142 走って
目を覚ましたら午前六時を少し過ぎたところだった。薄暗い外を見るとまあまあ雪が積もっていた。
テレビの電源を入れて一チャンネルにしたら期待したとおりにニュースを見ることができた。雪で一部地域で電車が運休になったそうだ。
干しておいた下着はまだ冷たかったからドライヤーで温風を当てて乾かした。
七時にまた紫色の人が部屋に来た。彼女は私に食事を渡した後、荷物をまとめておくよう言った。私はこの後どこかに連れていかれるということだと思う。
朝食にはパンとスープが出された。パンは小さい食パン一つで、四角いままぽんとお皿に乗せられている。スープは黄色い。ちょっとすくって飲んでみてわかった。昨日残したシチューがこれになったのだと。
八時半に灰色の人と紫色の人が来て、私は外に連れ出された。灰色の人は厚手のコートを着て下はスカートという組み合わせで、今日は制服着用ではないようだ。履き物は防寒用の短いブーツで変わらない。ちなみに紫色の人も私服姿だけれど彼女は最初から制服ではない。
玄関の前はロータリーになっていて、車が一台停まっていた。ロータリーにますますホテルっぽさを感じたけれどフロントとかのホテルらしい設備が無いしここはやっぱりすんごいお金持ちのお屋敷なんだろう。
私は後部座席の真ん中に乗せられて、両隣に灰色の人と紫色の人が座った。女性で挟まれたのはもしや配慮だろうか。
この車も左ハンドルだ。運転席には知らない男性がいて、助手席には黄緑色の人が乗っている。男性二人が上着の下に何を着ているかはわからないけれどたぶん魔獣退治の制服ではないんだろう。この国にあの制服の人がいるのはおかしいから。
(後ろから干渉されてる)
アズさんによると魔力に干渉する何かがトランクに積まれているらしい。
(弱い。ずっとこれならオレ直る。あんまり遠くまでは行かないのかもな)
アズさんが戦えるくらいに回復しないうちにまた強力な何かの効果範囲に私は置かれるわけか。
腕輪も効果が薄いようだし、強めようとすると影響の出る範囲が広くなるものなのかな?
(強いと周りの車とか人に迷惑かけかねないから弱くしてるんでしょうか)
(そうかもな)
車が走り出した。門から出て、脇に家が点在する道を進んでいく。左側通行だ。
十分ほど走ると窓の外に建物が増えてきて、道が広くなって、市街地と呼べる景色になった。庭のある大きめの住宅が並んでいる。そして閑散としている。住宅は木造だったりコンクリートだったり煉瓦だったりする。
(住宅街っていうより、別荘地か? かなりの金持ち向けの)
別荘地かあ。そうかも。出歩いている人がいないだけじゃなくてどこにも人がいない感じがする。あ、わかった、駐車場に車が無いからだ。昨日のテレビ番組を参考にするにここは標高が高いようだから避暑地で、この時期に訪れる人は少ないのかもしれない。
さらに走っていくと街並みが華やかになった。おしゃれなお店が並んでいる。今のところ人は少ないけれどあと一時間もすれば交通量が増えて活気が出てきそう。
(看板にお土産とか名物とか書いてある店がちらほらあるな。観光地だなここ)
(何が名物なんですか?)
(たぶん花の味のもの。主が使った部屋の隣の部屋についてた名前のやつ。あ、今、紫色のソフトクリームの模型あったの見たか? あれぶどうじゃなくてリューフュってものの味)
(そうだったんですか)
赤信号で車が止まって、すぐ近くにある店舗をよく見ることができた。あれは菓子店だと思う。出入り口横の垂れ幕に描かれているシュークリームみたいなものの中身が紫色だ。そばに書かれている単語は、えっと……りゅーふゅ、ぺとるじって。ペトルジッテというのがシュークリーム的なお菓子を意味する言葉のようだ。
青信号に変わって、車の窓の外にはすみれのような花の描かれたシャッターが現れた。張り紙があったので臨時休業か何かっぽかった。
(今の絵の花でしょうか)
(きっとそうだ)
花ならどこかに花畑があって観光名所になっているのかな。
そういえば家上くんはこの国のどんなものを見て感心したんだろう。
車がさらに進んでいくと街並みが変化した。観光客より地元の人が利用しそうなお店が増えて、大型の店舗も見かけるようになった。
お? 前方に何やら関門がある。
(高速、自動車、道、出入り口って書いてある)
インターチェンジか。高速に乗るのか。
運転手は屋根の下で一旦車を止めると窓の外の機械にカードをかざした。すると車を通せんぼしていた細長い板が上がって通行できるようになった。
高速道路を走ったのは一時間半くらいだった。道路は除雪された形跡があったけれど凍っていたから道のりの半分くらいは車はあまりスピードを出していなかった。標高が下がって路面が乾いてからはすごく速くなった。たぶん日本の高速道路だったら出せない速度が出ていたと思う。
インターチェンジを出た所は都会の端っこといった雰囲気で、車が進むにつれて街はどんどん栄えていった。
(大都会だな。さすが首都)
アズさんの言うとおり、ここは首都だ。案内標識にしっかり書かれていたから間違いない。
(綺麗に造られてる所ですねえ。ちょっと前からずっと道がまっすぐですし、交差点で横見るとやっぱりまっすぐです)
家上くんもこの景観を見たのかな。あ、なんか塔がある。形はエッフェル塔、いや東京タワーの方が近いかな。
塔のある方向をじーっと見ていたら、灰色の人が「エクタリクル塔だよ」と教えてくれた。エクタリクルというのはこの都市の名前だ。
看板を読んでみたり歩行者を観察したりしてちょっぴり観光気分になっていたらまた街の雰囲気が変わってきた。何十階とある超高層ビルは姿を消して、私から見れば西洋風で古風な建物が並んでいる。雰囲気は落ち着いたけれど都会ではある。たぶん建物の外観に気を遣って昔からの街並みをなるべく維持しようとしているのだと思う。
とある交差点で車が曲がると前方にエクタリクル塔とは別種の塔が見えた。それも複数。雰囲気からして教会とかお城とかの昔からある重要な建造物の一部かも。すごく高いというわけではないからさっきのザ・大都会にあれば埋もれる。すぐに車がまた曲がったからあまり観察できなかった。
車はある煉瓦の壁の建物の前で止まった。たぶん住宅で、敷地はこの辺りの家の中では広い方。門があって、二階建てで、駐車スペースがあって、庭がある。
私は車から降ろされて、他の四人と一緒に建物の中に入った。運転手だった人が車に積んでいた邪魔っけな装置を屋内に持ち込んだ。
外観から想像するより古っぽい雰囲気の洋館だ。薄いピンクの壁紙がくすんでいる。外の壁はわりと最近直されたのかもしれない。
どうやら大人四人もここに来るのは初めてのようで、私を奥へと連れていきながらきょろきょろしていたし、たぶん「客間ってどっちだ」とか「ここで合ってるか」みたいな会話をしていた。
そして私はまた客用っぽい部屋に入れられて、おとなしくしているよう言われた。部屋の戸が閉められてすぐ、
(あー、良くなってきてたのに。車に載ってたやつの出力が上がった)
アズさんが悔しそうに言った。
(よっぽどアズさんが怖いんですね)
今の状況なら迷惑な人たちがかなり有利なはずなのに、自分たちが不健康になってまでアズさんを封じ込めることを選んだのだから。
(オレのことは武器ってことくらいしかわかってないだろうし、オレに何の問題もなかったら主はこんな所からさっさとおさらばできるからな)
私が元気なことに変わりはないからとりあえずあまり広くない室内を調べる。ここにもお風呂とお手洗いがある。他にはベッドがあって、エアコンがあって、机と椅子があって……テレビは無いと思ったけれど机の引き出しを開けてみたら小型のものが入っていた。
昨日と同じように過ごすことにして、エアコンとテレビの電源を入れた。
国立楽団の一昨年の演奏会の様子をお届けする番組(再放送)があったからそれを見てみることにした。一曲演奏が終わる毎に今の曲はいつどこで誰が作ったかの紹介が入った。私は百年前にミルさんの故郷で作られた曲にうっとりして、アズさんは五十年前にシーさんの故郷で作られた曲を気に入った。
正午を少し過ぎた頃、運転手の人が昼食を持ってきた。彼は私に元気かどうかと聞いてきて、私が元気だと答えると「良かった」と言って去っていった。
昼食はサンドイッチと温かい牛乳だった。サンドイッチは紙に包まれていて、その紙に書かれた文字は読めるものだったけれど、一番大きく書かれた店名であろう単語の意味はわからなかった。サンドイッチは、玉子のものと、レタスとオレンジ色トマトとチーズとベーコンに辛いソースがかかったものと、梅らしき甘酸っぱい黄色いジャムのものの三種類があった。どういう組み合わせなんだろう。どれも定番なのかな?
食事を済ませた後、美術品の紹介と解説をする番組を眺めていると部屋の戸が叩かれた。椅子から立ち上がって出口に少し近付いた時、戸が開いてやたら強い元金髪現黒髪の青年と目が合った。
廊下には黒髪の青年の他には魔術師な茶髪の青年がいるだけ。私から見えない場所に誰かいるようでもない。なぜ?
迷惑青年二人が部屋に入ってくる。二人とも昨日と同じような、つまりは外出する格好をしている。何をしに来たんだろう。
(アズさん、干渉、今はどうですか?)
(今も続いてる。それなのにこいつらが来たってことは、よっぽど隠したい用事か?)
茶髪は見るからに元気なさそう。黒髪は普通に見えるけれど昨日私を拘束できなかったことを考えると体調が良いわけではないと思う。
「――――」
「――――――――」
二人して私に何か言った。
(言うこと聞けば怖がることはないって)
銃で脅してきた人を怖がらないなんて無理。今だって持ってるんだろうし。
茶髪が私の上着を指差して「外に出る」と言った。屋外に出るから着ろということだろう。
この二人だけで私をどこかに連れていくのだとしたら行き先はきっと徒歩圏内だ。じゃあ何のためにそこに連れていこうと?
私はテレビを消したり上着を着たり鞄を肩に掛けたりしながら考えた。
この人たちにとって私は邪魔者だ。その邪魔者を殺したり大怪我させたりして排除するのではなく人手を集めて捕まえて悪くない扱いをするのはなぜか。しかもわざわざこの街に移して、さらに自分たちが体調不良にも関わらず直々にどこかへ連れていこうとする理由とは。
私が向こうの世界で死ぬよりこの世界のどこかで生きている方がこの人たちにとっては得なわけか。
もしかして私に何かをさせようとしているのではないだろうか。向こうで自分たちがくらったことを誰かにしようとしているのでは。それなら私の扱いが悪くないのも納得できる。彼らは私が魔力を隠せることを把握していても、あとはせいぜい対象に触っていることを知っているだけで、その動作のみでやっているというのはきっとわかっていない。何がどうなっているのかわかっていたら適当に縛ってどこかに持っていくだろう。やり方を把握できていないなら私に自主的にやらせるしかない。だから私が彼らの指示に従いやすくなるように、言うことを聞いていればひどいことはしないと示してきた。
悪いことに荷担させられるのはごめんだ。逃げないと。ならどうするか。
エアコンを消して青年二人に近付く。
刀を所持している十七の女子の私と、拳銃を所持しているであろう推定成人男性二人。私が圧倒的に不利だ。でも相手は、特に茶髪は体調不良。
魔力への干渉だの魔術の妨害だのなんて私には何の意味もない。元から私に魔術は使えない。だから、私にできることは魔術じゃない。
アズさんに伝えると決めたらそれでもう伝わって、次の瞬間には了承と助言が返ってきた。自分だけで普通に考えるのとほとんど変わらない速さで意思疎通ができた。言葉にはなっていなかった。
私は黒髪の青年のお腹を短刀で刺した。変な感触がする。黒髪に掴まれる前に刀を引き抜く。刃に血がべっとりと付いている。
「ぅぐっ……」
黒髪が呻いて、刺された部分を手で押さえた。体調不良でいるところに追加された大怪我は私が思っていたよりまずいものだったらしく彼は崩れ落ちた。
次に私は驚いている茶髪に刃を向けた。茶髪が顔をひきつらせながらコートの下、吊り下げられた拳銃に手を伸ばしたけれど、黒髪より不調な彼は私に刺されるか切られるかの状況も相まって拳銃を持ち上げるだけでも大変らしい。拳銃を取り落として拾おうとする彼に向かって私は刀を振って、彼が後退したので拳銃を確保できた。これで私がだいぶ有利だ。たぶん付いてる安全装置とやらの外し方わかんないけど。
「〈何で?〉」
茶髪は私が刀を握っていることが本当に不思議なようだ。ふとアズさんが教えてくれた、この世界の人のことを思い出した。あっという間に言葉を覚えるから信じ難かったけれど、この様子だと間違いだとは言えない評価なのかもしれない。
「邪魔っ」
私は茶髪にぶつかりに行った。茶髪はまた距離を取ろうとして今度は足をもつれさせて尻餅をついた。復帰されないうちに私は刀を一旦しまって戸を開けて部屋から逃げ出して、そのまま廊下を突っ走って玄関から外に出た。
(後ろ!)
門に手をかける直前、アズさんに警告されて後ろで音がして振り向くと紫の人がいた。たぶん二階の窓から飛び降りてきた。私が銃を向けると彼女はふっと笑って両手を上げた。優しい笑み。ああ、逃がしてくれるつもりだ。
私は銃を構えたまま下がった。背中で押した分だけ門が開いた。紫の人は動かない。でも彼女の後方、一階の窓辺に人がいる。窓が開いて、灰色の人が、
「〈ごめんね!〉」
そう言って何か飛ばしてきた。ボールみたいなそれは私でも避けられるものだったから避けながら門を大きく開いて敷地から脱走した。
「〈待て!〉」
男性の叫ぶ声と足音が聞こえたけれど適当に角を二回曲がると追っ手は消えた。
(いつもの迷惑野郎共以外主の味方か!?)
(そうだといいです!)
人が多い所にいれば広範囲に効くものは使われにくいかもしれないと思って、車に乗っている時に見た繁華街の方へ走りながら銃を鞄にしまう。この国の法律がどうなっているのか知らないけれどこんな物を持って街をうろつくわけにはいかない。職務質問でもされたら面倒だし捨てる方がいいのだろうけど武器は多い方が安心だ。どうしよう。
歩道に石畳の敷かれた住宅街を走り抜けて、地面がアスファルトになって現代的な建物があってもまだ頑張って、人と車が多い通りにたどり着いてもういいだろうと思って歩きに切り替えた。