14 想像してみる
昼休み。
はるちゃんが水筒の中身を蓋兼コップに注ぎながら言った。
「今日のあの人、来るの遅かったね」
彼女が言っているのは、家上くんのことだ。
「寝坊でもしたのかなー」
「何だろうね」
「遅刻の原因はあんまり気にならない?」
「遅刻してないよ」
家上くんの名誉のためにまず訂正させてもらった。
「どうしてかなとは思うけどさ……こう言うのもなんだけど、遅れたら意外だなってなる人じゃないでしょ?」
「それもそっか。真面目とかきっちりしてるって感じじゃないもんね」
納得したらしいはるちゃんは、水筒の中身を飲んだ。熱かったのかすぐに蓋から口を離して、ふーふーと息を吹きかけた。
「それ何? いい匂いがするね」
「ピーチティーだよ。お母さんが買ってきたんだ」
少し冷めたらしい紅茶を一口飲むと、彼女は「優雅な気分」と呟いた。
優雅……優雅かあ……。
「ねえ、家上くんってタキシードとか似合いそうだなって思わない?」
「え、タキシード?」
はるちゃんは少し不思議そうにした。
「うーん、まあ黙ってればいいんじゃない?」
「喋ったら残念な人扱いなの?」
「だって、そうだからよくボコられてるわけだし、中身は普通の男子高生じゃん? ゆかりんは目にも耳にもフィルターかかってるからいろいろと素敵に思えるかもしれないけど」
フィルター? 素敵だから好きなんじゃなくて、好きだから素敵ということ? そうなのかなあ……。
家上くんを見てみると、先輩二人に挟まれてお弁当を広げているところだった。お弁当は基本的に彼の手作りらしい。料理だけはできると思っているのだと、自己紹介の時に言っていた。実際は“できる”どころか“得意”で、調理実習の時には皮むきとか早かったし、飾り切りなんてものを披露してくれた。それで一部の同級生たちから「お母さん」なんてあだ名を付けられて、大変優秀な成績だと家庭科の先生が言った日からは「主夫」と呼ばれることが多くなった。そして彼はその呼ばれ方が嫌いではないらしい。
「料理が得意なことは、フィルターなくても素敵だよね?」
「素敵ーってなる人は少なくないと思うけど、私の場合は、すごいなーって感心するだけって感じ? ゆかりんだって、別に料理上手な人と付き合いたいってわけじゃないし、テレビでシェフだの板前だの見ても何とも思わないでしょ?」
「うん」
なるほど。家上くんのことが好きだから、料理上手なことがとても素晴らしく思えるんだ。なんとなくわかった。好きじゃなかったら、はるちゃんみたいな感じなんだろう。
「フィルターってことはさ、悪いところが見えてないってこと、かな……」
「恋は盲目なんて言葉もあるしね。でもゆかりんの場合は、見えてないっていうか、気にならなくなってるって感じじゃないかな。あの人が変なこと言っちゃってるってことはわかってるでしょ」
「うん……殴られてる時とか、そこまですることないのにってよく思うよ。でも、あの人たちの場合は、これって普通じゃない?」
「確かにあれはやり過ぎだね」
はるちゃんは頷いて、元から小さめだった声をさらに小さくした。
「性格の問題だけじゃないよね、あれ」
私たちの視線の先にいるのは、駒岡さんだ。彼女は家上くんの正面に座っている。お昼の駒岡さんは機嫌がいいのか、それとも家上くんが変なことを言ってしまうことがないのか、家上くんが駒岡さんにどうにかされたことはない。
「やっぱり、おかしいよね……」
たぶん「そこまですることないのに」の「そこ」と「ちょうどいい」の間の幅が違うだけで、駒岡さんの行動を過剰だと思うのは、一部を除いて誰でも一緒だと思う。
「……前から思ってたんだけど、ああされて育ってきたのかな」
「あーありそう。虐待されて育って、自分も虐待しちゃうって人多いって聞くし。……お?」
あっ。今、家上くんが駒岡さんに何かあげた!
はるちゃんが「プチトマトと見た」と言った。
今のはたぶん、自発的。駒岡さんは何も言っていない。なんかそんな感じがした。
「……勝てない……」
「あれだけで弱気にならないの。普段話さないのに優しい人認定に比べれば、よく一緒にいる大食いにプチトマト一個あげることくらいなんてことないって」
「……そうかな」
「そうだよ」
私からすればとってもうらやましい駒岡さんの今日のお昼は……あのおにぎりか。
駒岡さんはよく、具がたっぷりのおにぎりを昼食にしている。あのおにぎりは結構大きい。天気の悪い日に教室で食べているのを見るとよくわかる。コンビニで売っているものの二つか三つ分くらいで、それを二つ。具で膨らんでいるのであってお米の量はそう多くないようだけれど、それでも結構な量を食べているように思う。普段からよく運動をしているんだろう。
「話戻すけど、もしかして、あの人も似た感じなんじゃない? ちょっとでも怒らせたらなんかされるのに慣れっこだから、文句も言わないで一緒にいるんじゃないの」
「へっ? え、えと、それは……どうなんだろう……」
家上くんは四人家族らしい。両親は仕事の関係で家を留守にすることが多くて、大学生のお兄さんは遠くで一人暮らしをしていてやっぱり家にいないそう。だから今は、彼がどう育ってきたのだとしても、彼に手を上げるのは駒岡さんくらいじゃないかと思う。あ、あと涼木さんも少し……。
一回だけ、家上くんのお母さんを見たことがある。去年の文化祭の時だった。家上くんが「母さん」と呼んでいたから間違いない。結構な美人だった。性格は元気がいいタイプだと感じた。そして、美人で元気系だからといって特にどうということはない普通の人だと思った。あの人が駒岡さんみたいに少しのことで息子を締め上げてしまうなんてこと、あるんだろうか。
お父さん、お兄さんはどんな人なんだろう。荒っぽいのかな。厳しいのかな。……ん? 厳しい……はっ、そうだ。家上くんは剣を使って魔獣退治をすることができる。それはつまり、何らかの指導を受けてきたということなのでは! 魔獣に襲われても大丈夫なように、ちゃんと退治できるように、厳しい特訓とかあったんじゃないだろうか。虐待はなくても痛い目にはたくさん遭ってきたのかもしれない。お父さんに何かされるのに比べたら、自分と同じ年の女の子にされることは大したダメージにはならないのかもしれない。……違うかな。駒岡さんはいろいろ強いし、家上くんは結構苦しんでいるように思えるし……。
「家族じゃないなら、近所とか学校の乱暴な子によくやられてたとか」
「それって、いじめられっ子だったってこと?」
私の質問に、はるちゃんは首を横に振った。
「そうじゃなくて、凶暴で誰にでも乱暴にするやつっているんだよ。まあ、さすがにこの年になると相当珍しいだろうし、ここにはいないと思うけど」
「へえ……」
私にはそんな人の心当たりがない。喧嘩になったらすぐに手が出る人はいたけれど、はるちゃんが言っているようなことはなかった。
「通ってた小学校にひどいのがいてさあ、良い男でよしおって名前だったんだけど、悪いやつだから悪男って呼ばれてたよ。今は、きったない金髪をとさかみたいにしてるんだってさ」
乱暴なまま育って、不良街道まっしぐらということだろうか。
「はるちゃんも、何かされた?」
「掃除の時間に雑巾絞ってたら背中蹴られた」
声を普通の大きさに戻してはるちゃんは答えた。
「何で?」
「私が聞きたいよ。私はあいつになーんにもしてないのにさ。五年生になって同じ組になったばっかりの時だったから日頃の恨みってことはないはずだし、邪魔になるような場所にいたわけでもなかったのに、まったく」
はるちゃんはお弁当のミートボールを箸でぶすっと刺した。当時のことを思い出してミートボールに八つ当たりしているのかもしれない。
「怒って雑巾で顔拭いてやったんだよね。で、すぐに『しまった』って思ったんだけど、特に仕返しはなかったな。あの頃は私の方が大きかったからかなー」
私だったらどうしただろう……いきなり蹴られたことに驚いてすぐに動けなくて何もできない気がする。
「標的になりやすい人がいた?」
「誰彼構わずって感じだったけど、やっぱ席が近い人は被害多かったな。前と横の席になったら、週に一度は椅子蹴られると思えって感じ」
「そういうのって、慣れちゃうの? 先生に言いつけたりしないの?」
「復讐が怖いんだよ。私は大丈夫だったけど、反撃したらさらにやられるのが普通だったからね」
「なるほどー……」
何もなくても蹴るような人が、先生に怒られたことを恨みに思ったら何かもっとひどいことをしそうで怖い、と。
家上くんも、はるちゃんが言うように、慣れてしまったんだろうか。そうじゃないなら、懐が深いか、やっぱり好き……だめ、これは考えない。
ここは彼の小学校時代でも想像してみよう。小さかったのかな、大きかったのかな、下校中に傘で戦ってみたり寄り道してみたりしたのかな……。