13 遅刻の可能性
日曜日は家でのんびり過ごした。
月曜日は、家上くんが体育でミラクルを起こしたと聞いた他は特に何もなかった。
そして火曜日の朝。
電車に乗っていると、降りる駅の二つ前でバッグの中の携帯が振動した。確認してみると美世子さんからメールが来ていた。
『電車降りたら複製空間です。学校もすっぽり。』
件名読んだだけで嫌になった。
(……無遅刻無欠席なのに……)
(そう落ち込むなよ。まだ遅刻すると決まったわけじゃないんだから)
アズさんに慰められつつ本文を読む。
『牛に似た大型の魔獣が複数いる模様。
足が速い魔獣なので注意。
誰とも連絡取れなかったら学校を目指してね。』
メールには画像が二枚添付されていた。
一枚目は地図で、大部分が赤い丸で囲まれている。丸の中が複製空間の範囲ということらしい。
二枚目は、くすんだ水色の牛を横から撮った写真だった。背景の建物から推測するに牛は私より高さがある。
(これ、結構な大きさですけど、アズさん大丈夫ですか?)
(さすがにこの前みたいにサクッととはいかないが、まあ任せてくれ)
アズさんから頼もしい言葉を聞けたところで美世子さんに「わかりました」と返信する。
それから七分後、電車はいつも降りる駅に着いた。
電車を降りた途端、周りの人が消えた。振り返ってみたら乗っていた電車がなかった。
人がいない。危険もない。……悪いことするチャンスだ。しないけど。
私は鞄から通信機を出した。そして教わったとおりにする。
複製空間に入ったらまず通信機の電源を入れる。これで私が入ったことが自動で他の人に知らせられる。そして私は他に通信機を持った人は誰がいるかを知ることができる。ただし、わかるのは約三キロ先までで、それ以上離れていると通信できない。
通信機の画面に複数の人の名前が表示された。それを私がきちんと確認する前に、表示されるものが切り替わった。そして、通信機から、ぽーん、という音がした。
画面に表示されたのは下向きの矢印と「地球総長」の文字。これは立石さんから電話がかかってきているような状態だ。
応答ボタンを押すと、のんきな声が聞こえた。
『聞こえてるかなー?』
「は、はい。聞こえてます」
『おはよう。今は駅かな』
こちらの声も向こうにきちんと聞こえているようだ。
「はい。駅です。おはようございます」
『とりあえず、いつもどおりに学校に向かってね。魔獣は見かけたら倒すだけ。探さなくていいから。学校に着いたら待機。秀弥君がいたら一緒に行動すること。わかった?』
「はい」
『それじゃ、気を付けてね』
通信が切れた。
私は通信機を袋に戻して、首から下げる。
出てきていたアズさんと一緒に階段を上り、線路をまたぐ通路を歩いて改札まで移動した。
信号機は動いていた。なら改札機は? 矢印や通行禁止のマークはきちんと表示されているけれど。
改札機の前で立ち止まった私にアズさんが言う。
「定期使う気か? 真面目だな」
「どうなるかなって思ってたところなんですけど、これ動くんですか?」
「動くと思うぞ。元の世界と同じようにな」
「じゃあ……」
「元の世界と同じってことは正常って意味じゃないからな。元が壊れてたらこれも壊れてる」
定期券を入れたら出てこない可能性があるということ? 今までに私がそうなったことはないけれど、もしなったら駅員さんがいないからきっと大変だ。やめておこう。
普段は駅員さんがいる窓口の横を通って外に出た。指示されたとおりに学校へ向かう。
学校まで半分くらいの所で「ブモー」という、鳴き声らしきものが後方から聞こえた。振り返ってみると、魔獣が歩道を走ってきていた。速い。牛歩なんて言葉は存在しないとでも言わんばかりの速さで突っ走ってくる。
アズさんは私をすぐそばのコンビニに避難させて、自分は車道に出た。私がいるのとは反対側の歩道の街路樹の前に立ち、そこに突っ込んできた魔獣を上に跳んでよけた。なんという跳躍力だろう。人の頭の上まで跳ぶのは土曜日に何度も見たけれど、やっぱりすごい。魔力をどうにか使うとできる芸当らしい。
標的によけられた魔獣はというと、街路樹にぶつかって止まった。強くぶつけたことで頭がどうにかなったのか、よろよろしている。その状態でアズさんに目を刺されたり首を切りつけられたりして、ろくに抵抗できないまま水色の塊になった。
アズさんが手招きしたので私はコンビニから出た。そしてアズさんの元に駆け寄る。
「怪我とかしてませんか?」
「そんなように見えたか?」
「そうじゃないんですけど、魔獣、最後の最後まで足とか尻尾とか動かしてたじゃないですか」
もしかしたら私には見えなかっただけで、何かあったかもしれない。
アズさんが軽く腕を広げてみせた。
「このとおり、何ともないぜ」
「それなら良かったです」
話している間に魔獣だった塊はどんどん小さくなっていった。でも大きかったから、核だけになるのに少し時間がかかった。
今回の魔獣の核は青紫色をしていた。私はそれを拾って小瓶にそっと入れた。
「これ、中で割れちゃわないでしょうか?」
「そこまで脆くな……あ、つまんだら割れたことあったな」
もし割れることがあったら、瓶の内側に布でも貼り付けてみようか。
瓶を鞄にしまって、また学校へ向かって歩く。今度はやや早歩きだ。
学校にだいぶ近付いたところでまた魔獣の鳴き声が聞こえた。前方から聞こえたけれど姿は見えない。とりあえず鳴き声の方に走っていったらまたまた聞こえた。「ブンモー!」という感じの、怒っているかのような鳴き声だった。近い。たぶん、そこの角を曲がれば……。
角を曲がった私たちが見たのは、車道の真ん中で魔獣が崩れるところだった。
泥の山のようになった魔獣の向こうに誰かいる。髪が暗い青色で、学ランを着て、手に何か持っている。
向こうからスタスタと歩いてきて、こちらからも近付いてみて、それで相手のことがわかった。
「新崎さん、ですよね?」
私の質問に相手が頷いた。
なんというか、印象からあまり離れていない色で助かった。パンをくれたあの子のようなピンクとか、駒岡さんのような赤だったら、会って日の浅い私にはわからなかったかもしれない。
新崎さんが持っていたのは弓だった。矢は見当たらない。
魔獣だった塊が消えて核だけになると、新崎さんはズボンのポケットから小瓶を出した。そしてその中に、拾った魔獣の核を入れた。
立石さんに指示されたとおり、ここからは新崎さんと一緒に行く。
新崎さんが車道を躊躇なく歩いていくので、それにくっついていく私も車道を歩く。白線があるだけの狭い道ならともかく、しっかり歩道があるのに車道を行くのは、少し悪いことをしている気分だ。歩行者天国だと思えばいいんだろうけれど、そう思えないのはどうしてだろう。私たちの他に人がいないからだろうか。
朝のホームルームが始まるまであと十五分。この空間はまだ消えない。残りの魔獣はどこにいるんだろう。
これは遅刻決定かな、なんて思って諦め始めていた時だった。
T字路を私から見て右から左へ、黒い服を着た人が風のように駆け抜けていった。薄紫色の髪が縛られているように見えたから、女の子かもしれない。
立ち止まった新崎さんが小さな声で言う。
「あいつらだ」
「仮面の人たち、ですか?」
「そうだ」
じゃあ家上くんも近くに……
「顔隠そうぜ」
私の後ろにいるアズさんがそう言ったと思ったら、
「わっ?」
急に真っ暗になった。
何? 何が起きた? 見えない。何かをかぶせられたみたいだけれど。
「それかぶっとけ」
混乱していたらアズさんの声が聞こえた。
これは何なのかと聞いてみたら「オレの上着」と返ってきた。私はアズさんの謎デザインコート(?)をかぶせられたらしい。
「何してるんだ?」
今のは新崎さんの声だ。彼の疑問にアズさんが答える。
「向こうが隠すならこっちも隠す」
「そんなことをする必要があるのか?」
「別に? でも向こうばっかりこっちを知ってるなんて癪だろ」
なんてアズさんは言っているけれど、本当は違うはずだ。私を家上くんが見ないようにしてくれたんだと思う。
「制服が見えていてはあまり意味がないと思うが」
「じゃあ……」
頭からコートがなくなった。アズさんがブーツを消した時みたいに、取られたのでなく消えたように見えた。
私は体の向きを変えてアズさんを見る。
コートのないアズさんは、これまた謎デザインの黒い服を着ていた。衿の形的に和服かと思いきやボタンが付いているし、袖はワイシャツっぽく見える。
「こんなんでどうだ」
アズさんの手の上にコートが現れた。
渡されたそれを、何が違うのかと見てみればフードが追加されていた。
「こんなことできちゃうんですか」
「なんかそんな気がしたから、やってみたら本当にできた」
次にウィメさんに会うことがあったら、アズさんは服を自分の意志で変えられるみたいです、と教えてみようか。
「雨合羽みたいに着るといいんじゃねえか」
そう言われたので、私はリュックを背負ったままコートを着てみた。膝下まであるスカートを含めて制服は全部覆うことができた。
ボタンを掛けて前をしっかり閉めようとして、何か変だと思ったら左が上だからだった。
最後にフードをかぶると、アズさんが満足そうに言った。
「女子ってことしかわからないな」
ズボンを履いたら男子でも通るだろうか。
私たちはT字路の角にある家の生け垣の陰に隠れ、左の方を見てみた。
歩道にも車道にも誰もいない。既に見えないほどに遠くまで行ったか、どこかで曲がったか……それとも何かの敷地内に、例えば学校に入ったか。私たちの学校の校門はもうすぐそこだ。
見える範囲には誰もいないことを確認して、赤信号を無視して学校がある側の歩道へ移った。
校門の脇の壁に隠れて、学校の様子を窺う。
……何あれかっこいい! ミステリアスな雰囲気出てる!
先生が車を止めているスペースに、目を隠すだけの黒い仮面を着けた銀髪家上くんがいた。裾の長い黒いコートを着ている。たぶん、私と同じように制服を隠すためのものなんだろう。彼の手には、この前も見た大きな剣が握られている。
ああ、近くで見てみたい。タキシード着てみてほしい。何かのコスプレっぽい格好でもいい。とにかく、普段見ないような格好をしてみてほしい。きっと似合う。
銀髪家上くんは、緑色の髪の人と何か話しているようだ。緑色の人はワイシャツ姿で、二メートルくらいありそうな槍を持っていて、銀髪家上くん同様に仮面を着けている。背の高さと髪型と雰囲気からして美男子先輩な気がする。ズボンが制服のものに見えるし。
新崎さんは同じ学年である美男子先輩のことはわからないんだろうか。私みたいに黙っているということはないだろうか。
あまり見ていると気付かれそうなので、私は顔を引っ込めた。
「銀髪の方は、お前が見たのと同じやつか?」
新崎さんが囁き声で聞いてきた。
「たぶん、そうだと思いますけど……この前もよく見たわけじゃないので……」
もう一度見てみる。……いない。
「いなくなりました」
「気付かれたか」
「ここが消えるからかもしれないぞ」
アズさんが指差した方を見れば、いつの間にか山や空がきらきらと光っていた。魔獣が全部いなくなったらしい。
この場所では少し目立つので、壁の裏にいることにした。この時間に登校してくるような生徒はみんな急いで昇降口に向かうから、校門の方はあまり見ないはず。
新崎さんが、ずっと握っていた弓を消した。弓は、銀髪家上くんと赤髪駒岡さんの剣が消えた時のように、光になってから消えた。そして彼の髪の色が黒に戻った。
学校のチャイムが鳴って、アズさんとアズさんのコートが消えた。
通信機をバッグにしまって、私は地面に座った。そんな私を新崎さんが見下ろす。
「どうした?」
「戻った時にうまく立ってられないんです」
「ああ、慣れていないのか」
「はい」
またあの地面がなくなるような感覚がして、辺りが賑やかになった。自転車のキーキーいう音、生徒の声、車の走る音、鳥の鳴き声。
私は座っている状態にもかかわらずバランスを崩したけれど、痛い思いをすることは免れた。
「あと四分」
そう言ったかと思うと新崎さんは猛スピードで走っていった。三年生は三階まで上がらないといけないから大変だ。
私も走って昇降口まで行くと、靴を履き替える駒岡さんと涼木さんと士村さんがそこにいた。三人とも荷物がない。
(アズさん、牢の中で靴履き替えて外に出たらどうなりますか?)
(靴が消えるな)
それなら駒岡さんたちはきっと、先に教室に荷物を置いてきて、あの空間が消えたから急いで靴を履き替えに来たんじゃないだろうか。
駒岡さんたちが走り出す。廊下なのに容赦ないスピードだ。私も走るけれど、廊下であんなに速く走る度胸はないし、そもそも校庭でだってあそこまで速く走れない。
二階に上がると、廊下には部活の朝練上がりやトイレから戻るところらしい生徒が複数いて、少し安心した。走るのはやめて、早歩きに切り替える。
私は一分と少しの余裕をもって席に着くことができた。いつも早く来ている家上くんは今日はギリギリだった。彼が座った途端にチャイムが鳴ったくらいだ。
一時間目が始まる前に携帯を見ると、美世子さんからメールが来ていた。
『Sub:学校
アウト? セーフ?』
よよいのよい。……なんて考えてしまって、指が八のボタンを押しそうになった。
普通に「セーフでした。」と書いて返信した。