144 助かるけれど
そこは明るくて華やかな所だった。スピーカーから落ち着いた音楽が控えめな音量で流されている。デパートだと思う。今のように避難所になるよう作られているということか、入ってすぐは芸術的なオブジェがあるだけの広い空間になっている。
避難してきた人たちは床に座って休んでいたり奥に歩いて行ったりエスカレーターに乗ったりしている。
私は薄緑さんと端っこに座った。その途端どっと疲れが押し寄せてきた。どれくらいここで休めるだろう。
(アズさん。私、この人に何て言ったことになってるんですか?)
(拉致された。犯人から逃げてきた。大使館に行きたい。って大体本当のこと言った)
なんと。悪人扱いは免れたかもしれないけれど、これはこれで警察に連絡されかねない。
「――――」
何か言いながら薄緑さんが立ち上がった。
(飲み物もらってくるって)
薄緑さんが歩いていく方向を見れば、壁際に設置されたテーブルのそばにデパートの店員と思しき制服の人がいて、避難してきた人に何か渡している。
(主。周りから見えないようにオレを出してくれ。あのお嬢さんに主のことなんとか説明するから)
(お願いします)
私は鞄を脇に置いて、立てた膝の下に手袋(上着のポケットに入れておいた)を敷いてその上にアズさんをそっと出した。
薄緑さんが紙コップを二つ持ち帰ってきた。
「〈どうぞ〉」
「〈ありがとうございます〉」
差し出された紙コップはほんのり温かかった。ぬるま湯だ。水分ありがたい。
薄緑さんが元の位置に座ると、
「――。――――」
アズさんが小声で呼びかけた。
「?」
薄緑さんが声の出所を探してきょろきょろと周りを見た。まさか私の下からだとは思っていないようだ。
「――――――」
薄緑さんの目が私に向けられたけれどすぐに別の方へ行った。
「――――――、――――」
視線が私に戻ってきて、ちょっとずれて私の鞄に固定された。惜しい。
私は薄緑さんの肩を軽く叩いてからアズさんのある場所を指差した。
「……?」
薄緑さんは武器を見て怪訝な顔をした。
「〈これ〉」
「〈え?〉」
「〈これ、話します〉」
「?」
「――――」
アズさんがたぶん気さくな挨拶をした。
「〈これ、何?〉」
薄緑さんにアズさんの説明を求められたけれど私にはまだ無理だからアズさんに一任する。
「――――」
「〈あなたは?〉」
「――――――――」
「――」
薄緑さんの顔から困惑が減った。アズさんの言葉の中に「魔術」とあったように聞こえたから、魔術で武器から声が聞こえているのだと認識したんだろう。
アズさんはたぶんここでも大体正直に話す作戦でいった。薄緑さんはおそらくは警戒して疑いつつも話をしっかり聞いてくれた。そして、
「携帯貸してくれるって」
「えっ」
それはとっても嬉しいけれど。
「国際電話ですけど、大丈夫でしょうか」
通話料金を着信側持ちにする方法があるけれど国とか電話機によっては使えないと聞いている。
「――――?」
「――――――」
薄緑さんは肩掛けの鞄からピンク色で折り畳みの携帯電話を出した。
「主、料金は向こう持ちで」
「はい」
私は通信機の袋を開いて、電話番号の書かれた紙を用意した。すると薄緑さんが電話番号を入力する画面を表示した状態で携帯を手渡してきた。
「〈ありがとうございます〉」
紙と携帯を交互に見ながら間違いのないようにボタンを押す。全部入力して、発信ボタンを押して、携帯を耳にあてた。呼び出しの音は高めのプルルル……だった。応答までは長かった。たぶん着信側が料金を払う電話ですよという確認が入ったからだと思う。
『〈はい、――――――アンレール・メイセル・フィウリー大支部です〉』
男性の声だ。地名の前の組織名であろう部分はうまく聞き取れなかったけれど「魔獣」はわかった。ああ、繋がった……!
「もしもし。助けてください」
まずこう言う決まり。これで電話に出たのが日本語がわかる人でなかったら別の人に代わる。
『樋本さんですか!』
わっ、電話の向こうで叫ばれた。待ち構えられていたようだ。
「はい。樋本ゆかりです」
『無事ですか!』
あ、わかった。電話に出たのはディウニカさんだ。
「元気です。レゼラレムのエクタリクルにいます。あの迷惑な人たちに捕まってたんですけど逃げました。親切な人に携帯を借りてます。今、街に魔獣が出てて、マーカドルっていう大きいお店が避難所になってて、そこにいます」
私の早口での説明をディウニカさんはメモを取りながら聞いているようだった。
『武器は没収されていませんか?』
「何も取られていません。でも魔術を制限する腕輪を私に付けられてしまって、あと、逃げるまでずっと魔力に干渉する強力な装置みたいなものがそばにあったのでアズさんがまだ万全じゃありません。この近くにファルメミア大使館があるみたいなのでそこに行こうとしてました」
『まだ安全な場所にいるわけではないのですね。少し待てますか? 一旦切って、少し、長くても五分くらいでこちらからかけ直します』
急いで私への指示内容を決めるんだろう。
私はアズさん経由で薄緑さんにまだ貸してほしいとお願いして了承してもらった。
折り返しの電話は三分後に来た。
『今その国には私たちの仲間が観光客としているので、彼らとの合流が目標です。が、合流には時間がかかってしまうので、樋本さんは外に出られるようになったら予定どおりファルメミア大使館に向かってください。着いたら電話を借りてもう一度ここに連絡してください』
「はい、わかりました」
この国に味方がいる。それを知ることができただけでもとても嬉しい。だからだいぶ前向きな気持ちで電話を切ることができた。
「〈ありがとうございました〉」
「〈どういたしまして〉」
私が携帯を返すと薄緑さんはぽちぽちと操作して、何かを見て「おわー」とちょっと驚いて、それから私に画面を見せてきた。ライブカメラからの映像だろうか、街のどこかの様子が高い所から映し出されているそれを見て、私はあっけに取られた。
「わ、何これ、うわ」
「主? 何見てるんだ?」
「か、かいじゅう……」
怪獣がいる。
正確にはすごく大きな魔獣。
いや建物と比べるに小さい頃にテレビで見た特撮の宇宙からやってきた怪獣ほどにはたぶん大きくない。でも私が見た魔獣の中では飛び抜けて大きい。後ろ足で立ち上がった時、角がビルの八階に到達している。形のベースは熊で、鹿みたいな角と馬みたいな尻尾が生えている。
「怪獣? でかい魔獣か?」
「はい……」
アズさんが「見せて」と要求すると、薄緑さんは戸惑ったようだったけれど、画面を下に向けた。私は少し脚を開いた。
「〈見えますか?〉」
「〈見える。〉こりゃでけえ。こっちでもなかなかないはずだぞ、これ。――――――――?」
「〈はい。〉――――――」
「――。こんなに大きいの、この子も初めてだって」
「そうなんですね」
薄緑さんが携帯の向きを変えて自分と私が見れるようにした。
怪獣は二匹いる。その周りに普通の大きさの魔獣の群れと大勢の人間がいて、少し前まで怪獣だったと思われる泥の山もある。
怪獣は魔獣らしく暴れている。そしてめちゃくちゃ攻撃されている。ビームみたいなのが当たって、携帯電話の小さな画面ではよくわからない攻撃をたくさん受けているっぽくて、魔力の槍とか矢とかそんな感じのものが何本も刺さりっぱなしっぽいのに、まあ元気なこと。
「……ああ……建物とかに結構な被害が……。しばらくは通行止めになるんじゃないでしょうか」
並んだビルの窓ガラスが割れたりすっかりなくなったりしている。一部がえぐれた建物もある。標識が折れ曲がっている。高い位置にある縦長の看板の下半分が消えている。
これどこだろう。ファルメミア大使館までの道のりはどうなっているだろう。
退治するものがみんな消えた後の街を心配する日が来るなんて。複製空間が出来上がる不思議な仕組みに感謝しないといけない。
アズさんが薄緑さんに聞いてみたところ、現場はここから歩いて十分とちょっとの所らしい。うーん、被害の規模を考えるとちょっと不安になる距離。魔獣って動き回るものだし、しかもまだいっぱいいるし。対処する人間の数も多いけど。
魔獣出現の頻度が高いし、数が多いし、時には怪獣みたいな個体も現れる。魔獣退治の仕事に就く人の数も多くなるというものだ。
怪獣はどれだけの攻撃を受けたら倒れるのかな。もしこれがあの空間に現れたら倒すのすっごく大変だろうな……とか考えていたら、画面の中を強い光が走った。そして二足で立っていた怪獣が頭部を大きく損傷して後ろに倒れて、そのまま泥の山になった。
「おー」
「わあ……」
私たちと同じく魔獣退治の映像を見ていたらしい近くのグループも感嘆の声を上げた。
「今度はどうした?」
「なんか、怪獣に光線が当たったっぽくて、怪獣が倒れて力尽きました」
「ほう、光線か。怪獣らしくやられたか」
怪獣は残り一匹(画面外にまだいるかもしれないけど)。これには引き続きこまごまとした攻撃が仕掛けられている。さっきの強い攻撃は位置的に使えないのだと思う。
不意に画面が切り替わって、文字が表示されて、音楽が流れ出した。折り返しの電話の時に聞いたのとは別の音だ。
薄緑さんが素早く携帯を耳にあてた。だから私は画面に出ていた文字はちょっとしか見られなかったけれど、あれはたぶん「お母さん」だった。
「雰囲気的に親御さんか。無事だって伝えてる。あのでかいのニュースになってるのかもな」
そうだとしたらどれくらい重大なニュースなんだろうか。人への直接の被害がなくても影響が出そうな範囲を考えるに大きめ、でも自然現象が原因で電車が長時間止まっちゃった、みたいなのよりは下?
通話はそう長くはなかった。薄緑さんは画面を街の映像に戻しながら何か言った。
「お母さんが心配して電話かけてきたって」
「やっぱりそうでしたか」
電話の間に怪獣は角を片方なくしていた。立ち上がって左の前足を振りかぶったと思ったらその足に何か当たって爆発した。左前足がなくなったように見える。たぶん吹き飛ばされた。
「――――。――――――」
「充電減ってきたから終わりだって」
画面の隅を見てみれば電池のアイコンがあって、バッテリーの残りは半分ほどになっているようだった。
薄緑さんが携帯をしまった。
「――――、――――――。――」
彼女が何か言ったのは私に対してだと思うのだけれど、アズさんは通訳を後回しにして受け答えした。
「――――――、――――――――。――――――――」
薄緑さんが喋ることに対してアズさんがなんか渋ってるみたいな雰囲気の返答をすることが何度かあった後、とうとう私に伝えることにしたアズさんは、
「主、どうしよう」
と、まず言った。
「この子、心配だから大使館まで一緒に行くって言ってる」
「えっ、すごく迷惑かけちゃうかもしれません」
「オレもそう言ったんだけど、自分はまあまあ魔術できるんだとか、困ってる人を助けるだけなんだから問題無いとか言って引かないんだよ。主のことだけ考えるならこの子がいた方がいいけどさ……」
「――――――――?」
「……自分がどんな顔してるか自覚あるかって」
「え?」
試しに触ってみたけれどわかることはなかった。
薄緑さんが長々と何か言うとアズさんがたぶんかなり元の言い方に沿った形で訳した。
「私が手を握ろうとした時からめちゃくちゃ感情がわかりやすくなってるよ。基本暗い顔してて、不安なのも困ってるのも顔に出てるよ。一度目の電話の時は繋がってた間は良かったけど切れた時には心細いのが丸わかりだった。今は不安っていうか怖がってるって言った方がいい顔だよ。肝試し直前のビビりの人みたいだよ。あとね、ここに着いた時にはすんごい疲れた顔しててすぐに休ませなきゃって思った」
それでお湯を貰ってから座るんじゃなくて座ってから私を残してお湯を貰いにいったのかな。
「なんか恥ずかしいです……」
この感想をアズさんは訳さなかった。私を見ればわかるからだろう。
何でもないふりをして目立たないようにしないといけないのに明らかになんかある(あった)みたいな顔をして街を、それも大使館付近を歩いたら不審に思われそうだし、そうじゃないとしても血色が悪いとなれば心配されてそれはそれで警察官とかに声をかけられかねない。ああ銃なんか血を落とした時に置いてくればよかった……。
「――、――――――。――?」
「放っておいたらまずい顔してるんだってわかったか、だってさ。こんなに主を心配されたら守り刀としては拒否しづらい」
うう、そんなこと言われたら薄緑さんにいてほしくなってしまう。この人はこの国の人で、特に武道とかやってないとしても私よりずっと強いとか思うと、何かあった場合には速やかに逃げられるだろうから別にいいんじゃないかって……いやいや、良くない。敵はやたら強いし国家元首が関わってくるかもしれない。こんな親切な人を危ないこと面倒なことに巻き込んではいけない。
「――――――。――――――――――」
「拒否されてもついてくる気だこのお嬢さん。そもそも家が大使館方面だから同じ道を行くことになるって」
「そんなあ」
行き先を伝えてあるから、ついていくと決められてしまったらもうどうしようもない。
「……何かあっても、私は責任取れません。それでもいいですか」
私の言葉をアズさんが伝えると、薄緑さんときたらあっさり頷いた上に、にこっと笑った。




