに話しかけてみる。
(起きました?)
(お? わかるようになったか)
アズさんの言い方からして、どうやら本当に今起きたところらしい。
(わかるものなんですか?)
(ああ。オレが主のことわかるんだから、主だってオレのことわかるさ)
納得できるような、別にそうでもないような。まあとりあえず、そういうものと思っておこう。
私は読書をやめて、後はアズさんと話すことにした。バスがとあるピアノ教室の前を通ってからは、アズさんが、前の持ち主の家にピアノがあったという思い出話を聞かせてくれた。
アズさんが起きてから十分程で目的地に着いた。
地下駐車場に入った私は、エレベーターを動かすために、先週貰ったカードを手に持った。
そういえばこういうのは初めてかもしれない。切符みたいに、ペラペラなものを機械に入れることはあるけれど、固いカードを上から下に動かすのは心当たりがない。ドキドキしてきた。
確か、安藤さんと新崎さんはこれくらいの速さで……。
カードを通すと、機械に付いている小さなランプの色がオレンジから緑に変わった。エレベーターに乗れるようになったらしい。
三角のボタンを押してすぐに扉が開いた。何の問題もなかった。良かった。
エレベーターで上っていった先には、事務室がある。事務と名前が付いているけれど、あまり事務という感じのしないこともするらしい。魔獣の核に残った魔力を他の物に移す作業とか、魔力の測定とか。
ここの窓口で魔獣の核を提出するよう言われているのだけれど……誰もいない。「用がある人は押してね☆」と書いてあるシールが貼られたベルがあったから押してみた。チーンと音が鳴って、「はーい」と聞き覚えのある声で返事があった。
「まー、ゆかりちゃんじゃなーい」
窓口に顔を見せたのは美世子さんだった。
「魔獣の核持ってきたのね?」
「はい」
「それじゃ受け付けるわ。あ、私はここの担当でもあるの」
「立石さんから聞いてます」
私は魔獣の核が入った小瓶を美世子さんに預けた。
「十分くらい待っててね」
美世子さんが奥に引っ込んで、私は廊下の壁際に置かれた長椅子に座った。
アズさんに思い出話の続きをお願いしようかと思っていたら、近くでドアが開かれた音がした。事務室の中から誰か出てきたんだろう。
廊下の角から、黒髪の四十歳くらいの男性と、茶髪の二十歳くらいの女性が姿を現した。女性は見覚えがある気がする。先週あの場にいたのだと思う。
どうやら私に用があるようで、二人は私のそばまで来た。
「樋本ゆかりさんだね?」
男性にそう聞かれたので私は「はい」と返事をした。すると、男性がまず名乗って、それから女性を私に紹介した。男性は笹山さんで、女性はジェイネさんというそうだ。ジェイネさんは日本語が話せないので笹山さんが通訳するとのこと。
私の隣にジェイネさん、その横に笹山さんが座った。二人は短い会話をして、それから笹山さんが私に向けて言った。
「ジェイネさんは魔力を察知できる人なんだけど、この距離でもあなたから全然魔力を感じないらしいんだ」
「私は魔力一切ないみたいですけど」
「それが、あなたの武器の魔力も全くわからないって言ってるんだよ。でも先週戦ってた時はかなりの魔力を感じたそうなんだ」
「はあ」
今はアズさんの魔力もわからないと。
「それだけの魔力があるはずなのに全然漏れてないのが不思議でね」
笹山さんが全部言う前に、不思議な感覚がした。と思ったら、長椅子の前に人のアズさんが立った。今のは、アズさんが出ようとしたのが私にわかったのかもしれない。バスで感じたものとは少し違った感覚だった。
「そりゃ興味深い」
急に出てきたアズさんに、笹山さんは「うわっ」と声を上げて仰け反り、ジェイネさんは声は出さなかったものの、まるでお化けを見たかのように顔をひきつらせた。
アズさんは驚かれることに慣れっこなんだろう。二人に対して何の反応も見せずにジェイネさんに質問した。
「この状態ならわかるんだな?」
元の姿勢に戻った笹山さんが通訳すると、ジェイネさんはこくこくと頷いた。すると人のアズさんが私に短刀を持たせて姿を消した。
「これならどうだ?」
刀のアズさんの質問にジェイネさんが何か答えた。笹山さんによると「魔力を付けた他の武器と比べて控えめ」と言ったらしい。
「あの、アズさんがあることってわからなきゃおかしいものなんですか?」
何を確かめたのかよくわからなくて聞いてみたら、ジェイネさんが答えてくれた。
“おかしい”ということはない。武器の魔力は持ち主の中にあれば察知しにくくなるもの。でもアズさんくらいの魔力なら、この距離にいればわかるはず。それなのに全くわからなかったのが不思議。……ということらしい。
興味深いと言って出てきたあたり、アズさんも普通とは思っていないようだけれど……。
「主、オレから手を離してみてくれ」
アズさんにそう言われた私は、椅子にアズさんを置いて立ってみた。
「これでいいですか?」
「おう。――――」
「――――。――――――」
ジェイネさんに何やら確認したらしいアズさんは、笹山さんに、魔力はあるのかと聞いた。笹山さんが「ある」と答えると、今度は笹山さんに触るよう私に言った。
アズさんが何をしたいのかわからないまま私が笹山さんと握手をすると、ジェイネさんが驚いた。なんでも笹山さんの魔力がジェイネさんにわからなくなったらしい。
「たぶん、主の中にあるものの魔力は普通よりずっとわかりにくくなるんだと思う。しかも触れてれば外のものにも影響がある」
「はあ、そうなんですか」
自分のことなのに全くわからない。触ったものにも影響があるなんて、何か出してるのかな、私……。
「何ででしょう?」
「そういう体質なんじゃないか? 二番目の主が、あっちのやつかと勘違いされる程だったから真逆だな」
「へえ、そんなに個人差があるんですね」
「確かに人によって違うことだけど」
笹山さんが会話に入ってきた。
「触ったものまでっていうのは、何か別の能力のような気が」
「そうかもしれないが、別に困ることはないだろうし、どっちでもいいだろ」
「それはまあ確かに。このことは一応、総長に伝えるよ。困ることはなくても役に立つことはあるだろうから」
ジェイネさんと笹山さんは来た時のように一緒にどこかに行った。階段を上っていったようだった。
また暇になってアズさんと脳内で喋っていたら、今度は立石さんがやってきた。今日も黒いジャージを着ているけれど、前回、前々回会った時とは違うものだと思う。
「やあ、おはよう。聞いたよ、樋本さんの体質だか特殊能力だかのこと。ところでこの後は何か予定はあるかな?」
「ありません」
「それなら六階の食堂に来てほしいんだ。紹介しておきたい人たちがいてね。あとどれくらいでここの用事終わりそうかな」
「そろそろだと」
思います、と答えようとしたところで美世子さんに呼ばれた。
窓口に行くと、
「お待たせ。まず入れ物。それからこれが報酬ね」
空になった小瓶と茶封筒を差し出された。茶封筒の中身は五千円札一枚だった。
「こ、こんなに」
「大きさのわりには安い方よ」
「そうなんですか?……ありがとうございます」
「またよろしくねー」
用が済んだので、立石さんと一緒に六階へ上がることになった。




