128 意外なこと
何事もなく、そして私は相変わらず勇気を出せないまま修学旅行の日がやってきた。
暗いうちに起きて支度をしているとはるちゃんからメールが来た。出発地点が学校となっているはるちゃんは既に集合場所にいて、同じバスに乗る家上くんたちのことを知らせてくれたのだった。
家上くんは駒岡さんとその両親らしき人と、涼木さんはお父さんらしき背の高い人、士村さんはお母さんらしき雰囲気の似た人と姿を現したらしい。
家上くんたちもちゃんと修学旅行に行くんだ。良かった。
私はお父さんの運転する車に乗って集合場所の一つである最寄りの駅に向かった。
駅の駐車場で車を降りて、バス停車場にバスと先生と生徒たちを見つけた私は、両親に「行ってきます」を言った。修学旅行は三泊四日。それだけの期間親と離れるのは私は初めてだ。お母さんまでわざわざ見送りにきたのはやっぱり不安だからなんだろう。
一緒のバスに乗る人たちに挨拶をして、雑談しながら待機する。
生徒たちは次々とやってきて、全員が揃うと先生が生徒たちにバスに乗るよう指示した。私は同じ組の土橋さんと並んで座席に座る。酔いやすいという土橋さんに窓側を譲った。
予定の時間より少しだけ早くバスが動き出した。席の位置が良かった生徒はバスを見送る保護者に手を振ることができた。
私は出発してすぐは起きていて、別の集合場所の生徒たちがバスに乗ってきた後にうとうとして、先生の声で目を覚ますとバスはサービスエリア内をゆっくり走っていた。バスを降りてトイレに向かったらはるちゃんと会えた。とはいっても彼女は既にバスに戻るところで私たちは「おはよう」と言って手を振り合うだけだった。
サービスエリアを出発した後はまた寝た。起きたのは次の休憩地点まであと五分といったところだった。外を見るととても天気が良かった。パーキングエリアに到着してバスの外に出て体を伸ばしていたら、趣味仲間の米山くんと歩く家上くんの姿を見ることができた。
だいぶ寝たと思ったけれど、パーキングエリアを出た後も退屈だったせいかいつの間にか寝ていて、次に起きた時は車内のあちこちから話し声が聞こえてきた。それから二十分くらいで空港に着いた。
高速に乗る前からずーっと寝ていたアズさんを起こした。着いたら起こしてと言われていたからだ。アズさんは空港や飛行機が今どうなっているか興味があるらしい。空の旅は二十五年ぶりだとか。
建物に入って、他の利用客の邪魔にならない場所で組ごとに集まって、名簿順に並んだ生徒たちに先生がチケットを配った。
荷物検査を通り抜ける時、日焼け止めとか腕時計とか鞄の中身や身に着ける物のことに気を取られていた私は、謎の空間にある刃物のことがすっかり頭から飛んでいて、飛行機に乗ってからアズさんがお茶目に言った「持ち込まれちゃったぜ」という言葉で気付いた。事前に聞いていたとおりアズさんを持っていても何の問題もなかった。
この飛行機には別の学校の人も乗っている。行った先でも遭遇することもあるかもしれない。
座席は名簿順だから残念ながらはるちゃんとは離れてしまったのだけれど、私の席は飛行機の羽がよく見える位置にあった。
(アズさん、アズさん! 羽がすぐそこです! おっきいですね!)
(そうだな。へえ、近くで見るとこんなだったんだな)
離陸後、窓の外を見ていてあることに気が付いた。
(アズさん……!)
(どうした?)
(私、雲の中とか、雲より高い所にいたことはありますけど、雲を真横から見たことはなかったんです!)
(そっかそっか。窓に近い席で良かったな)
(はい!)
昼食を食べて少しするとまた眠たくなって、飛行機内で過ごす時間のうち半分近くは寝ていた。起きてからは同級生やアズさんとお喋りして過ごした。
目的地に到着して、修学旅行だし場所が場所なのでまずは講話を聞いた。アズさんも寝ないでいた。というか私よりアズさんの方が熱心に聞いていたと思う。私は小学生のうちから学校行事で何度か似た内容の講演会を経験してきたけれどアズさんは初めてだ。持ち主や持ち主の家族、知り合いの話を知っていても、約一時間一人で喋り続ける全然知らない人の重苦しい昔話を聞く機会は無かった。
そして夕方。生徒たちはホテルのロビーに集まった。
これから何の時間かというとお土産探しと夕食で、生徒たちは決められた範囲内で好きな所に買い物と食事にいける。先生が言うには、チェーン店に入ってどこでも食べられるものを食べるというもったいないことをする人が毎年いるらしい。せめて地域限定メニューを食べよう、ただの旅行じゃなくて修学旅行なのだからと先生は生徒たちに言い聞かせた。
解散した後、私とはるちゃんは葵さんと真紀さんに一緒に行こうと誘われた。
私たち四人はガイドブック(教育用)を確認しながら店舗が並ぶ通りを歩いて、テレビで見たことのある光景を写真に収めたり伝統工芸品を見たりお菓子の地域限定版を買ってみたりした。お土産の定番の商品は事前に注文してあるけれどカタログに載っていなかったバージョンがあったから小さい箱のものを買った。あと私ははるちゃんが夏のお土産にくれたものと同じシリーズのハンカチをゲットした。
食事には特産品を使った料理を出している店を選んだ。郷土料理は明日、明後日のお昼に食べることが決まっているから、今回はよくあるものだけれど見た目や味が独特のものを食べてみる。
注文を取った店員さんがいなくなると、
「ねー、ゆかり」
向かいの席にいる葵さんに話しかけられた。
「晶のどこがいいの?」
「……え?」
何でそんな質問をしてくるの?
「晶のこと好きでしょ? どこがいいの?」
ひえっ…………ああ、バレてたんだ……。しかも今ここで聞いてくるってことは真紀さんにも……。
「いつからわかってた?」
「五月くらいから怪しいなあって気はしてた。夏休み開けてから毎日挨拶するようになったから、やっぱりな、って思った」
葵さんに続いて真紀さんも答える。
「わたしはねー、文化祭の準備の時のあの言い合いがきっかけで」
そっかあ。
「もしかして結構な人数に察されてるのかなあ」
私がそう言うと、
「ゆかりんがああいう行動に出て、しかも相手が駒岡さんとなれば、びっくりして理由考えた人が何人かいるかもなあとは思ってるよ」
とはるちゃんが言ってそれに葵さんと真紀さんが頷いた。
「肝心の本人も気付いてんじゃねー?」
それがね、そうじゃないらしいんだよ……。
「いつから好きなの?」
再び葵さんに質問された。
「自覚したのは去年の六月」
「まじ? そんな前なの? 今年になってからかと思ってた。で、どこがいいの?」
「……あのね、優しくて気遣いができるところと真面目なところと勉強ができるところと料理が得意なところと、見てると何もしてなくてもかっこいいなあって思うから、顔も好みってことだと思う。あ、あと、声もそうなのかな」
「そっかー。『だーい好き』って感じかー。わかるわかる」
彼氏がいる人に理解された。なんか嬉しい。
「で、付き合いたいって気持ちはあるんだよね? 毎日の挨拶は仲良くなりたくてやってることだよね?」
「うん」
「手応えはどうなの?」
「ちょっとはあるよ」
「ちょっとっていうのは厳しくない?」
ぐうっ。
葵さんからの「それではだめ」という評価はかなり刺さった。
「うん……」
「思い切ってデートに誘っちゃえば?」
「えっ。そ、そんなこと言われても」
「ゆかりかわいいから、オッケーしてもらえると思うよ」
「かわいいって理由で了承する人じゃないと思うし、そうだとしてあんな美人たちに囲まれてたら……」
「顔だけの話じゃなくてさ、仕草とか雰囲気込みでゆかりはかわいい判定出されると思うんだよね。顔だけ見るやつじゃないでしょ、あいつ」
「それはそうだと思うけど」
「かわいいからって『うん』って言わないってのは私もそう思うけどさ、それはそれとしてかわいい子には心引かれるタイプではあると思うの。そんでデートとか恋愛に憧れもってるみたいだから、誘われたらきっと喜ぶよ」
葵さんの考えは合っているのだけれど。
「ゆかりと晶、文化祭の準備の時に楽しげに話してたじゃん。いけるって」
真紀さんが「わたしもそう思うー」と言った。
「そうだといいな……」
「自信持ちなよ」
「それができたら今ここでうだうだしてないよ……」
こういう性格だし、話すわけにはいかない家上くんの事情が頭の中を大きく占めているのも相まって、せっかく励ましてもらっているのに後ろ向きな返事ばかりになってしまう。
「もっとつついてやって。私が言っても弱いから」
はるちゃんが真剣な顔で葵さんに頼んだ。
「春代で弱いなら私にも難しいって」
「私はね、中学で失恋してそれっきりなの。だから後悔しないようにって急かすことしかできないんだよ。だから、実際に交際ができてる葵さんの言うことの方が的確だと思う」
「あー……。そうはいっても私コクられた側だからなー」
へえ、そうだったんだ。
気になったからどんな風に告白されたのか聞いてみた。
「ど直球に『好きです。付き合ってください』って」
「それでどう返事したの?」
「あの時は恋愛として好きって気持ちは無かったんだけど、いいやつだと思ってたし、恋愛に興味あったから、付き合ってみるのもいいんじゃないかと思って、それを全部正直に言って、それでもいいかって聞いたら向こうがいいって言って、成立ってことになった」
「元はどういう関係だったの?」
「んー、友達と呼ぶには少し薄い感じ? 友達の友達で、友達が私にも向こうにも話しかけるから二人とも輪の中の人になって会話が発生してたんだけど、輪が無いとおはよーのやりとりしか無かったんだよ。ゆかりと晶の関係より近いんだか遠いんだか。私は朝は部活で教室にいないからよく知らないんだけど、ゆかりは晶と挨拶以外に話すこともあるんでしょ?」
「うん」
友達の友達。誰かの仲介がないと挨拶を交わすだけの関係。相手はいろんな人と交流のある葵さん。挨拶するだけだったということは、彼氏さんは葵さんに話しかけられなかったということ。葵さんと二人で喋る誰かを見てはうらやましいなあなんて思っていたかもしれない。
「彼氏さん、葵さんに告白するために相当勇気出したんじゃない?」
「ん、そうだね。すっごい緊張してるって顔だったし、両手がグーになってた。……あ。ゆかりに必要なのって、自信より勇気か」
葵さんの気付きをはるちゃんが「そうなんだよ」と肯定した。
「ゆかりん、家上くんのことになるとすっかりビビりになっちゃう」
「そんじゃあ勇気少なめで済む方法で行くのはどう? 『デート』って言うのはなんか恋愛的な雰囲気が強くて難しいと思うからさ、『お出かけ』とか『遊ぶ』って言ってみたらいいと思う」
家上くんを友達のように誘う? それは……それなら……デートに比べたら難易度が低いとは思うけれど……。
「……男子に遊ぼうって言ったの保育園の時が最後……」
「まじか」
男子の友達が複数いる葵さんには驚きの交流の少なさだろう。
「じゃあさあ、『一緒にどこそこに行って』って頼む感じにするのはどーお?」
真紀さんが提案してきた。
「……そんな感じならできそうな気もするけど、はるちゃんとかじゃなくて家上くんに頼んでおかしくないことって何かな」
「それが難しいんだよねー。性別が逆だったら何かのアニメで見た、女性客ばかりの店に甘いもの食べに行きたいから付き合って、が使えるのになー」
私もそういうの見たことあるかも。二人で出かける理由にしたのではなくて本当に食べたくてのことだった気がする。
「男性客ばかりっていうと何だろ」
葵さんがそう言うと、はるちゃんが例を一つ出した。
「大盛りでこってりでギトギトのラーメン屋とか?」
こってりというだけでも合わないことがあるのにギトギトで大盛り……考えてみたけれどいくら家上くんと一緒でも楽しむのはやっぱり厳しいと思ったから「そういうのは無理……」と私が言うと「だよねー」と三人から返ってきた。
「そういえば映画館で、六十代以上の夫婦なら安くするっての見たけど、カップルなら割り引いてもらえる店ってあの辺にある?」
「知らないなー。何年か前ならやってるとこあったけど」
料理が運ばれてきて、恋バナは一時中断になった。
現地の農産物の色に染まっている料理はやっぱり面白いし、そうでなくても旅の記録ということで写真を撮った。
料理の味や今日見聞きしたものの感想を話しながら食事は進んで、全員がデザートに移ると葵さんがデートの話を再開させた。
「やっぱさ、小細工無しで普通にいけるんじゃない? もう遊べる期間少ないからさ、青春の思い出作りにってことで乗ってくれるかもよ。だからクリスマスのデートに誘うのはどう?」
「……夏に美人たちとお祭り行ってる人がわざわざ冬に私と思い出作ろうとする?」
「するでしょ。何人もいるのと一人じゃ違うし、友達と出かけるのとデートも違うし、夏と冬も違うし。条件違い過ぎて『あれがあったからいらない』とはならないでしょ。ゆかりはそう考えるわけ?」
「違うからって魅力を感じるかっていうとそうじゃないと思う」
「でも何も無いのとデートがあるのだったら、あることを喜ぶやつじゃない?」
「それはまあそうかも」
「やっぱりそう思うでしょ? だから誘ってみなよ。超楽しいよ、何かしらのイベント期間に好きな人とデートするの」
真紀さんがうんうんと頷いた。
そっかあ、超が付くほど楽しいのかあ。そうだろうなあ。ただの秋の日にしただけでも楽しかったのに、特別な日だったら……。
「いいなあ……!」
「勇気出せばゆかりも体験できるよ。前向きに考えてみてよ」
経験者から聞かされた「超楽しい」は、家上くんとデートしたいという気持ちをかなり強めてきた。そして気付けば私は「うん」と頷いていた。
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決められた時間までにホテルに戻って、その報告を先生にした後、私たちは速やかに大浴場に向かった。
二日目と三日目に宿泊するホテルではお風呂は各部屋のものを使うことになっているから、修学旅行でみんなとお風呂に入るというのはこれが最後の機会だ。
「三人だけってのも悪くなかったけどさ、やっぱこっちの方が修学旅行感あるー」
はるちゃんはご機嫌で広い湯船に浸かっていた。
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就寝時間になった。移動中に散々寝て眠気の弱い私はしばしアズさんに話し相手になってもらった。
(そういえばデートの話してる時、アズさん何も言いませんでしたね)
(だって主が、いつもは親友と二人のところ今日は同級生二人追加の女子四人で恋愛の話してるんだぜ? オレ何も言えないって。主だってオレの意見聞く場じゃないって思ってオレに話しかけなかったんじゃないのか?)
(えっと……そんなつもりは……)
あの時、アズさんに何か言うのは選択肢になかった。それはなぜかというと……
(……そういうことだったかもしれません)
あれはそういう時間だったんだと思う。