129 せっかくだから
二日目の朝、朝食の会場に向かう時、廊下で家上くんと会って挨拶をすることができた。それを葵さんと真紀さんに見られていてにやにやされた。
この日は見学したり解説を聞いたりして学習する日だった。昼食がすごくおいしかった。夕方に到着したホテルはビジネスと付かないホテルで、他のお客さんもいるから迷惑をかけないようにと先生が言った。ここでは私は五人部屋を使う。夕食の後は当然入浴の時間なのだけれど、お風呂は一人ずつ入るしかないから時間が長く取られているので自由時間でもあった。同じ部屋の人たちと写真を見せ合ったりテレビを見たりして過ごした。
三日目は自然や伝統を体感する遊び寄りの日。具体的に何をするかは選んだコースによって違う。家上くんは別のコースだったけれど、ずっと行ってみたかった所に行けたから選択に後悔はない。
なお昼食は……
「ふおお……」
「想像以上の苦さだこれ」
私とはるちゃんはおかずの一つに苦戦した。他はおいしかった。苦いものはアズさんに応援されながらなんとか全部食べた。私が頑張ったのを見てはるちゃんも残さず食べた。
☆★☆
ホテルに戻ってきた。
夕食の時間までしばし自由だ。部屋で荷物の整理をしてゆっくりするもよし、ホテルの浜辺で遊んでみるもよし。
私とはるちゃんは外に出ることにした。
ホテルと海の間の砂浜ではるちゃんと写真を撮り合う。撮ってもらおうと海に背を向けた時、ホテルの外階段を兼ねたバルコニーにぽつんと一人でいる人に気付いた。
家上くんだ。家上くんが一人でいる。空を見てるのかな。何で一人なんだろう。話しかけにいってもいいかな。
「撮るよー」
「はーい」
私は撮ってもらった後、うまく撮れたか確認するためにデジカメの画面を見るはるちゃんに早歩きで近寄った。
「ねえ……」
「ん?」
ホテルの方を指差すとはるちゃんも家上くんに気付いた。
「めっちゃチャンスじゃん」
「だよね、だよね。私、行ってみたい!」
はるちゃんがにっこり笑った。
「その意気や良し! 見守ってた方がいい? それとも見られてたらだめ?」
「んと、話しかけるところまでは見てて」
「よっしゃ、任せろ」
「あ、はるちゃんと別行動の理由は」
「ゆかりんは海を眺めてたいけど、私はあれやこれやの写真撮りまくりたいってことで」
「わかった。そういうことにするね」
(オレは?)
(固まった時に助けてください……)
(わかった)
「それじゃ、行くね」
「頑張って」
私はドキドキしながら階段の一段目に足を乗せた。ゆっくり上っていくと、足音に気付いた家上くんがこちらを見た。
「いい眺めだね。邪魔かな」
「そんなことない。樋本さんならいい」
家上くんは微笑みを浮かべて答えた。
どういう意味だろう。うるさくないからいいよって程度?
私ならなんて、そんな風に言われたら特別扱いされてるって思っちゃうよ。
私は家上くんの隣に立たせてもらった。
「そういえば、小野さんは?」
「いろんな所で写真撮ってるよ。私はこうやって景色眺めたくて、別行動してるんだ」
「へえ」
「家上くんこそ一人でどうしたの?」
「樋本さんと似たようなものだよ。綺麗だなって思って、見てたくてさ」
「そっか。家上くんは今日はどこ行ったの?」
修学旅行のしおりに各コースの日程も参加者の名簿も載っているからある程度のことは把握しているけれどせっかくの会話のチャンスだからあえてどこに行ったかから聞いた。
「まず北の方に行って……」
私たちは今日のことを教え合った。家上くんの選んだコースでもあの苦い食べ物が出たそうで、士村さんがあれを口に入れた途端フリーズしたなんてこともあったらしい。
お互いの楽しい話が済んだ後、不意に家上くんが真面目な顔をした。
「あのさ……手、繋いでみてもいいかな」
……!? 手ー!? 急に何!? ここで手を繋ぐ!? ユートさんの考え?
「い、い、いいよ。でも、何で?」
「…………何でだ?」
家上くんは固まってしまった。自分の発言を振り返って何やら衝撃を受けたっぽい。やっぱりユートさんが言わせた? でもユートさんが家上くんを動かしたなら質問した私に何かしら示してくるんじゃないだろうか。となると、女子と二人という状況に家上くんはまた何かの記憶が戻って、手を繋ぐことを思いついたけれどどうしてそんな案が浮かんだのかわからないという状況になった、とか?
……今の質問はするべきではなかったかもしれない。せっかく家上くんからものすごい接近をしてくれたというのに、彼の動作を止めてしまった。
「あの……家上くん?」
「……」
呼びかけてみたけれど返事がない。固まったままだ。
むむむむむ……。
何でだか知らないけれど家上くんが望んでくれて私は了承した。この機会を逃すわけにはいかない。たとえ誰かに見られていようと――!
えいっ!
家上くんが動かないから私が動いた。私は家上くんの手を握った。
「……樋本さん?」
家上くんは驚いたように私を見た。
「理由、思い出せそう?」
あ、やばい、声が普通じゃない。高くて小さくて聞き取りにくいと思う。
「え、え、あの、そのえっと…………あ……」
うひゃあ! 家上くんの手に力が入ったあ!
「理由は思い出せないけどしっくりくる」
そう言って嬉しそうな笑顔を私に見せてくれたものだから私はもう顔が熱くて頭がぼーっとして回らなくて言葉が出ない。顔が赤くなっているはずだけれど、家上くんは私を見て何を思うだろう。夕日のせいでそう見えてるだけって思っちゃうかなあ。
「何なんだろうなー。樋本さんの手が理想なのかなー……」
理想? 私の手が理想……ユートさんの計画がうまくいったということなのかもしれない。そのことに思い至って顔から熱が少し引いた。
家上くん、夢の中で私と手を繋いだことは憶えてないのかな。それはやだな。ユートさんの介入無しに家上くんがしてきたことは思い出してもらいたいな。
「別の繋ぎ方もしてみる?」
私がこんな大胆な提案をできるなんて。学校行事で住んでいる所から遠く離れた場所に来ているという特別な状況のおかげかな。
「別?」
「指を交互に組むの」
「ああ」
今の家上くんの頭の中は一体どうなっているのか、彼はすぐ行動に移した。ぎゅっと強く握ったり軽く揉んだり。デートの時のような不思議な甘い雰囲気は弱いのだけれどやっぱりドキドキする。
「なんかすごく刺激的なことをしてる気分になるな……」
「す、すごく刺激的なことだよ……」
「そうかな。樋本さんとやることとしては控えめなような」
む。さては私が前世の誰かの関係者と混ざっている?
「そんなことないよ。例えば戸田くんと士村さんがこれやってたらどう思う?」
「え? そりゃあ、いつの間にそんな仲良しにって……あ。ああああああ俺何言ったー!?」
家上くんが顔を真っ赤にしておろおろしだした。
「ごごごごごめんなさいっ」
「何に謝ってるの?」
「馴れ馴れしいこと……」
「いいよ。私、家上くんと、な、仲良く、なりたいから……」
「仲良くなりたい」は声が小さくなって聞こえなかったかもしれないと思ったけれど、
「じゃあ、しばらくこうしていても、いい……?」
家上くんがそんな衝撃的なことを言ってきた。
「えっ、だっ、だだ、誰かに見られてもいいなら……」
私は後ろを指差した。後ろにあるのは大きな窓とガラスの戸。ホテルの内部が見える。つまりホテルの廊下にいる生徒たちから私たちの姿が見える。今こちらを見ている人はいないけれど。
「あ……あ……!」
焦った家上くんの手から力が抜けた。でも私が変わらず握っているから私たちの手は離れないし、家上くんもやろうと思えばやれるのに離そうとしない。
「今更遅いかな」
家上くんが小さな声で言った。
「どうだろう。あ」
「誰か来たっ」
階段を下りてくる足音が聞こえてきて私たちは手を離した。女子生徒たちが楽しくお喋りしながらさらに下りていった。